焦がれた距離に錯覚しそうになる。
「どうしてここにいるのかな?」
「黒井さん……」
真は職員室に寄ったついでに空き教室にサボりに行こうとして、上った階段の先で思わぬ遭遇をした。
「ここ、職員しか使わない職員棟だよね?」
違ったかな?なんてコテンと顔を傾けるあざとさ。
気まずそうな表情の雛依を余所に、真はニヤつかせる。
「職員室なら2階だよね?なんで一条さんはこの空き教室しかない4階にいるのかな?」
「(猫かぶり…)少し探検をしてみようと「しかも、それ、ケトルだよね?」
確信付いてる真を欺こうなんて自殺行為。
しようとするなら、後日何か報復がくるに違いない。
「はい、ごめんなさい」
「ふはっ、案内しろよ」
「…くっ、(猫かぶりが)」
「似た者同士だろうが」
「…飲み物、紅茶とコーヒーしかないですけど!」
「コーヒー」
観念して雛依が案内した空き教室は、いい感じに改良された一つの部屋だった。
もともと綺麗な教室だ。使いやすいソファとローテーブル、ラグや日常品を置けばただの部屋になる。
「砂糖とミルクは?」
「いらねぇ」
甘いのを想像したのか顔を顰めた。
コト、と置かれるコーヒーとビスケットとクッキー
「キッチンまであんのか」
「小さいですけどね。先生が使った教室を頂いて過ごしやすい部屋にしちゃいました」
自分はカフェオレにした飲み物を置いて、ビスケットに手を伸ばす。
「お前…クラス違うから気付かなかったけど、ほとんどここにいんの?」
「うーん、…まぁ必要な授業以外はここにいる事が多いですね」
「ふはっ、引きこもりじゃねぇか」
「授業サボる不良に言われたくないです」
「誰が不良だ……課題は終わらせてるに決まってんだろ」
「あ、ちょ、頭ギリギリするのやめて下さい。握り潰さないで!すごく痛い!」
「…ざまぁねぇな」
「素晴らしいほどのゲス顏ですね!男女で不利ですよ!公平にいきましょ!」
「いや、能力持ってる時点でお前のが有利だろ」
「…………」
「それもそうか」と雛依はカフェオレに手を伸ばす。
保健室の一件から、雛依の口調は少しだが砕け、壁も壊れたような気がして真は心地よい優越感に浸れた。
真にとって雛依は特別になりつつある。
それが恋愛なのか友情なのかはまだ分からないが、特別な存在ではあるのだ。
「……」
「……」
横目でチラリと真を見れば、雛依が読んでいた本を拾い読み始める。
いつまでいるの?と訊いてみたいが聴きたくない気もする。理解できない淡い気持ちを手のひらに出すように、氷の塊を造る。
クルクルと回転させて氷の妖精を創る。
手のひらの上で、生きているかの様に舞って遊んでいる。
「ふふ、こんにちわ」
雛依の言葉に合わせて可愛らしくお辞儀をする妖精。
背後に人の気配を感じて、真という客人がいる事を思す。
「ワぁっ!ビックリしました!背後にいるならいると言ってくださいよ!」
「呼んだのに気付かないお前が悪い」
「すみません思った以上に集中してたみたいで……、何かありました?」
「…いや、……お前、普段は鍵閉めとけよ」
真は念を押すように言い、雛依が頷いたのを確認して氷の妖精に目を移す。
「…私が創り出した妖精です。私の目の届く所までなら生きたように動かせるんです」
手のひらから軽く飛ばせて見せる。
「………笑いますか?」
「なんで笑うんだよ」
「…この歳になっても妖精と遊んでるからです…」
雛依の心を表すように妖精の顔が悲しみに染まる。
「……綺麗だな」
「!」
目を見開いた雛依の横から、そっと妖精の頬を撫でれば、妖精は擦り寄る様に頬を寄せる。
「綺麗だよ」
離れ際に雛依の頭を撫でる。
「……そのポンポン、好きです」
くすっと笑いながら猫なで声を出せば、チッと舌打ちをして離れて行く。
「……」
そして何事もなかったかのようにソファで寛ぎ、本を読み始める。
(あの寛ぎ方をファンの方にも見せてあげたい…きっと夢が壊れるでしょうね)
「おい、いま失礼な事考えただろ」
ビクッと肩が揺れて慌てて話を反らす。
「その論文読んでて楽しいですか?」
「チッ、話の反らし方が雑なんだよ…てか、お前のだろ」
「だから聞いたんですよ。楽しいとは思えないので…」
「ふはっ、楽しくないのに読んでたのかよ」
「私には頭が痛い文章です」
「は?…薬学についてじゃねぇか。お前の分野だろ?」
「私の薬は自家栽培です!特殊能力栽培です!!」
なので、そこに書いてあるような副作用もありませんよ!と明るく続く。
ヤブ医者みたいな謳い文句だな…と漏らされた不安は聞き流した。
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一歩一歩近づくことが怖いのに、一つ一つ知ることに、知られることに、堪らなく嬉しくなる。
温もりを感じられる距離に頬が緩む。
焦がれた距離はこの距離だと錯覚しそうになる。