17話 『走り出した恋が止まりませんでした』
真冬の夜風を感じながら、群れる人々の中を駆け抜け、聖域への入り口。北城門前に到着した。北城門前には北の守護者として、偉大な四人の英雄の一人<軍神ミネルヴ>の巨大な石像が堂々とした姿で立っている。
本来ならば、憧れの英雄の石像を前にして、テンションが上がるところだが、今はそんなことをしている場合ではない。
ラナは乱れた呼吸を整える間もなく、北城門へと近づいていく。
門の両脇には二人の門番が鉄の鎧を着て、槍を右手に持ち、仁王立ちをしている。彼らは決して一般人を通さない。そう決められている。だから、守っている。絶対順守のルールと聖域への入り口であるこの門を。
しかし、今のラナにはそんなことはどうでもいい。どうにかして中に入らなくてはならない、カルネが誰にも見つからずにいてくれることを祈りながら。
そして、ラナはまた一歩近づく。
「止まりなさい」
門番の一人が、ラナへ矛先を向けて制止した。
「中にいる友人に会いに来たんですが、門を開けてもらえますか?」
道中、スフィアにとある提案をされていたラナは、その通りに門番に訊いた。
「紹介状は持っているのか?」
「いえ、紹介状は持っていません」
「紹介状なしに通すわけにはいかん。立ち去れ」
当然の対応だ。が、ここまでは想定通り。問題はここからだ。門番がラナに気を取られ、ほんの少し持ち場を離れたこの時、スフィアは巨大な石像を器用に駆け上がり、ミネルヴ像の頭へ登り切っていた。
「どうしてもダメですか?」
ラナは時間を稼ぐため、食い下がる。
「ダメだ。もし規則を破れば、我々まで罰を受けなければならないからな。悪いが大人しく帰るんだ」
「そうですか」
僅かな会話だが、これ以上話を続けては逆に怪しまれてしまいそうだ。そう思ったラナは、石像の上に居るスフィアの様子を覗う。すると、スフィアがひょっこり顔を出ししっぽを大きく横に振っている。もう時間稼ぎをしなくて良いという合図だ。
「分かりました。次は紹介状を貰うようにします」
「ああ、そうしてくれ」
この間に素早くスフィアは石像から降りて来た。
門番が定位置に戻ると、スフィアもラナの肩に戻って来た。
『スフィア様、どうでした?』
『特に騒がしくしている様子はなかったわ』
『じゃあ、まだカルネ君に気づいていないってことですか』
『ここから見る限りね。さっきお店で聞いていた城壁の穴がある方角も見てみたけど、少なからず慌ただしく動いている人はいなかったわ』
そう。スフィアの提案というのは、聖域内の様子を確かめ可能な限り状況を把握するためのものだった。結果として、まだカルネが中に入ってしまったことで騒ぎが起きていないことは分かった。
だが、まだ気づかれていないという可能性があるだけで、もしかしたら既に見つかって捕らえられているかもしれないし、今から見つかってしまうかもしれない。急を要している事に変わりはない。
二人は急いで、穴の開いた城壁へと向かった。
そして、辿り着いた穴の開いた城壁。話で聞いていたように、穴は子供が入れそうなくらいの大きさだ。ラナには入れそうにもない。
『私が捜してくるから、君はここで見張っていて』
『俺も自分にできること考えておくんで、何かあったらすぐ戻ってきてくださいね』
はっきり言って何かあったらでは遅い。スフィアに全てを託すしかないことに対しての単なる気休め程度の言葉。ラナが今できることの全て。
『行って来るわ』
スフィアは城壁の穴から、聖域内へと足を踏み入れた。
聖域に入ると、壁を修繕するための工具や物資が山積みに置かれている。正面には建物がある。恐らく、客の言っていた騎士寮だろう。晩御飯時ということもあって、この周辺には人の気配がない。捜すならまさに今がタイミングだ。
スフィアは、カルネの痕跡を探して辺りを注意深く観察しながら歩き回った。せっかく猫の姿をしているのだから、カルネの匂いを辿って捜したいところだが、姿だけが猫の形をしているだけで、その特性までを習得できているわけではない。
ある程度歩き回って気づいたことが二つ。
万が一何者かが穴から侵入しても、それ以上進行出来ないようにバリケードが設置されていた。これは猫のサイズでも、通れそうな穴は開いていない。つまり、ここ一体から出ることは不可能だということ。カルネとアレキサンダーの行き先が限定される。
