38話 『下衆男Aとの戦いの火蓋が切られました』
「アンドリュー・ジャクソンとラナ・クロイツは中央へ」
「は、はいっ!」
ミネルヴの呼び出しに、体をビクッと反応させ大きな返事をしたかと思えば、同じ側の手足を前へ後ろへと同時に動かし、ぎこちない歩き方で闘技場中央へと向かう。
ガチガチに緊張している姿を見ていた観客たちも、なぜか緊張してしまい、じっとラナのことを心配そうに見守っていた。
「ラナ君! 頑張ってなのです!」
顔が引き攣り、周囲の様子が見えていないラナを心配して声援を送るマリーだったが、
「お、おうよ」
と、当の本人は震える右拳を弱々しく頭くらいの高さまで上げて答えるのがやっとだった。
「……ラナ君、本当に大丈夫なのです?」
そんなラナを見ていたら心配でしかない。マリーは不安げな表情を浮かべて、闘技場中央へ辿り着いたラナの勝利を祈っていた。
「けっけっけ。ようやく、お前を打ちのめせるぜ。覚悟はできているだろうな?」
「お、おうよ」
「お前まさか緊張しているのか?」
「お、おうよ」
緊張のあまりに、下衆男A改め、アンドリューの口が動いているのは分かったが、何を話しているのか頭に入ってこない。マリーに応援されても、アンドリューに挑発されても全部同じにしか聞こえない。自分でも何を言っているのか分からない。もう模擬戦どころではなくなっていた。
「両者、十字剣を胸の前で構えなさい」
ラナの状態などお構いなしでミネルヴは開戦の儀を行う。
「了解」「おうよ」
アンドリューは、慣れた手つきで鞘から十字剣を引き抜くと、胸の前に構えた。
一方、ラナは緊張したまま同じ言葉を繰り返すばかりで、十字剣を構えようとはしなかった。いや、それ以前に十字剣は待機場所に置き忘れていた。
「ラナ・クロイツ。十字剣はどうしたのですか?」
「おうよ」
「おうよ。ではなくて、十字剣を構えないということは戦う意思がない、つまり、棄権するということになりますよ? 良いのですね?」
「おうよ」
全く言葉が耳に入ってこないラナは、あろうことか棄権を承諾してしまう。あれだけ下衆男たちに、力の差を見せつけてやろうとしていたのにもかかわらず、こんな形になろうとは誰も予想できなかった。
「分かりました。では、ラナ・クロイツの棄――」
「ちょっと待ってくださいなのです!」
そんな時、異変に気づいたマリーは、側に立て掛けてあった十字剣をラナ目掛けて力一杯に投げ放った。
「ラナ君! 受け取るのです!」
どんなに緊張していても、自分の名前には自然と体が反応してしまう。声がする方へ向くとマリーが何かを叫びながら指さしていた。よく聞こえなかったが、十字剣が真っ直ぐ飛んでくるのが見えた。
「剣……?」
十字剣が目に入った瞬間、ラナの頭の中には絵本に出てくる長剣使いの英雄の姿が浮かんでいた。そして、勢いよく飛んできた十字剣を条件反射的に受け取ると、鞘から引き抜き、切っ先を天高らかに突き上げた。
「我は最強の長剣使い! 英雄ラナ・クロイツに勝てる者なし!」
幼少時代、親友と英雄ごっこをして遊んでいたときに、毎回勝利を収めるラナが勝ち誇りながら言っていた決め台詞が闘技場内にこだました。その思わぬ発言に観客たちは数秒間唖然とした後、大爆笑した。
「ぶはははは! あのガキやべぇぞ!」
「最強の長剣使い!? どれだけ強いのか楽しみだな!」
「いいぞ! いいぞ! 英雄ラナ・クロイツ! だははは……げほっげほっ!」
「あいつ絶対にバカだぜ!」
笑いの渦の中、大好きな剣を手にしたラナの緊張は次第にほぐれていき、観客たちの声が鮮明に聞こえてきた。大観衆の前で自分が何を口走ってしまったのか気づいてしまったラナは、顔から火を吹いてしまいそうなほど恥ずかしくなり、緊張どころではなくなっていた。
「ラナ・クロイツ。模擬戦を行いますか?」
「あ、はい。模擬戦します。はい」
「では、十字剣を胸の前に構えて」
「はい」
恥ずかしくて消えてしまいたい気持ちでいっぱいになりながらも、ミネルヴの指示通りに胸の前に十字剣を構え、戦闘準備を整えた。
「けっけっけ。最強の長剣使いとは恐れ入ったぜ! 英雄ラナ・クロイツ様のお手並み拝見といきますかな」
胸糞悪い笑い方と目を「へ」の字にした気味の悪い笑顔でバカにするアンドリュー。
――くっそー! バカにしやがって! 絶対にギャフンと言わせてやるからな!
