05話 天国へようこそ
ぼんやりとした意識の中、遠くのほうにきらきらと輝く黄金の川が見えた。
――――ああ、これが三途の川。
渡るんだ。ここを。吸い込まれるようにして水に足を踏み入れた瞬間、
ズボン!!!
信じられない勢いで沈んだ。
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「兄ちゃん、大丈夫かえ?」
眩しさと頬を突かれる感触で目が覚めた。
すぐさま目に飛び込んだのは、俺をのぞき込む複数の顔。
「三途の川で溺れる魂なんて初めて見たべ」
俺の顔を覗き込んでいた人のうち1人がそう言うとそれに釣られるようにして周りの顔がゲラゲラと笑った。
ーー???
だ、誰だ?
ぇぇえ、ここどこだ?
驚きの余り声も出なかった。
目の前にいる人達は全員白装束を身につけており、それに加え逆さ着物になっていた。かく言う俺も同じ服装をしていて、その事実が否が応でも置かれた状況を自覚させた。
――ああ、俺死んだんだ。
意識がはっきりするにつれて、死神との会話が鮮明に呼び起こされる。
ーー俺、本当に。
「あの、あ、ありがとうございます。た、助けてくださって?」
涙が出そうになった所でそれを誤魔化すようにして立ち上がった。残念なことに三途の川で溺れた苦すぎる記憶も頭の中に刻まれている。先程の話しぶりからして彼らが俺を助けてくれたのだろう。
ーーいくら天国と言えど大人数に向かって話すのは緊張するな。
噛んでしまったことが恥ずかりくなり思わず目をそらすと、そんな俺の様子を見た逆さ着物の人達はさっぱりとした、それでいて豪快な笑みを浮かべて見せた。
「なになに、構わんよ。ここでは助け合いが第一原則だ」
強めの力で背中をバシバシと叩かれ、いきなり死後の世界に来たことに慣れないながらも、その優しさに触れて胸の辺りがじわりと熱くなった。
「そ、それでも、あ、ありがとうございます・・・っ!」
「はははっ!律儀だなあ」
ーーてか
「・・・わぁ」
ふと周りに目を向けると、見渡す限り続くきらきらと輝くのどかな景色が広がっており、生きていたことでは到底味わったことの無いような澄んだ空気が蒼い空をより鮮明に輝かせていた。
ーー風が心地いい。
「あ、あの・・・」
「ん?何だべ?」
「ーーここは天国ですか?」
率直な疑問だった。
そんなごく当たり前とも取れる質問に対して、助けてくれた人達は嫌な顔ひとつ見せず笑って答えてくれた。
「おう!そんなところだ!」
また笑いが起きる。
「は、はははははは・・・」
乾いた笑いが漏れた。
ーー俺、天国に来ちゃったんだ。
手足の感覚も記憶も確かにここにあり、実感としては生きていた頃との差は無い。
けれど、憎たらしい程に煌びやかな景色と逆さ着物を着た優しい人達が、ここが死後の世界であるという事実を強制的に理解させた。
ーージョニー、最後一人にさせてしまったかも。母さん達もきっと今頃泣いてるだろう。
心境は複雑だし、溺れたせいか体もだるいし、思うところは多々あるがそんなことはお構い無しに俺は天国にいる。ただその事実があるだけだ。
ーー前向きになるんだ俺。
空だってあんなに綺麗じゃないか。
折角だし気を紛らわせるためにもあちこち散策してみよう。
俺がもう大丈夫だということを伝えると、周りにいた人は「そうか?」と少し寂しそうな顔をしながら離れていった。天国に悪い人が居るかどうかは分からないが、優しい人たちに見つけてもらって本当に良かった。
*****
「・・・腹減ったなぁ」
草原をしばらく歩いたところで忘れられまいと主張するようにするように腹の虫が鳴った。
さっきの優しい人達にもう少し色々と聞いておけばよかった。大人数に囲まれてびっくりしたものだからなるべく早け早くとその場から離れてしまったが、そもそもこれからほぼ永遠と呼べる長い時間ここに居るのだ。もっと積極的に話してよかったかもしれない。
取り合えず、食料を求めて目の前に広がるだだっ広い草原を歩くことにした。
ーーRPGみたいだ。
涼しい風に柔らかな日差し、これ以上の快適な気候条件はないだろう。
ただ、確かにいくらでも居られる程心地の良い場所ではあるが、普通に疲れるしお腹もすく。
――天国って意外とこんなもんなのかな?
***
「わぁ〜!すげえ・・・っ」
しばらく歩くと大きな町が見えてきた。
近づくにつれ、栄えた市場や人々の活気づいた様子が伝わって来て、楽しそうなその光景に思わず興奮した。
ーー何だこの光景、某国民的アニメ映画のワンシーンみたいだ!
ワクワクが止まらないぜ!
街並みはどことなく既視感があり、歴史の授業で見たような古風な木造造りの家々がずらりと建ち並んでいる。
「すげえ〜〜」
いざ市場に足を踏み入れてみると想像以上に多くの人々で賑わっており、ずらりと並んだ店の軒並みには、新鮮な食べ物はもちろん綺麗なガラス細工にタバコに煙管、ラムネ瓶や花札など、さすがに電子機器とまではいかないが娯楽に使えそうなものが十分に揃っていた。
「天国、すげえ・・・」
あらゆるものがこれ見よがしに輝いている。
現世よりも死んだ後のほうが生き生きとしているこのアウェイ感。
「天国、すげえ・・・」
言葉を失うほど活気づいたその様子に思わずもう一度つぶやいた。
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ーーと、取り敢えず腹ごしらえだ!
ともかくこの空腹を満たそうと目に入った近くの食堂に入る。
「へい!いらっしゃい!」
思った通り中は沢山の人で賑わっていた。いかにもな感じの定食屋さんだが店内は結構広く、店中においしそうな匂いが立ち込めている。
ーーうわあ、余計腹減ってきた。
取り敢えず空いている席に腰かけると、それと同時に自分の置かれた状況に気がついた。
―――俺、お金持ってねえ!
ここにきてまさかの壁。やってしまった。これじゃあ何も食べれないじゃないか。
飢え死ぬ。もう死んでるけど。
「お客さん、何頼む?」
俺が慌てふためいている間に店員さんの一人が話しかけてきてくれた。筋肉質ないかつい体格だが気前のよさそうな優しい顔をした男の人で、いかにも陽キャ風なその佇まいに思わず尻込みする。
くそう。やらかした。
「あ、あの、すみません。俺お金持ってなくて。出ます」
申し訳なさそうに目を伏せながら告げるとそんな俺の様子を見た店員さんは素っ頓狂な顔をし、タオルを巻いた頭に手を当てた。
「お客さん、天国初めて?」
そう言うなり、店員さんはにこりと笑いつんつんと自分の懐を指して見せる。
良く分からなかったが見様見真似で自分の懐を触ると、カシャリと音を立てて何かが触れた。
ーー何だこれ。
俺の懐に入っていたのは、真ん中に空いた穴に一本の糸を通された見たこともない小銭だった。
「・・・これは何ですか?」
「六道銭。冥金とも呼ばれてる。ここでのお金だよ」
「これが通貨になるん、ですか?」
「そういうことだ」
店員さんは白い歯を見せてニカリと笑った。
なるほど気づかなかった。知るべきことはまだまだ沢山ありそうだ。ともかく、今は先程から鬱陶しいこの空腹をどうにかしよう。