24話 理由
それ以降、殺伐とした空気は相変わらずのまま次の授業が始まった。
ニ限は公民。
勿論俺は上の空で、教科書とノートを机の上に出すだけ出し鉛筆を動かすことはしなかった。いや、出来なかった。
公民担当の先生も明らかに俺を避けているのが分かったし、俺一人、ここに存在していないように思われて苦しかった。
LHR以降、俺はどうしていいか分からず拳を握り締めることしか出来ずにいる。
ただただ悲しい。それ以外の感情が浮かんでくることもなかった。
「魁蘭学園の春棟、夏棟、秋棟はそれぞれ異なる学科で構成されており、2年次以降は学習内容が大きく異なり始めます。
春棟は現在霜月京最大の権力を保持している天界警察就職専門の学科、夏棟は知っての通り死神学科です。秋棟では最も多くの妖怪や神々が在学しており総合的な学習が重視されています。卒業後、一般企業や獄卒を志願している妖怪はそのまま就職し、医者や中央で働く人々、政治家は再び院に進学します」
ーーよし、逃げよう。昼休み中にでも。10分休みの間とかに席を立ったら目立ちそうだし。
卒業までの四年間このままだったら絶対にハゲる。
「冬棟は他の3つの棟と違い、卒業というものはありません。もしあるとすれば、そうですね。釈放という言い方がふさわしいです」
釈放?突然の言葉に思わず耳を傾けた。
「冬棟はただの学び舎ではなく、罪を犯した妖怪たちの強制収容所です」
え、それってつまり刑務所ってことだよな。何でそんなものが学園の中にあるんだよ。
「冬棟で刑期を終えた妖怪たちは、出所後表向きには他の妖怪と変わらない生活を送ることが出来ます。しかし、特定の罪を犯した者には一つ印を施されます」
ーー特定の罪?
「首元に真っ黒な冬の花。その印を付けることで、その妖怪は生涯を遂げるまで神の加護から外されます。
その罪とは殺人。妖怪は神の産物ではありません。よって、神の産物である人間に傷をつければ一生償えない罪となります」
なんて言い方するんだ。
そりゃあ確かに殺人はいけないことだしそれは現世でも霜月京でも変わらない。
それでも、妖怪の命が人間より軽いような、命の重さを天秤にかけるような言い方がどうしても許せなかった。
そこからの時間は酷く長く感じた。授業の内容もそうだけど、教室中の重苦しい空気が自分の身にのしかかってくるようで気持ちが悪かった。
それでも続く地獄の二、三、四限。クラスの雰囲気は最悪のまま昼休みを迎えた。
ゴーン。ゴーン。ゴーン。
よっしゃ終わった!逃げよ!
学校を途中で放り投げるのはかなり気が引けるが致仕方ない。
ここまで拒絶されているんだ。俺が逃げたところで誰も咎めないだろう。
正々堂々と正面玄関から逃げてやる。
クラスメイトの皆が気まずそうに教室から出ていくのを見送ると、俺はさっそく席を立った。
行きに登ってきた階段を急ぎ足で、それでいて目立たないように降りていく。登りと違って下りはそこまできつくない。ものの十数分で一階に辿り着くことが出来た。
玉璃って寮にも行けるのかな。典漸さんからは学園への移動のことしか教わってないけど。
取り敢えずやってみよう。
「えっと、魁蘭学生寮ーー」
「没収、だ」
言おうとしたところで、手の上から玉璃が消えてしまった。
「え、ちょ」
「絶対逃げると思った」
うげ。ナトリ。よりにもよってこのタイミングで。
「あの、返してください」
「没収って言ってんだろ。これは移動手段であって逃亡手段じゃない」
何で止めるんだよ。あんな空間にまた行けっていうのかよ。
皆とは仲良くしたいさ。でもそんなこともう叶わないじゃないか。一度あんな目を向けられたら、あんな分厚い壁を作られたらこの先どう言う風に事態が好転したとしてもまともに会話なんて出来ない。
止められたことに腹が立ってしまい、思わずナトリを睨んだ。
「なんだ。腹を立てる余裕があるのか。思ったより頑丈じゃねえか」
「いや、別に」
「・・・昼飯食ってないだろ。行くぞ」
反論する暇も与えられないまま校舎裏の公園に強制連行されてしまった。
「これやる」
「食欲ないです」
「良いから」
差し出されたアンパンとメロンパンをおずおずと受け取る。
「何で最初に言ってくれなかったんですか。その、人間があんまり好かれてないって」
腰を落ち着けて真っ先に出てきたのはその言葉だった。
あんまりというレベルではなかったのだが、実際に言葉にしたら傷つきそうだったから控えた。
「言ったらぜってえ逃げてただろ」
当たり前だ。無条件で嫌われるって分かってて行くなんて特定の嗜好を持っている人でないと有り得ない。
「俺は寧ろ最初の自己紹介の時点で言うだろうと思ってたからそっちの方が驚きだ。・・・そもそもあいつらは、嫌いっつーか、ビビってんだよ。お前に」
「ビビってる?なんで」
俺が妖怪を恐れる道理はあっても妖怪が俺を恐れる道理はないはずだ。
「聞いただろ。人間がここに来たのは700年振りだって。お前達が来るまでは数千年の歴史を持つ霜月京の中でも過去に一人しかいなかった。その人間が最後とんでもない置き土産を残していったんだよ」
え、何それ。つまりその人の印象が最悪だったから俺の印象も最悪ってことか?とんだとばっちりだ。
「安倍晴明」
安倍晴明?