笑ってバカにしたことを絶対に後悔させてやると気合いを入れ直し、一度だけ大きく深呼吸して集中力を高めた。
「始めっ!」
ゴーン。ゴーン。ゴーン。ゴーン。と、ミネルヴの掛け声と鐘の音が開戦を告げた。
「けっけっけ。英雄ラナ様はどんな技を見せてくれるのかなぁ? ほーれ、ほーれ」
アンドリューは、十字剣を鞘に納めると「かかって来いよ」と、言わんばかりに手招いて挑発してきた。
「そりゃあ、見てのお楽しみってやつさ」
と、強がってみたものの、相手の出方が分からない今、剣も抜かず無防備な状態のアンドリューに対して迂闊に切り込むことが出来ないでいた。
しかも、ラナの超高速回避から繰り出されるカウンター攻撃は、相手から攻撃してくることが必須。時間の錯覚は、ラナ唯一の必殺技であり、自分が英雄になれる可能性を秘めているとアピール出来る最大の見せ場でもある。
ここでしくじってしまえば、ただのビッグマウス。良い笑いもので終わってしまう。ラナは慎重にアンドリューの出方を伺っていた。
「どうしたよ? かかって来ないのか?」
アンドリューは余裕をかまして、挑発している。
「そういうあんたは来ないのか? まさかとは思うけど、俺みたいなガキ相手に、負けた時の言い訳でも作っていたりして」
「けっけっけ。中々、人を挑発するのが上手いようだなぁ」
「そりゃどうも」
スフィアが魔女狩人との駆け引きで、挑発しながら相手の情報を手に入れようとしていたのを知っていたからこそ、この場面で挑発という選択肢が思い浮かんだ。
他にも挑発が上手くなったのは、スフィアの影響が大きいかも知れない。
「けけけ。面白れぇ。お前の挑発に乗ってやるぜ!」
十字剣を抜いたアンドリューは、ラナの左側から回り込むようにして切り込んで来る。
――よし、これであいつが切り込んで来たらカウンターで仕留めて終わりだ。
ラナは十字剣をしっかりと握りしめ、回避からのカウンター攻撃に備えた。
アンドリューは、左下から十字剣をラナの左腕を目掛けて振り上げる。大振り気味の攻撃を見れば、一撃で終わらせようとしていることがわかる。何か特別な力を使って攻撃を仕掛けている様子もない。完全にラナを格下だと判断して、油断しているようだ。
しかし、ラナには人並外れた回避能力とそれを応用したカウンター攻撃があれば難なく対処できる攻撃だ。
「けけけ! ちゃんと手は抜いてやるから安心して切られな」
そんな技があるとは思っていないアンドリューは、ラナのことを夢見がちな青二才のガキだとバカにした笑い方で切り掛かってくる。しかし、その時点でカウンター攻撃へ繋がる一連の流れに入ってしまったようなもの。
「俺のことを笑えるのも今のうちだ!」
戦うことに対して、確かな自信を持つようになっていたラナは、時間の錯覚で一撃を決めて終わらせることができると確信していた。そして、冷静に十字剣を自分の目線の位置に合わせて、刃を倒し、剣先をアンドリューへ向けた。
――俺の魂を滾らせた一撃でお前らの下衆な考えを……心の闇を打ち晴らしてやる!
十字剣が交錯する直前、待機場所にいたミネルヴと観客席から観ていたグランバードは、マルスから聞いていた地獄の猟犬を倒すほどの実力がようやく分かると、期待を膨らませてその瞬間を待っていた。
しかし、その実力がどれ程のものなのか。本人ですら、計り知れないでいた。





