23話 再開×3
「でか過ぎるだろ。何の意味があるんだよこの広さ。絶対使ってないところあるだろ」
魁蘭学園に辿り着いてすぐ出てきた感想はそれだった。
敷地が広大過ぎると感動を通り越して腹が立ってくるのは現世でも霜月京でも変わらないようだ。新宿然り東京駅然り、なんでもかんでも栄えている場所に詰め込めばいいわけじゃない。百貨店とか併設されてもややこしくなるだけだ。まあここは駅じゃなくて学園なわけだけど。
「9時職員室。ギリギリだな」
流石に40分もあれば職員室くらい辿り着くだろう。地図がどれくらい宛てになるかは分からないが、親切なことに隅々まで詳しく記されているから大きな間違いは侵さない筈だ。
さあ、いよいよだ。うわ、手震えてきた。帰りたい。
「あの、君伊坂利一君?」
「うわあ!」
「うお!?」
しまった。いきなり声を掛けられたせいで思わず奇声を上げてしまった。
声を掛けてきたのは男の子だ。センター分けされたクリーム色の髪の毛と気だるげな目が印象的だが、綺麗な仕草ときっちり着こなされた制服から几帳面な性格が窺えた。
「俺は佐鳥悟。これから君が転入するクラスの委員長だ」
・・・委員長が迎えに来てくれた。すげえ。転校初日すげえ。
「い、伊坂利一です。宜しくお願いします!」
第一印象を良くしようと勢いよく頭を下げる。俺にとってのお辞儀は基本150度だ。
「お、おう。宜しく?」
返事をした後、委員長は戸惑いながらも俺と同じ角度まで深く頭を下げた。
「ま、まあ同級生で同クラなんだしこんなかしこまった感じじゃなくてもいいだろ?敬語は抜きで話そうぜ」
「え、あ、はい!うん!」
ああ、俺今同じクラスの子とタメ口で話してる。青春してる。
「職員室はこっちな」
「あ、ありがとう」
魁蘭学園は大きく分けて春棟、夏棟、秋棟、冬棟の四つの棟で構成されており、各棟に職員室が設置されている。俺の通うことになる死神学科は夏棟に当たるが、だからと言って日当たりが抜群に良いわけでもないらしい。当然である。また、クラスの名前はそれぞれの棟の季節の花で統一されている。ちなみにこれはパンフレットの情報だ。
「俺達の組の名前は梔子。向日葵とかみたいに豪華な花じゃないけどクラスは賑やかだから安心して」
マジか賑やかなのかよ。ついていけるかな。
「う、うん」
でも良かった、委員長良い人っぽい。見るからに学園生活が充実してそうな人だったから最初は気が引けたが、佐鳥君みたいな優しい人がクラスメイトなら今後の学園生活も安心だ。あ、今心の中でだけど名前で呼んじゃったや。ぐへへ。
委員長と談笑しながらであれば、職員室への道のりもあっという間に感じそうだ。
「なあ、穢土の妖怪って挨拶の時皆あんな風に頭下げんの?」
ーーー妖怪?
「あ、うん。一度頭下げたら20秒は上げちゃいけないって父さんが言ってた」
「え、それ謝罪会見じゃね」
うんうん。とっても楽しい。・・・楽しい。
「趣味とかはあんの?」
「趣味はせいふーー。いや、読書(制服カタログ)だよ!あと、小学校の時とかは母さんの付き添いでフラダンス教室行ってた!今でもたまにやるよ!」
「フ、フラダンス・・・!?」
新しい、学校、最、高。
「おい、大丈夫か?」
ちょ、階段長くないスか。かれこれ30分間急な階段を速いペースで登り続けている。何だこれ。そういうスポーツか?委員長の心配そうな声が頭上から聞こえてくるが、正直その表情を確認する余力も残っていない。
「ゼェ、ゼェ、ゼェん然、大丈夫」
「いや、そんな肺呼吸じゃ足りないみたいな呼吸されたら流石にこれ以上前に進めねえよ」
「本っ当、に、大丈夫なので」
ど、どうしようどうしようどうしよう。さっそく迷惑かけてんじゃん。絶対面倒くさいやつだと思われてる。とろい奴だって思われてる。折角仲良くなれそうだと思ったのに、見切りつけられるのは嫌だ。
「別にこの程度のことで見切りつけたりなんかしねえよ」
いやでも少なからず煩わしい思いはさせてしまっているわけで。
「寧ろそのネガティブすぎる思考が煩わしいわ」
「えっ」
何だこのデジャヴ。会話が成立してる?
