9話 『目覚めは最悪、夢なら醒めてほしかった』
二人が眠りについて、一、二時間くらい経っただろうか。
何やらねっとりとしたものが生暖かい風と共にラナの顔をはえずり回っていた。
くすぐったいような気持ち悪いような気がして、ゆっくりと目を開けて見ると息を荒くしながら顔を舐めまわす熊がいた。
この短時間のうちに何度、熊に驚かされたらいいのやら。
「んー! んー!」
助けを求めようと必死に叫び声を上げようとするが、口に布が巻き付けられて叫ぶ事が出来ない。逃げ出そうにも、大木に縛り付けられて身動きも取れない。
「ようやく、お目覚めかい?」
必死こいている時に話しかけてきた声の主はデオだった。
「んー!」
「どうしてお前が? って、顔だな。まあ、良く考えてみろ。俺は魔女を専門とする狩人だぜ。魔法から身を守る準備を怠らないのは鉄則だろう」
そう言いながら、自分の衣服をチラつかせて得意げな顔をしていた。
「これはな、暴食熊の毛皮で作った対魔女用防具さ。魔獣の毛皮には、特定の攻撃魔法を防ぐ効果があってな。さすがにさっきの魔法は強力過ぎて危なかったが、あの魔女が加減してくれたおかげで、お前らが思っていたよりもダメージを負わなかったわけだ」
自慢げに話している防具の事など、正直言ってどうでもいい。
この場から逃げ出すことも、反撃する事も出来ない。万事休すとはこのことだ。
これまた何度死の覚悟をしたらいいのかと思った時、デオはラナの口から布を取り去った。
「ぶはっ! お前、何のつもりだよ!」
「まあ、そう怒るな。俺だって好きで魔女狩りをしているわけじゃない。少しだけ取引をしないか?」
「取引?」
「そうだ。取引の結果次第では、お前らを生かしてやってもいい」
これはまた、襲われるよりも面倒くさそうなことに巻き込まれそうな展開になって来たな。と、内心これ以上余計なことに首を突っ込みたくないというのが本音だ。
でも、取引の内容によっては命が助かる見込みはある。
ラナは少し考えて、一度だけ話を聞いてみることにした。
「それで? 俺を木に縛り付けてまでしたい取引って言うのはなんだよ」
「なぁに、単純な話さ。俺の契約した魔獣、暴食熊である女王ダンクンに掛けられた魔法を解いてくれれば良い」
数時間前まで、躍起になって追い掛け回して殺そうとしていたのに、どうして急にそんなことを提案して来たのかと、多少は疑問に思ったが、寝ている間に殺されなかっただけ儲けもんだ。
とりあえず、ここは取引に応じる方向で話を進めた方が良さそうだ。
「確かに簡単そうな話だけど、俺は契約したおかげで多少は魔法の知識があるだけだから、スフィア様に聞いた方が早いと思うぞ」
「とっくに聞いたさ」
「つまり、俺たちがその魔法を解けるって話になった訳か」
「あの魔女が言うには、魔法は術者以外に解くことは出来ないが、全ての魔女の頂点に立つ者のみが持つことが許される女王の魔法杖を使うことで如何なる魔法も解くことが出来るらしい」
「それって本当なのか? スフィアさ……。あいつ、結構重要なこと言わないで話進めるぞ」
契約する時の事を思い出したラナは、自分のような被害者を増やさないために、良かれと思って助言をした。この状況で相手の心配をする余裕などないのに、お人よしにも程がある。
「お前、自分の状況わかっているのか?」
「へ?」
「この話が嘘だったら、お前らを生かしている意味がなくなるんだがな」
「あ、そうか。……って、嫌だ! 俺はまだ死にたくない!」
バカ丸出し。いくらスフィアの言葉に信憑性がなくても、ここで自分自身を窮地に追い込むような発言をするべきではなかった。
正直なのはラナの良いところなのだが、その反面、自分の事よりも相手の事を優先してしまう優しすぎる性格のおかげで自分の首を絞めてしまうことが多々ある。
「まあ、落ち着け。俺が収集した情報にも女王の魔法杖が存在していることは分かっている。それにあの魔女よりは信用できそうだからな」
「信用? お前ら魔女の敵なんだろ?」
「ああ、魔女狩り組合に所属する身としては、魔女は敵だ。だけど、俺個人としては少し違う」
「そうなのか」
「だが、勘違いはするな。魔女を憎んでいる事に変わりはない」
「ですよね」
「あの魔女が信用できると思ったのは、俺たちと同じように殺したくないと言っていたからだ。俺が出会った他の魔女は全員、俺たちを殺そうと躍起になっていた。まあ、人間の都合で滅びゆく世界と一つにされたから、許せなくて当然だろうが」
「ん? お前らは魔女がこんな世界にしたと思っているから、魔女狩りを始めた。そうじゃないのか?」
「大抵の奴らはそう思って魔女狩りをいるかもしれないが、俺とダンクンは魔女に対して個人的な恨みがある」
何やら訳ありのような話になって来た。
どちらが悪いのか。と、いうよりも、どちらも被害者であり加害者なのだろう。
「つまり、あんたは個人的に魔女に何かされたってことなのか?」
「俺はダンクンに魔法を掛けた魔女が許せない。だが、魔法を解くことができるのは魔女しかいないらしいからな。俺たちも結構複雑な心境で魔女を追い回しているのさ」
