27話 2日目スタート
波乱な一日があったというのに翌朝も太陽は何とでもないように昇ってきた。いや、来やがった。
くそう。体がだるい。もちろん精神的な面もあるのだろうが、それ以上に筋肉痛による全身の痛みの方が酷かった。これはもしかしなくてもあのクソ長い階段のせいだ。
あれをまた朝から登らなければならないのかと思うと気分が重い。
駄目だ駄目だ。座敷さん、いや紅梅がまた明日と言ってくれたんだ。
人間関係以外のところで不登校に成りそうになってどうする俺。
重い身体を無理やり持ち上げ学校に向かう。
今日は比較的校舎に近い位置に転移することが出来たため、昨日よりも早く学校に辿り着くことが出来た。
地獄の階段を上り終え教室のドアを開けた俺を真っ先に迎え入れたのはやはりというか昨日と同様重苦しい空気。
紅梅やナナシが話しかけてくれたから暫く浮足立っていたのだが、一瞬にして現実に引き戻された。恐る恐る自分の席に向かう。
ーーうわ、帰りたい。
一日たって冷静にはなった。今日この学校に登校することが出来たのがその証拠だ。
しかし実際に来てみると、昨日のあれは逆効果だったんじゃないかとか、そもそも今日来ない方が皆のためにも自分のためにも良かったじゃないかとか、マイナス方面の思考ばかりが働いてしまう。
ナナシも紅梅もまだ来ていない。ライオンのに檻に放り込まれたような気分だ。
沈黙が耳に痛くなってきたところで、教室のドアがガラリと空いた。
入ってきたのは佐鳥君。
なんとなく気まずくなって視線を落とす。
“考える時間を与えてあげてください。利一さん”
ーー時間、時間か。本当にそういう問題なんだろうか。
ナトリは700年前の件関係なく人間を恨んでいる妖怪は多いと言っていた。
このクラスの生徒の中にも、そういう妖怪がいないとも限らない。
そうしたらもう、無理に仲良くすることよりもこれからの学園生活を孤独に送っていく覚悟を決めた方がずっと傷つかずに済むんじゃないだろうか。
俺がさっき教室に入った時のクラスメイト達の反応を思い浮かべると、どうしてもその回答のほうが正しいような気がしてしまう。
再び後ろ向きな思考に陥っていると、ふと机の上に影が落ちた。
「なんだ。学校来れたのか」
佐鳥君だ。静かな教室に、彼の声が大きく響いた。
「あ、えっと、ご、ごめん」
責められているように感じてしまい、反射的に謝る。
本当は俺が受け身になる必要なんてものは無いはずなのだが、どうしても生きていた頃の直ぐ謝ってしまう癖が抜けなかった。クラス中の視線が痛い。
「いや、手間が省けたからいい。ほれ、これ貸してやる」
「?ナニコレ」
差し出されたのは大量のプリントだった。
「た、退学届けを書くのはまだ勘弁してください!」
就職できない。生きていけない。
「ンなわけねえだろ!お前頭の回転どうなってんだ!」
ーー寧ろその他に何も思い浮かばなかった。
恐る恐るプリントの中身を見てみると、各教科の授業プリントだった。
「え、これ」
「中間10日後だぞ。教科書でやってたら間に合わねえからこれ使え」
驚いて顔を上げると、昨日の朝話した時の佐鳥君がそこにいた。
「あれ、普通の顔だ」
「おい馬鹿にしてんだろ。返せそれ」
険しい表情で睨んでない。声色も怖くない。
「あ、あの、ありがとう」
嬉しかった。
ナナシに紅梅に佐鳥君。
普通に話しかけてくれるクラスメイトが、登校2日目にして3人もいる。
こんなにも恵まれているのに孤独だなんて落ち込むのは傲慢すぎる。
「だからチャラにしろ」
「え」
「昨日のことだよ。悪かったな」
告げられたのは突然の謝罪だった。
真っ先に浮かんできたのはクエスチョンマーク。彼が何故俺に謝罪するのか不思議でならなかった。
700年前の件がある。唐突に人間が目の前に現れて恐れることは当たり前だ。確かに傷ついたしショック死しそうになったが彼が俺に謝る必要は微塵もないのだ。
「あ、謝らないで欲しい」
