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 屋根と天井の代わりに暮れかけた空の見える部屋があった。床も乾いていて、ここならあまり虫の心配もないだろうと、ロッテは話をする場所に選んだ。

 ここまで来る間にどうにかベルベルの涙もおさまって、今はひくひくとしゃくり上げているだけだ。彼女は寝そべったアルの側に腰を下ろし、すがるように首に抱きついた。アルは迷惑そうにそっぽを向いている。優しくはないが、怒って吠えたりしないのがこいつのいいところだ。

 ロッテとユーリーもベルベルの前に腰を下ろした。

「あんた、ユーリーのこと本当は怒ってなんかいないんじゃない? 呪いをかけたっていうけど、それは本当にあんたのしたことなの?」

 ロッテが訊ねると、ベルベルは素直にうなずいた。

「本当よ。あたくしが呪いをかけたの……あたくしは魔法男爵バシリウス卿の娘、ベルベル。ユリアン様に求婚して……ふられたの」

「は?」

 消え入りそうな告白にロッテは目を瞬いた。思わずベルベルとユーリーを見比べてしまう。骸骨にこういう表現も妙だが、ユーリーはきょとんと首をかしげていた。

「えっと……」

 だから、元は多分ハンサムなのよ。この顔に求婚したわけじゃないわよね。

「でもあんた、まだ子供じゃない」

 そういうと、ベルベルは可愛らしく頬をふくらませた。

「すぐに大人になるわ。あたくしは本気だったのに、みんな笑ってばかにして……」

 それはばかにしたのではなく、ほほえましくて笑ったのではないだろうか。

「だから呪いを?」

「…………」

 唇をとがらせたまま、ベルベルはうつむいて黙り込んだ。ロッテは少し厳しい声を出した。

「あたしの師匠がいつも言っていたわ。人を呪えば自分も呪いに落とすってね。あんたのお父さんはそう教えてくれなかったの」

「…………」

「魔法使いが悪いものみたいに誤解されて嫌われているのを知らないわけじゃないでしょう。そんなことはないんだって、立派な行いで証明してやらなくちゃいけないのに、本当に呪いなんかかけてたらやっぱり悪い奴だって言われるだけじゃない。あんたのお父さんも、他の魔法使いも、みんな悪い奴だと思われてしまうのよ。あんたのせいでね」

 うるり。大きな目に、また涙が盛り上がってきた。それを見てユーリーがロッテにこっそり合図してきた。何か言いたいらしい。そもそも彼が当事者なのだから、ロッテは黙って立場を譲った。

「ベルベルさん」

 泣きそうな少女に、ユーリーは優しく語りかけた。

「きっと、僕はあなたをとても傷つけてしまったんでしょうね。ごめんなさい。でも何も思い出せないから、本当の意味で謝ることができません。もっとちゃんと、あなたの気持ちを理解して、心からお詫びがしたいです。だから、呪いを解いてくれませんか」

「ユリアン様……」

 優しい言葉は涙を止める役には立たず、ぽろぽろと大粒の雨がこぼれ落ちた。ベルベルはロッテから借りたハンカチに顔をうずめた。

「ごめんなさい、あたくし悔しかったんです。ユリアン様はあたくしのことは相手にしてくれないのに、大人の女の人とは仲良くしてて……綺麗な人がいっぱいユリアン様の周りにいて、誰かに取られちゃいそうでいやだったの」

「ほほーう」

 ロッテはじっとりと骸骨をにらんだ。なかなか派手な生活だったらしい。ユーリーのくせに。

「えっ、そんな、どうなんでしょうねえ?」

 あたふたとうろたえる骸骨は無視。ロッテは言った。

「でもこんなことしたって何の意味もないって、わかったでしょ。誰にも取られない代わりにあんたのものにもならない。好きになってはもらえないって」

「ええ」

 ベルベルはうなずいた。

「お父さまにすごく叱られたの。さっきのあなたと同じよ、呪いなんてやってはいけないことだっておっしゃったわ」

「そう、立派なお父さんね」

 ロッテはちょっと笑ってベルベルの頭を撫でてやった。

「あんたも、本当は見張ってたんじゃなくて、ユーリーのことが心配だったんでしょう。攻撃されたのはあたしの方だけだったものね」

 ベルベルの攻撃に被害を被ったのはロッテだけだった。洒落で済まないこともしてくれたが、子供のしたことだと思えば加減がわからなかっただけだと許してやれなくもない。多分、最初に天井が落ちた時。あれはロッテがユーリーを蹴飛ばして叱りつけたことに腹を立てたのだ。次に床が抜けたのは、そんなロッテをユーリーが助けたものだから、やきもちを妬いたのだろう。そしてツタで捕まえようとしたのもロッテだけ。とにかくロッテをユーリーから遠ざけたかったのだ。

