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「う……ぃ……っ」
「あ、あのですね」
「いやああぁっ!! お化けーっ!!」
「ああっ、逃げないで!」
逃げなかった。ロッテは果敢に踏みとどまった。
「あた、あた、あたたたた」
「いやいやいやいやいやーっ!!」
「僕もいやですうぅ」
足元の石を拾っては投げ拾っては投げ、ロッテは猛然と骸骨に攻撃した。白い骨だけの腕を上げて、骸骨は頭を抱え込んだ。
「お願い落ち着いて」
「だってガイコツ、ガイコツっ」
「ガイコツですけどそうですけど」
「ガイコツがしゃべって動くなーっ!!」
「そんなこと言ったって……って、ちょっと待ってーっ」
それはまさしく火事場のばか力。ロッテは自分の頭よりも大きな岩を持ち上げた。
「無理ですそんなの投げられません! 危ないから早く下ろして」
「こっち来るなーっ!!」
岩が空を飛ぶ。
地面に寝そべったアルが、大きくあくびした。
――そして、数分後。
「まさか、本当に化け物がいたなんて……」
地面にへたり込んだロッテは呆然とつぶやいていた。視線の先には、しょんぼりと座り込む骸骨の姿がある。きちんと正座してうなだれる様子は、まるで叱られている子供のようだ。というか乙女? 頼むから、骨だけの指で地面に「の」の字を書くのはやめてほしい。
さすがに岩は、骸骨まで届かなかった。数歩ばかり前に落ちただけだ。そこでロッテは気が抜けてしまい、はからずも落ち着きを取り戻したのだった。
今二人は、五歩くらいの距離にまで近づいている。骸骨のまとうマントが、すり切れるほどにくたびれているのがよくわかった。
「『化け物』は切ないです……ユーリーと呼んでください……」
かくかくとあごを上下させて、骸骨はひかえめに抗議した。気味の悪さをこらえてロッテは問う。
「それがあんたの名前? でも、何も覚えてないんじゃなかったの」
「だって名前がないと不便だし、なんだか寂しいじゃないですか。それで、何となく思いついて」
「自分でつけたの」
どっとロッテは脱力した。
「記憶がないのはあんたが死んだからでしょ。さっさと昇天しなさい、それで全部解決よ。じゃ!」
立ち上がってかけ去ろうとしたロッテのスカートに、あわててユーリーがしがみついた。
「あああ見捨てないでえ」
「骨でさわるなぁっ」
「これからどうしたらいいのか途方に暮れてるんですよぅ。あなただけが頼りなんですお願いですぅ」
「わかった、ならあたしが昇天させてあげる。そこにじっとしていなさい」
「とか言ってまた石を持たないでくださいよ。お願いだからもっと平和的解決を」
「何をどうしろと言うのよ!?」
「だってあなた魔法使いなんでしょう!?」
悲鳴のような叫びに、ロッテは不意に動きを止めた。しばらく、彼女は沈黙した。やがてゆっくりと、力ない口調で答えた。
「弟子、よ。まだ見習いなの」
「ああ、そうでしたっけ。ではあなたのお師匠様に紹介していただけませんか」
「無理ね。ひと月前に死んでるから」
「そうなんですか……」
残念そうに肩を落としたユーリーは、けれどすぐにまた顔を上げた。
「でもあなたも魔法のことには詳しいのでしょう?」
「……こういう状況に出くわした場合のことなんて、習わなかったわ」
「で、でも、何か少しくらいは」
「ごめん。全然まったく、さっぱりわかんない。ああでも、火を使えばきっと昇天できるわよ! 火は浄化を司るものだし」
「え、火って……」
「ちょっと待ってね」
ごそごそと、ロッテはスカートのポケットをさぐった。
「あたしマッチ持ってるから。そのマントよく燃えそうだし、あと森から枯れ枝でも集めてくれば……」
「い、いえ、そういうのはちょっと遠慮したいなー、なんて……」
地面に腰を落としたまま、ずりずりとユーリーがあとずさる。そのマントの端をロッテは踏みつけた。
「逃げてどうすんのよ。現状打破したいんでしょうが」
「殺してほしいわけじゃないですっ」
「大丈夫、もう死んでるし」
「いやですうぅっ、僕は、僕はただ、どうしてこんなことになっているのか、それが知りたいんですぅ」
お許しををを……と、ユーリーはその場に泣き崩れた。骸骨だから涙は流れないが、しゃくり上げる声は本物だ。
本気で情けない奴……。
身も凍る恐怖体験をしているはずなのに、当の化け物があまりに情けないので、怖がるより呆れてしまうロッテである。
ロッテは深くため息をついた。
