25話 声を上げる
早速ナナシによる鬼術の講義が始まった。
「四大術とはつまりは地水火風。万物を構成する四大元素のことです。仏教用語で四大種ともいわれています。この地水火風は鬼術では初歩中の初歩で、それと同時に最大の肝になります」
「なるほど」
「一般的には自然は有限であると捉えられていますがこの四大種だけは別で、無限にあるからです。
この他無限にあるものとして光と闇が挙げられますが、これらはちょっとばかし勝手が違ってくるので今回は保留です。打ち消し合っちゃうので」
分かるようで分からない。いや、分かる?
取り敢えずなんか凄そうだ。エクスカリバー的なものとか出てくんのかな。
首をかしげる俺を見てクスッと笑いナナシは言葉を続けた。
「神であればともかく、妖怪は無からは何も生み出せません。だから自然の力を借りる訳です。鬼術とはつまりは物体に内在するエネルギーを最大限に引き出すこと。伊坂さん、ご存知ですか?ほんの少量の物質でさえ核に匹敵するほどの莫大な力を秘めているんですよ」
そう言いながらナナシはゆっくりと片手をあげて見せた。
出てきたのは一滴の水。
ーー聞いたことがある。
原子力や原子爆弾の根底をなしているℰ=ⅿⅽ^2の式によれば、約500gの物質を完全にエネルギーに変換したとき、100万軒のアメリカ家庭で一年間電灯をともし続けられることになるそうだ。
鬼術とはいわば量子学の最先端なのかもしれない。
『蹂躙せよ。水分の煙。汝の水門をここに開き給へ。
--水衣』
ナナシがそう唱えるなり、浮かんでいた水滴が動き始め、俺の頬に当たった。
その瞬間、全身の血の気が引き、立っていられなくなり地面に崩れ落ちた。
ーーは?
何だこれ。寒い。寒すぎる。凍ったみたいだ。気持ち悪い!
一瞬にして体中の体温が奪い去られ頭から指先まで悪寒が駆け巡る。
冷たい。寒い。何で。死んじまう。
視線も上げられない。辛うじてナナシの足元が見えたが、助けを求めようにも声が出ない。
視界が霞む。でもここで意識を手放したら確実に死ぬ。
マジかよ。こんな簡単に。たった一滴の水でーー。
『ーー解』
ナナシの声が遠くに聞こえるなり、一瞬にして悪寒が収まる。しかし急激に体温が変動したせいで身体が対応できず、我慢する間もなく嘔吐した。
「うぇ!がはっ!がはっ!う・・・」
「すみません。つい」
ナナシが慌てて駆け寄ってきて背中をさすってくれた。
え、ついってレベルじゃなかったよな。俺今絶対死にかけたよな。
「ケホッ!カハッ!な、なんで」
「鬼術の危険性を知ってもらうには体感してもらった方が早いと思ったんです」
「・・・先に言ってくれよ」
マジで怖かった。こんなすげえこと出来る妖怪たちが俺を恐れているなんていよいよ信じられない。
ナナシが天国でも使っていた例の魔方陣を出して治療してくれたため割とすぐに回復することは出来たのだが、立ち上がれるようになっても恐怖だけははっきり刻まれていた。
たかが一滴、されど一滴。
ナナシの言っていた通り、危険性は十分すぎるほど伝わった。
いやでもしかし、ド派手なの一つ見せてくれるだけでも良かったんじゃないかな。
本当に死にかけたし。
俺がもう大丈夫だということを伝えると、ナナシは再び講義を始めてくれた。
「四大術の中でも水は特に危険で、表向きでは清浄な様の例えとして用いられていますが鬼術では陰と陽のうち陰のものとされています。その、まさかここまで鬼術の耐性がないとは思わなくて」
「スミマセン」
「謝らなければならないのはこちらですよ。本当にすみませんでした」
「ちょ!頭上げて!ちょ!」
急に頭を下げたナナシに動揺していると、ナナシはその体制のまま零すように呟いた。
「ーーとどのつまり」
「へ?」
「とどのつまり、なんでも命を殺める凶器に変えてしまうんです。鬼術は。髪一本服一枚、使い方を誤れば己の命さへも蝕む毒となる。まあ、鬼術での死亡事故は滅多に起こらないんですけれど」
「えっと、」