 わかってみればおかしい。

「もう意地を張るのは終わりにしましょう。さっさと呪いを解いて、元のハンサム君に戻してやりなさいよ」

 それからもう一度口説いてみれば? 軽く言うロッテに、しかしベルベルは暗い顔になって首を振った。

「それが……できないの。何度も呪いを解こうとしたのよ。でもうまくいかなくて」

「え」

「ええ?」

 ロッテとユーリーは目を丸くした。ユーリーの場合見た目は何も変わらないが、気分的には同じだろう。ここまできて、綺麗に話がまとまり大団円かと思ったら、それはない。

「あたくし、呪いなんて初めてだったから、よくわからなくて」

「よくわからない魔法を使うんじゃないわよ」

「それにそもそも、こんな姿にしようなんて思わなかったの。ただ眠るだけ……あたくしが大人になってユリアン様につり合うようになるまで、待っていてもらおうと、そう思っただけなのに」

 どういうことだろう。

 困ってしまって、ロッテはなんとなくユーリーの方を見た。彼もロッテを見ていた。髑髏の真っ黒な眼窩と正面から目が(?)合って、さりげなくロッテは視線をそらした。やっぱりまともに見るのはまだ気持ち悪い。

「つまり……かける魔法を間違えたってこと?」

「そうなのかしら……」

 ベルベルの返事はたよりない。しばし三人は、その場でうーんと考え込んでしまった。

 が、

「ここでうなってたって答は見つからないわよね」

 じきにあきらめて、ロッテは言った。

「あんたのお父さんに相談して、どうしたらいいのか教えてもらいましょうよ」

「えっ……ええ……」

 ロッテの提案に、なぜかベルベルはうかない顔をした。

「そ、それよりも、あなたのお師匠様とやらに聞いた方が早いんじゃないかしら。この近くに住んでいらっしゃるのでしょう?」

「土の下にね」

 ロッテは肩をすくめた。

「とっくに死んじゃってるから無理よ。それに、あんたの魔法はお父さんから教わったものなんでしょう? だったらやっぱり、お父さんに聞くのが一番いいわ」

「でも……」

「自分で考えてわからないなら、人に聞くしかないでしょ。わからないままいい加減なことをするより、その方がいいわよ」

 ベルベルはきゅっと唇をかみ、ハンカチをにぎりしめた。

「あなたは?」

「え?」

「あなたも魔法使いなのでしょう。あたくしよりも年上なんですもの、何かわかることはありませんの」

 今度唇をかんだのは、ロッテの方だった。

「わかるようならとっくに言ってるわ。あいにく、あたしはまだ見習いだから」

「あら、その年でまだ見習いなんですの。ずいぶんお勉強が遅れていますのね」

「……何よ」

 厭味な言い方ではなかった。ベルベルは単に思ったことを口にしただけだろう。けれどその言葉は、ロッテの胸に深く突き刺さった。

「もとはと言えば全部あんたのせいでしょ! こんな騒ぎを引き起こしといて何えらそうなこと言ってんのよ。なんであんたのいたずらを、他人が後始末してやんなきゃなんないの。自分でやんなさいよね!」

