37話 『降り注ぐ紅い雨は止みました』
「あいつ生きているのか?」
「あれは結構不味いだろ……」
容赦無く降り注ぐ血の雨は、鉄の匂いを漂わせながら土埃を上げた。
殺意の込められた攻撃に、下衆男たちも不安げな表情を浮かべている。しかし、土埃のせいでバルゴの姿を確認することができない。
全員が固唾を飲み見守っていると、観客の一人が「誰かいるぞ!」と興奮気味に叫んだ。
視界を遮っていた土埃が次第に晴れていくと、口から泡を吹きながら気を失い横たわるバルゴの側に人影が見えた。
「これほどの力を発揮するとは、全く末恐ろしい新入団員が入ってきたものですね」
「え?」
ラナは驚いた。
近くで見ていたはずのミネルヴが、気づけばバルゴの側に立っているではないか。決して移動速度が速すぎて目で追えなかった訳ではない。いついなくなったのか全く分からなかったのだ。それ以上に分からないのは、バルゴが無傷だということ。あれだけの攻撃を受けたのに、擦り傷どころか汚れ一つない。
新入団員たちには、何が起きたのかさっぱり分からず、目を丸くしていた。
「さすがミネルヴ様だ。あんな攻撃、普通なら防ぎようがないぞ」
「確かにミネルヴ様のあの力がなければ、確実に死んでいただろうな」
観客席で見ていた団員たちはミネルヴの力を知っていたため、特に心配せずにその闘いを観ていたが、マリーの異常な回復力と自らの血を使った攻撃には驚かされた。
過去に類を見ないマリーの英雄たる資質の力は、「圧巻」の二文字だった。
「この勝負、バルゴ・スケルトの戦闘不能によりマリー・ブランカの勝利とする! 救護隊はバルゴ・スケルトを医務室へ連れて行きなさい」
気絶して起きる気配のないバルゴは、担架に乗せられ医務室へと運ばれた。
勝敗を決しても、模擬戦を終えた二人に対して労いの言葉はおろか、健闘を称えた歓声すら誰の口からも出なかった。その代わりに、理性を失い本能のままにいたぶり続けたバルゴには軽蔑の視線が送られ、若くして英雄たる資質を覚醒し、力の差を見せつけたマリーには、尊敬の眼差しや期待の目が向けられた。
「ミネルヴ様、ありがとうなのです」
真っ赤に染まった悍ましい目は可愛らしい目に戻っていた。
力を上手く制御できていなかったマリーは、血の使い過ぎによる貧血でふらつきながら、自分の攻撃を止めてくれたミネルヴに対して礼を言った。
「礼には及びません。しかし、あなたの英雄たる資質はとても危険です。入団テストの際に報告を受けていましたが、まさかこれほどとは思ってもみませんでした。今回の件は私の誤算です」
「申し訳ないのです」
「とりあえず、その力がコントロールできるまでは、英雄たる資質の力を解放することは禁止します。よろしいですね?」
「はいなのです。私も発動しないように気をつけるのです」
マリー・ブランカが契約していた魔族は、とても希少な種族の一つで魔族たちの間でも幻の存在とされている妖精の一族“吸血妖精”。
妖精の一族は、煉獄に囚われていた悪魔と同様に別次元に存在する妖精の国に住んでいると噂されていた。決して姿を現すことがなかった吸血妖精は、夢魔に分類される希少種。
マリーの驚異的な回復力は、吸血妖精と契約する際に大量の血を流し、生死を彷徨っていたことがきっかけで目覚めた覚醒の予兆の力。肉体の活性化の中でも珍しい回復に特化した“自己再生”によるものだ。
そして、英雄たる資質の目覚めによって身につけた血を操る能力“紅き眼の妖精”は、吸血妖精の特性である“吸血”が影響を与えた特異能力である。
この力が発動するきっかけは“流血”。
戦闘時以外にも、誤って針で刺した程度の血で発動してしまうため、コントロールが難しく使用する血の量によっては貧血状態になってしまい、戦闘不能に陥ることもある。
