11話 『突然の豹変ぶりに困惑しました』
【魂の契約と英雄たる資質編】
「ねえねえ、ラナたん! 王都って広いねっ」
「そ、そうだね……」
無事、王都に到着したラナは困惑していた。
目の前で子供のように目をキラキラと輝かせながら、無邪気に話し掛けてきている少女が他でもない。あのスフィアだったからだ。
あれだけ人を見下していたのに、この豹変ぶりはどう対処して良いものなのか。
「どうしたの、ラナたん? 元気ないけど、お腹痛いの?」
スフィアはつぶらな瞳でラナの顔を覗き込む。
――どこが痛いかと言われたら、お腹よりも頭の方だ!
と、言いたいところだったが、
「大丈夫。元気だよ。ものすごく元気……ははっ」
と、あまりの豹変ぶりについていけず、尋常ではない量の汗をダラダラと流しながら引き攣った笑顔で答えた。
「良かったぁ! 元気が一番だよぉっ!」
対してスフィアは満面の笑みを見せる。
彼女がこんな甘えん坊な末っ子キャラに変貌と遂げてしまったのは、今から数分前。デオたちと別れ、特に大きな問題もなく無事に下山し、王都の入り口が目と鼻の先という所まで来た時だった――。
◇◇◇
追ってこないとも限らないデオたちから逃げるために、わざわざ遠回りをして五時間以上も山道を歩き、ようやく下山した頃には、小鳥のさえずりや川のせせらぎが心地よい朝を迎えていた。
そして目の前には、ラナが夢を叶える大いなる一歩を踏み出すための場所。
王都サンクトゥスの領土が広がっていた。
「くぅー!! 一時はどうなるかと思ったけど、色々あったおかげで凄いやり切った感がありますね!」
ぽかぽかと気持ちのいい太陽の光を全身に浴びながらラナは達成感に満ち溢れていた。それに比べてスフィアは、
「王都に入るまでは気を抜かない方が良いわ。もしかすると、どこかで待ち伏せをしている可能性もあるし、別の魔女狩人が狙って来るかもしれないから」
と、未だに警戒心を剥き出しにして周囲をキョロキョロと注意深く見ていた。
「大丈夫ですよ。隠れられるような障害物はないし、このまま何も問題なく北門を通過して王都の中に入れます」
この世界の中心と言っても過言ではない<王都サンクトゥス>は、どの都よりも物資が豊富で、三度目の終焉の日以前は隣接する国々から物資を狙われて頻繁に襲撃されていた時代もあった。
その名残で、襲撃に遭ってもすぐに対応できるように王都の周囲は綺麗に整地され、今も変わらず手入れの行き届いた石畳が敷き詰められている。
ネズミ一匹すら見逃さないほどの見晴らしの良さだ。
「安全? 本当に?」
「え? あ、はい。ここら辺は安全だと思います」
警戒心剥き出しの猫のようなスフィア顔が少し安心したような笑顔をフッと浮かべたように見えた。
「それでも、王都に入るまでは絶対に安全とは言い切れないでしょう?」
「あ、えっと、絶対かどうかと言われると、ちょっと自信ないですけど……。北門には見張りの兵士もいるし」
夜通し歩いて目も疲れていたのだろう、スフィアの笑顔は一瞬で消え失せ、元の表情に戻っていた。あれはきっと目の錯覚だったろう。
「なら、北門を潜るまでは警戒した方がよさそうね。私は山の方を警戒しているから、君は他を警戒して」
スフィアは北門前で見張りをしている兵士に魔女だとバレないように、フードを深くかぶり、周囲を警戒した。
「了解しました!」
抜き足、差し足、忍び足で決して壊れることのない石橋を慎重すぎるほど、警戒しながら一歩ずつ歩みを進めた。
無論、デオたちや他の魔女狩人が現れることはなく、北門に続く石畳の長い橋の中ほどまで辿り着いた。
王都を目の前にして、「ようやく、夢の第一歩だ!」と、興奮気味に鼻息を噴射。期待の分だけ胸が高鳴る。
「スフィア様。ここまで来たら、もう大丈夫だと思いますよ」
「そうね。見張りの兵士も私たちに気づいたみたいだし、問題なさそう……」
後ろから迫る何かの気配を察したスフィアは、ピタリと足を止めた。
「どうかしましたか?」
「何か近づいて来るわ」
「ん? ああ、野良猫ですかね?」
後ろを振り返ると、白銀色の毛並みがとても綺麗な猫が後をついてきていた。
「ね、ネコたん?」
「……たん?」
これは一体どうしたことだろうか。
猫だと知るや否や、険しかったスフィアの顔は今まで見たことのないような満面の笑みを浮かべ、目をキラキラと輝かせていた。
しかも、謎に「ネコたん」なんていう呼び方をしたかと思えば、我を忘れて猫に飛びつき肉球をぷにぷにと触り始めた。
「はぁ……。この柔らかさ……癒されるぅ」
肉球を思う存分に楽しんでいる姿にも驚いたが、その豹変ぶりに一番驚いた。
「す、スフィア様? 大丈夫ですか?」
命の危険に曝されて、張りつめた空気の中を逃げ続けていた反動で頭がおかしくなってしまったのだと思ったラナは、心配そうに言った。
「ん? 大丈夫だよぉ! それより見てよ、ラナたん! このネコたん超可愛いよ!」
「うわぁ。本当ですねぇ。超可愛いですねぇ。(いや、それよりラナたんって何だよ!)」
無邪気に笑いながら話し掛けるスフィアに棒読みで返すのが精一杯。
激変してしまったことに対してもそうだが、口調がここまで変わってしまうとツッコミどころしかない。
「ねぇねぇラナたん。このネコたん、一緒に連れて行っていい?」
猫を大事そうに抱えて、近寄ってきたスフィアは物欲しそうな顔でお願いしてきた。
「はうっ!」
反則級に可愛いその表情に、意図も容易く心を射抜かれてしまった。
「ダ……メ?」
「だ、ダメじゃないですけど」
いやいやいや! その顔はダメでしょう?! 急に何なの!? もう見てられん!