「……ふえっ」

 いきなりの剣幕にたじろいで、またベルベルが涙目になった。あわててユーリーが二人の間に割って入った。

「ま、まあまあ……そんなに怒らなくても。ベルベルさんも、悪気でしたことではないんですから」

「呪われた当人が人ごとみたいに言うなっ」

 ロッテはユーリーに拳をたたき込んだ。がっしゃんと音を立てて、骸骨は床にひっくり返った。

「きゃあ! ユリアン様っ」

「うう、見事なパンチ……」

 二人を無視して、ロッテは立ち上がった。

「いいわよ、もう。どうせ、あたしは関係ないんだし。あんたたちの問題なんだから、後は二人で考えるのね。あたしは帰るわ、さよなら」

「えっ……あの」

「アル!」

 使い魔を呼んで、ロッテは部屋を飛び出した。後ろでユーリーが何か言っていたが、振り返らずに走った。

 なんだか、ひどくくやしかった。

 ユーリーが、ベルベルのことばかり気づかっているようで腹立たしかった。呪いをかけたのはベルベルなのに。ロッテは彼を助けるために頑張っていたのに。なのにどうしてベルベルの方がかばわれるのだ。

 そもそもユーリーときたら、呪いが解けないとわかってもどこかのんきで、真剣に悩む様子がない。こっちの方がよっぽど一生懸命考えているじゃないか。

 一体誰のために、こんなとこまで入ってると思ってんのよ!

 そう心で叫んだ瞬間、何かがロッテの中を通り抜けた。

 ――誰のために?

 一瞬、答が出せなかった。

 ユーリーのためだ。当然、そう答えていいはずの問いだけれど。

 でも本当にそうなのだろうか。たしかに、可哀相に思わなかったわけじゃない。何とかしてやろうと思って行動したのは事実だ。でもそれ以上に、ロッテを動かした大きな理由は。

「危ない!」

「え……っ」

 いきなり、後ろからぐいと身体を引かれた。不意をつかれて転びそうになったロッテを、硬いものが支えてくれた。

「な……」

 何が、と聞く前に、ロッテは状況を悟った。目の前あと一歩の所に、床が大きく口を開けている。来るときに出来た例の穴だ。考え事をしていたロッテはまるで気づかずに、まともに穴の中へ踏み込もうとしていたのだった。

「危ないですよ……ほら、もっとさがって」

 ロッテを抱きかかえるように、ユーリーはさらに後ろへと引っ張った。その時ロッテの視界に、骨だけの手が映った。反射的にロッテはユーリーの手を振り払っていた。

「いやっ」

「あ……」

 一瞬驚き、それからユーリーはあわてて手を隠してロッテから離れた。

「すみません……」

「…………」

 違う、と思った。今謝らなければいけないのは自分の方だ。ユーリーは助けてくれたのに。なのにどうして、あんな態度しか取れなかったのだろう。

 これじゃ、まるで……。

 きちんと三歩離れて、ユーリーは縮こまっている。文句も言わず、ロッテの言葉を待っている。ふと視線を上げれば、少し向こうの角からこちらを覗いているベルベルと目が合った。泣きそうな顔をしている、と思った瞬間、本当に彼女は泣き出した。

「ご、ごめんなさい……あたくしが悪いのに、あなたに迷惑かけて、ごめんなさい」

「…………」

 どうして二人ともこんなに素直に謝ってしまうのだろう。いきなり怒り出したロッテに、向こうだって怒ってもよさそうなものなのに。少なくともユーリーには、文句の一つくらい言う権利はあるだろうに。

 自分がひどくいやな人間に思えて、ロッテはたまらなくなった。

 いや、違う。本当にいやな奴なんだ。これではまるで、アガーテの八つ当たりと一緒だ。

 ぱさり。柔らかいものがロッテのスカートを打った。見下ろすと、アルが側に立っていた。いつものように知らん顔で、ロッテを見上げてもいないが、茶色い尻尾が何かをうながしているようだった。見慣れた相棒の姿は、ロッテに師匠を思い出させた。

「人を呪うことよりも、仲良くすることの方が難しいわな。こんちくしょうと思ってる時には、なかなか一歩を踏み出せんもんだ。けどな、その一歩さえ踏み出してしまえば、後はかんたんだ。勢いがついて、どんどん前へ進めるもんさ」

 ロッテの自慢のお師匠様。彼の言葉を、自分はちゃんと受け継いでいるだろうか?

