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29話 汐

 


 緊迫した空気が頬に痛い。


 汐君は人間を殺めたことがあるってことか?

 なんでそんな危ない妖怪がクラス内にいるんだよ。


「僕が恐ろしいですか?」


 静けさを破るように汐君がゆっくりと口を開いた。


 ーー当たり前だ。


 妖怪だろうと人間だろうと、殺人歴がありますと暴露されて平然としていられるわけがない。

 言われるまでもなく、花の刺繡を見た瞬間から全身震えっぱなしだ。


 逃げる。いや、追いつかれる。

 ・・・殺される。


 なんで俺ばっかりこんな目に合うんだよ。

 日常的に死に直面して、それでも前向きに頑張ってきたつもりだったというのに、目の前には人殺しの妖怪がいる。


 恐怖と悔しさで何も言えずにいる俺を、汐君は光のない瞳でじっと見つめた。


 他のクラスメイト達とは明らかに異質な殺意のこもった眼差しに、思わず腰が抜ける。


「見ての通り、僕があなたをここで殺したところで僕が失うものは何も無い」

「俺を、殺すのか」

「それは貴方次第です」


 汐君は小さく微笑むと、尻餅をついたまま立てずにいる俺に合わせて地面に膝をついた。


「僕はね、人間が嫌いなんです」


 言われなくても知っている。

 何故汐君が改めてこんなことを言うのか理解が出来なかった。


「700年前の件がどうのこうの皆さんはおっしゃっていますが、そんなことは僕にとってはどうだって良い。純粋な嫌悪感です。目の前に人間がいると思うだけで虫唾が走る」


 ーー700年前の件がどうだっていい?


 他のクラスメイト達は人間の俺が例外的に霜月京に居ること、そんな俺と安倍晴明の事件との関連性を恐れて距離を置いている。汐君は、それをまるで話の主旨でないように言う。

 訳が分からない。だったらどうして彼は人間を嫌っているんだ。


「殺すほど、嫌いかよ」


 真っ先に浮かんできた言葉はそれだった。

 “嫌い”たったそれだけの感情で命を殺めてしまう程、彼の理性が弱いようには思えない。


「・・・そうですよ」


「な、なんで 」


 ここまで拒絶される理由が理解できない。安倍晴明の件が関係ないのであれば尚更、彼が人間をここまで執拗に嫌う理由は無いはずだ。


「何故人間を嫌うか?愚問ですね。理由なんてある筈がないでしょう。貴方たち人間も畏怖や嫌悪感だけで妖怪を嫌うし殺すじゃないです」


「き、嫌ってなんかない」


 理由もなく相手を嫌うだなんて、そんな理不尽なことはしない。殺すだなんて以ての外だ。

 さっきから汐君の口から出てくる言葉は決めつけたものばかりだ。

 先入観だけで人間を嫌っているのはそっちの方じゃないか。


「嘘はいけません。死神学科は人型妖怪が多いからそのような口を叩けるんです。

 ーー言い方を変えましょう」


 汐君はゆっくりと立ち上がると、再び笑顔を作った。


「人間はね“得体の知れないもの”は直ぐに害悪とみなし、攻撃するんです。

 そこに嫌いという感情との相違はほぼ無いと、少なくともそう僕は考えています」


「・・・」


「まあ、それに関しては今の我々も貴方に対して同じことをしているので強くは言えませんが。

 ・・・話が長くなってしまいましたね。本題に入ります。

 学園から出て行ってください。穢土に渡る手段がないため霜月京から出て行けとは言えませんが、魁蘭学園から身を引くことは容易いでしょう。

 勿論ただでとは言いません」


 汐君はポケットの中から再び大きな玉のようなものを取り出した。


「玉璃です。貴方の持っているそれとは性能が段違いの。これを使えば霜月京の何処へでも移動することが出来ます。流石に玉璃は使えるでしょう?五魎殿ごりょうでんを抜けたずっと先によるの森という巨大な森林地帯があるのでーー」


「いらねえよ」


「・・・」


「あ、あんたみたいな人殺しに言われなくたって、こんな所出て行ってやる!」


 無性に悔しかったし腹が立った。


 俺の言葉を聞くなり先程まで笑顔だった汐君の表情がすっと引く。無機質な瞳に一瞬背筋が凍る。


 ーーなんで俺がこんな目を向けられないといけないんだよ!


 あんまりだ。悲しみは怒りに変わり、動揺が感情の昂りに拍車をかけた。


 この場にいることすら苦痛に思い、震える足に鞭を打ち持てる限りの力を使って駆け出した。


「・・・クソッ!」


 俺が何をしたって言うんだよ。人間ってだけでこんなに拒絶されて、こんな所でどうやってまともな生活を送れって言うんだよ!


 皆んな皆んな嘘つきだ。


 天慚さんも、ナトリもナナシも紅梅も、嘘つきだ。


 妖怪達が優しいだなんて大嘘じゃないか。


 いつの間にか汐君の姿は見えなくなっており、珍しく長い距離を走ったせいか口の中には鉄の味が広がっていた。


 気づいた途端俺を襲ってきたのは、猛烈なまでの虚無感だった。


 ーーなんで。


 人殺しの妖怪と、同じ教室で過ごすとか、あり得ないだろ。

 事情だなんて関係ない。人殺しは人殺しだ。


 妖怪と神の国で、彼等の常識で暮らすだなんて最初から無理があったんだ。


 例えようの無い絶望に、感情が何処にあるのか分からなくなった。


 穢土にも帰れない。霜月京にも居られない。天国でも暮らせない。


 ーー地獄だ。


 なんで俺なんだよ。生きてる間も、今だって俺は何か突出して悪いことはしていない。


 ーーこんな、世界。


 神様って何だよ。これが罰なら、俺よりこの罰を受けるべき奴なんて沢山いるだろ。

 そもそも神様って、人間を助ける存在なんじゃねえのかよ。なんで俺はそんな神様達に追い詰められてんだよ。


 暴力的なまでに不条理な世界。

 その世界に、悉く不適合な俺。


 ーー消えてしまえば良いのに。


 怒りは、憎しみに変わった。

 そしてその矛先は最後、自分に向いた。


 どうして俺はこんな存在に生まれたんだろう。

 なんで三途の川で溺れたのか、なんで霜月京に来たのか、なんで鬼術も使えないのか、何も分からない。


 それでももう、分からなくても良いと思った。


 多分、俺が悪い。

 他の皆んなは〝普通〟なんだから。


 ドス黒い感情が内臓を圧迫する。強過ぎる絶望感に、涙すら溢れなかった。

 こんな状況で自分の存在を肯定出来る筈が有るわけなかった。



 ーーいなくなりたい。




 きっと皆んながそれを願ってる。


 そう強く思った瞬間、再び身体の中から声が響いた。



 ーーだから辞めろと言っておるであろう!このわっぱが!










ようやく黒龍との掛け合いが書けるようになりそうです。

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