「どうしてって言ってもねえ……そんなのあたしにわかるわけないし。でも前にここへ来た時には、あんたみたいなモノはいなかったのよね。町の人が噂するようになったのもごく最近みたいだし」
「噂?」
「この遺跡に化け物が出るってね」
「やっ、やめてくださいよぉ」
感心するほど素早く、ユーリーは物陰に身を寄せた。
「僕、そういうコワイ話苦手なんですよ」
「いや、あんたのことだし」
呆れながらロッテは続けた。
「気がついたらここにいたって言ってたわね。何日くらいいるのか、わかる?」
「はい。ちょうど十回、夜が来ました」
「十日か。その間ずっとここに?」
「はい。どこへ行けばいいのかわかりませんし、おまけにこんなナリですし。たまに山菜取りらしい人たちが来たんですけど、会うなり逃げられてしまって……これで人里まで行ったらどんなことになるかと思うと、追う気にはなれなくて」
「そうね、来なくて正解だったわ」
町まで来ていたら、人々は逃げる側から追う側へ回っていただろう。迷い込んできた化け物を滅ぼそうと、住民全員で襲いかかるに違いない。
その様子を想像して、少しばかりぞっとした。目の前の骸骨はたしかに気味が悪いし、今はこんなふうでもいつ凶暴な本性をむき出さないかと不安にもなる。それでも、人目を避けてこんな寂しい場所に十日も隠れていたのかと思うと、少々哀れな気がした。
その気持ちが、どうにかできるものならしてやろうという決心をロッテに抱かせた。
「十日……十日前に、ここで死んだということなのかしら。町に行方不明者は出ていないから、旅人? でもたった一人で、町じゃなくてこんな所に来てたってのも、考えると不自然よねえ」
「そうですね……というか、僕自分が死んだなんて、全然実感がわかないんですけど」
「どこから見ても立派にお亡くなり状態よ」
すげなく言い切って、ロッテは考えた。
「町で最近死んだ人もうちの師匠くらいだし……まさかあんたが師匠だなんてオチはないでしょうし」
改めて、周囲を見回してみる。一番に気になるのは、やはり崩れかけた城砦だ。どうしてユーリーはここに現れた? 何か、理由となるものがあるはずだ。
「最初に気がついた時、どこにいたの。あの城の中? それとも外?」
「中です。暗くて、じめじめしてて、怖いからすぐ外へ出ました」
「ああ……そう」
明るいさわやかな場所を好む化け物がいたっていいわよね。あえてつっ込まず、ロッテは提案した。
「まず一度、あんたが最初に気がついた場所へ戻ってみましょう。そこに何か手がかりがあるかもしれないわ」
「え……あそこへ、入るんですか……?」
ユーリーはいやそうに城砦を指さした。
「いつまでもここにいたって仕方ないでしょうが。調べてみないことには何もわからないわ。それとも? やっぱりこのまま昇天する?」
「……行きます」
マッチ箱を掲げてみせると、ユーリーはがっくりうなずいた。生身だったらきっと涙を流していただろう。
ロッテは傍らの犬をゆすった。頼りになる使い魔は、話の間にとうとう居眠りを始めていたのだった。
日暮れまでにはまだ時間がある。明るいうちに調べてしまうべく、使い魔と化け物を連れて、魔法使いの弟子は遺跡に踏み込んだ。
それにしても、おかしな成り行きである。
噂の場所をちょっとだけ見に行って、何も問題はないと確認するつもりでしかなかったのに。まさか本当に化け物とご対面することになろうとは。しかも、そいつのために遺跡調査に乗り出すはめになろうとは。
石造りの城の中を、用心しながらロッテは歩いていた。崩れた瓦礫は内部にも転がっているし、長い年月の間にはびこった植物が天然の罠をこしらえている。足元を取られないよう、ゆっくりと進まなければいけなかった。
三歩ほど遅れて、ユーリーがついてくる。この軟弱者は、入った時からびくびくとロッテの背後に隠れているのだった。しんがりはアルがつとめ、ともすれば立ち止まりがちなユーリーを追い立てる。奇妙な一行だった。
厄介なことになったものだと思う一方、どこかロッテは高揚する気分も感じていた。どうせ遺跡には何もなく、自分はいつものようにとぼとぼと帰るしかなかったはずなのに。そうしてまたアガーテに厭味を言われて、言い返すこともできず、さんざんばかにされていたのだろうに。
本当に化け物と出会った。しかもそいつを助けてやろうと行動している。これでもしうまくいったなら、父さんだって他のみんなだって、魔法の修行を認めてくれるんじゃないかしら。あのいやなアガーテだって見返してやれるわ!