 ここで踏み出さないと、じいさんの弟子だなんて名乗れない。

 ロッテはそっと息をついた。

「謝らなくていいわ……そんな必要ない」

 まっすぐに二人を見ることができなくて、ロッテは視線を足元に落とした。

「あんなの、ただの八つ当たりだもの……悪いのは、あたしの方なの。あたしが謝らなきゃいけないのよね……ごめんなさい」

「どうして?」

 首をかしげるユーリーの後ろに、ベルベルがやってきた。

「魔法のこと、言われて腹を立てて。でも言われて当然だったのにね。あたし、魔法なんか全然使えないんだから」

「使えない? どうしてですの」

「才能、ないの。いくら頑張っても魔法使いにはなれないの。あたしが師匠から受け継いだのは、たくさん聞かせてもらった話だけよ」

 魔法使いの弟子だなんて、名前だけのこと。ロッテは最初から最後まで、ただの、ありふれた娘でしかなかった。

 だから父は、ロッテに修行をあきらめろと言った。

 だからアガーテは、ロッテをばかにした。

 魔法使いになれない、魔法使いの弟子。なんて情けない。

「ユーリーもごめんね。あたし、あんたのために行動してたわけじゃない。手柄を立てて、みんなに認められたかっただけなの。役立たずっていつも姉にばかにされるから、見返してやりたかったの。それで、あんたのことを利用しようとしただけ。でもやっぱり何もできてないのに、役立たずなのに、偉そうなことばかり言って、本当にごめんね……」

「そうですか?」

 聞かれて、思わずロッテは顔を上げた。ユーリーは、表情なんてわからないけれども、相変わらずとぼけたしぐさで首をかしげていた。

「あなたのおかげでベルベルさんと和解できたんですよ。僕一人では何も行動を起こせませんでした」

「この子を素直にさせたのは、あんたの優しさよ」

「僕に勇気をくれたのは、あなたの強さですよ」

 ユーリーはとまどわない。情けない奴のくせに、こんな時だけ自信たっぷりだ。

「僕は、たしかにあなたのおかげで助けられているんです。何もできないなんて、そんなの違うでしょう」

「あのっ……あのねっ」

 ベルベルが懸命に言った。

「あたくし、お父さまに、自分でちゃんと呪いを解いてきなさいって言われたの。だからできませんって言いに帰るのがいやだったの。それであなたにわがまま言っちゃったの。だから、やっぱり、ごめんなさい」

「……そっか」

 ロッテの肩から力が抜けた。自然に笑顔が浮かんできた。

「うん、わかるよ。言えないよねえ」

 ぱっとベルベルが明るい顔になった。多分ユーリーも笑ってるんだろう。不思議な気分だ。ついさっきまであんなに息苦しかったのに、今はなんだか暖かい。

 たった一歩でこんなに変わるなんて。

「もう少し考えてみませんか。僕は急ぎませんから」

 ユーリーが言った。

「さがせば何か方法が見つかるかもしれませんよ」

「でもユリアン様……」

「まだたったの十日です。焦るほどのことはないでしょう。もう少し頑張ってみましょう?」

「そうね」

 ロッテもうなずいた。

「人に聞くのは、まずできる限りのことをしてからよね。あのね、あたしの師匠がたくさん本を残していったの。もしかしたら、何か手がかりが見つかるかもしれない。みんなで調べてみない?」

「ああ、いいですねえ」

「それに、そうだ。ユーリー、呪いが解けるまで師匠の庵にいなさいよ。町から離れてるし、あたし以外誰も寄りつかないから人に見つかる心配もないわ。おんぼろ小屋だけど、ここよりはずっとましよ」

「いいんですか? それは助かります」

「決まりね」

 ロッテの足元で、アルがひとつあくびをした。なんだかそのしぐさは、やれやれと言っているようでおかしかった。

 ロッテたちはそろって外へ向かった。ユーリーがベルベルを抱き上げて、穴に落ちないよう安全な場所まで運んでやる。その後にロッテが続いた。慎重に穴を避けて歩いたが、残った床も今にも崩れそうで怖い。

 その様子を、ベルベルを下ろしたユーリーが見守っていた。三歩向こうで心配そうにしている。手を出したいけれど出せない、きっとロッテがいやがるから……そう思っているのがよくわかる。

