103話 『濃霧の中に現れた影』
大規模な魔法陣は、魔女の一族の中でも、セーラム家の魔女だけに許されている。特別な魔法陣だ。
元々、魔女は魔法陣など使用しなくても、魔力を火や水、光などに変化させ、自由に扱うことができた。
しかし、今から一〇〇〇年ほど前に勃発した魔界戦争をきっかけに、魔力を増幅させ攻撃的な魔法を使用することが必要不可欠となった。
それまでは、便利な力を持つ種族という比較的、弱い立場にあった魔女の一族だったが、セーラム家の開発した魔法陣に改良を重ね、最終的に魔法杖を媒体とすることで、簡易的かつ強力な攻撃魔法を会得することに成功した。
その結果、魔女の一族は魔界戦争で優位な立場を確立していき、同等の力を持ち合わせていた他の三種族とともに、終戦を宣言。後に誰もが知る四大聖魔が誕生したのだった。
もちろん、吸血妖精も知っていることでもある。だからこそ、不思議に思っていた。
なぜ、ここで強力な魔法を使用する必要があるのか。そして、魔法陣を使用できる存在が関係しているのかと。この世界になってからというもの、人間の魔女に対する扱いは他の魔族も無視できるものではなかったが、愛に溢れ、心優しき魔女が人間に対して敵対行為をするとは到底考えられることではない。
「魔界戦争で考え方でも変わってしまったのか……。とにかく、ここに長居するのは危険だな。急いで知らせなくちゃ! マリィっちが危ない!」
吸血妖精は、大急ぎでペルセとマリーのいる処刑場へと戻り、ペルセに魔法陣のことを伝える。
「魔法陣だって〜!?」
誰も期待していないのに、わざとらしいくらい、本気で驚いたというリアクションを体いっぱい使って表すペルセ。
「その反応でも足りないくらいに、私も驚きなんだけど、あの魔法陣が完成したら、どんな魔法が発動されるのか……」
「と、言うことは……」
「阻止するしかない」「逃げるしかない」
「「え?」」
ペルセは魔法の発動を阻止すること、吸血妖精は逃げることを選択した。
互いに全く違う答えを出したことに、何を言っているのかと顔を歪ませながら沈黙する。
「何を言っているの? これだけ大きなな魔法陣で、どんな魔法が発動されるのか見当もつかないのに、阻止するって?! できるわけがないでしょう!」
「逆に訊くけど、ここから逃げ切れる保証はあるのか?」
おちゃらけた態度が一変し、団長らしく凛々しい顔で訊いた。
マリー以外に信用する人間など、存在しないはずの吸血妖精でさえ、その気迫に押されるほどだった。
「に、逃げ切れる保証なんてあるわけないでしょ! それよりも、魔法の発動を阻止できると言い切れる?!」
「そんなこと、言い切れるわけがないだろ〜? 蛇でもわかることだぜ〜?」
「…………」
一言多い。同じ魔族の中でも、魔獣より下に見られることが嫌いな吸血妖精は、話すことをやめた。
出たとこ勝負でここまで来たペルセには、作戦という作戦は思い浮かばない。
月の明かりさえ、遮るほどの霧と青白い光の中、魔法陣を書いていると思われる発光体を叩く。それしか頭にない。と、いうよりも『それしか』方法が見つからない。
未知数の発光体に、不用意に手を出すほど軽率な行動はとらない吸血妖精も、魔法の知識はない。この時点で、発光体を止める手段はないと言っても過言ではない。
逃げ切る保証もなければ、阻止する手立てもないが、何も行動しなければ何も変えることはできない。
「さ〜て! どうしようかな〜! アルプちゃんは何か良い作戦思いついた〜?」
妙なところで、律儀に任務を遂行するペルセはマリーの側で声を張り上げる。
「ったく、偉そうなこと言っておいて、結局は私任せじゃないか。マリィっちの傍に居たいのは私の方だっての!」
発光体の後ろを飛び回り、懸命に何か策はないかと考えている吸血妖精。ぶつぶつと小声で文句を言いつつ、魔法陣を書きながら、回り続ける発光体の背後を追い回すことしかできずにいた。
その頃、元凶を捜しに単独で行動していたグランバードは、罪木の森全体が何かの儀式に使われていることに気づき、「早く、見つけ出さなければ」と、躍起になっていた。
グランバードが見たもの。それは、処刑場にいたマリーと同じように、逆さ十字架に縛り付けられていた若い女性たち。偶然ではなく、何者かの手によって意図的なことなのは明らか。
