30話 『英雄になる条件よりも、君を守る方法を教えてほしかった』
「やった……。やりましたよ、スフィア様!! 討伐完了です!!」
“青い炎”で燃え上がる地獄の猟犬の傍らで、両手でガッツポーズをしながら自分一人でやり遂げた達成感に満ち溢れていた。
「あら、本当に一人で全部倒してしまうなんて予想以上の活躍ね」
回数を重ねるごとに経験値を積んだラナは、上出来すぎる内容で最後の一体を圧倒。スフィアも目を見張るほどの活躍だ。かなり逞しくなったラナの姿は絶対的な安心感を与えてくれた。
「これで、聖十字騎士団に入団できる! みんなを守れる!」
聖十字騎士団に入団は確定。英雄志願者として、魔女狩人の取引にも応じることができる。村の皆を助けられる。
王都の人たちの魂を狙っていたであろう地獄の猟犬もいなくなったことで、大勢の命も救うことができた。世界を救う英雄になる男の最初の武勇伝としては、かなりの功績だろう。
ラナはどんな敵が現れようとも、絶対に負けないという自信を持つことができた。
「そうね。あとは一刻も早く、君の大切な人たちを――」
ようやく一段落したと思った矢先、ガッ! ガガッ! ゴッ! と、突然何かを壊すような音が聞こえてきた。何事かと周囲を警戒していると、頭上からパラパラと天井の破片が落ちてきた。
「上!?」
「マルスさん……じゃなさそうね」
ドゴッ! と、大きな音とともに天井が崩れ落ち、スフィアの頭上に落下してきた。
「スフィア様!!」
「きゃっ!」
崩れ落ちて来た瓦礫の下敷きにならないように、スフィアを抱きかかえ、間一髪のところで回避。
「お主か? 我の猟犬たちを可愛がってくれたのは……」
大きく穴の開いた天井を見上げると、逆光の中に先端がふさふさした尻尾のようなものとマントのような布を靡かせている黒い影があった。
最近見たような光景だったが、この黒い影は恐ろしい妄想をしなくても化け物じみた相手だということは分かった。
「誰だ、お前?! って、あれ? 我の猟犬たちって……まさか」
「やっぱり予想していた通りみたいね」
「ってことは……」
「誰……か。我が名はアラウン。この世にある全ての魂を食らう者」
スフィアが予想していた最悪のパターン。四大魔王の一角“魂食いのアラウン”が現れた。
終焉の日に匹敵するという力を持つ魔王と対等に渡り合えるとしたら、歴代最強と謳われている四人の偉大な英雄くらいだ。“英雄たる資質”を目覚めさせたばかりのラナが、彼らと同等の力があるはずがない。
――嘘……だろ。
唖然。呆然。愕然。まさかの魔王登場にラナは顎をガクガクさせながら、その姿を見ていることしかできない。
絶対的自信を持っていても、本能的にその圧倒的な力量の差を感じてしまっては戦意喪失。
さすがトラブル続きのラナたち。すんなりことが進んでくれないのは、トラブルメイカーの才能を持つ二人には当然のこと。とは言っても、最強には程遠い駆け出しの二人の前にラスボス的な相手が登場するとは、今までの比ではないくらいに最悪の状況だ。
「ス、スフィア様。俺どうしたら良い? もう一戦やっちゃいます?!」
気が動転して、頭がおかしくなったのか、まさかの魔王に戦いを挑もうとするラナ。
「何バカなことを言っているの? 少し落ち着いてよく考えてみなさい。私たちが魔王と戦って勝てる見込みはゼロよ。地獄の猟犬とは訳が違う。今はとりあえず、逆撫でしないようにして大人しく帰ってもらいましょう」
魔王アラウンが現れるかもしれないと予想していたスフィアだったが、いざ目の前に現れたら冷静な判断ができなくなっていた。
「はい!? ちょっと、それこそ無理じゃないですか? 魔王の地獄の猟犬は俺が全部倒しちゃったんですよ?!」
パニックに陥っていたラナは、魔王アラウンに聞こえてしまうくらいの大きな声で叫んでしまった。
「ほう。やはりお主の仕業か。これはお礼をしなければ、我の気が済まぬ」
「あ……」
「君って、本当にバカだったのね。もう逃げるわよ!」
「すみませーん!!」