咄嗟にでてきた言葉はそれだった。言われた佐鳥君もいきなりの言葉に驚いている。
「その、俺謝られても対応分からないしそれに、お、俺が佐鳥君達の立場なら絶対に同じ態度をとってた。
だから、昨日のことで自分を責めたりするのは、そもそもの間違いで、だからその、謝るのは全然必要ないというか」
文脈ぐちゃぐちゃだ。自分でも何が言いたいのか分からなくなってきた。
ともかく俺を斥けることに関してクラスメイト達に非はないし、謝られても逆にこっちが申し訳なくなるためやめて欲しいのだ。
「んなこと、直ぐに謝罪する奴に言われてもなあ」
佐鳥君は呆れ半分で溜息をついた。
「ご、ごめん」
「ほら謝った」
わあ、本当だ。
「でもまあ、言いたいことは分かったよ。それじゃあ昨日の件はもう無しな」
「う、うん!」
「ってことでお前そのプリント、俺に借り1だから」
「え!本当!そういうの憧れてた!」
焼きそばパンかって来いよ的なこと言われるんだろうか。生きていた頃はパシリにも採用されたことなかったからな。喜んで買いに行く。
「お、おう。てかお前、鬼術出来ねえんだろ?中間は座学だけだから何とかなるかも知んねえけど期末は実技もあるからやべえんじゃねえの」
「マジか!」
10日後中間ってだけでも驚きなのに期末実技は進学できる気がしない。
「死神学科舐めんなよ。言っとくけど鬼術は中間でも授業内テストするからな」
唐突に掛けられた言葉にぎょっとする。
いつの間にか朝礼の時間になっていたらしい。教室のドアからナトリが入ってきた。
ほどんどのクラスメイトがすでに各々の席に着席している。
「鬼術がなくても死神免許は取れるには取れるが確率が格段に下がる」
え、鬼術ってそんな大切な科目なの?
「これは全員に対して言えることだが、夏休み明けにはさっそく死神協会に名簿登録するための試験があるから把握しとけ。
まあ、免許取るだけなら敷居は低いしそこまで大きな問題は起こらないだろうが」
試験!?夏休み明けって、あと3か月もないじゃないか。
不味い。これそもそも死神になる土俵に乗れないやつだ。
「と、いうことでさっさと席に着け。出席取るぞ」
嬉しさ半分絶望半分。
2日目の学校がスタートした。
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決めた、俺はクリーニング屋になる。
そもそも死神になることだけがここで生活していく術じゃないじゃないか。
典漸さんに死神を進められたから死神が一番楽な道なのだと勘違いしてしまっていた。
ただ困ったことに、考えれば考えるほどここ以外に人間の俺を受け入れてくれる場所があるのかという問題に直面する。
ここの人たちでさえ危ういくらいだというのに、他所に言った時歓迎して貰える気がしない。
ーー取り敢えず、やってみるしかないよな。
他のクラスメイトは相変わらずではあるが、話しかけてくれる人達がいる限りは挫折しないでおこう。
戦力外通告を受けるまではひたすら鬼術の練習だ。
3か月後の登録試験。そこを一つの目安として現状に向き合う事にした。
無理であれば精神に負担がかかりそうだが転職を本気で考えなければならない。
ただ、そうするとなるとそれまでに何とか合格基準まで持って行く必要がある。
鬼術を鍛えつつ、それ以外の方法で死神免許を取得する方法を探してみよう。
一つ安心なのは、座学の方は存外に楽しかったから何とかなりそうだということだ。
魔界とか神界とかファンタジックな名前も出てきたりして寧ろわくわくする。
学問関係に関しては正直生きていた頃よりも楽しめている。
気になるのは今日の6限にある体育の授業。
こればかりは鬼術と同様内容が予測できない。
前世と同じように球技とかだったら問題なく理解できるのだが、妖怪や神特有のもので合ったら絶対についていけない。
今後の方針について考えていると、あれよあれよという間に昼休みに突入してしまった。
昨日は行けなかったが、今日はナナシと紅梅、佐鳥君が食堂を案内してくれることになった。