俺がぱっと顔を上げると、委員長はため息をつきながら両手を上げる素振りをして見せた。
「俺、サトリなんだ。知ってると思うけど心が読める。と言っても、それは相手に触れてるときだけだし、この手袋を外さなきゃその妖力も発動しない」
ーーサトリ?妖怪の名前か?心が読める?は?え?
「じゃあ俺がさっき心の中で名前で呼んじゃったのも筒抜けだったってこと!?恥ずかしい!」
「いや、それは知らねえよ。触ってなかったし」
「あ、そうか!じゃあ俺が制服フェチなのもバレてないってことか!良かった!」
「おいお前それわざとじゃなかったらマジでやべえぞ」
ぎやああああああ!!
「ともかく、俺の配慮が足りてなかった。悪い。心ももう金輪際読まねえから安心してくれ」
え、何か冷たい?冷たくない?どっちだ?
「職員室ももうすぐそこだからーー」
「いやだああああ!見捨てないでえええ!心読んでもいいから!読まれてもいいような妄想するからああ!」
「だから見捨てねえっつってんだろ!そもそも俺はお前に限らず普段から心読まないようにしてんだよ。つーか離せ。縋りつくな。重い」
「あ、そっか。良かった~」
正直足は生まれたての小鹿のように震えていたがその言葉を聞いて元気が出た。その勢いで下を見てみると、目に飛び込んできたのは暴力的なまでの数の階段、階段、階段。明らかに学校生活に支障をきたすレベルの量だった。棟の中心は大きな吹き抜けになっており、下の階まで一望できる構造になっているわけだがーーー。
え、ここまで登ってきた俺結構すごくね?
「ほら、行くぞ。あと5分しかねえ」」
「あ、うん」
残りの力を振り絞って階段を登って行くと、あっという間に職員室に着いてしまった。
「担任呼んでくるからそこで待ってて」
「はい!」
ヤバい。改めて担任というワードを出されると鼻血が出るほど緊張してきた。女の先生かな、男の先生かな。若い先生かな、年季の入った先生かな。
こういう時ってどういう挨拶をすればいいんだ。相手が挨拶してから返すのか。いや、向こうは年上な訳だしやっぱ俺が先だよな。握手とかすんのかな。するよな。初めましての挨拶ってなんか握手するイメージあるし。もし先生がしてこなかったら俺からするべきなのかな。あ、でも図々しい奴って思われるかな。いや、でも
ーーーよし。
ガラリ。ドアが開いた。
「宜しくお願いします!」
150度のお辞儀と握手のダブルアタック。相手が握手と挨拶のタイミングをつかめず戸惑うことを見越し、敢えてこちら側からその機会を作ることで気不味い思いをするのを未然に防ぐ高等テクニックだ。
「・・・プロポーズか?」
「な?言っただろ?やべえ奴だって」
予想していた感触は返ってこなかった。てか、あれ?なんかこの声聞いたことが有るような無いようなやっぱり無いような。
そっと視線を上げた瞬間、目の前にいた人物を見て息を飲んだ。
「この間振りだな」
「・・・死神!?」
そう、俺の担任はあの日、俺が死んだ日、ジョニーと俺を迎えに来たあの死神だった。
「知り合いだったのか?」
死神の後ろで委員長が唖然とした様子で目を瞬いた。
「まあな。佐鳥、先教室戻っとけ。こいつは後で連れて行くから」
「お、おう」
死神にそう言われると、委員長はちらちらと振り返りながらもこの場を去っていった。
その背中を見送った後、死神はもう一度口を開いた。
「まだ言ってないみたいだな」
「・・・?何を、ですか?」
「今日中に分かる」
混乱しているところに訳の分からない伏線をぶち込まないで欲しい。こっちはまだ現状を把握しきれていないというのに。緊張とは別の意味で固まってしまった俺を他所に死神は手を差し出してきた。
「担任のナトリだ。担当科目は鬼術。宜しく」
「い、伊坂利一です」
「・・・」
「・・・」
目の前で死神がどう会話を弾ませようか必死で考えているのが見える。
ーーそうだ。そういえば、この死神に会ったら言いたいことがあったんだ。一生会う機会は無いだろうと思っていたけど今なら言えるはずだ。そういう空気じゃないのは分かってるけど、これだけは言っておかないと気が済まない。
「あの」
「おう、どうした」
「・・・すみませんでした。その、拘魔印のこと」
俺の言葉を聞くと同時に死神はほんの少し目を見開いた。
「なんだ、いきなり何言われるかと思えばそんなことか」
「いや、そんなことではないような気がしますけれども」