二重の意味で謝ったラナは、スフィアと一緒にその場から逃走した。
懸命に地獄の猟犬を倒し、上り詰めた栄光の階段を一段一段、泣きそうになりながら必死に駆け下りる。
「「「ガルァァァアアア!!」」」
後方から、聞き覚えのある鳴き声が複数束になって聞こえて来た。
敵とみなした者は、地獄の果てまで追いかけて抹殺する。教えてもらっていた地獄の猟犬の特性の一つ。二人を敵とみなしたアラウンが直接煉獄から呼び出したに違いない。
二人を追いかけて、先頭を走る一体が足を止め“青い炎”を噴射する。地獄の業火は通路ごと焼き尽くしながら、二人の背後に迫ってくる。
「スフィア様、急いで!!」
「急いでいるわよ! 振り向いている暇があったらさっさと走って!」
足がもつれそうになりながら、出口のある一階層へとひた走る。耐火の付与魔法していても、後ろから迫る熱気が伝わってくる。もうやがて二人の背中を捉えようとした時、やっとの思いで一階層へ到着。階段を下りてすぐに左右に分かれる形で地獄の業火を回避。
あとは、ここで地獄の猟犬を一掃して、マルスに助けを求めに行くことさえできれば何とかなるはず。そう考えていた二人は、階段を下りて来る複数の地獄の猟犬を待ち受ける。
だが、地獄の業火で焼かれた通路の壁がドロドロに溶け落ち、待ち伏せするどころか二人の姿は地獄の猟犬から丸見え状態。挙句の果てには、魔王アラウンの姿までこちらから見えているではないか。
助けを求めに行く猶予はない。こうなれば、やけくそだ。
次々に下りて来る地獄の猟犬たち。その数、十五体。一対一でようやく倒せた相手を十五体もまとめて相手にすることなど無謀以外のなにものでもない。しかし、もう二人には戦う以外に道は残されていなかった。
「魔王だかなんだか知らねぇけど……。俺がまとめて相手してやるよ!!」
もう本当にやけくそだった。接近戦に不向きなスフィアが標的にならないようにラナは大袈裟に挑発してみる。
「「「ガルァァァアアア!!」」」
元々お怒りムードの敵さん御一行には、挑発など無意味。飼い主の指示通りにしか動かない統率の取れた飼い犬たちは、ラナのことなど目もくれずにスフィアに向かって一斉に跳び掛かっていった。
スフィアは杖を手にすると、壁に向かって走る。そして、辿り着いた壁を背に、
「<神雷城壁>!!」
と、雷を帯びた防御壁を作り出し猛攻を阻止した。
「くっ……。なんで私に攻撃してくるのよ」
電流が地獄の猟犬の体に流れ込むが、それにひるむことなく、次々に噛みつき、爪を立て、体当たりを繰り出してくる。勢いのついた猛攻が続き、防御壁にヒビが入り始める。このままでは、スフィアがやられてしまう。
ラナはスフィアを助けに行こうとしていたのだが、魔王アラウンが目の前に立ちはだかり、立ち往生していた。ようやく、全貌が明らかになった姿は今までに見たことがないものだった。
背中には漆黒の翼を広げ、体の色は赤黒く、頭部と胸元、腕と下半身、そして尻尾の先端部分にかけて真っ白い体毛で覆われている。四本指の先には黒く尖った爪が見えた。
見るからに恐ろしい姿をしているアラウンの顔に目をやると、黄色く光る虎のような目がじっと睨みつけている。
「どけよ! お前を相手にしている暇はないんだよ!」
ラナはスフィアをピンチから救うために勇気を振り絞った。
「ほう。煉獄の魔王である我に対して、人間ごときが歯向かうとは面白い」
「こっちは面白くないんだよ! なんでスフィア様だけを狙う!? お前の犬を倒したのは俺だぞ! 俺を狙えよ!!」
「あの娘は我ら魔王たちを煉獄へ封印した四大聖魔の一つ、魔女の一族だろう?」
「だからなんだよ?」
「あの忌々しい魔女の一族の末裔には恨みがある。それに四大聖魔には上質な魔力が備わった魂があるのでな、あの娘の魂は、お主が殺した我が下部たちの弔いに捧げてもらう」
「やめろ!」
言い争っている最中、パリンッ! と、防御壁の割れる音が聞こえた。
「スフィア様!?」