魁蘭学園の食堂はそれぞれの棟の一回に付属されている。そう、つまりはあの悪魔のような階段を往復で使うことになるのだ。昨日のペースで登っていたら階段の上り下りだけで昼休みが終わってしまう。敷地が広すぎるのも考えようだ。下りは何とかなるかもしれないが、皆はどういう風にしてるんだろう。
「なあ、この階段、皆いつもどうやって上ってるんだ?」
気になったので聞いてみた。
「飛び超える」
「グリコしながら」
「飛び越えますかね」
一つおかしな回答が混ざっていたが拾う余力がないのでスルーすることにした。
「と、飛び越えるってどうやって」
この階段を飛び越えるって、それもう飛び越えるって言わねえだろ、飛ぶっていうだろ。
きょとんとした顔を浮かべた後、佐鳥君が説明してくれた。
「言っとくけど全段一気にじゃねえからな。俺の場合は鬼術が得意なわけじゃねえから十段ずつくらい。ナナシと紅梅と、あと汐とかはもっと沢山出来んじゃねえの」
「あ、自分は体術関係得意じゃないので佐鳥さんと同じくらいです」
「あたしも。鬼術が得意だからって体術も出来ると思うなよ」
なるほど。体術もあるのか。
「体育の時間にもする予定ですが、折角なので今してみますか?階段に時間をかけるのも大変でしょう」
「い、いいのか?」
「勿論。体術であれば鬼術よりもセンスはともかく霊素の有無ははっきり出ませんので何とかなると思います」
ナナシの提案により、早速階段の踊り場で体術を試すことになった。
「体術とは、つまりは鬼術の延長線上にあるもので、同様に霊素を使います。ただし、鬼術と大きく異なるのは、媒介としてではなく自分の肉体の中に潜在している霊素を直接使うこと」
え、それ霊素ゼロの俺がやっても意味ない奴じゃね?
「けれど、いくら霊素が強くとも肉体には限界があります。強靭な肉体を持っていなければ自らの霊素をすべて使うどころかコントロールすることすらできません。よって、体術を使いこなすことの出来る妖怪は極少数です」
成るほど。それであればより一層厳しいんじゃないだろうか。俺には、コントロールする霊素すらないんだから。
「まあ、確かに利一さんには厳しいかも知れませんが」
「ーーやっぱり?」
「物は試しです。霊素がゼ、いえ、少ない分制御も簡単かもしれませんし」
え、今絶対ゼロって言おうとしたよな。ゼロって。
「つ、使い方は簡単ですから、やってみる価値は十分にありますよ!鬼術が出来なくても体術は得意だという妖怪は稀にいますから」
稀にかよ!いや、でもやってみなければ分からないっていうのは本当だ。
「わ、分かった。やってみる」
俺の言葉を聞くと三人はにこりと笑って顔を見合わせた。
それと同時に小梅が前の出る。
「んじゃ、あたしが説明してやる。取り敢えず階段に上る時だな。つまりはあれだ、足にぐわって力を入れて、ぶわ~!だ」
「・・・」
ん??
「ぶわ~!DA☆」
んんんん?
「すまん伊坂。座敷は頭は悪くないんだが説明が極端に下手なんだ」
「お、おう」
じゃあなんで前に出てきたんだよ。説明してくれようとするのは嬉しいけど今の下り絶対丸々いらなかっただろ。
ツッコミがのどまで出かかったが懸命に飲み込んだ。
「えっとですね、体術は鬼術よりもずっとイメージが大切なんです。今紅梅さんが言ったように、階段を上がる際は足に全身の霊素を集中させます。そうすることで足の身体能力を部分的に上げることが出来るんです。つまりは全て感覚の世界。センスの差が最も出やすい術でもあります」
「だから、まあ、言いたくはねえけど座敷の言ってることもあながち間違いではねえんだよ。
ほら、時間もねえからやってみろ」
「あ、ああ」
足に全身の霊素を集中させて、
――飛び上がる。
筈だったのだが、
力を込めた瞬間、全身が引きちぎれるような痛みに襲われた。
ありとあらゆる筋が急な衝撃に悲鳴を上げる。
ーー痛い!
“辞めんか!この戯けが!!”
同時に、体の中から声が響いた。