距離に焦がれるのは明日。
その翌日、雛依は登校してきた。
「一宮さん大丈夫?」
「えぇ。もうだいぶ良くなりました」
「一宮さん、風邪ひいてたの?」
「あ、いえ。ただの体調不良です…」
「新しい環境で疲れちゃった?」
「ふふっ、皆んなと仲良くなりたくて、頑張りすぎちゃったのかもしれませんね」
と鈴の様に笑う。
選択授業の教室に来れば、いつもの席に雛依は数人に囲まれていて、真が訊きたいことをあれこれと訊かれていた。
ふ、と視線だけを真に合わせた雛依は、困った様に眉を下げる。
(今日話すのは無理だな…)
大人しく違う席に座ると、さも当たり前のように香水の臭いが隣から漂う。
(…チッ)
空いてしまった距離に明日を焦がれる。
「一宮さん、まだ具合悪い?」
「えぇ。1週間もだらけていたら体が重くなってしまいました」
と、柔らかく友人に笑みを溢すも、辛そうだ。
「私の脳細胞が死んでしまう前に、保健室で休んできますね」
大きめのポーチを掴み、サボりにでも行くかのように明るくそう告げると席を立った。
「一宮さん、具合悪いの?」
先生に保健室に行く旨を伝えると、扉付近で中野に声をかけられる。
「久しぶりの授業で疲れちゃっただけです。……所謂、サボりってやつですね」
ふふっ、と和かに笑い中野にお礼を言って教室を後にする。
(…っはぁ、まだちょっと早かったかな…っ、身体が辛いっ…)
教室から少し離れた曲がり角で、蹲る。
「薬…飲まなきゃ」
鼓動と一緒にズキズキ痛む頭を持ち上げると、何処かの教室の扉を閉める音が聞こえた。
「!(誰かこっちにくる…頭、…痛いのに……)」
痛む身体に鞭を打ち、ノロノロと立ち上がる。
「わっ、びっくりした。黒井さんでしたか……少しぶりですね」
綺麗に笑えてるだろうか…?
雛依は不安になった。
「………お前、具合悪りぃんだって?」
「えぇ、でも大したことないですよ」
「……ふーん、あそ」
ふわりと真から香る女物の香水の匂いに、気持ち悪くなる。
「……お久しぶりなのに、つれないですね…」
うまく回らない舌にスローテンポの返しになって、いつものように被ることができない。
「当たり前だ。1週間も休みやがって。おかげでこっちは香水臭くせぇんだよ。……お前の様子を見に行くって、サボりの口実にしてるから宜しく」
「…病人をダシに使うなんて、酷い方ですね」
違う。こんな言葉を言いたい訳じゃないのに……と後悔の念が押し寄せて頭が痛くなる。
「うるせぇよ。…保健室行くんだろ?早く行け」
引き攣る雛依の頬を優しく撫でて、真は上の階へ足を運んだ。
「っ、(よかった…)」
身体に力を入れた分、痛みが増して壁に寄りかかる。
(こんな姿見られたくない…)
グラグラと揺れる頭を、抑えるように目を閉じ、片手で目から額を押さえた。
「いっ、、たい」
「なに、頭痛ぇの?」
「!」
再び聞こえる声に『なんで!?』と雛依が顔を上げると、先程立ち去った筈の真が立っていた。
「ッ!!」
急に動いた反動で、激痛と目眩に襲われ足がふらつく。
「あっ、ぶね………っ、…!」
ふらついた足が安定され、同時に腰に温もりを感じた。
知らない匂いに混じって真の匂いが鼻に届き、無性に泣きたくなってブレザーから覗く彼のセーターに顔を埋める。
「……あたま、…いたいの、」
泣き出してしまいそうな、知った彼の匂い。
頭に添えられた手に甘えたくなる。
「力抜いてろ、……暴れるなよ」
頭から首、首から背中に降りていく手に、寂しさを感じていると極力ゆっくりとした浮遊感を感じ、雛依は真に体を寄せた。
「ん、首もてば?」
踏み出す振動に、言われた通り白い首に手を回す。
段差の低い階段を、なるべく揺れないように降りてくれる彼に、徐々に身体の力が抜けていく。
「…ありがと、」
くぐもった雛依の声。
「ふはっ……〝仲良く″だろ?」
きっと恐ろしいほど綺麗な笑みを浮かべてるであろう彼に、雛依の口元も歪む。
ーーーー
(揺れるか?)
(…だい、丈夫…)
(まだいてぇの?)
(…ちょっと…)
(お前の甘えてるとこ初めて見た)
(!!)
(からかっただけだ。力抜けよ)
(…………)
(…………)
縮まった距離に焦がれるのもまた明日。