27話 『目覚めたおかげで、歯車が動き出しました』
手加減をしてラナの動きを見極めるだけの予定だったのに、気合いを入れすぎて、ほぼ全力で拳を打ち込んでしまった。
「すまない」
「あり得ないわ。こんなこと……」
あり得ない。それは、不意打ちに等しいマルスの一撃の事ではない。
「――すまないと言っているだろう。いつまで怯えているつもりだ。いい加減、離れてくれないか?」
マルスが詫びていた相手は他でもない。マルスの一撃で、跡形もなく消えてしまったはずのラナに対してだった。
「酷いですよ!! 急に何するんですか!?」
力試しとはいえ、確実に命を落としていたかもしれなかった攻撃をされたラナは、ガタガタと身体を震わせながらマルスの足にしがみついていた。
「……本当にあり得ないわ。あれを避けただなんて――」
あの至近距離では、絶対に避けられるはずがない。しかも、避けた瞬間を見逃していた。いや、見逃したというレベルではない。残像すら見えていない。その瞬間だけ消えてしまったのだ。スフィアは自分の目を疑っていたが、マルスは必ずラナが避けられるという確信があった。
「それにしても驚いたな。ギリギリのところで躱す程度だと思っていたが、まさか、あの一瞬で俺の懐に飛び込んで来るとは――」
雄叫びを上げ、拳を繰り出す瞬間、身の危険を察知したラナは一瞬にして懐へ飛び込んでいたのだ。普通ではあり得ない速度だったため、マルスも大理石の壁を打ち抜いた後にしか気づかなかった。
本当に一瞬の出来事。それ以上に例えようが無いほどに速かった。
「物凄い反応速度だな。あの至近距離で俺の拳を避けたのはお前で二人目だ」
大理石の壁を打ち抜くほどの威力の拳を打ち込むまでに掛かる時間は手を叩いた音が耳に届くほどの速さ。
しかし、ラナの回避速度は手を叩く瞬間とほぼ同時くらいの速さ。瞬き一つすら許されない速度だった。
一部始終を見ていたスフィアの目には、ラナが瞬間的に移動しているようにしか見えなかった。
――避けたにしても、速すぎる。人の域を超えているわ。
今の今まで、契約していなければ何の取り柄のない、非力で無能な存在だと思っていたラナが人間を超越するほどの力を発揮した瞬間を目の当たりにして、さすがのスフィアも冷静ではいられなかった。
「あの、何が起きたのか全然分かんないんですけど……」
「最初は分からなくて当然だろう。しかし、これが単なる“英雄たる資質”だとしたら末恐ろしいな」
「どういうことですか?」
「“英雄たる資質”は、いわば戦闘における潜在能力の目覚めだ。俺も君と同じように体に変化が起きた時があったんだが、その時はいくら切られたり刺されたりしても無傷だったな」
「む、無傷!? そんなことあり得るんですか!?」
「俺も最初は驚いたが、紛れもない事実だ」
「す、すげえ」
「肉体の変化。つまり基礎能力向上には四つに分けられる。一つは今話した防御力の飛躍的向上“硬質化”。二つ目が基礎攻撃力を増加でさせる“筋力強化”。ちなみに俺はこの二つを目覚めさせ、完璧にものにした時、元々王都サンクトゥスを守護していた神から恩恵を受けて“大地の盾”を会得することが出来た。俺が“鉄壁の守護者”の称号を得ることが出来た理由だ。三つ目は五感を鋭くする“超活性化”。これは視力・嗅覚・聴覚・味覚・触覚いずれかの感覚が飛躍的に向上する。“超活性化”は魔獣と契約をした者だけに見られる変化。まあ、契約によって得られた新しい“英雄たる資質”と思ってもらっていい。そして最後が“速度強化。君に起こった変化だ」
「速度強化……」
「だが、お前の変化はかなり特殊だ」
「えへへ。そんなに特殊なんですか?」
何やら特別な力が目覚めたような言い方をされて、気分を良くしたラナは笑顔を堪えきれずにニンマリとした。
「基本的に“速度強化”は移動速度や反応速度が少しだけ早くなったと感じる程度のものだ。それなのに攻撃に対する反応速度も懐に飛び込む移動速度も人の域を遥かに超えている」
「おおおお!!」
まさか、そんな途轍もない力があったとは思いもしなかったラナは、歓喜の声を上げた。
「ここからは俺の仮説だが、最初の変化は自分の身に危険が及んだ時に起きているはずだ」
――そう言われてみるとそうかも。
思い返してみれば、魔女狩人の攻撃をギリギリで回避した時がその瞬間だったかもしれない。
「お嬢さんと契約を結んだことで、その変化に特別な力が加わっていてもおかしくない」
「特別な力というのは私の魔力が関係しているということですか?」
