22話 『地獄のハネムーン。南の全てが暑かった』
王都サンクトゥス南門外。
南門から一歩外に出れば、そこは無風砂漠地帯が広がっている。風は一切吹かず、一年を通して四十度を超える猛暑が続く。その暑さ故に、普通の草木は育たず、どんな気候にも適した歪な形の魔界植物が所々に生えている。
そのため、人々が生き抜ける環境ではないここ一帯は魔獣生息地帯としても有名だ。しかし、ラナたちが到着した南門外には魔界植物が生えているどころか、魔獣の姿さえ見えない。
ただ、異常な暑さと地平線の彼方まで続く少し赤焦げた色の砂漠が広がっているだけだった。
「あ……暑い……」
防寒具一式を着て、暑さ対策などしてこなかったラナは、南門を出て早々四十度を超える暑さにやられていた。滝のように止めどなく流れる汗で防寒具内は蒸し風呂状態。気持ち悪さは言うまでもない。
「どうして、南へ行くと分かっていて防寒具を外さなかったのよ?」
「だって、今冬ですよね? これじゃあ、夏じゃないですか」
「そうだったわ。君は昨日まで何も知らなかったのよね。仕方ないから教えてあげる。三つの世界が融合し始めてから、魔界の影響を強く受けたものの一つとして、気候の変化があるの。今では魔界の特殊な気候が四つの地域に分かれ固定されるようになったの」
スフィアは、教えることで得られる優越感に浸りたいらしく、いつになく饒舌に説明を始めた。
「北に位置する君の故郷アルカノ村は雪が降り続く万年極寒地帯。東は、雨が降り続く永続豪雨地帯。西は、霧が漂い続ける常時濃霧地帯。そして、今私たちが居る南は、無風砂漠地帯と呼ばれているわ。どう? 分かったかしら?」
ドヤ顔スフィアの説明に捕捉をすると、東西南北のほぼ中心に位置する王都サンクトゥスは時期によって、この四つの地域から受ける影響の強弱に応じて、春夏秋冬、四季折々を楽しむことが出来る唯一の場所になっている。
「無風って……、だからこんなに蒸し暑いんですね」
「蒸し暑いのは君が厚着をしているせいでしょ」
「もう無理……」
ここへ来て数分と持たずに、ラナは防寒具の上着を脱いだ。しかし、尋常ではないほどの日差しと砂漠からの照り返しが、鉄板で直に体を焼いているような痛みを与えた。
「熱っ!! 痛い! 痛い!」
ラナは大慌てで、汗でぐちょぐちょに濡れた防寒具を着直した。
「バカね。こんな時に衣服を脱いだらそうなるに決まっているでしょう」
「で、でも、こんなに暑かったら柵を壊した犯人を見つける前に茹蛸になっちゃいますよ」
「それなら、無駄話をしている暇はないでしょ。早く見つけ出して討伐しましょう」
「はい!」
ラナはヤケクソになって、大声で返事をした。
二人は壊れた柵の方へ足を運ぶと、まるで探偵が現場検証を行うように周囲をくまなく調べ始めた。
壊された柵の近くには柵の残骸はおろか木片すら落ちていない。そんな感じで南門の入り口周辺部分の柵だけが跡形もなく破壊されていた。
「スフィア様、これって壊されたんじゃなくて、暑すぎて燃えちゃったんじゃないですか?」
「それはないわ。残っている柵を見たけど、この柵は魔界樹で作られていたし、この程度の暑さなら絶対に燃えない。仮に燃えたとしても、無風状態なら燃えカスが残っていても良いはずだもの。それに、南門前周辺の柵だけが綺麗になくなっていることから考えても、計画的な犯行に間違いないわ」
「じゃあ、意図的に壊されたってことですか!?」
「その可能性が高いわ。相当知能の高い魔獣か、あるいは私たちと同様に魔族の誰かと契約している何者かの仕業か。いずれにしても、骨が折れる相手になりそうなのは確かね。せめて、どんな相手なのか分かれば対処方法を練られるのに」
「普通の魔獣とかじゃないんですね……。ん? スフィア様、何か地面に変な模様が付いてないですか?」
どうしたものかと頭を抱え、不意に下を見てみると、赤焦げた色の砂漠に黒く焦げた凹みがあった。
「何の模様かしら……」
「これって、ここ特有の模様ですかね?」
