100話 『古の黒炭病が再来した』
いつもであれば、調合術師の薬を求める住民や鍛冶屋に武器、防具などの装備品を求める兵士や旅人たちで賑わいを見せていたヘスペラウィークス。
しかし、ヘスペラウィークス内に入ると、西門前に群がっていた死人を見て以降、人影もなければ、気配すら感じない。
罪木の森のような、不気味さすら感じさせるほどの静けさだった。
「聖十字騎士団第二団長のグランバードだ! 誰かいないのか?!」
その声は大気を揺らすだけで、返事はない。
死人が一〇〇人と多いかもしれないが、ここで生活している者や訪れている者の人数を考えても、計算が合わない。
ペルセ団長以外の兵士たちがいないことにも疑問が残る。
「どこかに避難しているのか」
今までは、何かあれば難攻不落の王都内へ逃げ込めば問題なかった。
しかし、今は一番危険な場所となっている。ならば、どこが避難場所として最適なのか。グランバードは考える。
戦場において最も重要な役割を持ち、英雄志願者たち兵士が、戦いに専念するための職に就く者が集まる場所。
「あそこしかない」
僅かな思考時間で、答えを導き出すことは一団をまとめる上で必要最低限の能力。最短で最善を求められるグランバードの決断と行動は本当に早い。
そして、急ぎ向かった先は調合術師が在籍する調合術師組合。
通りに面している建物のほぼ全てが、無防備にも窓や扉が開かれている。
恐らく、そこにいた者たちが慌てて逃げ出したのだろう。
ただ、不自然なことが一つ。
王都では大量の負傷者に加えて、道や建物、至る所に血痕が残されていたのに比べ、争った形跡もなければ、血の一滴すら見当たらなかった。
一つ一つ、確認しながら調合術師組合に着くと、他とは違い、出入口は固く閉ざされていた。
「やはり、ここに避難していそうだな」
グランバードは、木製の両開き門扉を右手で打ち鳴らし、声を掛ける。
「聖十字騎士団第二団長のグランバードだ!中に入れてくれ!」
二人体制で必ず門番がいるはずなのだが、応答はない。
試しに門扉を押してみる。しかし、門番が解錠しなければ開かない。
門扉の隙間に十字剣を差し込み、よじ登って侵入したグランバードは、足早に建物の中へと入った。
すると、そこには多くの人々が体を寄せ合い、何かに怯えるように蹲っていた。
「一体何があった?」
問いかけに対して、誰一人口を開こうとする者はいない。するとそこへ一人、女性の調合術師が現れた。
「グランバード団長様、今すぐ万能薬をお飲みください」
「万能薬? 何故だ?」
どこも怪我をしていないのに、万能薬を勧められたことに疑問を隠せない。
「ご説明は直ぐに致しますので、まずはお飲みください」
「わかった」
ただ事ではないと感じたグランバードは、調合術師に言われるまま、万能薬を飲み干した。
「理由を聞かせてもらおうか」
「実は、流行病が発症してしまったようで……」
「流行病? あの死人たちは流行病で、死んだのか?」
「ええ、私たちにも詳しくは分からないのですが、罪木の森方面から青白い霧が流れてきてたようで、その霧に包まれた直後に多くの人が倒れてしまって、私たちが救援に向かう頃にはもう……」
「青白い霧……か。その霧に病の原因があるとして、万能薬の効き目はあるのか?」
「それも分かりません。空気感染によるものだと考えられるので、ヘスペラウィークス内にいた人々には念のため飲んでもらい、少しでも対処法があればと考えているのですが……」
万能薬の数に限りがあることを知っていたグランバードは、王都内が危険に曝されるのも、時間の問題だと悟った。
「わかった。この場にいる者たちにしばらくの間、安息の場所としてここを提供し、流行病について調べてくれ。俺は青白い霧の正体が何か、探って来よう」
「分かりました。では、念のために万能薬をお渡ししておきます。どうか、ご武運を」
「ああ、必ずこのグランバードが皆を救い、再び絶対的な安心を与えることを誓おう。だから、決して希望は捨てるな!」
それを聞いた者たちは、「グランバード団長様……」と、口を揃えるように言った。
絶対的な信頼と、その信頼を裏切らない実力を兼ね備えているからこそ、人々は期待し、その言葉を疑うものはいない。
この時代において、世界を救い、英雄に近い存在と言われる四人の団長たちの中でも、これほどまでに多くの人々から慕われ、命を預けられる英雄志願者はグランバード以外にはいないだろう。
期待を一身に背負い、通りに出たグランバードは罪木の森へと向かっていると、背後から何か迫ってくる気配を感じた。
「誰だ?」
「俺だよ、俺え〜!」
視線の先には、西門を封鎖しているはずのペルセが阿呆丸出しで大きく手を振りながら、走って来ていた。
「お前、西門はどうした?」
「大丈夫、大丈夫! バジリスクに任せてきたから! それより聞いてくれよ〜、あの死人たち急に静かになったと思ったら、真っ黒くなって木炭みたいにボロボロ崩れてさ〜。風に飛ばされていったんだよね〜」
「何だと!? それは本当なのか?!」
三〇〇年に一度、体が炭のように黒くなり崩れ落ちるという不治の病。黒炭病という病があることを知っていたグランバードは、血の気が引いた。
「俺が嘘ついたことある〜?」
「そうだな。だが、それが本当なら黒炭病が始まったことになる」
「黒炭病? 何だっけそれ、聞いたことあるような、ないような」
「第四の封印を解かれたときに現れる死の騎士、別名青の騎士は世界に疫病を流行らせ、地上に生きる全てのものに死をもたらす存在。それが現れたときに流行る病が黒炭病だ」
「なるほどね〜。って、俺あいつらの近くにいたけど大丈夫なのか!? 黒炭病になったら、どうしよう。グランバード〜」
不治の病だと聞いたペルセは、さすがに不安になったようで、グランバードに泣きついた。
「鬱陶しい奴だ。冷静に考えろ。黒炭病の感染力は凄まじいと様々な文献に記載があったはず、主な感染経路は感染者に直接触れることだとな。お前は触れたのか?」
「いや、手が汚れるのも嫌だし、俺は触れてないけどさ〜」
「バジリスクは問題ないのか? あれは触れていただろう?」
「多分、大丈夫かな〜。死人が触れそうなところには、毒の膜を張ってたから」
「そうか。それであれば、問題なだろうが、空気感染も考えられる」
「空気感染か〜。って、それダメじゃんか!」
「落ち着け、予備で一本だけ万能薬がある」
「早く言ってくれよ〜!」
グランバードが腰に巻いていた鞄から万能薬を取り出すと、ペルセは有無も言わさず奪い取り、あっという間に飲み干してしまった。
「やれやれ、話は最後まで聞け。空気感染しているかどうか分からないが、万が一、青白い霧に飲み込まれたり、感染者に触れられるか、体に異変が出たときに飲んだほうが良かったのだがな」
「それを先に言ってくれよ!」
「お前が悪い。とりあえず、服用してから少しの間は効力があるはずだ。霧と感染者に注意しながら、霧の発生源を特定して対処する」
「それ、俺も付いていった方がいい?」
「当たり前だ」
「ですよね〜」
毒の力を持つペルセがいれば、ある程度対抗できると考え、同行させることにした。