なんか重くなってきた。話題をすり替えよう。
ーーそういえば。
「なあ、今の術使う前に唱えてた呪文って何?」
俺が質問するとずっと頭を下げていたナナシがぱっと顔を上げた。
「あ、あれは詠唱と言って、物体の力をより多く引き出すための手段です。ストローで吸い上げるよりポンプを使った方が水を沢山送り出せるでしょう?長ければ長いほど強力な力が発動されますが、実際には詠唱破棄をしても鬼術は使えます」
「へえ~」
成るほど。
覚えるの大変そうだけど格好良かったから使えるようになりたい。
「そういえば鬼術の話の続きでしたね。物質の力を100%引き出すなんてあくまでも理想論です。そんなことが出来る妖怪、自分は一人しか知りませんから。妖怪も神も人間も体内には霊素というものがありそれが媒介役となるわけなんですが、その霊素が薄ければいくら詠唱を唱えても大したことは出来ません」
え、俺大丈夫かな。いや大丈夫なはずだ。
初歩中の初歩って言ってたし。
「説明よりは実践ですね、とっつきやすい“風”からやってみましょう」
「うん!」
そういうとナナシは俺の横に回った。
「自分の後に続いて詠唱を唱えて下さい。さあ、目をつむって」
「おう」
わくわくが止まらない。どんな術が出るんだろう。
期待と緊張が入り混じって体温が上がる。
「今から使うのは風の術。風の力を借りるイメージを膨らませて下さい」
うん、格好良い。想像すればするほど風を自在に操る俺かっこいい。
「流動せよ」
『流動せよ』
「風巻の舞」
『風巻の舞』
「颯灑の音」
『颯灑の音』
「汝の声を聞かせ給へ」
『汝の声を聞かせ給へ』
「風樺」
『風樺!』
一瞬、風が吹いた気がした。
***********
「まさかこんなことがあるなんて」
ナナシは信じられないとでも言いたげな瞳で俺を見つめている。
「信じられない」
あ、言った。
俺だって信じられない。
そう、あの詠唱を言い終わった後俺たちの周囲を囲んだのは轟音でもなければましてや風でもない。
“静寂”だった。
「イメージ足りなかったとか?」
「まさか。詠唱さえ唱えたら雪だるまのことを考えていたって風くらい起こせます。それさえなかったということはーー」
「嫌だ!聞きたくない!」
ナナシは耳を塞ぐ俺に聞かせるようわざと耳元に顔を
近づけて言った。
「伊坂さん、才能どころか霊素がゼロのようですね」
「いやだああああ!」
嘘だろ。これから俺は何を楽しみに生きて行けばいいって言うんだ!
俺が頭を抱える隣でナナシは腹を抱え爆笑している。
ゆ、許せん・・・。
「あっははは!無音って!無音って!あ~、お腹痛い。可笑しいなって思ってたんですよ。伊坂さんを見ても何も感じなかったから」
「わ、笑うなよ!もう一回!もう一回だ!」
「えー、諦めましょうよー」
「今のはたまたま!」
「仕方ないなあ」
『流動せよーー』
それから授業が終わるまでひたすた詠唱を唱えたが相変わらずポスりとも音は出なかった。
ナナシは手を抜くことなく、最後まで真剣に付き合ってくれた。
そして授業終わりにこの一言。
「伊坂さん。別の手段を見つけましょう?」
満面の笑みで現実を突きつけられた。
**********
最悪だ鬼術が使えないなんて。
周りを見てみれば他のクラスメイトは派手な技を沢山使っていた。
俺が人間だからだろうか。本当になんで俺ここに居るんだ。
五限の授業が終わると残りは六限の古文だけだ。
決して良い意味ではないがここまで内容の濃い一日は初めて送った。
着替える場所は男子は教室女子は更衣室。
そう。あの教室だ。
授業が終わるとナナシはいつの間にかどこかに消えてしまっていたため、俺は今からあの空間に一人で突撃することになる。
もう逃げない。
逃げてたまるか。確かに皆が俺を避ける理由は想像以上に重かった。
でも、安倍晴明は関係ない。俺は危険じゃない。
仲良くなれる可能性が残ってるんだったら早々に諦めてしまうのは野暮だ。
ガラリ。
