最愛の人
彼と会ったのは中学に上がってからの事でした。
中学デビューに失敗した私は一人でいることが多かったのですが彼はそんな私に声を掛けてくれました。
勿論、嬉しくないわけがありません。
直ぐに打ち解け友達になりました。
その頃は良かったです。
暫くすると他にも友達が出来ました。
彼女達と話しているにも関わらず彼は話しかけてきました。
女だけの集まりに男が入って来ると何となくリズムが狂ってしまいます。
私も強く言い出せる性格では無かったので曖昧な笑みを浮かべるだけでした。
いつしか彼は私の顔や肩に触れてくるようになりました。
怖くなった私は同じ吹奏楽部に所属していたS君と一緒にいるようにしました。
本音を言えば助けて欲しかったのですが言いだせませんでした。
何せ特に何もされていないからです。
彼のしていることといったらほんの少し距離が近いだけなのです。
文句を言って自意識過剰と見られるのは何よりも恥ずかしいことでした。
上手くいったように思えました。
S君のお陰かそれとも彼も忙しかったのか暫く疎遠になりました。
もしかしたら全部私の勘違いだったのかもしれない。
彼も単に友達が欲しかっただけなのかもしれない。
そんな風に自分を恥じる気持ちさえ有りました。
ある時、何故かS君がよそよそしくなりました。
これまでは何となく一緒に帰っていましたがそれが無くなりました。
勇気を持って自分から声を掛けて観ましたが気まずそうに視線を逸らされました。
付き合っていたわけでもないので問題無いはずです。
ですが何かに置き去りにされたような気分に成りました。
呆然と立ち尽くしていると声を掛けられました。
振り向くと彼が立っていました。
一緒に帰らないかと誘われ断るのも変だったので一緒に帰ることにしました。
並んで歩いていると手の甲が良くぶつかりました。
嫌だったのですが離れて歩いてとは言いだせませんでした。
私の顔は真っ赤だったことでしょう。
それは夕日の為ではなく完全に羞恥からくるものでした。
あいつには話つけといたから。
そう言われ反射的にS君の事だと分かりました。
しかし話の内容までは分かりませんでした。
もしかしたら自分が知らないだけで二人は知り合いだったのかもしれない。
そんな想像をしました。
彼は自分がS君に私に近づかないよう釘を刺したと言いました。
足元が崩れるような気分に襲われました。
それから事あるごとに彼は私に付きまといました。
教室を移動する時も行事の際も。
それを見ていたクラスメイト達は笑って私達をくっつけようとしました。
もう学校生活は苦痛でしか有りませんでした。
ある時思い切って言ってみたことが有りました。
私はあなたのことなど好きでもなんでもない。
つきまとわないでくれ。
そうはっきり言いました。
怒られると思いました。
殴られるかもしれません。
ですがスッキリしていました。
これで終わる。
やっと嫌われる事が出来る。
恐る恐る顔を上げました。
彼は笑っていました。
それはまるで指を甘噛みしてきた子猫を見るような目でした。
私の言いたいことが何一つ伝わっていない事が分かりました。
彼は何事もなかったかのように私の手を取ると歩き出しました。
もう逆らう気力など有りませんでした。
それからも彼は変わることなく私につきまとい続けました
指を絡めて繋ぐことを強要され腰に腕を回されました。
周りのみんなはそれを見て祝福する様に笑っていました。
もう限界でした。
周りの景色もよく見なくなりました。
少しでも彼を視界に入れたくなかったからです。
朝学校への道を歩いていると呼び止められました。
彼です。
見なくても分かりました。
聞こえなかったことにして道を渡りました。
大きな声で呼び止められますが急いで渡りました。
甲高い音と共に衝撃が走ります。
鼻の奥にツンとした味を感じました。
青い空を久しぶりに見た気がしました。
ほんの少し心が軽くなった気がしました。
遮るものが有りました。
彼が私を覗き込んでいました。
必死な顔で何かを叫んでいるようです。
退いてほしいな。
残念に思いながら意識を手離した。
目を覚ますとそこは自分部屋ではありませんでした。
昔、親戚の家に泊まった時のような違和感がありました。
頭はすっきりしていたが体は上手く動きませんでした。
どうやら昼のようです。
暖色系で統一された室内が光に溢れていました。
そのままボンヤリしていると白衣を纏った男女が現れ慌ただしく動きだしました。
脇に置かれていた機器を確認しペンライトが目の前で振られました。
邪魔しないようにじっとしていると事務的な口調で時間が確認されます。
暫くすると両親が入ってきました。
入ってくるなり母親は罵声を浴びせてきました。
驚きはしません。
こういう人であることは分かっていました。
聞き流していると父親が止めてくれました。
無感情に眺めていると色々と教えてくれました。
どうやら事故に合って私は10年眠っていたようです。
其れを聞いて私はホッとしました。
自分の事を理解してくれなかった世界をリセット出来たのです。
苦労ももちろんあるでしょう。
ですがあのままいくのよりはましなはずです。
窓から見える青空を見上げていると母が話しかけてきました。
言いたい事をいってスッキリしたからか落ち着いた口調でした。
どうやら紹介したい人が居るようです。
母の言葉によると私は様々な迷惑をその人に掛けてしまったようです。
その人はほぼ毎日お見舞いに来て私を励ましてくれた上、入院費も何割か負担してくれたとか。
確かに感謝するべきです。
ですが何故か泥を呑み込んだような気分になりました。
さっき連絡すると仕事中にも関わらず向ってくれるとか。
私は首を倒して扉を向きました。
足音が聞こえてきます。
病院廊下を走るなと親に言われなかったのでしょうか。
扉が開け放たれました。
其処には彼が立っていました。
スーツ姿で手には花束を持っていました。
花屋で適当に包んでもらったのでしょう。
色とりどりの花弁が揺れています。
彼は私の顔を確認すると涙さえ零しながらこう言いました。
おかえり