18話 『一方通行では、上手くいかないと知りました』
恋焦がれる気持ちは、人も動物も関係なく盲目にさせる。
アレキサンダーは、自分と同じ白銀色の毛並みをした猫に恋をした。その猫の名はスフィア。アレキサンダーの目にはこの世に舞い降りた女神のように映っていた。
今まで、色々な出会いを経験してきたが、あんなにも積極的な求愛行動をされたことは一度もなかった。
そう、これは一世一代の大チャンス。このチャンスを絶対に逃すものかとアレキサンダーは、スフィアの後を全力で追いかける。
しかし、この物語は猫同士の物語ではない。恋焦がれるアレキサンダーとその親友カルネを無事に騎士寮という名の危険地帯から無事に脱出させるための逃走劇。それが正解で、実際に起こっている事なのだが、アレキサンダーには全く関係のないこと。
最初に見たアレキサンダーの目からは、そんなことが容易にイメージできた。
――絶対に誰にも掴まらないわ。
逃がすはずの相手に追われる立場になってしまったスフィアは、一人と一匹を無事に逃がす以前に自分が逃げ切らなければならない状況になっていた。
一日通して逃げ回ってばかりで、へとへとに疲れ切っている体にムチ打ちながら、下へと続く階段を三段、四段と飛ばし飛ばし掛け降りる。そして、屋上から二階へと誰にも会うことなく無事に通過。ここまでは、スフィアが思っていた以上に良い展開になっていた。
しかし、ラナと同じくトラブルに愛された存在であるということを忘れてはいけない。一階へと降りる階段の踊り場に差し掛かった時、少なくとも三人の話し声が聞こえてきた。
が、スピードを緩めることはできず、そのまま最後のコーナーを曲がり切ろうとした瞬間、階段すぐ下に北門にいた門番同様に鉄の鎧を身に付けた男が三人立ち話をしているのが目に入った。
このまま、降りてしまえば絶対に見つかってしまう。咄嗟の判断でスフィアは走る勢いをそのままに真上に跳び上がった。そして、それを追うようにアレキサンダーも跳び上がろうとするが、大勢が悪く上手く跳び上がることが出来ず、そのまま後ろから頑張ってついて来ていたカルネのところへ。そして、見事にキャッチされた。
その間にスフィアはカルネの後ろに回り込み、下にいる三人から身を隠すように階段を少し上り戻った。
「にゃあああ!!」
アレキサンダーは愛しのスフィアが遠くへ行ってしまうと思ったのか、がっちりと掴んだカルネの手から逃れようと必死に抵抗し始め、
「うわっ!? 急に何だ!?」「猫の鳴き声?」「階段の方からか?」
と、当然のことながら、大音量で発した鳴き声に反応した三人は階段の方に振り向こうとしていた。
刹那、もう後がないと覚悟を決めたスフィアが変身魔法を解除して元の姿に戻ると、お得意の光属性魔法<神雷光>を放った。
小声で詠唱して発動させた魔法は、建物外へと漏れ出すほどの強烈な輝きを放つ。
「くっ!? 次はなんだ!?」「ま、眩しい」「何が起こったんだ!?」
一瞬の閃きで視界を奪われた三人の男は慌てふためいた。
スフィアはこの機会を逃さない。すかさず、浮遊魔法を使いアレキサンダーを抱いたカルネを浮かび上がらせると有無も言わさず、入り口の向こうへと放り出した。だが、穴の外まで送り出す力が残っておらず、カルネは無造作に放り出されたまま、城壁の穴付近へと向かって転がり進んだ。
――お願い! 気づいて!