それは少なからずわくわくする想像だった。普段ならロッテだって、こんな所に入るのはいやだったろう。けれど今は怖いとも気持ち悪いとも思わなかった。むしろ宝探しのような気分で足を進めていた。
ロッテたちが今歩いているのは、城の一階部分である。元々は二階建てで見張りの塔もあったらしいが、あちこち崩れていて危ないので上へは昇れない。ユーリーの話でも階段を通った覚えはないというから、目的の場所は一階のどこかにあるはずだった。
「ていうか、場所くらいちゃんと覚えておきなさいよね」
城の中にいたのはたしかだが、どの部分にいたのかは覚えていない。ユーリーはそう告白した。出口を求めて城内をさまよい、なんとか崩れた壁のすき間から脱出したのだという。どこをどう通ってきたのかなど覚えている余裕はなかった。当然道案内などできるわけがない。
そう聞かされた時、思わず骸骨頭を殴ってしまったロッテである。仕方がないので、こうして彼女が先頭に立って城内を探索しているわけだった。
「すみません……あの時は必死だったものですから」
そりゃまあ、気がつくとこんな不気味な場所に一人っきりだったなんて、少しは同情してやってもいいけれど。
でも一応化け物のくせに。廃墟をさまよう骸骨なんて、怪談以外の何ものでもない。
柔らかいロッテの靴底と違って、ユーリーの足は硬質な音を辺りに響かせていた。背後から、かしゃり、かしゃりと音を立ててついてこられると、情けない奴だとわかっていても鳥肌が立つ。それなのに、当の化け物が何におびえるというのだろう。
「……ん?」
音を意識していたロッテは、ふと違和感を覚えて立ち止まった。後ろの足音も立ち止まる。どうしたんですかとユーリーが訊ねた。
「ちょっと静かにして」
制しておいて、ロッテは耳を澄ませた。風が木々をゆする音と、鳥の鳴き声が聞こえてくる。あやしい物音は、何もなかった。
「足音が多いような気がしたんだけど……」
「いぃやああぁ、やめてええぇ」
「こっちがやめてほしいわよその声! いちいちびくつくんじゃ……」
苛立って振り返ったロッテの眼前に、髑髏がどーんと迫っていた。
「きゃああああっ!!」
「ひゃああああっ!!」
「あんたがびびるなあぁっ! 怖い顔近づけんじゃないわよ!」
力一杯ユーリーを蹴倒して、ロッテは肩で息をした。
「あうう……ごめんなさい……」
「自分は化け物なんだって自覚しなさいよね! いきなりその顔が現れたら怖いのよ、迫力ありすぎなのよ! もっと離れてなさいよ!」
「うう、はい……」
叱られて、ユーリーはすっかりしょげてしまった。しおしおとフードを上げて頭を隠し、あとずさるように離れた。少し言いすぎたかしら? ロッテはばつの悪い思いを隠し、さっさと前に向き直って歩き出した。
その時だった。突然ロッテの真上の天井が崩れてきた。
ロッテは気づかなかった。気づいたのはユーリーで、彼は「危ない!」と叫びながら驚くべき素早さで飛び出してきた。
「きゃあっ」
ロッテを懐にかかえ込んで、ユーリーはその場を走り抜けた。直後に瓦礫が落ちてきた。
間一髪だった。それに気づいて、ロッテは今さらながらにぞっとなった。瓦礫の中にはひとかかえほどのものもある。あれに直撃されていたら死んでしまったかも。ここが古く危険な場所だということを忘れていた。
ふと、ロッテは自分の身体を見下ろした。硬い感触に気づいたからだ。ほぼ同時にユーリーも気づいて、あわててロッテから手を放し飛びずさった。
「ご、ごめんなさい」
また叱られるのを恐れるように、のっぽな身体をちぢこめて謝る。身体に残る骨の感触に、鳥肌が立つのを感じながら、それを隠してロッテは首を振った。
「ううん……ありがとう、助かったわ」
