35話 『やっぱり男は欲の塊でした』
スフィアを一般兵に預けたまま、ラナを含めた新入団員一行は模擬戦を行うため、次なる会場【エルシドール闘技場】へと向かった。その他の兵士たちは、観客として一足先に闘技場内へ入って待機している。
エルシドール闘技場は、三度目の終焉の日以降に建設された。王都ではまだ新しい建築物である。
元々兵士たちの心の癒しを目的とした森林浴用の木々が千本生い茂っていたのだが、長剣使いの英雄“剣聖”エルシド・ア・ドールが夜な夜な鍛錬を重ねている最中に“英雄たる資質”が開花した際、たまたま放った一太刀で全て切り倒してしまったことがあった。
その出来事以降、兵士たちの間で“開花の地”という話が広まり、縁起が良いとその場所に鍛錬をする場所として闘技場が建設され、エルシドの名に因んで【エルシドール闘技場】と名付けられた。今では模擬戦と定期的に行われる昇格戦の場として用いられている。
ちなみに今から行う模擬戦は、未だに“英雄たる資質”が開花していない者たちがいち早く目覚めるようにという願掛けと、個々の力を見極め、その能力に応じて配属される小隊を決定するために実施される。
――ここが……あのエルシドール闘技場。
伝説の千本斬りは絵本にも書き記されていたこともあり、エルシドのような英雄を目指しているラナにとって、聖地巡礼をしているようなものだ。
嬉しさのあまり無意識に手をバタつかせて落ち着かない。
「おい見ろよ。あのガキ」
「今からボコボコにしてやるのに楽しそうにしやがって」
「けけけ。今のうちに楽しませておけ」
下衆男六人衆は不気味な笑み浮かべ、生意気なガキをどう料理してやろうかと面白おかしく話しながら、闘技場の外観を眺めているラナを横目に闘技場の中へと入って行った。
彼らの会話など一切耳に入ってこないくらい感動に浸っていたラナの下へ、黒い団服を着た男が近寄って来た。
「ラナ・クロイツ。地獄の猟犬の討伐、ご苦労だったな」
「ぐ、グランバード団長!? お、おはようございます!」
何の前触れもなく現れたグランバードに驚いたラナは、深々と頭を下げながら、はきはきと大きな声で挨拶をした。
「貴様もこれで聖十字騎士団の一員として、王のため、民のため、そして世界のために尽力してもらうぞ」
「はい! もちろんです!」
「貴様はこれから俺の管理下で働いてもらう」
「それって、グランバード団長の部下としてということですか?」
「そうだ。理由はどうあれ、元罪人である貴様の面倒は責任を持って務めさせてもらう。それに、一般人だった貴様の命を危険に曝した罪滅ぼしも含まれているがな」
「なるほど、そういうことですか。わかりました! 至らぬ点が多いですが、誠心誠意務めさせて頂きますのでよろしくお願い致します!」
「そうか。ならば手始めに模擬戦は必ず勝ってもらおう。このグランバードの部下である以上、無様な姿をさらすことは許さん」
「はい! 必ず勝ってみせます!!」
「地獄の猟犬を討伐したその実力、期待しているぞ」
誰かに期待されることは、どんな時でも嬉しいものだ。しかも、団長クラスの相手からそう言われるとなおさら嬉しくなる。ラナは、少しだけ軽やかな足取りで闘技場内へ向かって行く。
「ひとつ言い忘れていたが、デオ・ヴォルグから伝言を預かっている」
その名前は気分の舞い上がった心を地に落とした。
「デオ・ヴォルグ……。伝言って何ですか?」
その問いかけに、グランバードは答える。
「入団おめでとう。これで君も信用に値する人間になれたな。健闘を祈っている。だそうだ」
「どこでその伝言を?」
「私もデオ・ヴォルグも王の間で貴様らの入団式を見ていた。そこで伝言を受けたまでだ。それにしても、入団前から魔女狩人と知り合いとは、どういう繋がりだ?」
入団式は聖十字騎士団に関わる全ての人々が自由に見ることができる。そのため、聖十字騎士団と交流がある魔女狩人も数名見ていた。
未だに白銀の猫が魔女と関係していると思っているグランバードは、普通ならば面識がないはずの魔女狩人と知り合いであるラナに疑問を抱いていた。
「それは――」
ラナがどう説明しようかと考えていると、
「クロイツ君、発見なのです!! 早くしないと模擬戦始まるのですー!」
声のする方を見ると、マリーが手を振りながら典型的な女の子の走り方で、たわわな乳を上下左右に揺らし駆け寄ってくる。
それを見たグランバードは、
「時間のようだな。健闘を祈っているぞ」
と、言い残し闘技場の中へと入って行った。
――あっぶねぇ……。助かった。
「ラナ君! 聞いているのです?」
冷汗を拭い、ほっと胸を撫で下ろしていたラナの腕を掴みながらマリーは言った。
「ああ、ごめんなさいマリーさん……」
――って、おおおおお!?