そして、もう一つ。騎士寮と思われる建物の入り口に、大人の足跡に紛れて、小さな子供の足跡があった。足跡の向きから考えても、建物の中に入って出た様子がない。
――ここを捜すしかなさそうね。
誰にも見つかってはいけない。見つからずにカルネを連れ出さなければならない。それを考えると、この建物へ入るという事は単身敵地に足を踏み入れるということ。かなりリスキーだが、ここを捜す以外に選択肢はないようだ。
スフィアは意を決し、建物の中へと潜入を試みた。
建物内は灯りがなく、薄暗い。相変わらず人の気配もなく、しんと静まり返っている。最初は廃虚なのかとも思ったが、それにしては歩く足に埃一つつかない。
本当に晩御飯を食べるためにどこかへ行っているだけなのかもしれない。もし、そうなのだとしたら、カルネが聖域へと入って行ったという目撃情報があった時間を考えても、悠長に捜している時間はない。
スフィアは急ぎ足で、カルネたちを捜すことにした。
不気味に静まり返った建物内を抜き足差し足で、各所に点在する部屋の中を一つ一つ見て回った。一階、二階と順調に進んでいき、一つ分かったのは、ここには誰かが住んでいるということ。やはりここは騎士寮で間違いないようだ。
そうなると、確実にここへ戻ってくる人がいることになる。
更に慎重かつ迅速に残りの部屋を探索していく。
しかし、五階まで上がってきたがカルネとアレキサンダーの姿はどこにも見当たらなかった。
――外から見た感じだと、五階までしかなさそうよね。あとは屋上かしら。
最後の望みをかけて屋上へ上がろうとした時だった。
先ほどまで薄暗かった建物内に灯りが燈され、一気に明るくなった。
――嘘でしょ!? もう戻って来たの!?
スフィアは階段の手すりによじ登り、隙間越しに下を覗いてみると、次々に人が上がってくるのが見えた。
このままではスフィア自身も見つかってしまう。慌てて屋上へと駆け上がり、カルネたちの姿を捜した。
「アレキサンダー! 次は何して遊ぶー?」
すると、そこにはアレキサンダーと笑顔で戯れるカルネの姿があった。どうやら、アレキサンダーを見つけた嬉しさから、そのままここで遊んでしまっていたようだ。
しかし、見つけたのは良いが下には多くの人が戻ってきてしまっている。あの人数の目を盗み、ここから脱出するのは困難を極めることは明らかだ。
浮遊魔法を使ってラナのいるところまで運ぼうとも考えてはみたが、城壁外は人が多くて目立ってしまう。それに変身魔法を使用したまま他の魔法を使う事は出来ない。いくら子供とは言え、魔女だと知られてしまうのは賢い選択とは言えない。
スフィアは一旦退き返し、階段に誰もいないことを確かめると再び屋上へと上がっていった。
――ダメもとだけど、やってみるしかないわよね。
スフィアはカルネたちの下へ近づいていくと、
「にゃーん。にゃーん」
と、少し甘いトーンの鳴き声を出した。
「あ、お兄ちゃんの猫さんだ!」
カルネはすぐにスフィアがあの時の猫だという事に気がついた。
「みゃーん」
スフィアは、また甘いトーンの鳴き声を出して、アレキサンダーに擦り寄った。
この時、スフィアが考え出した作戦とは、雄であるアレキサンダーを誘惑して自分を餌にしてここから連れ出そうというものだった。それに対してアレキサンダーは、
「にゃー!!」
と、興奮気味な鳴き声を上げて、完全にスフィアの虜になってしまったようだ。しかし、予想以上にスフィアを気に入ってしまったアレキサンダーは狂気すら感じるほどの勢いで飛び掛かってきた。
「んにゃ?!」
――嘘でしょ?! ちょ、ちょっと待ってよ!
慌てて距離を取ったが、アレキサンダーの目にはもうスフィアしか見えていなかった。
猛烈な速度で向かって来るアレキサンダーに恐れを成したスフィアは全速力で階段の方へ向かう。そして、その後を引き離されてなるものかと追いかけるアレキサンダー。
「あ、アレキサンダー待ってよー!!」
カルネもその後を追って来る。どうやら、作戦の第一段階は上手くいったようだ。
こうして、スフィアの過酷な逃走&脱出劇が幕を開けた。





