23話 『暑さなんて、取るに足らない問題でした』
結局、暑苦しい砂漠で激熱な炎をその身に宿した灼熱の相手に苦戦を強いられる。
そんな現実を突きつけられて、戦意を喪失しそうになったわけで。引き続き、二人の置かれた状況は悪くなる一方だった。
魔法で応戦する。
それ以外に何か良い対策が思いつくこともなく、刻々と迫るタイムリミット。
これ以上、進展しそうにない話をしていても埒が明かない。最終的に結論は出ないまま、口よりも足を動かそうということになったので、ひとまず地獄の猟犬を捜すことにした。
追いかけられては逃げて。逃げられては捜して。捜しては足止めされて。足止めされては、命の危険に曝されて。生きるために呼吸をするように、あたかもそれが二人にとっての当たり前になっていた。
こんな二人について話し合いがされたなら、全会一致でこういう結論になるだろう。
そういう星の下に生まれてしまった哀れな存在だと。
考えるだけでも気が滅入ってしまいそうな二人の特性には、当人たちが一番鬱陶しく思っていた。
けれど、泣いても笑っても地獄の猟犬との戦い次第ですべてが終わるのかどうかが決まってしまう。
熱に浮かされながら、そんなことを考えていたラナは、
「スフィア様、まだ見つからないんですか?」
と、カラカラに乾いた喉から声を捻り出した。
「まだよ。やつらは警戒心が強いからそう簡単に見つかる訳じゃないでしょ。でも、尋常じゃない暑さになってきているから、すぐ見つかると思うわ」
すぐ見つかる。それは道中何度も聞いた台詞だ。暑さも異常どころの話ではない。汗も出し尽くして、この防寒具を着ていても涼しく感じてしまうほどに感覚がおかしくなってきている。
地獄の猟犬が発する高温を辿っていたおかげで、体感温度は軽く六十度以上に達していた。そろそろ見つかってくれないと脱水症状か熱中症でぶっ倒れてしまう。
「ん?」
とうとう幻覚まで見え始めたのか、地平線の向こうに均等に並んだ黒い点々が揺らめいている。
「スフィア様。何か見えますけど、あれ何ですか?」
ふらふらと覚束ない足取りで進み続けながら、その黒い点を指さした。
「あれは……。ちょっと止まって」
「へ?」
ラナは虚ろな目をしながら、スフィアの言う通りに足を止めた。
「恐らく、あれが地獄の猟犬だわ」
「はあ……。え、あれが?」
一定の距離を保って並んでいる黒い点々の周辺は、地獄の猟犬の熱気のせいか光が屈折して、ちゃんとした形状が分からない。数は辛うじて六体だということは分かったが、それが本当に地獄の猟犬なのかは断言することが出来ないレベルで、ゆらゆらと揺らめいていた。
「あの統率の取れた陣形は多分、間違いないと思うわ」
いつもなら、はっきり断言するところなのだが、どうにも歯切れの悪い回答だ。
魔界にも善と悪は存在している。善が住まう場所が表に見えている魔界だとすれば、その裏側。悪が住まう場所は煉獄。
スフィアは魔界についての知識は豊富あるのだが、行ったことも見たこともない煉獄に生息している魔獣の姿は、当然見たことがない。
しかし、どんな状況においても人間であるラナよりは優れている。そう示しておかなければ気が済まないスフィアは、否が応でもラナに教えるという立場は譲らなかった。
「さすが、スフィア様! 思ったより早く見つけられましたね!」
「当然でしょ」
手柄を横取りされていることに、全く気づいていないラナのバカさは少し残念だが、標的の姿は捉えることが出来た。
「よっしゃ! ちゃちゃっと地獄の猟犬を討伐してやりましょう!! 勝負だ、犬野郎!」
威勢よく、気合を入れると先手必勝とばかりに何の考えもなく突撃を開始した。
「バカ! 錯乱でもしているの!? それとも暑さのせいで頭がおかしくなったの!?」
両手足をバタバタと不規則に動かしながら突っ込んでいくラナの頭上に飛び乗ったスフィアは、戦闘態勢に入るために変身魔法を解いた。そして、魔女の姿に戻ったスフィアは、とち狂ったように走るラナを焼けるような砂の上に押さえ付けた。