最大の難点は、紅き眼の妖精の発動時、危険だと判断した相手に対して必要以上に殺意を覚えてしまい、自分の意思に反して過剰な攻撃をしてしまうところだ。その殺戮衝動は、相手が戦闘不能になるか自分にとって危険ではないと認識するまで治らない。
そんな危険な能力を考えなしに使用させる訳にはいかないと判断したミネルヴは、少し強い口調で釘を刺す。
「万が一、発動して誰かの命を脅かした場合は、有無も言わさず英雄志願者の称号を剥奪し、危険因子として隔離させてもらいます」
「……わかったのです。以後気をつけるのです」
マリーは肩を落としながら言うと、おぼつかない足取りでラナたちのいる待機場所へと戻っていった。
「次の模擬戦を行う。クラリオ・ネッツとデニス・ラードは中央へ」
初戦の余韻が残る中、次の模擬戦が開始された。
「マリーさん、大丈夫?」
ラナはボロボロの団服を着て、あられもない姿になったマリーに目のやり場に困りながらも自分の団服を着せながら、心配そうに言った。
「ありがとうなのです。少し休めば、大丈夫なのです」
明らかに凹んでいるのが見て伺える。あれだけのことをされた上に、常軌を逸した力を使い、ミネルヴに釘を刺されたのだから無理もない。可哀想に思ったラナは、
「良かった! それにしても凄いよ! あんなに力が使えるなんてさ!」
と、なんとか元気づけようと明るく振る舞った。
「凄くなんかないのです。お恥ずかしいところをお見せしたのです……。ごめんなさいなのです」
「凄いよ! それにマリーさんは謝ることしてないって! 悪いのは全部あの変態野郎だよ! 女の子に対してすることじゃない!」
こればかりはマリーを慰めるためというよりも、本気で変態野郎に対しての怒りが抑えられない本音だった。
「クロイツ君は、優しいのです」
自分を責めていたマリーは、ラナの優しい言葉に目を潤ませていた。同時にラナに対する好感度は飛躍的にアップしていた。
「べ、別に優しくないよ! 当たり前のこと言っただけさ!」
女の子に褒められ慣れてないラナは、咄嗟にクールな男を装ってみたものの、顔を真っ赤にしてあたふたしているところを見れば、動揺していることはバレバレだ。
「ありがとうなのです!」
マリーはあからさまに照れているところラナを見て「可愛い」と思いつつ、晴れ晴れとした笑顔でお礼を言った。
その屈託のない笑顔は思春期真っただ中ラナの顔を更に赤くした。女性経験が全くないラナが女の子と距離が近づいた時に発動する特異体質。
“紅い顔の男”。
こうなってしまっては、言葉に詰まってしまい会話がままならなくなってしまう。対処方法は一つだけ、一旦距離を置いて熱が冷めるのを待つのみ。
「お、お礼なんて、い、いいよ! とにかく今は残りの模擬戦を観戦しましょう!」
「はいなのですっ!」
照れすぎてのぼせそうになったラナは、少しだけ元気を取り戻したマリーと一緒に二戦目、三戦目を観戦した。初戦と違い、特にパッとしない仕合運びに退屈そうな溜息が聞こえてくる。
本来であれば、このレベルが普通なのだが、初戦で見せたマリーたちの戦いぶりが凄かったこともあり、退屈に見えてしまっているのだ。
結局、誰の印象にも残らない退屈な二戦目、三戦目が流れるように終わりを迎えた。
「次で本日最後の模擬戦を行います」
いよいよ最終戦。ラナの出番が回ってきた。
早く下衆男たちに、力の差を見せつけてやりたいという気持ちとマリーを酷い目に遭わせたことを後悔させたい気持ちから体の疼きが止まらない。手にはじんわりと汗が滲み、心臓の鼓動は次第に速さを増し、息も乱れ、視界も狭まっていく。
ラナにとってこの模擬戦は単なる模擬戦ではない。本気で英雄を目指す者と、そうでない者の格の違いを見せつけるための戦いだ。
模擬戦にかける思いの大きさが違うせいで、緊張も他の新入団員の比ではない。気合を入れ意気込むほどに、頭の中は真っ白になっていった。