「なるほど。あんたにも色々事情があったってことか」
「まあな……。それにしても、あまり良い噂を聞かない魔女と好き好んで契約する奴がいるとは思いもしなかったぜ」
「成り行きだよ。あんたらの追いかけっこに巻き込まれて、生き残るために契約した。俺は英雄志願者として聖十字騎士団に入団したいだけだったのに、いい迷惑だよ。本当に……」
どうしてこんな事になってしまったのだろうか。
デオと話をしている内に、自分の置かれている状況が普通ではなかったことに改めて気づき始めてしまった。
少し冷静になって考えてみると、今まで見たことも聞いたことのない種族や力を目の当たりにして、全く違う世界に来たような感覚だ。
本当にただ、英雄志願者として聖十字騎士団に入団したいだけだったのに……。と、ラナは肩を落とした。
「それは災難だったな」
乗り掛かった舟には大人しく乗った方が良いのかもしれないが、デオの同情する姿を見ていると、自分がどれほど不幸な目に遭っているのか容易に想像がついた。
今日ほど、生まれ持った<トラブルメイカー>という才能を呪ったことはないだろう。
「そろそろ話は終わったかしら?」
と、どこで油を売っていたのか、姿が見えなかったスフィアが何食わぬ顔で現れた。
するとラナの顔を舐めまわしていたダンクンはラナから離れ、牙を剥き出しにしながらスフィアを威嚇した。
「よせ、ダンクン」
「申し訳ございません。我が主様。魔女の臭いに反応してしまって……」
デオの呼びかけに答えたダンクンは、人の言葉を話した。
その声は、どこか品のある大人の女性の声。刺々しい発言しか出来ないスフィアと違って育ちが良さそうだ。
「って、熊が喋った!?」
まさか、熊が人の言葉を発するなんて思いもしなかったラナは目を丸くして驚いた。
「申し遅れました。私の名はダンクンと申します。元々は人として生きていたのですが、憎き魔女の魔法により今はこのような姿で暴食熊の女王を務めております。以後お見知りおきを」
「はあ!? 人間だった!?」
上品な口調で自己紹介をしたダンクンが元々人間だった事実を知らされたラナはさらに目を丸くして驚き、開いた口が塞がらなくなった。
「彼女は今から千二百年も前に魔女によって暴食熊の姿に変えられたみたいなの。しかも、不死の魔法も一緒にね」
スフィアの口から、これまた驚愕な事実を告げられた。
ただでさえ、色々な変化に対応しようと必死になっているのに、そんな遥か昔の話を持ち出されてしまっては、パンク寸前の頭が大爆発を起こしてしまう。
「ちょ、ちょっと待って。三つの世界が一つになったのは三度目の終焉の日の後だよね?」
何とかして頭の整理をしようと、今ある知識をフル活用して質問を投げかけた。
「そうよ。正確には完全に一つになったのは一年前だけど、それがどうかしたの?」
「だったら、おかしくないですか? なんで、世界が一つになる前にそんなことが」
「詳しくは私も知らないけれど、三百年に一度、終焉の日が世界に猛威を振るった時に世界のバランスが著しく変化するみたい。それがきっかけで魔界の住人が人間界に紛れ込んでしまった可能性もあるし、人間でありながら魔法が使えた聖女ディアンナという事例もあるわ」
「それなら、魔女が犯人っていう確証はないですよね」
「正直言って、本当に魔女が彼女をこんな姿に変えたのか疑わしいわ。けれど、全く違う種族へ変身させることが出来るのは、呪法<種族変換>しか考えられない」
「じゃあ、やっぱり魔女の仕業ってことですか?」
「呪法は魔法に通ずるものがあるけど、これだけ強力な呪法を扱えるのは魔女の中でもごく僅かなのよ。だから、魔女だとは断定できないというのが本当のところね」
二人の会話を黙って聞いていたダンクンは、少し苛立ったように、
「お言葉ですが、私は暴食熊に変えられた時、最初に嗅いだのはあなたたち魔女特有の臭い。千二百年経った今でもこの臭いだけは決して忘れることはありません」
と、ダンクンは少し食い気味に言った。
それに続くようにデオも口を開いた。
「とにかくだ。もう千年以上も昔の話だからな。今、生きているかどうかも分からない犯人が魔女だろうが何だろうが関係ない。魔法……正確には呪法らしいが、そのせいでダンクンはこんな姿にされちまった。この事実は変わらねぇ。そういう訳で、俺からの提案だ。俺は職業柄、魔女を見つけたら抹殺しなくちゃならねぇ。だが、俺はダンクンを元の姿に戻すことが出来ればそれで良い。そして、お前らは生きてここから立ち去りたい。そこでだ、お前らに二つの選択肢をやる。俺たちに協力してダンクンを元の姿に戻すのか。それとも、大人しくここで殺されるか。どっちか好きな方を選べ」
横暴すぎる。全く選択肢になっていない。
崩れ落ちることが決まっている橋を渡るのか渡らないのかと言われれば、考える余地もなく「渡らない」を選択するに決まっている。
つまり、ラナたちには生きる=協力する以外に選択肢はなかった。