ーー聞いたことがある。確か平安時代の陰陽師の人だよな。妖怪退治の。
「700年前、たった一晩で霜月京を真っ二つにし、一千二百を超える妖怪と神を跡形もなく消し去った。それだけでなく、その事件以前に奴は穢土で189人もの人間を惨殺していたんだ。最初で最後の人間がそんなことしでかした。警戒すんなっていう方が無理な話なんだよ」
ーーは?一千二百を超える妖怪と、189人の人間を惨殺?
何でそんな惨いことが出来るんだ。
唐突な内容に混乱する。避けられている理由は俺の予想していたものとは全くの別ベクトルだったし、遥かに重たかった。てか重い胃にもたれる。
「そ、それ、俺に話して大丈夫だったんですか」
そんな質問しか思い浮かばなかった。
「いつかは知ることになるんなら早いも遅いも関係ない。それに、訳も分からず避けられるのも不服だろ。別にお前が人間であることに問題があるわけじゃねえ。人間が霜月京に居ることが大問題なんだよ」
ことが大きすぎて深く考えることも憚られた。
ここでまともな学園生活を送るなんていよいよ不可能じゃないか。
「ちなみにこの話は霜月京中全ての妖怪と神々が知ってる」
何だよそれ。そんな理不尽な話があるかよ。
「ーーそれなら、い、言わなきゃ良かったんだ。俺が人間だって隠しておけば今頃こんな思いをせずに済んだのに。今の話も最初に全部話してくれていれば妖怪の振りも出来たし、あんな鋭い目を向けられることもなかった。話す機会はあったのに、なんで言ってくれなかったんだよ!」
考えることもなく感情のままに言葉を放ち、やり場のない怒りをナトリにぶつけた。俺がどれだけ仲良くなる努力をしようとそれとは関係ないところで嫌われるのならどうしようもない。嘘をついたほうが100倍ましだ。
「そしたらお前、一生そのでかい秘密隠したままあいつらと関わっていくのか?」
「し、仕方ないだろ」
「それは無理だ」
なんで。その事実を知ってたら流石の俺でもそう簡単に口は滑らせない。
「あいつらと仲良くなればなるほど後ろめたさが増すだけだし、お前が言わなくてもその事実を知ってるお前に悪意のある妖怪が口を開いたら終わりだ。700年前の件関係なく人間に恨みを持つ妖怪は多いからな。ーーそもそも」
そこまで言ってナトリは手に持っていたイチゴ牛乳を飲みほした。
「俺はそこまで心配してねえ」
「え?」
一言呟きゆっくりと立ち上がる。
「ま、ともかくよ、お前までそんな険しい顔してたら仲良くなれるもんもなれねえだろ。少なくとも自分に敵意はありませんっていう態度取ってたらいいんじゃねえの」
仲良くなれるって・・・。あんな話を聞いた後に?
「ほら、五限鬼術だぞ。体操服に着替えてこい」
「え、あ、はい!」
仲良くなれるんだろうか。
いや、なれる。
安倍晴明がどうだったかなんてどうでもいい話だ。だって俺は俺だし危険じゃない。
危険じゃないことさえ分かってくれたらクラスメイト達だって仲良くしてくれるはずだ。
昼休みを終えるころには、幾分か心が軽くなっていた。
*******
五限の鬼術の授業は屋外で行われるもので、体育とは別のものだそうだ。
着替え終わると、さっそく指定された教場に行く。
迷いそうだったのでこっそりクラスメイト達の後をついて行った。
担当はナトリ。科目名が科目名なだけにどんな内容か少し楽しみだ。
教場はグラウンドの様な場所かと思っていのだがそうではなく、森の中の大きく開けた広場だった。小さな池の様なものもある。
「今日は転入生もいるから内容は4月に戻って一時間丸々四大術の訓練をする」
四大術?格好良さげな名前だ。どういうものなんだろう。
「炎輪、炙炎だけは絶対使うんじゃねえぞ。はい解散」
――ええ!?お、終わり?待って分からん。何も分からん。
思わず声が出そうになるのを必死で抑える。大まかにも程がある。先生って柄じゃないってこういうことだったのかよ。柄ってレベルじゃねえよ。名乗ることすらおこがましいわ!
「ナナシ。放課後職員室無しにしてやるから伊坂に四大術教えてやれ。俺は他の生徒見るから」
「はあ、分かりました」
え、いいのか?さっき人間がここに居ることは不味いみたいな話したばっかなのに生徒に任せても。
てか俺避けられてるのにその相手から鬼術教わるとか何の拷問だよ。
ひ、ひでぇ。ナナシって天国の子だよな?どうしよう俺ちゃんと目合わせられるかな。
「伊坂さん?どうかしました?早くしないと怒られちゃいますよ」
「え、いや、どうかしたって、その」
俺人間だし。ナナシさんだってそんな俺に鬼術を教えるなんて嫌だろう。
遠慮が突っ走って一歩踏み出せずにいる俺をじっと見つめた後、ナナシさんは大げさに溜息をついて見せた。うむ、相変わらず性別の見分けがつかない。
「自分のことを心配しているのであれば、それは無用ってやつですよ。第一、自分は伊坂さんが人間だということくらい元から知っていましたから」
「・・・ん?」
んんんん?
「天国からこっちに帰ったあと人間が来たっていうニュース見て、あ、あの人のことかなあって」
最初からって・・・。知ってて嫌な顔してなかったのか?
「あと、自分のことはナナシって呼んでください。呼びずらいでしょうから」
そう言い終わるとナナシはドッキリが成功したように笑い髪を耳にかけた。
「さ、始めましょうか」