「……違うみたい。形をよく見て」
「形? あ、なんか犬の足跡に似ていますね」
犬の足跡のような黒焦げた無数の模様。跡形もなく消え去った魔界樹で作られた柵。そして、ここへ来た時から気になっていた一体も姿を現さない魔獣。三つの事からスフィアはある存在へと辿り着く。
「不味いわ……」
スフィアは恐ろしい相手を想像してしまい、瞳孔が開きっぱなしになっていた。
「え? 不味いって、何が不味いんですか?」
「私たちが討伐しようとしている相手はただの魔獣じゃない。命を懸けるにはリスクが高すぎるわ。だって……そんなことがあり得るの……?」
「スフィア様?」
明らかに怯えている。ラナは黙り込んでしまったスフィアを抱きかかえ、落ち着かせようとそっと頭を撫でた。
「も、もう大丈夫よ。下ろして」
その言葉からは、本当に大丈夫という気持ちが全く伝わって来なかった。スフィアを抱きかかえた時に伝わって来たのは、聞き慣れない名前と怯える感情だけだ。
「スフィア様、地獄の猟犬ヘルハウンドって何者なんですか?」
「……地獄の猟犬は、魔族が唯一敵対していた勢力<悪魔>が幽閉されている煉獄という場所に生息している魔獣なの。やつらに攻撃を仕掛けたら最後、その場に居合わせた全ての地獄の猟犬を倒し切らないと新たな群れを成して死ぬまで追い続けるわ。正直に言って、私たちに勝てるような相手じゃない」
話を聞くだけで、暴食熊よりも質が悪い相手だということは分かる。死ぬまで追い続けるのならば、また逃げ続けなければならないのか――否。二人はもう逃げることも隠れることも許されない。
例え、太刀打ちできないような相手だとしても、グランバード団長率いる聖十字騎士団討伐隊がここへ来るまでに、全ての地獄の猟犬を駆逐しなければならない。
二人はちゃんと分っている。戦いを挑めば死ぬと分かっている相手に対して、立ち向かう勇気をどこから絞り出せばいいのだろうか。スフィアは戦う覚悟ではなく、死を受け入れる覚悟を固めようとしていた。
「諦めたらダメですよ、スフィア様! 生きて帰れるように対策を練りましょう!」
一度は絶望した自分を勇気づけ、前を向かせてくれたスフィアに対してラナは笑みを浮かべながら力強く鼓舞した。
「……まったく、簡単に言ってくれるわね」
対して実力もないくせに、偉そうなこと言ってくれるわ。と、内心思いつつも、魔法で作り出した偽物の熊に怯えていたラナからは想像もつかないほど力強い言葉に不思議と安心することが出来た。
「対策を練るけど、その前に地獄の猟犬について詳しく教えてあげましょうか?」
「うん! 絶対勝ちたいからな!」
「さっきの黒焦げた足跡を見て分かると思うけど、地獄の猟犬は地面を焦がしてしまうくらい体温が異常に高いの。やつらは体内に全てを焼き尽くす青色の炎、地獄の業火を宿しているわ。恐らく、ここの柵もその炎で焼き尽くしたと考えた方が良い。だから、本気で戦うなら一瞬も気は抜けない。少しでも油断して挑んだら、大火傷で済まないわ」
「なるほど。それなら、魔法を使って遠距離攻撃した方が良いってことですよね?」
「セオリー通りならそうなるわね。だけど、接近戦オンリーの暴食熊とは違って、やつらは主に地獄の業火を用いた遠距離攻撃を主体としているわ」
「それって結構厳しいですよね」
「だから勝ち目はないと言っているでしょ。高温の体で如何なる者の接近も許さず、広範囲に渡って灼熱地獄にすることが出来る炎を放出するなんていうのは、はっきり言って反則級の厳しさよ」
――ああ、なるほどね。結構ヤバそうかも。
格好をつけて偉そうなことを言った矢先、思っていた以上に強敵だということを知り、如何に勝ち目が薄く無謀な戦いを挑もうとしているのか、ようやく気づいた。
生き残らなければならないという使命感と決意を維持するために、自分たちならどんな強敵でも、スフィアとの契約で得た魔法さえあれば太刀打ちできる。という考えで突き進もうとしていたのだが、そう上手くはいかないらしい。