俺がジョニーに長生きして欲しいばかりに我が儘言って拘魔印を押させた。だというのに、それを頼んだ本人である俺は十数分後にトラックとの衝突事故で死亡。死神のしてくれたことはすべて水の泡になってしまった。ジョニーにはそれは確かに長生きして欲しかったけど、あの時俺が無理な頼み事をしなければ死神もあんな風に新聞の一面を飾ることにはならなかったんじゃないかと、そのことがものすごく申し訳なかった。
「んなこたあお前が気にすることじゃないし、そもそも俺も後悔してねえから謝る必要もない。その話はここで終わりだ」
「いやでも」
「あの後」
立場とかもあったはずなのに。
そう続けようとしたら、死神は遮るようにして言葉を出した。
「あの後、トラック衝突の衝撃で目を覚ましたお前の家族はリビングに下りてきて、血だらけのお前とジョニーを発見。お前は間に合わなかったが、ジョニーは最期を看取ってもらえた。拘魔印を押したおかげだ」
そっか。ジョニー。看取ってもらえたのか。最期。良かった。
・・・家族は、大丈夫だろうか。俺とジョニーを同時に失くして。
どれだけ拒んでも“死”の苦しみからは一生逃げることは出来ない。残した方も、残されたほうも。
死んでしまったことはどうにもならないが、家族のことを考えるとどうしても何も出来ない自分が情けなく感じてしまう。
「そんな顔すんな。だからまあ、謝るくらいなら礼を言ってくれ」
「あ、ありがとうございました。その、ナトリ先生」
あ、大丈夫かな。名前言うタイミング間違ってなかったかな。
「・・・ナトリでいい」
「え」
「先生って柄じゃねえ」
その台詞は教師として問題があるんじゃないだろうか。
いやでも本人の許可を得たとしても年上を呼び捨ては大分気が引けるな。徐々になじんでいく感じで頑張ろう。
「学園長は今中央に行ってるから今日はこのまま教室行くぞ」
「はい!」
あ~。いちいち緊張する。緊張するポイントが多すぎてまたかよってなる。これはあれかな、転校生あるあるなのかな。てか、また階段かよ。もう足動かねえ。
そう思ってげんなりしていたのだが、今日限定で職員専用のエレベーターに乗ることが出来た。時短とのことだ。明日以降は階段対策を本気で考えておかないと大変なことになりそうだ。
そんなことを考えている間にあっという間に教室の階に辿り着いてしまった。
「エレベーターのボタンに3桁の数字が刻まれているの初めて見ました」
「それに地下の階数も付け加えとけ。こんだけデカい校舎建てといて各棟まともに使ってる場所半分もないんだぜ?殺意湧くだろ」
マジかよ。じゃあ職員室下の階に移動させようぜ。
「ほら、着いたぞ」
馬鹿長い廊下をそんな話をしながら歩いていると、いつの間にか教室に着いてしまった。
“梔子”
「今日からここがお前の学び舎だ」
ゴクリ。うわ、唐突に帰りたい。ただでさえ新しい場所は緊張するのに、ここはそれどころか妖怪と神様の学校だ。緊張と恐怖で心臓が痛くなってきた。
え、自己紹介とかするよな。一応昨日練習したけど。
ナトリがドアに手を掛ける。
そう言えばカンペ。カンペ持ってきたんだった。
俺がポケットからカンペを出すのとナトリか教室のドアを開けるのは、ほぼ同時だった。
そして、次の瞬間にはナトリは目の前から消えていて、大きな破壊音とともにドアが真っ二つに割れていた。
「ひいぃぃぃぃ!」
「このクソ紙がぁぁぁ!今日という今日は燃やしてやる!お前があたしにぶつかったせいで世界救えなかったじゃねえか!」
「元から負けてたじゃないか!というか、ラスボスと戦う前に何でセーブしてなかったのさ!」
教室の扉を突き破って出てきたのは、ふんわりおかっぱの黒髪の少女と・・・紙?だった。
「あと僕は紙じゃないよ!ポリエステルだよ!」
ポリエステルらしい。
「うるせえ!セーブしている間にも世界には厄災が降りかかり続けているんだと思ったら指が止まらなかったんだよ!」
「え、え、それってただ単に君が興奮して突っ走っちゃっただけじゃ・・・ぎゃあぁぁ!」
も、燃やされた。あまりの急な展開に身動きを取れずにいると、消えていた、いや、吹っ飛ばされていたナトリが戻ってきた。
「校舎内ではゲームは勿論電子機器類の使用は一切禁止だ。お前は世界を救う前にまず己の現実と向き合え。反省文が20枚溜まってんだよ。さっさと提出しろ」
ポリエステルは?ポリエステルは?