 そんなふうにしてしまったのはロッテだ。だから、こちらから彼の所まで歩いて行かなくてはならない。

 実際に行動するにはけっこう勇気がいったけれども、ロッテは彼に手を差し出した。

「ごめん、手を貸して?」

 ユーリーは少し驚いて、そしておそるおそる手を伸ばしてきた。骨だけの、白い手を。

 ロッテの手とふれあい、そっと包み込んでくる。三歩、近づいて。

 不思議だった。硬く冷たい感触に包まれても、さっきまでのように気持ち悪いとは思わなかった。しっかりとロッテの手を引いてくれるのがうれしいだけ。目のない髑髏と目が合っても(?)ちっとも怖くなかった。

 危険な穴を越えて、三人と一匹は出口へ向かう。右手をユーリーと、左手をベルベルとつないだまま、ロッテは歩いた。

「……あのう」

 とても遠慮がちにユーリーが言い出した。

「なに?」

「ひとつ、お願いがあるんですが」

「ええ、どうぞ」

「あなたのお名前を、教えていただけませんか」

 ロッテはきょとんとした。

「……言ってなかったっけ?」

「はい。なんとなく、聞きそびれちゃって」

 そういえばそうだったかもしれない。多分、聞くに聞けなかったのだろう。ずいぶんとロッテはきつい態度だったから。

 ロッテから一歩踏み出したことで、彼も近づく勇気を出せたのだろう。師匠の言ったとおりだ。一歩踏み出せば、あとはなんてかんたん。

 ロッテはくすりと笑った。

「それはごめんなさい。あたしはね……」

 言いかけた時だった。いきなり、側を歩いていたアルが唸り声を上げた。ロッテは驚いて足を止めた。前に何かいるのか、アルは身を低くし牙をむき出している。滅多にないことだった。叩かれたってきゅんとも鳴かない犬なのに。

「アル?」

 何なの? ロッテは彼の視線を追いかけた。出口まであと少し、最後の曲がり角だ。何もないじゃない。

「……さがって」

 ユーリーが緊張した声でささやいた。手を引かれてロッテは数歩さがる。少女たちを自分の背後に隠そうとユーリーが動いた時だった。それは角から飛び出してきた。

「動くな!」

 ぎらりと光る剣を突きつけて男が叫んだ。他に人がいるとは思わなかったロッテは心底仰天した。けれど驚いてばかりもいられない。きっと町の人だ。反射的に顔を隠したユーリーをかばい、あわててわけを話そうとした。

「待って、この人は怪しい……けど、悪い奴じゃないの。あたしは町長の末の娘よ。落ち着いて話を聞いてちょうだい」

「町長の娘?」

 男の目がいやらしく光ったような気がした。たじろぐロッテに、男はにやりと笑った。

「そいつはいい、人質に使えるな。お前は生かしておいてやろう。こっちへ来い」

「……あんた、誰?」

 人質って何のこと? 化け物退治に来たんじゃないの?

 何かが違う。こんなの、町の人じゃない。

 ベルベルがおびえてロッテにすがりついた。

 男はユーリーに剣を突きつけた。

「お前は悪いがここで死んでもらうぞ」

 その言葉に続くように、さらに二人の男が姿を現した。どちらもやはり抜き身の剣を手にしていた。

 剣を向けられたユーリーは、今までのようにさわがなかった。ただ黙って、目深に被っていたフードを引き下ろした。

 隠されていた髑髏が現れる。

「ぎゃっ!?」

 驚いた男たちが身を引いた瞬間、彼は飛び出した。剣を持った腕を押さえ、二人に叫んだ。

「逃げなさい!」

「ユーリー!」

「ばっ、化け物ぉっ!!」

 混乱した男たちがユーリーに襲いかかった。

 どうしよう。混乱しているのはロッテも同じだった。なんとかしなければ。でも、どうすればいいの。

 腕の中でベルベルが震えていた。この子をなんとかなだめて、魔法を使わせようか。でも、そんな暇があるだろうか。

 ユーリーは驚くほど身軽だったが、恐怖に突き動かされた男たちは目茶苦茶に剣を振り回した。狭い場所でそんなに暴れては同士討ちになりかねないということにも頭が回らないらしい。あまりに激しい動きにユーリーも手を焼いて、壁際へ追い詰められてしまった。

