102話 『己の責務を果たせ』
「はあっ!」
グランバードは、マリーを縛りつけていた半透明な縄のようなものを十字剣で斬り捨てる。
無防備に落下するマリーを下で待ち構えていたペルセが受け止めると、そっと地面に寝かせた。
「マリー・ブランカさ〜ん。俺の声、聞こえてますか〜?」
相変わらず、反応はない。が、口元に耳を傾けてみると呼吸はある。
「大丈夫なんだろうな?」
グランバードの問い掛けに、吸血妖精は答える。
「命に別状はないと思うけれど、正直なところ、リンクが遮断されていて分からない」
霧の影響か、それともこの蒼い光が影響しているのか。いずれにせよ、リンクが使えない以上、契約による力は発揮できない。
「つまり、今の貴様は能無しか」
「失礼だなぁ! 私の魔力自体に影響はないから、私の力は使える。でも、マリィっちの英雄たる資質ほど強力ではないから、戦力として考えない方が良いのは確かだろうねぇ」
「そのようだな。……ん? どうしたペルセ。そんな険しい顔をして」
「あそこ見てみろよ。何か動いてないか?」
グランバードと吸血妖精が話をしている間、周囲を見回していたペルセは蒼い光以外に不思議な発光体がゆらゆらと動いているのを見つけた。
「何だあれは」
気配どころか音もなく動く光は、処刑場の周りをゆっくりと、一定のリズムで上下しながら、円を描くように移動している。
「こっちに向かってくる様子はないけど、不気味だね〜」
「敵意は感じないが、ただの発光体にしては、規則正しい動きだな」
「多分、誰かの能力だと私は思うなぁ」
自然と眉間にシワを寄せながら見てしまうほど、不思議な発光体に目を奪われていた二人は、敵の存在を匂わせる発言に回れ右。
「なぜ、そう思う?」
直ぐにでも敵の正体を把握したいグランバードは、十字剣に軽く手をかけながら訊いた。
「どんな生物でも血が通っているものだろう?それなのに、あの光からは、血の匂いが感じられないんだよ」
「血の匂いか。こんなに血生臭い場所でよくわかるな」
魔獣と契約しているグランバードとペルセは、基本的な身体能力と五感は常人を超えている。もちろん、嗅覚を含めてだ。その二人が嗅ぎ分けられないほど、血の匂いが漂っている中で、魔獣ではない吸血妖精が特定の対象物の匂いを嗅ぎわけることは、グランバードの知る限り、不可能だと断言できる。
吸血妖精への警戒心を強めると、十字剣を握り牽制した。
「感覚的な問題だよ。グランバード団長さん。私たち吸血妖精は、君たち人間や普通の魔族とは違う空間に生きている。だから、主食である血を啜るためには、血の匂いを感覚で嗅ぎ当てて、獲物を見つける必要があるのさ。まあ、簡単な話が君たち人間がわかりやすいように、嗅覚で例えたに過ぎないよ。っていうか、まだ疑っているのか?」
「不確定要素は少ないに限る。これから、互いに命を預けることになる訳だからな。一瞬の迷いが死を招く。貴様も何かあれば確認しておけ」
グランバードは十字剣から手を外しつつ、その目は些細なことも見逃すまいと、真っ直ぐ吸血妖精に向けられている。
「ご忠告どうも。生憎、マリィっち以外の人間は信用してないから、勝手にしてくれ」
「それはいい。我々も深く考えずに済む。マリー・ブランカは新入団員の中でも、いや、英雄志願者の中でも上位に入る戦闘能力があるからな。相手の力が計り知れない以上、貴様らの力は必要になる」
「そりゃどうも。それで、どうするのさ?」
「簡単なことだ。貴様はあの発光体の正体を突きとめろ」
「嫌だよ。こんな場所にマリィっちを置いて行くわけにはいかない」
「案ずるな、ここはペルセに任せる。貴様は何も気にせず、指示通りに動けばいい」
「あんたはどうするのさ? 私はあんたの部下じゃないから、返答次第では協力しない」
「霧と蒼い光の発生源を探す」
「そっちの方が危険そうだから、それで良いけど、もしマリィっちの身に何かあれば、その時は……」
「ああ、煮るなり焼くなり好きにしろ」
今は互いを信じることよりも、己の脅威となる存在を消すことが優先される。
誰一人、口には出さなかったが、戦場に身を置くものなら、誰しもが肝に命じている。
グランバードと吸血妖精は、目を合わせず、己に課せられた任務を全うするべく、歩み出す。
「気をつけてな〜」
霧の中に消えゆく姿を見送るペルセの声は、対して難易度の高くない任務を任されているためか、まだ緊張感が感じられない。
対して、緊張感の張り詰めているグランバードは、どこに潜んでいるのか見当もつかない敵の影に全神経を研ぎ澄ませていた。
一方、吸血妖精は、マリーのことを気にかけながら別空間を辿り、発光体の近くへと瞬間的に移動していた。
「男の血は好きだけど、あの堅物で不味そうなやつの言う通りにしないといけないなんて、いい笑い者だろうなぁ。あぁ、嫌だ嫌だ。早く終わらせて、美味い血でも吸いに行こう」
誰かと会話でもしているような音量で、独り小言を漏らしている。
魔界時代は会話する相手などおらず、無口に近かったが、マリーと契約してからというもの、毎日のように話すようになり、気がつけば独り言を呟くほどにお喋りになっていた。
他者との繋がりを持ってしまったからこそ、失うことへの恐れを拭うことはできない。
その恐れを退けるため、発光体の背後へとピタリとつけた吸血妖精は、一定の距離を保ちながら追跡する。
発光体は、遠目で見ていたときと変わらず、同じところを回り続ける。やはり、意思があるようには思えない。
生命体ではなく、単なる能力の一種。そう判断した吸血妖精は、マリーを他人に任せることが、何より心配だと、すぐさま戻ろうとした。
しかし、ごく僅かに発光体の動きの不自然さに気がつき、吸血妖精は観察を続行。
一定の間隔、一定のリズム、一定の速度、全てが一定の動きだと思っていたのに、一つだけ不規則な動きをしている。一見して大きな変化はない。だが、上下するときだけ僅かだが小刻みに違う動きをしていた。
さらに言えば、蟻一匹ほどの大きさ分だけ、少しずつ高度を下げている。
生物ではなく、能力としてここにあるのだとすれば、その理由は何か。
「何かを書いているのかなぁ? ……まさか?!」
この能力を持つものが、何を考え何を目的としているのかは定かではない。
しかし、意味のある動きだということを理解した吸血妖精は、上空へ飛び上がると処刑場全体を見渡した。
「やっぱりそうだ。この形は、あれしか考えられない」
逆さ十字架を中心に処刑場の周りを四本、八本、十六本と不自然なほど均等に内から外へ本数を増やし、巨大な円を作っていた。まるで、魔法陣を描くように。