アラウンの後ろで次々にスフィアに襲い掛かる地獄の猟犬たち。遠く離れたスフィアの下へ行くには時間が掛かり過ぎる。スフィア自身も魔法で処理できる範囲の内側へ入られてしまって、詠唱を行う時間もない。このままでは、切り裂かれ、食い千切られ、スフィアは殺されてしまう。そうすれば、全てが終わる。
『英雄になる条件、教えてあげましょうか?』
ラナの脳裏に初めてスフィアと出会った時の衝撃的な言葉が過ぎった。魂を結んだ相手が殺されそうになっているから、走馬灯のようなものを見ているのだろうか。あの時の問いかけにラナは答えていない。
――英雄になる条件? そんなの教えてくれなくていい。教えてくれなくていい。だから、一つだけ教えてくれ。たった一人の女の子を守る方法を……。
「俺に教えてくれえええ!!」
それは心の叫び。魂の叫び。
世界を守るためでもなく、大勢の人を守るためでもなく、ましてや自分を守るためでもない。
一人の女の子を守りたい。
その一心から出た叫びは、魂の奥底に眠る力を燃え滾らせ呼び起こす。ラナから神々しい光が溢れ、衝撃波がアラウンたちを襲う。
「ぐっ! 何が起こった?!」
地獄の猟犬たちは壁に叩きつけられ瞬く間に消滅していく。アラウンはその衝撃に耐えるので精一杯になっていた。
「暖かい……。何よこれ、“英雄たる資質”じゃないわよね。何の力なの……」
光はスフィアを優しく包み込み、衝撃波の影響を受けないように守っていた。
「スフィア……さ……ま」
スフィアの無事を確かめたラナは、力尽きるようにその場へ倒れ込んだ。
「ラナ!?」
スフィアは、唖然とするアラウンの横を慌ててラナの下へ駆け寄る。そして、不思議なものを目にした。
「光?」
ラナの身に付けていた鎧の隙間から、僅かな光が漏れ出していた。スフィアは訳が分からないまま、その光の源が何なのか確かめるために鎧を脱がせ、ラナを上半身裸にした。
「何よ、これ……」
光の源はラナの背中。そこには、神々しく輝く十字の紋章が浮かび上がっていた。十字の紋章と言っても、十字剣をモチーフにした聖十字騎士団の紋章とは少し違う。これはまるで、
「十字架の紋章……。まさか、クロイツの血筋は途絶えていなかったのか!?」
アラウンは、驚きの声を上げた。
「え!? なぜ、その名を知っているの?!」
「くくく。これは本当に面白いことになってきた。そうかクロイツか。くくく、はははははは!」
何か知っているような口ぶりのアラウンは、気味の悪い声で笑う。
「答えなさい! なぜ、煉獄の魔王であるあなたがクロイツの名を知っているの?!」
「これは今殺すには惜しい。忌々しい魔女の娘よ。クロイツの血とともに、その魂を極上のものに育て上げるがいい」
そう言うと、空間が渦を巻くように歪み始め、悪魔の王アラウンはその中に吸い込まれ始めた。
「待ちなさい! 何の話をしているのか教えなさいよ!!」
「くくく、約束の日を楽しみにしているぞ。クロイツの血筋よ――」
煉獄の魔王アラウンは、意味深な捨て台詞を残し、歪みの中へ吸い込まれるように消えてしまった。
「何なのよ……」
ラナの発した衝撃で見事に壊れてしまった魔窟の瓦礫の中、照りつける太陽の下でスフィアは、気を失って動かなくなったラナの頭を膝にのせて座り込む。緊張と焦り、そしてラナが使用した異常な力の反動が魂を結ぶスフィアにも影響を与え、そのまま力尽きてしまった。
後に、グランバードと話をつけ、異常に気付き戻って来たマルスよって運び出された二人は、作戦会議をした隠れ家で数日間、マルスの世話になることになった。
その間、一向に目を覚まさないラナに代わって、先に意識を取り戻したスフィアがその経緯をマルスに伝え聞かせた。
結局、マルスにも魔王アラウンが言っていた意味深な話やラナが発動させた謎の力、十字架の紋章については知る由もなく。何一つ分からないまま、眠り続けるラナが目覚めるのを待つしかなかった。
背負う十字架が指し示すものは、果たして破滅へと向かう世界を照らす光となり得るのだろうか。
【魂の契約と英雄たる資質編/完】





