15話 風輪
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「ガハッ!!ゲホッゲホッゲホッ!!
・・・あれ?どうなってんだ?」
ーー生きてる。いや、正確には死んでるんだけど、意識がある。
間違いなく一度気を失ったはずなのに。
水だってめいいっぱい吸い込んだと思っていたのだが、そんな形跡はこれっぽっちも残っていなかった。
ーーてか、呼吸出来てる?
どういう状況だ?
身体は相も変わらず暗闇の中に浮かんでいる。
しかしさっきとは違い今はもう水に沈んではいないし、そもそも水の中なのかさえ分からない。
ただただ、上も下も、右も左も分からない何処までも真っ黒な暗闇の中にいた。
ーーもし地獄が存在したなら、こんな感じの場所なのかもしれないな。
『金輪などと並列にするな』
「うおっ!?」
ぼんやりと感想を思い浮かべでいると、どこかから身体を振動させるように声が聞こえてきた。
それと同時に暗闇が蠢く。
ーーな、何だ!?いきなり。
『久しぶりの客人が来たかと思えば、穢土の者がここに何の用だ』
「え、えど?」
何だこの声。はっきりと聞こえてくるのに、どこからのものなのかが全く感知出来ない。
何かを引き摺るような音とともに暗闇が動いた。
『穢土を知らないか。無知な餓鬼だ』
・・・・ズ、ズズズ・・・
声が呆れた様にそう言うなり、ズルズルと大きな音を立てて暗闇が一転に集中し始め、あっという間に声の正体が俺の視界を埋めつくしてしまった。
ーーなんだ?
『ここは風輪。金輪の下の、水輪の下の、風輪だ』
「ーーーぅぁ」
現れたのはそれはそれは巨大な、本当に巨大な黒龍だった。
余りのおどろおどろしい姿に悲鳴すら上がらない。
『怯えるな。煩わしい。これでも貴様に合わせて最大まで縮んでやっておるのだ。言っておくが、儂の本来の姿は金輪よりも巨大だぞ』
そういわれつつも喋るたびに巻き起こる風に飛ばされそうになる。
暗闇が動いていたと思っていたのはこいつだったらしい。
大きすぎてもはや顔全体すら確認できないのだが、鱗の形状と長すぎて分からないが髭っぽいものがあるのを見る限りあの伝説の生物に間違いないようだった。
怖っえぇ。でっけえ。
つーか何でこんなにはっきり見えるんだこいつ。こんな真っ暗闇の中に黒い奴がいたって普通見えないだろ。
『それは儂の体内の霊素の濃度ががここの空間よりも高いからだ』
「いや、そもそも霊素が何なのか分かんねえよ・・・え?」
何か会話が成り立っている気がするんですけど。
『物体に内在している霊力のことだ、戯けが』
いや、流石に俺の気のせいだよな?
『聞こえておるぞ』
・・・まじで?
『利益のない嘘はつかぬ』
言葉にならない。俺の心読まれてるってことか?嫌すぎる。
『嫌なら喋れ。貴様が黙ったままだからこちらが合わせてやっておるのだ』
その言葉を聞いた瞬間慌てって口を開いた。読心されながらの会話をするくらいなら普通に話す方がまだましだ。
「いや、すみません、驚いてしまってあの、貴方は誰でしょうか?」
『ここの主だ。そもそも儂しか居ないがな』
「こことは、どこでしょうか?」
心を読まれるのが嫌なので思ったことは迷わず質問していくことにした。
『先程言っただろう、風輪だ』
「・・・その、風輪が何処なのかさっぱり分かりません」
『まあ無理もないな。風輪はこの世の最低辺。金輪より更に下の下の場所だ。下過ぎて虚空だなどという輩もいる」
「は、はあ・・・・」
やっべえ、金輪が分からない。
そう思うよりも早く、黒龍が反応した。
『金輪も知らんのか!恥を知れ!』
「す、すみません」
怒ると怖いからやめて欲しい。
「ーーいや、てか心読むなよ!」
『読んでおらん!聞こえてきただけだ!』
「変わんねえよ!」
畜生。無知なことが筒抜けになる感じがすごく恥ずかしい。
『き、貴様!誰に向かって口をきいておる!儂はこの風輪の主だぞ!』
「さっき自分しかいないって言ってただろ」
俺がこの世界のことを知らないのは自分で言うのは何だが不可抗力だし、だからといって目の前で顔を赤くして激憤しているこの黒龍が、俺がなにも知らないことを知らないのも無理はない。
お互い非はないんだろうが、何か腹立つこいつの言い方。
『ぐぬう。・・・ふんっ!金輪のことなど教えてやらんわ!その無能も自分で何とかするんだな!貴様のような呪い持ちには孤独がお似合いだわい』
ーー呪い?
「なんだそれ」
『呪いも知らんのか!?』
黒龍はかっとは目を見開いた後、小馬鹿にしたように鼻で笑った。が、
「流石に言葉の意味は分かるけど」
俺がそう言った途端詰まらなそうにため息をついた。
仕草が騒がしいなこいつ。
てか、俺が無知で馬鹿な方が嬉しいみたいな反応しやがってこの野郎。
俺がそんなことを考えていると、黒龍は突然声色を落としていった。
『・・・お主、ここに来る前何処にいた』
「えっと、天国だけど」
『・・・天国、だと?』
「?あ、ああ」
その言葉を発した瞬間、空間が揺れた。
『はっ!あっはっはっはっっはっはっはっはっはっ!!!!』
「ちょっ!おわっ!」
黒龍が大笑いをし始めた。全身が音圧でビリビリと震える。衝撃で吹き飛ばされそうになるのをぐっとこらえた。
何だいきなり。
『馬鹿か、お主が金輪、それも極楽浄土で暮らしてまともでいられるわけがなかろうて』
「そりゃあ、生活に難はあったけど・・・」
いや、難どころではなかったな。危うく第二の死を迎えるところだった。
『阿呆。無事でないのはお主ではなく、極楽浄土のほうじゃ』
「はあ?いや、そんなことはーーー」
『お主のソレは、“陽”を喰うぞ』
陽?喰らう?
『お主のソレは強力だぞ。儂と互角かそれ以上だ。そんなお主が浄土に行くなど、金輪にとっては害悪でしかなかろう。金輪際でも水輪でもなく風輪に落ちてきたのが何よりの証拠だ』
「・・・害悪って」
酷い言われようだ。
正直何を言われているのか良く分からないが、褒められてないことだけは分かった。
『それにしても面白い。その話が事実ならば、今上はさぞかし騒がしかろう』
「いや、話が見えてこねえよ!」
『気に入った』
ーーービュン!!!
一瞬、大きな風が吹いたと思えば、黒龍は目の前から居なくなってしまった。
いや、違う。戻ったのだ。元の大きさに。
暗闇が蠢く。
それと同時に荒ぶるような風が吹き始めた。
「おい!風は飛ばされるからやめろって!!」
『選択しろ、小僧。一生ここで孤独に暮らすか、儂の器となり共に上へ行くか』
風が強過ぎて視界が霞む。
「は!?どっちも嫌だよ!」
『祭りだ、祭り。壊すのだ!この世界を!』
「勝手に話を進めてんじゃねえっ!」
風がうるさい。
『さっさと儂を受け入れろ、小僧』
ーーズンッという音とともに、体に強い衝撃が加わるのが分かった。
「カハッ・・・・!!」
何なんだよ、もう。
風が吹きやんだ。
再び声が聞こえた。
・・・今度は、自分の体の内側から。
『気づけよ小僧。厄災はお主自身だ』