目に飛び込んできたラナの腕が「むにゅっ」とした感触の特盛パイの間に綺麗に収まっていた。ラナの目は谷間に釘付けにされて、金縛り状態になっている。
「ラナ君? どうしたのです?」
「い、いや、何でもないよ?! も、模擬戦始まるんだよね? 急ごうか」
伸びきった鼻の下と真っ赤になった顔を両手で覆い隠し、指の隙間からチラチラといやらしい目で何度も谷間を見返しながら言うと、マリーに連れられて闘技場内へ入り、色々と準備をしてその時を待った。
ゴーン。ゴーン。ゴーン。ゴーン。
闘技場の東西南北にある塔の上に設置された巨大な鐘が打ち鳴らされた。それを合図に闘技場の中央にミネルヴ姿を現す。いよいよ、模擬戦が始まるようだ。
「さあ、只今より模擬戦を開戦致します。開戦に際してルールを説明致します」
ひとつ、一人一戦のみ。
ひとつ、正々堂々と真剣勝負をすること。
ひとつ、死に至らしめないこと。
ひとつ、制限時間は無制限。
ひとつ、英雄たる資質の使用を許可する。
「以上のルールを守り、力の限りを尽くして下さい。最初の対戦はバルゴ・スケルトとマリー・ブランカ! 両者前へ!」
「はいなのですっ!」
ミネルヴに名指しされたマリーは、模擬戦参加者用の待機場所から小走りで闘技場中央へと向かった。
「おいおい。お前が爆乳ちゃん対戦とかよ」
「けけけ。あの女、本当にたまらねぇ乳だな」
「脱がせ、脱がせ!」
「俺がたっぷり撫で回してやるさ」
下衆男六人衆の野次が飛び交う中、下衆男B改めバルゴは首や手の骨をバキバキと鳴らしながら、闘技場中央へと歩みを進めた。
「よろしくなのですっ!」
「よろしく頼むぜぇ」
「両者、十字剣を胸の前で構えなさい」
二人は胸の前で十字剣を構え、戦闘準備に入った。この姿勢は、相手に戦いの意志を表すものであり、命に懸けて戦い抜くという昔から伝わる誓いの意味も込められている。
「始めっ!」
ゴーン。ゴーン。ゴーン。ゴーン。
ミネルヴの掛け声と共に鐘の音が鳴り響くと、両者は後ろへ下がり一度距離を取った。
「さあて、美味しく料理でもしてやりますか」
バルゴは涎を啜り、剣の切っ先で地面を削りながら突進してくる。
「ちょ、ちょっと待ってなのです!」
性欲で狂った雄猫のように突っ込んでくるバルゴに悪寒を感じたマリーは、生理的に受けつけられずに後退りした。しかし、距離も近かったこともあり、あっという間に距離を詰められてしまう。
「ほーら、言う事聞かないと切っちゃうよ?」
「や、やめるのです!」
いやらしい手つきで、マリーの団服に手を掛けようとしたバルゴの左頬に、パンッ! と、強烈な平手打ちが入った。
「っ痛えな! このクソアマ何ビンタかましてくれてんだ? 大人しく遊ばせときゃ良かったのによぉ!」
「きゃっ!」
不意に受けた平手打ちに怒ったバルゴはマリーを突き飛ばす。男の力に敵うはずもなく、地面に思い切り倒れ込んだ。
「これで逃げらんねぇぞ。たっぷり可愛がってやるから、大人しくしてろよ? な?」
完全に狂っていた。欲情に駆られたバルゴは血走った眼と、溢れ出る唾液をまき散らしながら剣をザクザクと地面に突き刺し、倒れているマリーの周りを楽しそうになぞっている。
「動くなよ? 動いたらどこか傷ついちまうからさあ!」
「や、やめてなのです!」
切られる恐怖に身動きひとつ取ることができない。
「マリーさんっ!」
見ていられなくなったラナは、マリーの元へ駆け寄ろうとした。
「待ちなさい。これは模擬戦、一対一の真剣勝負です。戦闘中の者を邪魔してはいけませんよ」
すぐさまミネルヴがラナの下へ制止に入った。
「で、でもマリーさんが!」
「死ぬことはありません。もし、そのような攻撃を仕掛けたのなら必ず僕が止めに入ります」
「だけど、このままじゃ――」
「ここへ来た彼女の覚悟を君に邪魔する権利はないはずです。それとも、彼女の覚悟を無下に扱うつもりですか?」
「……ぐっ」
耐え難い光景を目の当たりにして我慢の限界が来ていたが、本気で英雄になりたいと熱く語り合い、その覚悟の重さを知っていたラナには、マリーの覚悟を無駄にすることは出来なかった。