スフィアは今後ラナと一緒に戦っていくことを考えて、少しでも状況を把握しようと質問をした。
「恐らくそうだろう。魔族には少なからず、それぞれ特性を持った魔力があると聞いたことがある。それが影響していると考えた方が良い」
「つまり、マルスさんの仮説通りだとするなら、彼自身の“英雄たる資質”である“速度強化”に私の雷と光属性の影響を受けて、ここまでの速度にグレードアップしている。ということになりますよね」
「なるほど、確かに光の速度と掛け合わせたというのなら納得がいく」
「おおおおお!! じゃあ、この力を使えば地獄の猟犬と対等に戦えるってことですね?!」
「戦闘で使い物になるかは別の話だ。場合によっては、無意味かも知れないからな」
「どうしてですか!? こんなすごい力なのに?!」
無意識ではあったが、せっかく目覚めていた力が使い物になるか分からないというのは、まるで自分自身を否定されたような気分だ。どうしてもこの力を試してみたい。あの強敵にどこまで通用するのか知りたい。その一心でマルスに訴えた。
「俺が見た限りでは、お前らが地獄の猟犬から逃げていた時の移動速度は至って普通だ。それを考えると、恐らく超高速で移動するにはいくつかの条件が揃っていないといけないはず」
――条件……。
――動きが速いと感じた時の共通点は……。
二人は変化があった時の共通点を思い出し考えた。ラナが首を傾げて考え込む中、スフィアはすぐにその条件が何なのか見当がついた。
「多分、彼が最大限に力を発揮できるのは、絶体絶命のピンチかつ近距離からの直線的かつ単調な攻撃された時だけかもしれない」
「なぜそう思う?」
「私が見ていて、動きが速いと感じたタイミングは、命の危険に晒された時です。さっきは広範囲の遠距離攻撃だったから、発動条件を満たしていなかった。恐らく自分が避けられる範囲内のみで発動できるのだとしたら、至近距離からの直線的な攻撃に限定されるはずです。今の動きを見ても、発動時間もほんの一瞬」
「つまり近接型の超高速回避ということか」
「それって、接近戦をすれば俺でも勝てるってことですよね!?」
近接型の超高速回避と聞いた途端、テンションが最高潮に達したラナは興奮気味に訊いた。すると、スフィアとマルクは顔を見合わせ、
「それは無理だ」「無理ね」
と、声を揃えて言った。
「なんで!?」
呆れた顔で「やれやれ」と首を振る二人に、顎を首が攣りそうなくらいに押し出して訊いた。
スフィアは、一人だけ置き去りにされている哀れなラナの肩に手を置き、諭すような口調で、
「良く考えてみなさい。地獄の猟犬の攻撃は遠距離型で広範囲に及ぶ地獄の業火を放ってくるのよ。それだと、接近戦に持ち込むまでに焼き殺される。残念だけど、君の超高速回避は無力に等しいわ」
「ああ。なるほど。そうですよね。近くにいる相手からの攻撃を回避できるだけですもんね」
期待していた返答を得られず、二十歳以上は老け込んだ顔をして肩を落とした。
マルスも落胆するラナを不憫に思い、スフィア同様に反対側の肩に手を添え、
「落ち込むことはない。君一人では無理だというだけの事」
暗闇に差す一筋の光を与えた。それを受け取ったラナの顔は、生まれたての赤ん坊のようなつやを取り戻した。
「それって」
ラナは期待を込めた眼差しを送る。
まるで、おやつをせがむ子供。今度こそ、自身に課せられた使命をやり遂げるだけの答えが、返ってくることを期待した。
「お嬢さんと俺の手助けが必要だってことだ」
「そういうこと。君の力を最大限に発揮できる作戦を考えましょう」
昨日まで何一つ出来ず、自分を責めることしか出来なかったラナを中心に歯車が噛み合い始めた。
マルスという心強いサポートがあれば、怖いものなどなにもない。この場で唯一、力を過信し、甘えたことを考えていたのはただ一人。これでもかと、陽気に笑顔を振りまくラナだけだ。単純バカはそのままに、スフィアとマルスは椅子に座り直す。次いで、ニヤケ面のままラナが席に着き、
「さあ、会議を始めようか」
と、格好をつける。見るに堪えないとスフィアは両手人差し指でこめかみをぐっと押さえつけ、「ふぅ」と深く息を吐いた。
じり貧の状況に活路を見出させた浮かれ調子のバカ丸出し男を主軸に、絶対勝利、絶対生存を目的とした作戦会議が開始された。互いに様々な意見を交わし、今考えられる地獄の猟犬を討伐するための最善策を考え、残すはラナが力を使いこなせるようになるかどうか。





