15話 『お肉の味がよく分かりませんでした』
「いやだよぉ!! 絶対いやだぁ!!」
二階からマスターが降りてくると、まるでラナの気持ちを代弁するように、大音量で子供が叫んでいた。
「ガハハハ! 待たせてすまなかったな。こいつがうちの倅でカルネだ」
マスターは豪快に笑いながら、カルネと白銀の猫の首根っこを掴み、まるで物を見せびらかすように紹介してくれた。
「いやだぁ!! アレキサンダーは、ぼくの友達なんだぁ!!」
カルネは自分の白銀の猫を奪われまいと、必死に手足をジタバタさせて抵抗しているが、その猫には黄色い首輪は付いていない。マスターの話でも、この辺に白銀色の毛並みをした猫はいないようだし、スフィアである可能性は高い。
「あの、アレキサンダーって言うのは猫の名前ですか?」
「ああ、そうだ」
「ちなみにその猫がアレキサンダーっていう可能性は……」
「それはないな。この猫には黄色の首輪とか色々と付いていないといけないものが付いていないからな」
マスターは白銀の猫をまじまじと観察しながら言った。一応、アレキサンダーという名前からして首輪以外に何が付いていないのかは察しが付くのだが、この白銀の猫がスフィアだったとしたら、ラナは一言だけマスターに言いたいことがある。それは「それ以上そこを見ないであげてくれぇ!」だ。
見かねた俺は、白銀の猫に向かって声を掛けてみることにした。
「スーたん。俺だよー。分かるかなー?」
念のため、スフィアの名前を伏せて呼んでみた。
「にゃー」『誰がスーたんよ! 早くこのおじさんをどうにかして!』
鳴き声と共に、頭の中に直接スフィアの悲痛の叫びが聞こえて来た。相当恥ずかしかったのだろう。
「あ、これ俺の猫みたいです」
「ガハハハ! そいつは良かった」
上機嫌に笑うマスターから不機嫌なスフィアを受け取り、そっと膝の上に座らせた。
「いやだ、いやだ! アレキサンダーはぼくの友達なんだ! 返して! 返してよ!」
泣き叫ぶカルネから無理矢理取り上げたようで、申し訳ない気持ちになったが、スフィアはこの子が飼っている白銀の猫ではない。
この子にとってアレキサンダーは、絶対に失いたくない存在だということは、痛いほど分かる。
もし、村にいる大切な人たちが居なくなったら自分も泣き喚くに決まっている。カルネのような小さい子供にそんな思いはさせちゃいけない。そう思った時、
――そうだ。もしかしてあの猫。
ラナはスフィアが見つけた猫がこの子の猫だということにようやく気がついた。
しかし、スフィアを捜す事ばかりに気を取られて、一つ大事なことを忘れていた。
黄色い首輪をつけた猫。つまり、カルネの大事な友達であるアレキサンダーを手放してしまっている事を。
『ねえ、あの可愛い猫は? この子の猫よね?』
またスフィアの声が頭の中に聞こえて来た。どうやら、声を出さなくても会話が成立するらしい。
結魂契約で魂が一つになっているとはいえ、心の中だけで会話できるのは驚いた。
『多分、スフィア様を捜していた時に逃がしちゃったかもしれないです』
アレキサンダーを手放した瞬間は、間違いなく街灯によじ登った時だろう。何度思い返してみても、あの瞬間以外ありえない。
『何をしているのよ』
『そう言われても……。というか、こうやって会話できるなら最初からしてくださいよ。そしたら、慌てて捜さなくて済んだのに』
『仕方ないのよ。契約を結んでもお互いの魂が定着するまでに時間が掛かるし、お互いの力量によっても結構変わってくるの。だから、早めに契約した人たちは少しずつ熟練度も上がって、色々なことが出来るようになるわ。今はこれくらいの距離が精一杯ってところかしら』
どうやら、体が触れ合うほど近くないと心の会話は成立しないようだ。
確かにこれだけ近くないと会話が成り立たないのであれば仕方がない。
「どうした兄ちゃん? 急に黙り込んで。そんなに飼い猫が見つかったのが嬉しかったのか?」
「え? あ、はい! かなり心配したので」
心の会話ができるとは言っても、お互い集中していなければ、まだ心で会話する事は難しい。人前で会話をするには不自然すぎるようだ。こればかりはスフィアの言う通り、熟練度を上げた方が良さそうだ。
「……アレキサンダー」
マスターの横で、悲しそうに俯くカルネ。
――カルネ君……。
その姿を見ていると、余計にアレキサンダーを逃してしまった自分を責めたくなってしまう。こうなれば、するべきことは決まっている。
ラナは色々な不安を打ち払うように、
「カルネ君。俺がアレキサンダーを捜して来てやるよ!」
と、とびきりの笑顔で言った。
「ほんと? お兄ちゃんが?」
泣きじゃくっていたカルネが希望に満ち溢れた顔をしてラナを見つめた。
「おうよ! お兄ちゃんに任せておけ!」
親指を立て、頼もしい年上のお兄さんを演じてみたものの、はっきり言って空元気の空回り。正直、他人の問題に首を突っ込んでいる余裕はない。
だが、悲しみの底。地獄でも見たような顔をしていたカルネが、水を得た魚のように元気な笑顔を見せていた。どうやら、傷心状態のカルネには効果覿面だったようだ。
その天使のような笑顔にラナの心は少しだけ救われた気がした。
「さあ、無事に兄ちゃんの猫が見つかったことだし、せっかくの肉が冷めちまう前にちゃっちゃと食え食え。腹が減ってはなんとやって言うからな。それと、今回はうちの倅が迷惑を掛けたみたいだからな、俺がご馳走してやる。しっかり味わって元気だせ!」
何か様子が変だと察したマスターは優しく声を掛けた。
ラナは軽く会釈をして、無言でステーキを口に運んだ。しかし、美味しいはずのステーキの味はまったくしなかった。
非力な自分に対する嫌悪感からなのか。要領の悪さを嘆いての事なのか。それとも、マスターの優しさが身に染みたのか。肉汁の溢れるステーキを一口一口噛み締める度に涙が溢れ出した。
胸が苦しくて、息苦しくて、肉が喉を通らない。
脳裏に浮かぶのは、アルカノ村に居るみんなの顔。
早く聖十字騎士団に入団しなければと焦る気持ちと、もしもの時を想像して不安になる気持ちが入り混じる。
一方でラナの心を徐々に覆っていく重苦しい暗雲を感じ取ったスフィアは訊く。
『何かあったの?』
ラナからの返答はなく、泣きながら食べ続けている。
スフィアは膝の上でじっと食事が終わるのをただ心配そうに寄り添うことしか出来なかった。