と、つぶらな瞳でじっと見つめるスフィアの顔を直視できなくなったラナは、真っ赤に染めあがった顔を逸らした。
「やっぱりダメかなぁ。スーたん、ネコたん大好きなのに……」
スーたんって何!? あんたは自分の事をスーたんと呼んでいるのか!?
まさかの「スーたん」発言に、今にも吹き出してしまいそうな笑いを必死に堪えていた。
「ネコたん、連れて行っても良いよね?」
「良いと思いますよ……。って、それ首輪? もしかして、飼い猫じゃないですか?」
よく見ると、黄色の首輪が付いていた。
「本当だぁ……。じゃあ、飼い主のところに帰りたいよね」
「この近くに村はないですから、王都の中から逃げてきたかもしれないですね」
「決めた! 飼い主のところに連れて行ってあげる! ラナたんも良いよね?!」
迷子の猫を飼い主の下へ連れて行くという強い使命感に満ち溢れたスフィアの背後に、メラメラと燃え上がる炎が見えたような気がした。
「わかりましたよ。スフィア様の探し物も見つけないといけないですし、色々話を聞いて回りながら飼い主を捜してみましょうか」
「やったね、ネコたん!」
猫に頬ずりをして嬉しそうにじゃれ合っている姿を見ていると、普通の女の子にしか見えない。
どっちのスフィアが素なのかは分からないが、口が悪くて可愛げがないよりも、こうして猫と戯れて可愛い笑顔を振りまいている方が断然良いに決まっている。
「とりあえず、王都に入りましょうか」
「うんっ!」
ラナとスフィア、そして迷子の猫は、見張りの兵士に魔女だと悟られることなく、無事に北門を潜り、王都へと入って行った。
◇◇◇
そんなこんなで今に至る訳なのだが、
「ラナたん! 次はどこに行くぅ?」
やっぱり、このスフィアには慣れそうにもない。
「そうですね。ここら辺だと誰も話を聞いてくれないですから、中央広間なんてどうですか? あそこなら観光客とかも多そうですし、何か情報を得られるかもしれないですよ」
二人は色んな出店が立ち並び、大勢の人が賑わう北城門通り<セプテントリオ>で、女王の魔法杖の情報を得ようと聞き込みをしていた。
しかし、ほとんどの人が魔女という単語を聞いただけで敬遠してしまう。
恐らく、魔女狩人でもない輩が魔女に関する情報を集めているのは結構怪しいことなのかもしれない。
「おい、婆さん。ここら辺で魔女について嗅ぎまわっている男が居たか?」
「それならさっき生成り色の防寒具をつけた男の子が黒いローブを着た女の子と一緒に来て、そんな話をしていたわねぇ」
二人の近くで、魔女狩人と思われる男がラナたちを捜しているような会話をしていた。
「スフィアさん。もしかしたら、魔女狩人が王都に来ているみたいですよ」
ラナは男に気づかれないようにスフィアの耳元でそっと告げた。
「……魔女狩人?」
「そうです。急いでここから立ち去りましょう」
「ちょっと、顔が近いわよ」
「あれ?」
恐る恐る顔を覗き込むと、可愛らしい幼気な少女だった顔は、キリッとした緊張感たっぷりの表情になっていた。これはラナが最初に出会ったスフィアの顔だ。
もしかすると、スフィアはオンオフの切り替えが激しいタイプの女の子かも知れない。
素のスフィアがあの可愛らしい女の子なのだとしたら、それはそれでかなり嬉しい。
「早くこっちへ来なさい」
スフィアは、驚きの余りに口をあんぐりとさせているラナの手を引くと、薄暗い路地裏へと入って行った。
「ど、どうしたの?」
「この姿だと、魔女だって気づかれる可能性が高いから変身魔法で姿を変えるわ」
そう言うと、隠し持っていた杖を出した。
「私は可愛い猫。飛び切り可愛い白銀の猫。<化猫変換>」
ポンッと小さな破裂音がすると、水色の煙がスフィアの周りに立ち込めた。
そして、煙が晴れるとそこにはスフィアの姿はなく、白銀色の毛並みをした可愛らしくて、愛らしい猫がちょこんと座っていた。
その容姿は、北門前で遭遇した迷子の猫と瓜二つだ。
「すげぇ。こんな変身魔法も使えるのか」
「感心している暇はないわよ。あの猫も連れて急いで中央広間へ」
ラナは変身したスフィアと迷子の猫を両脇に抱え、大急ぎで中央広間へと向かった。





