変えたい、変わりたい、君によって。
教室のドアがノックされ、開けると見慣れた顔が現れた。
「どうして今日も来るんですか」
「お前だって来てんじゃねぇか」
「私の教室です!」
「ふはっ、知るかよ」
いつもきっちり着ている制服。
着崩し始めた彼の、空気が違うことに気付く。
「?……なんかお疲れですか?」
「……なんもねぇよ」
憂いを持った笑み。
ドアの前を開け教室へと入れる。
「(なんかあったのかな?)……コーヒーでいいですね」
訊かない方がいいのかと、
そっとして置く。
「お前ちょろすぎ。あ、砂糖いれんなよ」
「!!(クッそうっ!あの猫被りに騙された!)何もないんですか!」
「何かあったなんて言ってねぇだろ。お前が勝手に勘違いしたんだよ」
「……(砂糖めちゃんこに入れてやろうかな?)」
「お前が飲めよ」
「……黒井さんは心を読む能力を持ってるのですか?」
「はっ、な訳ねぇだろ。お前が分かりやすいんだよ」
小さな音を立ててコーヒーを置く。
今日のおやつはマドレーヌ。
横目に真を見れば、飽きずにあの薬学の論文書を開いてソファに寛いでいた。
そして変わらずカフェオレにマドレーヌを頬張る雛依。
(けど、やっぱり何かあったんですかね……)
何もないと言っておきながらも、やはり真からはいつもと違う空気がある。
「……」
保健室で氷の結晶を吹きかけられて以来、身体が軽いだけじゃなく、清々しい程に気分がいい。
そして毒されてしまったかの様に、雛依の隣が酷く心地い真。
(あぁ、だからあの時『手を打つ』って言ってたのか……)
餌付けされた動物の様だ。
一度味わったあの出来事が、雛依が出す空気を美味しく感じさせる。
得をしたくて雛依の側にいる訳ではない。
餌付けされて側にいるのも癪だ。
だがそれすらも気にならない程、雛依の隣を気に入ってる自分に、真の中で燻っていた気持ちが晴れて行く。
「黒井さん、次英語ですけど行きますよね?」
「……行く」
「では、先に行って下さい」
真を考えの海から引き揚げた本人が、さりげなく視線を外す。
後片付けをしてから行くので…と言った雛依に真は不敵に笑った。
「その手には乗らねぇよ。……あぁ違うな、」
彼は目を細め、活き活きとした笑みと反対なことを言った。
「そんな寂しいことを言わないで一緒に行こうよ…一条さん?」
語尾が少し上がり、楽しんでいることも隠さずに口元を歪ませる。
「い、嫌ですよ!黒井さんと一緒に移動教室なんて、自殺行為です!」
「ひどい言われようだなぁ」
「傷付いた、みたいな顔と声を作っても意味ありませんよ」
「はっ、……教室に着いたら解放してやるよ」
「それでは意味がないんですってば!とにかく先に行ってて下さい!」
「…うるせぇ、お前も来んだよ」
雛依の嘆き声なんて完全スルーで、部屋と化してる教室から連れ出す。
「もう、何てことでしょう……。授業中ですら突き刺さる視線…明日から女子の対応に追われる…」
腕を掴まれたまま選択授業に来た雛依。
道中色めき立った女子を、苦笑いでやり過ごすした。
「あ?それは俺も一緒だろうが」
「女の子は陰湿なんですよ」
「……お前に勝てる奴がいたら見てみてぇよ」
権力も能力も。
「なんと!か弱い乙女に向かって」
「ふはっ、どこがだよ。お前が自己防衛すらできないくらいか弱かったら、こんな遊びに巻き込んでねぇよ」
てか、話しすらしてねぇよ。とさらりと続いた言葉は計算か……なんて思う間もなく雛依の心は喜んでしまう。
「…くっそう…遊ばれてる…。お口がお上手なんですから」
「バァカ、…ま、精々頑張れよ」
「………、黒井さんもですよ」
「!……ふはっ」
落ち着いた声で告げた意味を汲み取った真は、楽しそうに笑い席を立つ。
そして、爽やか過ぎる笑みを浮かべて、周りに挨拶をし教室を出て行く。
「……」
処置した時こそ薄れたが日に日に増していった、足に巻き付いた渦。
(先程の一件が一番増しましたね……やっぱり2人で来るのはまずかったかな…いや、来方が悪かった…)
不穏な流れに億劫になりながらも、雛依も帰る支度をする。
(足、大事にならなければいいけど……)
これから起こるであろう不運な出来事。
今はいない彼の背中を想い、足を進めた。
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(あいつの周りが居心地がいい)
変わる日々と変わらない物がとてつもなく怖い
(俺は変われない)
抱えてる闇があるから。