「熱っ!! 何するんですか!?」
「それはこっちの台詞よ! 考えもなしに突っ込んで死んだらどうするの? 私の命も懸けているのだから、もう少し冷静に行動してくれるかしら?」
「で、でも早く討伐しないとグランバード団長たちが来ちゃうかもしれないですよ!?」
「後ろをよく見てみなさい。どこにも人影はないし、何もいないでしょう?」
確かにどこを見ても何もいない。
何もいないが、時間という名の大波が無言のプレッシャーとなって押し寄せてくる。頑張って平静を装おうとしても、死を意識した時点でそれはまったく意味のないものになってしまう。それは同時に平常心を失わせ、着実に死へと向かわせる。
ラナは無意識のうちに、プレッシャーに押し潰されそうになっていた。
「すみません。俺、どうかしていたみたいです」
「プレッシャーを感じるのは無理もないけど、私たちが今ここで最善を尽くせなければ、君の夢も私の目的も村の人たちの命も全て失ってしまうことになるのよ」
「すみません」
「謝らないで。私だって死ぬのは怖いわ。でも、私たちには必ず成し遂げなければならないことがある。この命に代えてもね」
「スフィア様……」
小さな体で死に怯えながらも、情けない顔を向ける自分を勇気づけようとするスフィアに、ラナは縋るような想いだった。
「大丈夫。君と一緒なら絶対に出来る。私は信じるわ、君の事を。だから、君も私を信じて」
「はぁ……ふぅ。……信じます。……もう、大丈夫です」
心に溜まった不安や恐怖を吐き出すように深呼吸をしたラナの顔は、恐れを捨て戦いに挑もうとする兵士の面持ちになっていた。
「もう大丈夫そうね」
その顔を見て安心したスフィアは、砂の上に押さえ付けていたラナの横で、身を隠すためにうつ伏せになった。
「どうやって戦います?」
「さっき、やつらは全てを焼き尽くす炎を持っていると言ったのを覚えているかしら?」
「地獄の業火、青色の炎ですよね?」
「そう。その炎は、同じ地獄の猟犬の体すら焼き尽くしてしまうほど強力なの。だから、互いの攻撃で巻き添えにならないように、ああやって距離を保ちながら行動を共にしているらしいの」
「じゃあ、上手い具合にその炎を利用して自滅させれば勝てるかもしれないってことですか?」
「確実ではないけれど、作戦次第では可能だと思うわ。ただ、一つだけ気になることがあるの」
「ま、また嫌なことじゃないですよね?」
「かなり嫌なことよ。こればっかりは、私の勘が外れて欲しいところだけど……」
「もうどんな話を聞いても大丈夫ですよ。覚悟は出来ていますから」
より一層、険しくなる顔を見る限りでは、想像している以上に悪いことに気づいたに違いない。ラナは固唾を飲んだ。
「それなら話すけど、地獄の猟犬は基本的に群れを成して狩りをするわ。だけど、それは獲物を狩る時だけ。だけど、やつらは今、群れを成しているのに特定の場所から動こうとしていないの。何かと似ていると思わない?」
「魔女狩人の支配下にあった暴食熊たち!? まさか、あいつらにも主がいるってことですか?!」
「ええ、恐らく間違いないわ。だけど、地獄の猟犬は元々、特定の主が所有している猟犬に過ぎないの」
「特定の主?」
「煉獄の頂点に君臨する四大魔王の一角<魂喰いのアラウン>」
これまた、ビッグネームが飛び出してしまったようだ。
人界に住むラナがその名を知っているわけもないが、魔界に住む者たちにとって、煉獄の頂点に君臨する四大魔王は、悪の象徴。人界でいうならば、終焉の日と同じくらいに恐れられている。
本来であれば、魔女の一族をはじめとする四大聖魔の女王たちが作り出した新たな裏の世界。煉獄に封じ込めることで、互いに接触することを避け、均衡を保ってきた。決して出会うことのない存在。
奇しくも、三つの世界が完全な一つの世界にされたことにより魔界のバランスが崩壊。新たな脅威を復活させる引き金になっていた。