「世界を救ったというのに誰から褒められることなく、受け入れられることなく隅に隅に追いやられていく。真の悪魔とは民衆の心の中に潜んでいるものなんだな」
「よーし、全員席に着け。朝礼始めるぞ」
何事もなかったかのように皆それぞれの席に戻っていく。
「ぽ、ポリエステルは?」
ドアは?火は?
「あ、今のはギャグの負傷だから次の行には元に戻るよ!」
「うわあ!」
「そもそも僕の布には火炎耐性の鬼術が練りこまれてるから火じゃ燃えないよ~」
ぬ、布が喋ってる・・・。口と目がついてる。あと手も。
「僕は一反木綿の野口。宜しくね」
「い、伊坂利一です。宜しく」
もうなにも驚くまい。非常に心臓に悪い出来事だったが、おかげで緊張はどこかに飛んで行ってしまった。なんだかんだ言ってここまで会ってきた人皆親切だし、もしかしたら安心してしまっても大丈夫なんじゃないだろうか。
「そこの二人。自己紹介はこっちでしろ」
ナトリに言われるがまま教室に入ると、瞬間、全員の視線がこちらに向いた。
「ひぃっ」
前言撤回。やっぱ緊張する。やっぱ無理。
「あ」
俺が視線の浴びすぎでアレルギー反応を起こしていると、静けさを破るようにして誰かが言葉を発した。
なんだ?
恐る恐る視線を上げてみると、とんでもなく見覚えのある一人の子と目が合った。そう、あの夜、月明かりの下、草原で俺の命を救い干し柿までくれたーー
「天国の」
「ストップ!」
「もがっ」
全て言い終わる前に俺の口は得体のしれないものに塞がれてしまっていた。なんだこの物体。てか、今これあの子の手から出てきたよな?
俺の口を塞いでいるのは青白く光る、手。干し柿の子の動きと連動しているようだった。
むぐむぐとあがいていると、それを見兼ねたナトリが俺の口から手を外してくれた。
「知り合いがいたようで何よりだ。あとナナシ。放課後職員室来い」
「・・・天国なんて行ってません」
「話は後で聞く」
チクられた。そう小さく呟くと天国の少年は不服そうに席に着いた。あれ、俺今恩をあだで返してしまった感じがする。どうしよう。
「自己紹介はまだかね?」
折角の再会なはずなのに何故か状況が好ましくない。俺が慌てふためいていると、奥の席から鶴の一声が降りてきた。
「あ、はい!え、穢土から来た、い、伊坂利一です。好きなもの、食べ物はぜんざい。血液型はA型です。趣味は読書(制服カタログ)とかフラダンスとか、です。宜しくお願いします」
促されたまま勢いで言えた。
でも、途中変になった。どうしよう、嗤われてしまうだろうか。
てかあれ?いま催促してくれた子も滅茶苦茶見覚えがある。それどころか
「君、今朝のーー」
言おうとした言葉は勢いのある拍手によって掻き消された。
「宜しく~」
「ぎゃはは!フラダンスって!」
「ナイスファイト!」
「宜しくねぇ~」
「フラダンスで全部持ってかれたんだけど」
今朝の子、制服着てると思ったら同じクラスだったのか。佐鳥君もいる。
てか、すげえ歓迎されてんじゃん俺。こんなこと、生きている間は一度もなかった。
嬉しい。死ぬほどうれしい。もう死んでるけど。
「席は汐の隣な。2限始まるまで好きに紹介し合え」
そう言ってナトリは黒板の近くにあった椅子に腰かけ日誌を読み始めた。
「こっちです」
教室がざわめいている中、一人の少年が片腕を挙げて空席を指さした。
「あ、ありがとう。えっと」
「人形神の汐です。宜しくお願いします」
「よ、よろしく!」
読みかけの本を閉じて挨拶してくれたのは、短めの黒髪を六四分けした瞳の大きい優し気な少年だった。背筋が伸びていて佇まいも上品で、なんというか、華道とかしていそうだ。
俺が席に着いた瞬間、席の周りには沢山のクラスメイトが集まってきた。
「なあなあ、穢土のことについて聞かせてくれよ!」
「人間って乗り物めっちゃ使うんだろ?何種類くらいあんの?」
「穢土って学校多いんだろ?」
「霜月京は初めてなん?」
「この時期に転入なんて珍しいな~」
し、質問攻め!
