2話 『本物のクマさんに出会っちゃいました』
名前以外何一つ理解できていないラナを優越感たっぷりで見下している姿は、愚民どもを蔑む下衆な女王を連想させた。それくらい態度が大きい。ふてぶてしいにも程がある。
普通にしていれば、結構タイプの女の子なのに。と、スフィアをじっと見つめて少し残念そうに、
「えっと、スフィア・セーラムさんでしたっけ? 魔女とかいうご職業に就いているみたいですけど、英雄になるためのサポートがお仕事とかですか?」
と、切り出した。
「魔女は職業じゃなくて種族よ! まさかとは思うけど、本当に何も知らないとか言わないわよね?」
魔女の存在がどれほど有名でどれだけ多くの人に認知されているのだろうか。口ぶりからして、かなり有名なのは伝わってきたが、知らないものは知らない。当然、ラナが答える台詞は、
「悪いけど、全然知らない。というか初耳」
と、なるわけだ。
何も知らないことを恥ずかしいと思う素振りも見せないラナに対して、
「呆れた。それで英雄になれると思っていたの?」
と、深い溜め息を吐きながらスフィアは訊いた。
「魔女のことを知っていようが知っていまいが、英雄になれるかどうかは関係ないだろ」
「関係あるわよ。それ以前に高貴な存在である魔女と無能で非力な人間との違いは理解してもらわないと困る」
「なんか、よく分からないけどイラっとするな」
「簡単に例えるけど、魔女は種も仕掛けもない手品師みたいなものよ。少しは理解できたかしら?」
「何となく」
「それって理解できていないってことよね」
「そうとも言うな」
手品師みたいなものだと言われれば、魔女というものがどういうものなのかイメージすることは出来たが正直、熊が突然消えたことと、スフィアが空中に浮いていたこと。この二つだけは手品師みたいなものという説明だけでは理解できなかった。
これ以上、どう説明すれば理解してくれるのかと言葉を失っていたスフィアに対して、
「じゃあ、質問するけど。急に熊がはじけて消えたのも、あんたが空から降りて来たのも全部その種無し手品ってこと?」
と、ラナは必要以上に身振り手振りを交えて訊いた。
「そうよ。あれは全部魔法が成せる技。ちなみに熊が弾け飛んで消えたのは私が魔法を解いたから。宙に浮いていたのは、浮遊魔法を使用していたからよ。これでちゃんと理解できたかしら?」
「なるほどね……。つまり、あの熊は偽物だったっていう訳か」
理解できたことで冷静に色々と考えることが出来るようになった結果、悶々としていた感情は魔法で偽物の熊を作り出したスフィアに対する怒りへと変わっていった。
夢と希望に満ち溢れ、王都サンクトゥスを目指して凍てつく寒さの中を必死に歩いていたのに、偽物の熊に足止めされたのだから怒るのも無理はない。
「どうしたの? 体が震えているみたいだけど、そんな厚着をしているのに寒いの?」
スフィアは明らかにラナが怒りで震えていることに気づいていながら、憎たらしい口ぶりで火に油を注ぐような発言をした。
もしこれがラナを逆撫でして更に怒らせようとしているなら大成功だ。怒りが頂点に達したラナは、
「俺は怒ってんだよ! 本気で殺されると思ったんだぞ! 何でわざわざ偽物の熊なんて作ったんだよ! 理由を言え、理由を!」
と、怒りの全てを言葉に乗せて言い放った。
「理由ねぇ。……特にないわ」
「ないのかよ!」
まさかの返しに思わずツッコミの手が出る。
「まあ、あるとしたら、君が私の捜し人かも知れないから引き留めたかった。と、答えるしかないわね」
「それなら普通に声を掛けろよ!」
「思ったより小さい男ね。少しからかっただけじゃない」
「はあ?! からかっただけって、ふざけんな!」
そんな理由で納得できるはずがない。人をからかうにも限度というものがある。
夢半ばにして命を落とすのかと本気で死を覚悟していたのにもかかわらず、ただからかわれただけと言われては、これ以上怒りを抑えるのは不可能。次の返答次第では怒り以上の感情が爆発しかねない。そんな状況でスフィアが発した一言は、
「だって普通に呼び止めても面白くないじゃない?」
と、完全にアウトなやつだった。
自分本位過ぎる発言が飛び出した瞬間、グツグツと煮えたぎっていた怒りが絶頂を通り越し、殺意が芽生えたラナの手は自然と剣に手が伸びていた。