グランバードは魔女狩りの部隊を指揮していたこともあり、それが巨大な魔法陣を形成するものだということに、すぐ察しがついた。
「魔女はこの世界に災いをもたらす存在で間違いないようだな。たが、人間の生け贄を必要とする魔法など、聞いたことがない」
人間を使う魔法が魔界に存在するのか。
なぜ、生け贄にされる女性たちは感染していないのか。謎は深まる。
だが、魔女が関係していると確信したグランバードは、遠く離れた三頭獣にリンクで話しかける。
『至急、頼みたいことがある』
『なんだ?』
『ドラグナム城に潜入させたラナ・クロイツと白銀の魔女に加勢してもらいたい』
『魔女の手助けをしろと? お前らしくない頼みだな』
『直感だ。俺の目を通して見てみれば、お前も分かるはずだ』
三頭獣は、完全に遮断していたグランバードの視界と思考を繋ぎ合わせた。
『なるほど、確かに魔女の力を借りた方が良さそうな状況だな。至急、ラナ・クロイツたちに加勢しよう』
『頼んだぞ』
再び、リンクを遮断したグランバードは、三頭獣が二人を連れて罪木の森へ来るまでの間、ペルセたちと合流し、策を講じることにした。
しかし、グランバードが気づき、行動を始めたことを知っているかのように、青白い霧がさらに色濃くなり、行く手を阻む。
――やはり、罪木の森に潜んでいるようだな。
グランバードの眼を持ってしても、先を見通すことができないほどの濃度になった霧。辛うじて見えるのは、伸ばした手の先が霞んで見えるほどの距離。
闇雲に行動しても、この場に留まったとしても、敵の思うツボ。
「おい! ペルセ! 聞こえるか?!」
せめて、ペルセたちのいる方角が分かればと呼びかけるが、ペルセからの返答はない。それどころか、霧が壁のように声すらも遮っている。まるで、周囲を分厚い壁で覆い尽くされ、隔離されているように。
――この様子だと、俺の位置は特定済みか。奇襲にあっても問題ないだろうが、ちゃんと異変に気づいているのか?
ペルセの実力は申し分ないのだが、状況把握能力に欠ける。この異変に気づいているのかどうか、それだけが心配だった。
――仕方ない……。
深く息を吐いて、どこかで聞いているかもしれない相手に話かける。
「貴様が何者で若い女たちを使って、何かしようとしているのは、わかっている。俺がその気になれば、貴様ごと罪木の森一帯を消し去ることもできるぞ」
半分脅しではあったが、選択肢の一つに罪木の森にいる全員を敵もろとも消し去ることも考えていた。
世界を救うためならば、少なからず犠牲を伴う場面もある、その場面が今なのだと肌で感じていたからだ。
元から覚悟のある聖十字騎士団の面々は、グランバードがその判断をしても問題ないが、今回ばかりは罪のない民間人を巻き込む形になってしまう。
王都の状況を踏まえても、迷っている時間は残されていない。八方塞がりの中、グランバードは苦渋の決断を迫られていた。
「俺は罪のない人を巻き込みたくない。そんなことをするくらいなら、死んだ方が楽だ」
その言葉は、グランバードと同じ声をしていたが、グランバード本人の発したものではなかった。
「何者だ!?」
「頼むから姿を現してくれ。でなければ、俺は大切な仲間を殺すことになってしまう」
「動揺を誘っているつもりか? 残念だが、世界を救うためなら、どんなことでもするぞ」
「違う、世界を守りたいんじゃない。本当は目の前で誰かが死ぬのを見たくないだけだ」
性懲りもなく、グランバードの口から出てこないような言葉ばかりを並べ続ける。
「そうか。貴様は、このグランバードの覚悟が本物ではないと、言いたいようだな。ならば、その身で味わうがいい!」
罪木の森ごと、消滅させる意志を固めたグランバードの背後に黒牛、白馬、黄鳥の顔が揺らめきながら、巨大なオーラとして現れる。
リンクを使わず、人間の身でありながら、魔獣と同等の力を引き出すことができるのは、聖十字騎士団長の上位三名の一人であるグランバードだから成せる技。
魂を込めた一撃を放とうと、十字剣を引き抜こうとしたとき、霧の向こう側から人影がゆらゆらと近づいてくるのが見えた。
「そこか!」
すぐさま力を抑え、目の前の敵を討てるだけの力で、十字剣を吹き抜ける突風の如く振り抜いた。