「あ、ええっと」
俺が対応の困っていると、隣から助け船が降りてきた。
「そんなに一気に聞いても答えられる訳ないでしょう。そもそも、相手に何かものを聞くときは最初に自分が名乗ることが礼儀です。それにこんなに大勢が群がっているのですから、質問するならせめて挙手してからしてください・・・と、伊坂さんが言っています」
ーー言ってねえ!
でも助かった。汐君の言葉のおかげで皆ゆっくり質問をしてくれるようになった。わりときつめの言い方だったのに誰一人として嫌な顔をしなかったのは、彼の人望あってこそなのだろう。相変わらず本を読んでいる彼に心の中で感謝する。
「僕は一目入道の百目鬼宗久。穢土と霜月京って、どっちのほうが妖怪多いの?」
--でけえ!
「えっと、それは俺も良く分かんないや」
凄い。俺、こんなに沢山の人いや妖怪に好意的な視線向けられたの初めてだ。
知ってる人3人もいるし、皆優しいし、典漸さんの言っていた通りここでの生活は心配するどころかかなり充実させることが出来そうだ。
「うち、化狸の狸田ぽん豆!伊坂君って、結局なんの妖怪なの?」
ーー可愛い。
「俺、妖怪じゃなくて人間なんだ。だからーー」
妖怪のことはよく知らないから教えて欲しい。そう言おうとしたのだが、その言葉を発することは出来なかった。
あれ、なんでいきなりこんなに静かになったんだ?
沈黙する場面とかあったかな。
「えっと」
ピリピリとした空気が頬に痛い。俺、また何かやらかしたのだろうか。
「言っていい冗談と悪い冗談がありますよ。伊坂さん」
表情を見なくても分かったし。声色は変わっていなくても嫌でも感じた。汐君は、怒っている。
そしてクラスメイト達は、戸惑っている。
ーー俺が、人間だからか?だとしても、たったそれだけのことでなんでこんな目で見られなきゃいけないんだ?
「じ、冗談じゃなくて、俺は、本当に」
ここで嘘をつけたらどんなに良かったか。でも、皆んなの真剣な表情を見たら誤魔化したい心情とは裏腹に嘘を吐くことは出来なかった。
なんなんだよこの状況。さっきの質問からして、人間が嫌いな雰囲気じゃなかったのに。
視線が痛い。声が震える。足も手も強張って動かない。それでも空気を少しでも和ませようと、引きつった笑みを浮かべて見せた。
耳が痛くなるほどの沈黙が教室を支配する。それを破るようにして、佐鳥君が声を発した。
「ニュースで取り上げられてた人間が霜月京に二人来たって話。それお前のことか?」
さっきまでの彼からは想像も出来ないほどの険しい表情。何故こんな目を向けられなければならないのか、訳がわからなかった。
そう言えば、典漸さんが俺と別にもう一人人間の少年がいるって言っていた気がする。
「ニュース、見てないから、分からない」
「700年振りって言ってたやつだよな」
「あれマジだったのかよ」
「何でこんなとこに」
700年振りって何だよ。それに何の問題があるんだよ。さっきまであんなに優しかったのに。
ここまで激しい敵意を向けられたことは、一度もたりともなかった。
こんなにも一瞬で人の表情が歪む光景を自分が目の当たりにすることになるとは夢にも思わなかった。
空気が重い。喉の奥がきゅっと締まって痛かった。
ーーゴーン。ゴーン。ゴーン。
2限の終わりを告げる鐘が鳴る。
「全員席に着け。LHRはこれで終わりだ」
最初とは別の意味で帰りたくなった。