と、城壁の穴の向こうに待機しているラナが、カルネたちに気づいていることを願った。
「カルネ君!?」
先刻、放たれた閃光に気づいていたラナは、何かあったのだと穴から丁度顔を覗かせていた。そのおかげでカルネたちに気づき、聖域の外へと引っ張り出すことに成功した。
――良かった。後は私がここから抜け出せば……。
カルネたちが無事に救出されたことを見届けたスフィアは、再び白銀の猫へと姿を変え、その場から離脱しようと走り始める。しかし、未だ回復しきらぬ魔力の中で、光属性魔法、浮遊魔法、変身魔法と三種類の魔法を単独で使用してしまったせいで、思うように走ることが出来ずにいた。
「おい! さっきの光はなんだ!?」
そこへ、一階で話していた三人の男とはまた別の男が現れた。
「グランバード寮長! それが我々にもよく分からないのです」
「分からない? あれだけの光が何の原因もなく起こる訳がないだろう」
「し、しかし……。はっ!? そうだ! 先ほど光の前に猫の鳴き声を聞きました!」
「猫? 騎士寮は猫一匹たりとも入れてはならない決まりになっているはずだが、一体貴様らは何をしていた?」
「「「も、申し訳ございません!」」」
三人は深々と頭を下げて、ガタガタと体を震わせた。その間に、騎士寮入り口付近まで歩みを進めていたスフィアはあと少しで脱出できると、最後の力を振り絞り着々と城壁の穴へと近づいていた。そして残り僅か、本当に一歩というところで、
「にゃあああ!!」
と、城壁の向こう側にいるアレキサンダーが、興奮冷めやらぬといった様子で鳴き声を上げた。
「猫!?」
グランバードは、その鳴き声に反応すると腰に携えていた十字剣を手に取り、騎士寮の外へと飛び出した。そこで目にしたのは、城壁の穴の前にぐったりと横たわる白銀の猫だった。
「白銀……、謎の光……。まさかこの猫がやったのか?!」
得体の知れない猫だと警戒をして、じわりじわりと詰め寄るグランバードの手に力が入る。
近づいて来る足音に気づいていたが精も魂も尽き果てたスフィアには、立ち上がることはおろか、助けを呼ぶことさえもできなくなっていた。
――スフィア様はまだ出てこないのか?
中々、姿を現さないスフィアの事が気になったラナは、再び様子を確認するために穴から顔を覗かせた。
「貴様そこで何をしている!?」
それに気づいたグランバードは、明らかに怪しいラナに十字剣の切っ先を向けながら迫った。
「げっ!」
辛うじて見えたのは、凛とした表情でこちらを睨みつける黒い団服を身に付けた黒髪短髪のいかにも真面目そうな男が迫ってくる姿だった。ラナは穴のすぐ側で横たわるスフィアを見つけると、急いで手を伸ばし、スフィアの体をしっかりと掴まえた。
「逃がすか!!」
何の躊躇いもなく振りかざした刃は、ラナの手もろともスフィアを切り裂く勢い。だが、ほんの一瞬、早いタイミングでラナの手はスフィアと共に穴の外へ。
「ちっ。逃がしたか……だが、逃げ切れると思うな」
特に焦ることなく、むしろ余裕さえ見えるグランバードが力強く握っている十字剣の剣先から真っ赤な血が一滴だけ流れ落ち、地面を濡らした。
一方、城壁を挟んだ向こう側では、
――ちくしょう。あの野郎、本当に切りやがった。
と、ラナの右手の甲をかすった程度だったが、少し長い切り傷から血が滲み出ていた。傷口を見てしまったせいで、ジンジンと痛み始める。
「お兄ちゃん、大丈夫? ぼく、アレキサンダー見つけたんだよ!」
負傷したラナを気遣いながらも、自分で友達を見つけられたことを嬉しそうに話した。どうやら、怪我はないようだ。
「おう、凄いな! さすがカルネ君だ! もう逃がさないようにするんだぞ!」
痛みを感じながらも、カルネに心配を掛けないように精一杯の笑顔で答えた。
「うんっ!」
「偉いぞ、カルネ君。じゃあ、今からお兄ちゃんがお家まで連れて行ってあげるから、アレキサンダーを絶対放したらダメだぞ?」
「うんっ! わかった!」
「よし! 行くぞ!」
ラナは、スフィアとカルネを抱き上げるとその場から早々に立ち去った。
救出作戦は成功したが、まだ安心できる状況ではない。グランバードに顔を見られ、猫の姿だとは言えスフィアのことまで知られてしまったこともそうだが、魔力を限界まで消費していたスフィアの変身魔法が解けかかっていた。
――頼むから、まだ元に戻らないでくれよ!
万が一、ここでスフィアが魔女の姿に戻ってしまえば、聖域内に侵入したこと以前にスフィアの命が危ない。つまり、ラナ自身の命も危ないということ。
一刻の猶予も許されない状況が続く。
どうしてこんな過酷な試練を与えたのかと天を仰ぐと、まるで二人の長く過酷な一日を映し出すかのように、夜空に浮かぶ満月を分厚い雲が覆い隠し始めていた。





