101話 『病には毒を。蛇の道は蛇だ』
罪木の森とヘスペラウィークスの丁度、境目に位置する場所。
そこにある見張り台の上から、グランバードとペルセは、今までに見たことのない幻想的な光景を目にしていた。
「あれが、本当に罪木の森なのか……」
「うわ〜。すげぇな〜」
罪木の森全体を青白い霧が薄っすらと包み込み、木々の隙間からは蒼い光が漏れ出し、霧に反射してゆらゆらと、まるで夢の中にいるような感覚に陥らせる。
「もう、説明の余地はないな」
「だねえ〜。でもさ、さすがに罪木の森に入るのは自殺行為じゃない?」
「お前が毒の濃度を極限まで高めて膜を張れば、問題ないだろう」
バジリスクの皮膚を覆っていた毒膜で、感染者からの接触による感染は防ぐことができたが、青白い霧がどれだけの感染力を持っているのか想像もつかない。だが、否が応でも進むしかない。
少しばかり嫌な顔をしているペルセも、終焉の日を討ち亡ぼすために、命を賭ける覚悟はできている。ただ、面倒くさがりなだけ。
ペルセは十字槍を風車のように右へ左へと回し始め、
「んじゃ、行きますか〜! 猛毒防膜っと!」
と、半透明な青紫色の球体を出現させ二人の周りを包み込む。男二人が剣を振り回すには十分な空間があり、窮屈さはない。
「念のため確認しておくが、これは内側から触れても問題ないのか?」
「内側は問題はないけど、指一本でも膜の外に出たら戻るときに毒が付着するから、それだけは気をつけた方が良いかな〜。脅しじゃないけど、本気で死ぬかと思うくらいに激痛とか、吐き気とか例えられないくらいの苦痛だからさ〜」
「まさかとは思うが、実際に体験したわけじゃないよな?」
「あれ? 言わなかったっけ? 俺がまだ一般兵の時に魔蛇討伐任務で、バジリスクの毒膜に気づかないで死にかけた話」
「初耳だ。それでどうやって助かった?」
「元々バジリスクは、争いごとを好まないやつでさ〜。目の前で死なれるよりは、契約を結んで毒の耐性を身につけさせるって助けてくれたんだよ〜」
「なるほど。それは良いことを聞いた」
「いやいや、グランバードさんよ〜。あんたの考えてることはわかるぜ? 毒の耐性があるなら、あの霧でも何とかなるって言うんだろ?」
「ほう、よくわかったな。蛇の道は蛇と言うくらいだからな」
「俺のは毒で、あれは病だろ?」
「体に異常をきたすのは同じだろう。少なくとも、我々団長クラスの中でお前だけが対抗し得る可能性が高いはずだ」
「ま、まあな。確かに、俺みたいな猛毒使いはいないだろうから、力を貸さないでもないけどさ!」
団長クラスの中で一番の煽てられ上手のペルセの扱いは容易い。
調子に乗ったペルセは、未開の地へ探検でも行くかのようなテンションで、足取り軽く進み始めた。
罪木の森の中へ入ると、普段とは違った気味の悪さを感じさせる。
「霧の影響はなさそうだな」
「そのようだね〜。それにしても、あの光どこからかな?」
「この先には、処刑場がある。もしかすると、そこに何かあるのかも知れないな」
罪人に懺悔させ、罪を償わせる場である罪木の森だが、過酷な環境は狂人を生み出してしまうことが多々あった。
狂人は罪人たちを殺し、更なる罪を重ね、更生の余地なしと判断されると、罪木の森の中心部に位置する処刑場で処刑されていた。
そのせいか、処刑場の周りに生える木々は多くの血を吸い上げ、赤黒く変色している。
罪人たちにとって、ここは地獄そのものだ。
そんな場所に何かあるとすれば、人ならざる存在。あるいは、人知を超えた力が影響していることは明白だった。
「おい、あそこに何かないか?」
「えっ? どれどれ〜?」
次第に光の強さが増してくると、辿り着いた処刑場にはなかったものが建っていた。
「あれって十字架じゃない?」
「逆さ十字架か」
それはグランバードがシェイネたちと戦った地下教会にあったものと同じ十字架。一つだけ違うのは、その逆さ十字架に誰かが縛り付けられていること。
「女?」
グランバードは、ペルセの襟足を掴むと急ぎ女性の下へ駆け寄った。
「うげっ。これは酷すぎないか〜?」
逆さに縛り付けられた女性の衣服は引き裂かれ、全身血塗れで、生きているのか死んでいるのか分からない状態だった。
「誰がこんな酷いことを……」
そう言いながら、毒膜が女性に触れないギリギリの距離まで近づいた瞬間、女性は瞑っていた目を突然見開いた。
「うわっ!?」
驚いたペルセは、グランバードの陰に隠れて恐る恐る女性の顔を覗き見している。
「ここで何があった?」
女性の身を案じつつ、グランバードは訊く。