ドアを開けて教室に入る。さっきまで聞こえていた話し声が一瞬にして止んだ。
「・・・」
警戒されている。
生きていた頃の俺ならこんなに冷たい視線を一斉に浴びたら一発KOだっただろうが、二、三、四限で随分と慣れてしまった。そう、慣れたんだ。このくらいの痛みはどうってことない。
それに、いつかは皆きっと仲良くしてくれるはずだ。鬼術も出来ない俺を恐れるなんて馬鹿げてるって思ってくれるに違いない。
俺が動くと、同じ分だけクラスメイトも動く。
モーゼか。そんな風に怖がらなくても俺は自分の席に行きたいだけなのに。
“少なくとも自分に敵意はありませんっていう態度取ってたらいいんじゃねえの”
不意にナトリの言葉を思い出した。
ーーそうだ俺が険しい顔してたら警戒してくださいっていってるようなものだ。
前向きになろうと顔を上げた瞬間、
心臓が音を立てて跳ねた。
そう言えば俺、一限が終わって以降ずっと俯いていたから、クラスメイト達の表情、まともに見てなかった。
恐怖と不安で歪んだ顔。
今朝教室に入ったばかりの時見た彼らからは想像もつかないようなものだった。
そして気が付いた。
ーーこの元凶は、俺だ。
理解はしていた。けれど彼らの側に視点を移してみると、それは重さを増して自分の身に降りかかってきた。
俺さえ来なければ、こんな顔をさせることもなかった。笑顔を恐怖に変えることも、彼らの日常を壊すこともなかった。
俺がこんなところに来てしまったから、彼らにまで苦しい思いをさせてしまっていた。俺は。
自分のことばかりで、相手のことを何一つ考えていなかった。
自分が仲良くなりたい一心で危険じゃないことを伝えようとして。“いつか”分かってくれるだろうと、自分では分かろうともしていなかったのに。
妖怪だとか人間だとか関係ない。そこに心がある限り、一方通行では対話は成立しないんだ。
ーーでも、それでも、なんで。
「俺だって、不安と恐怖でいっぱい、だ」
気が付いた時には、言葉が漏れてしまっていた。
「霜月京で目が、覚めて、まだ三日しか経っていない」
一度出てきた感情は
堰を切ったように涙とともにぽろぽろと溢れ出した。
「天国でも訳の分からないことばっかりだったのに、ここに来ても皆と違うって突き放されて、それなのに相手を思いやる余裕を持てだなんて、無理だ」
教室がざわめくのが分かったが、そんなことは気にしていられなかった。
「安倍晴明だとか、700年前だとか、急にそんなこと言われても分からない。
ましてや自分のことすら分からないのに、そんな大昔の人と比較されて納得できる訳がない」
積み重なった不安が雪崩のように崩れ落ち、止まらなかった。
「敷地広すぎだし、階段多すぎだし、妖怪にはやっぱりまだ慣れないし、鬼術も出来なかったし、学園内に刑務所があるって聞いたときは滅茶苦茶ビビった。
ーーけど」
心臓が痛い。目頭が熱い。喉が締め付けられる。
幾筋もの涙が頬を伝っては地面に落ちて行った。
「けどこの学校に来て、このクラスに入って、皆、笑顔で、う、嬉しかったんだ!!」
ガバリと顔を上げると、皆の呆気にとられた顔が目に入った。
いつの間にか女子生徒達も更衣室から戻って来ていたようだ。
「お、お互い、もっと、仲良くなれないかな」
人間と妖怪。
確かに何もかも違うけど、その違いすら笑い飛ばせるような日が訪れたのなら、それはどれだけ幸せだろうか。
恐怖だとか不安だとか別のところから来る感情が邪魔して何も見えなくなっているけれど、もしそれを拭い去ることが出来たなら、その時見える景色はきっとどんなものより美しい。
「・・・お、俺は、皆と、友達になりたい!」
教室中が静まり返る。
その中で、一番奥の席にいた赤い短髪の生徒が前にできた。
嘗川心平君。
鼻の上に貼られた絆創膏と頬のそばかすが印象的なぱっと見ガキ大将の様な男の子。
その嘗川君が、鋭い瞳でこう言った。
「お前が何と言おうと、俺達は人間と仲良くする気なんざ毛頭ねえ」