「じゃあ、君がどれほどの力なのか試してみたかったというのが本当の理由ってことで納得してくれるかしら」
「何だ、その取って付けたような理由は!? つか、何であんたに力を試されなきゃいけないんだよ?!」
「だって、君が私たち魔女の一族に英雄になるために力を貸してほしいと要請してきたのよ。私のパートナーになる相手の力を見定めるのは当然でしょう?」
「パートナー? 何の話か知らないけど、俺はあんたに何かを頼んだ覚えはないぞ」
「それはないわ。だって、ここに書かれているのを読んでみなさいよ」
そう言うと、ローブの内ポケットから一枚の古びた手紙を取り出し、ラナの目の前に突き出した。
【サンタさん。15さいになったら、えいゆうになりたいです。ラナ・クロイツ】
そこに書き記されていたのは、幼少期に皆の憧れサンタクロースに向けて書いた願い事だった。
「なんで、これを!?」
「君が私たちに送って来たのよ」
「いや、俺はサンタに出したのであって、魔女に出した覚えはない!」
「それはないわ。だって、これは魔女と契約を結ぶために作られた魔導契約書。これを書いた者と受け取った者は契約を結ぶことになっているの。そのつもりで出したのでしょう?」
「だから知らないんだって」
「嘘……でしょ」
スフィアは、目を丸くしながら手で口を押えた。その驚きようは誰かを騙そうとか、からかおうとか、そういうものではないことは一目見ただけで分かるほどだった。
「嘘も何も、その手紙にもサンタさんって書いているだろ」
「私はてっきり無能で非力な人間が書いたものだから、差出人の名前を書き間違えていたのだと思っていたわ」
「どんな間違いだよ! どうやったら、スフィア・セーラムって名前をサンタって書き間違える?! 人を馬鹿にするのも大概にしろ!」
「誤算だわ。もう時間もないし、君と契約するほかないのだけれど……」
何やらぶつぶつと言い考え込み始めたが、スフィアのシンキングタイムに付き合っている暇はない。
「悪いな。何かの手違いみたいだし、俺は先を急がせてもらうよ」
「ち、ちょっと待ちなさいよ。君は私と契約しない限り英雄になることは絶対に出来ないの」
演技にしては鬼気迫るものがあったし、かなり動揺しているようにも見えたが、
「はいはい。英雄になる条件だっけ? それくらい俺も知ってるよ。英雄になるためには英雄志願者として聖十字騎士団に入団する。それさえ出来れば、あとは終焉の日が復活した時に退治するだけ。常識だろ?」
偽物の熊でからかわれたおかげで、契約とやらもスフィアが面白半分で考えた作り話としか思えなかった。
仮に本当の事だとしても、得体の知れない相手とよく分からない契約を結ぶ程のお人よしではない。今は他人の事より自分の夢を優先したいのだ。
それに人をバカにしているような相手に費やしている時間はない。
一分一秒でも早く、目的地の王都サンクトゥスへ行って、英雄志願者として困っている人達のために働きたい。そして、ゆくゆくは英雄と呼ばれる存在になりたい。そのスタートラインに立つまでは他人にかまけている暇などあるはずがない。
「ちょっと待ちなさいって言っているでしょ! 君がいう条件だけでは無理なのよ。私たち魔族と契約を結ばなければ、終焉の日に太刀打ちできないの!」
「結構面白そうな話だけど、俺先を急いでいるからさ。また今度聞かせてよ」
そう告げて、その場から去ろうとした時だった。
「グルルルル」
またもや目の前に大きな熊が立ちはだかるように現れた。
このタイミングで現れたところを見れば、明らかにスフィアが行く手を阻んでいるとしか思えない。
一度偽物だと聞いているおかげで特に驚きはしなかったが、性懲りもなく偽物の熊で邪魔をしようとしている事に対して再び怒りが込み上げる。
「あのさ、悪戯して面白おかしくしたいのは分かるけど、俺は先を急いでいるって言ったよね」
「違う……」
「は? どう見てもあんたが作った熊だろ! いい加減に――」
「その熊は違う……」
様子がおかしい。先ほどまでの威勢のいいスフィアとは大違いだ。明らかに怯えている。
「違うって……まさか……」
ようやく状況が飲み込めたラナは、その熊が偽物ではないのだと気付く。
恐る恐る熊の方へと振り返ると両前足を大きく広げ壁のように立ちふさがるどす黒い毛色の熊が、「グオオオオオオ!」と、雄叫びを上げ今にも襲い掛かろうとしていた。