「ユーリー!」

 ぐいとスカートを引っ張られた。アルがくわえて、早く来いと言うように引いていた。だめよ、ユーリーを残して逃げられない。そう思った瞬間、

「きゃああ!」

 腕の骨が斬り飛ばされるのを見た。続けざまに、身体に剣が叩き込まれた。がしゃがしゃと音を立てて、床に骨が散らばっていく。

「やめて!」

 ロッテは夢中で飛び出していた。興奮した男たちは、ロッテにも殺気だった目を向けてきた。

「お前も化け物か。ちくしょう!」

 気が遠くなりそうだ。脚を砕かれ、もう立つこともできないユーリーを、ロッテは必死にかかえ込んだ。その頭上に剣が振り上げられる。

 うおん、と空気を震わすような咆哮が響いた。同時に男たちが弾き飛ばされた。ぎゃあ、とか、ひゃあ、とか、情けない悲鳴がそこかしこで上がる。なんだろうと思う間もなく、おそろしく強い力でロッテは引っ張られた。ユーリーから手を放すまいと、ロッテは必死に力をこめる。頬に夕日が当たるのを感じた。

 あっという間に外だった。ロッテを連れ出した者は、そっと地面の上に彼女を下ろした。

「……アル?」

 黒々とした見事な毛皮が目に入った。とても大きな――牛よりも馬よりも巨大な獣が、ロッテの後ろに立っていた。犬よりも狼に近い姿だ。でもこんなに大きな狼なんているわけがない。それどころか、世界中どこを探したってこんな獣がいるわけない。

「妖魔……」

 すぐそばに下ろされたベルベルがつぶやいた。

「ロ、ロッテ……」

 離れた場所から聞き覚えのある声がした。見ると、カスパル卿が人をたくさん連れて来ていた。彼らも黒い獣に驚いているのか、目を見開いて立ち尽くしていた。いや、ロッテが抱える骸骨に驚いているのかもしれない。ロッテは我を取り戻して、あわてて腕の中を見下ろした。

「ユーリー! どうしよう、大丈夫!?」

「……どうなんでしょう」

 弱々しい返事が返ってきた。

「痛みはないです……でも、なんだか気が遠くなってきて……」

「そんな、駄目よ! 死んじゃ駄目!」

「やっぱり、死ぬんでしょうかねえ……」

 ははは……と、彼は力なく笑った。

「あなたたちは怪我しませんでしたか?」

「な、ないわよ。ユーリーとアルのおかげで無事よ」

「それは、よかった……」

 かくり、と髑髏があごを落とした。ほろほろと腕の間を骨がこぼれ落ちていく。ロッテはたまらずに叫んだ。

「全然よくないわよばかーっ! あんたが死んだんじゃ意味ないじゃないっ!」

 涙がこぼれて、骨の上に散った。

 せっかく友だちになれそうだったのに。もっとたくさん話がしたかったのに。みんなでなんとか呪いを解こうと決めたばかりなのに。

 ロッテは両手で顔を覆った。

「……お姉様」

 つんつんと、ベルベルがロッテをつついた。なによ、どうしてそんなに冷静なの。ユーリーが死んじゃったのに!

「お姉様ってば。よくごらんになって」

「……なによ」

 涙でくしゃくしゃの顔をロッテは上げた。そうして目をみはった。

 柔らかな光の幕が立ちのぼっていた。花のつぼみのようだった。ふわりと花が開いた時、ロッテの前には見知らぬ人が姿を現していた。

 その人は目をまたたき、不思議そうに自分の身体を見下ろした。くせのない髪がさらりとこぼれ落ち、夕日に輝いた。

 もう一度顔を上げて、ロッテを見る。とても綺麗な、優しげな容貌が、にこりとほほえんだ。

「ユリアン様」

 ベルベルが言う。

「え……ユーリー?」

 彼はそっとうなずいた。

「感謝します」

 それはまるで、夢でも見ている気分だった。

 風に溶け込むように彼は姿を消した。後に残されたのは、脱け殻のような骨とマントの切れっ端だけだった。

 一部始終を見ていた人々は、何も言えずに立ち尽くしている。

 ロッテもまた呆然と座り込んだまま、長い間首をひねっていた。

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