「あ……あの方が…………復活す……」
女性はそう言いかけて、気を失った。
「あの方が復活? 終焉の日が復活と関係しているのか?」
「えっ!? でも、まだ一年は先のはずだろ!?」
今までの流れでは、三ヶ月毎に不思議な現象が起きたのち、終焉の日が訪れていた。
仮に復活が近いというのであれば、死の騎士が現れる順番が違うというだけの話ではなくなる。
「何が起きているんだ」
さすがのグランバードも理解が追いつかない。全ての封印場所を各々で守っている四人の英雄たちの姿もない中で、現状を把握できているものは、誰一人としていなかった。
「思ったんだけどさ。この女、血塗れではあるけど、何で黒炭病に感染したないんだ?」
「確かに、この霧が黒炭病の原因なら生きているのは不自然だ。ん?」
グランバードはさらに不自然なことに気がついた。
「どうした〜?」
「この女の衣服をよく見てみろ。団服じゃないのか?」
「確かに。ってことは、俺たちと同じ団員!?」
「それに足の先から頭にかけて血だらけなのに、傷らしいものが一つもない」
「どういうことだ〜?」
「まさかとは思うが、俺たちと同じように、霧の影響を受けないために血で体を覆っているのかもしれないな」
まじまじと女性を観察していたとき、
「正解だよ、人間」
と、近くから聞きなれない声がした。
「誰だ!?」
「彼女と契約している魔族だよぉ。吸血妖精といえば、わかるかな?」
「吸血妖精だと? この女、新入団員のマリー・ブランカなのか!?」
魔族の中でも、希少種である吸血妖精と契約しているのは、マリー以外にいないこともあり、グランバードはすぐに察しがついた。
「マリー・ブランカ?」
「なぜ、お前たちがここにいる? 詳しく説明してもらおうか」
聞きなれない名前に首を傾げるペルセに反応することなく、説明を求めた。
「私にも、ここにいる理由はよくわからないけど、逆さ十字架にマリーが縛り付けられた直後に、青白い霧が発生したことは覚えている。でも、マリーのせいではないよ。恐らく、お前たち人間が恐れている終焉の日を復活させるための儀式の一つじゃないかなぁ」
「なぜ、そう思う?」
「この霧はお前たち人間の体を蝕むようだが、魔族である私には何も影響がない。念のため血の膜でマリーの体を包み込んではいるけど、正直言って、契約さえしていれば大して影響はないはずだ」
人界を滅ぼすために存在する終焉の日は、人間に対して害をもたらすが、元々部外者である魔族には影響がない。
だから、契約を結んであれば問題ないと、吸血妖精は考えていた。
「本当だろうな?」
「嘘をつく理由があるとでも?」
契約者を縛り付けられているところだけを見れば、嘘をつく理由はない。
「それもそうだな。ならば、試してみよう」
グランバードは、何の躊躇もなく毒膜の外へと一歩踏み出した。
「何してんだよ! 正気か!?」
勇敢にも霧の中に身を投じたグランバードを見た吸血妖精は、ニヤリと笑みを浮かべる。
「見たか今の!? 絶対に罠だ!」
意味深な笑みを見て、慌てるペルセの心配をよそに、グランバードは青白い霧などお構いなしに深く息を吸った。
「これだけの霧を吸い込んでも、体に影響はないようだな。一先ず、お前のことは信じてやろう」
「正気の沙汰とは思えないね、まったく」
契約者には、霧の影響がないと確信を得た吸血妖精は、マリーの全身を包んでいた血の膜を剥がした。
「なるほど、ペルセ、もう毒膜はいらないぞ」
「あいよ〜」
マリーに異変がないことを確認すると、毒膜を剥がすように促した。
ペルセは球体の毒膜の他に、グランバードと自身の体に薄皮一枚ほどの毒膜を張っていた。これは万全の態勢で物事を進めるグランバードの指示でもある。
「マリーが感染するかどうか、見てから判断するなんて……」
「あり得ないとでも? それは貴様も同じだろう。我々が感染しなければ、貴様の仮定した通り、感染することはない。その裏付けを取りたかった。違うか?」
「ちっ。その通りだよ。こっちも命が掛かってるんだ」
「だろうな。だが、喜ぶがいい。今ので貴様が敵である可能性はなくなった」
「この有様を見て、あんたらは敵だと思っていたのか? 私たちのことを!」
「状況が状況だ。いくら疑っても足りないくらいだ」
後手に回り続ける戦況は、何一つ変わってはいない。だが、未だ敵の姿も見えない中で、一人でも多くの仲間と情報を得る必要がある。
縛り付けられているとはいえ、マリーたちに出会えたことは、僅かだが敵の足取りを掴むきっかけとなった。