たとえ化け物でも何でも、危ういところを助けてくれたのだから、お礼は言っておかなければ。ロッテは少しだけほほえんだ。
ユーリーの反応は顕著だった。骨だけになった顔では表情なんてわからないはずなのに、ひどくうれしそうに、ぱっと破顔したように見えたのだ。うつむきがちだった頭がしゃんと上がり、背筋が伸びる。彼が喜んだらしいと、はっきり伝わってきた。
ほんのちょっとお礼を言っただけなのに。予想以上の反応に、ロッテはとまどった。なぜか、ひどくいたたまれない気分だった。
「気をつけて行かなくちゃね」
平静を装って、ロッテはもう一度向き直る。しかし歩き出した途端、今度は足元が崩れ落ちた。
「きゃああっ」
床がなくなって当然ロッテの身体が落ちていく。今度助けてくれたのはアルだった。ロッテの服をくわえ、懸命に四肢を突っ張って引き止めてくれた。
「あ、ありがとアル……もうちょっとだけ頑張ってね」
身体半分落ちそうになりながら、ロッテは周囲をさぐった。幸い草がぼうぼうに生えているし、木の根も張り出しているのでつかまる場所には事欠かない。脇からユーリーも手を貸してくれて、どうにかロッテははい上がることに成功した。
「ああもう、びっくりした」
「大丈夫ですか」
ロッテの横にひざをついて、ユーリーが覗き込んできた。怪我を心配しているらしかったが、幸い小さなすり傷がある程度だ。
「この下は地下室ね」
できたばかりの穴をロッテは覗き込んだ。明かりの差し込む上階と違って、下は真っ暗だ。やれやれ、落ちずに済んでよかった。
「でもこんなに崩れやすいなんて……」
このまま進んでもいいのだろうか。ロッテは迷った。危険を考えると、ここから一刻も早く出た方がいい。それは間違いない。しかしユーリーに関する手がかりは、この城の中にしかないのだろうし。
「ん?」
座り込んだままの足に何かこそばゆいものを感じてロッテは視線を向けた。途端、ぎゃあと悲鳴を上げて固まってしまう。
「やっ、やややややっ」
「お嬢さん?」
「いやあっ! 取って取って取ってーっ!!」
彼女を驚かせたのは、長い脚をたくさん持つ、大きな黒い虫だった。わさわさ、わさわさ、脚が一斉にうごめいて移動している。上へあがってこようとするものだから、ますますロッテは震え上がった。
「いやーっ!! 取ってーっ!!」
泣きそうな声に訴えられて、ユーリーは虫に手を伸ばした。おそれげもなくひょいとつまみ上げ、ロッテの視界から消えるよう遠くをめがけて放り投げた。
「もう大丈夫、いなくなりましたよ」
そう言ってくれる声が優しい。ようやくロッテは息をついた。
「あ、ありがと……うう、気持ち悪かった……」
「大丈夫、あれは毒ももってませんし、かまない奴ですよ」
「そういう問題じゃないの! いるだけで気持ち悪いのよ! だってあの脚! あのわさわさした動きがたまらなく嫌っ」
「はあ……」
この骸骨、お化けは怖がるくせに虫は平気らしい。理屈抜きにいやがる乙女心がわからない様子だった。
また虫が出てくるような気がして、ロッテは急いで立ち上がった。そうだ、これも忘れていた。こういう暗くてじめじめした場所は、あいつらのすみかなのだ。
「なんだか進むの嫌になってきたなあ……」
「戻ります?」
ロッテとは理由が違うだろうが、ユーリーもここから出たがる様子だった。そもそも誰のためにここに来ているのか、こいつは忘れているに違いない。
「そうねえ、もう手がかりはあきらめて、やっぱりきっちり火葬しちゃおうか」
「ああっ、それは困りますっ」
いきなりうろたえる骸骨を横目にロッテはため息をついた。いやだけど、危ないけれど、進むしかない。
「とにかく、うんと用心して行きましょう」
仕方なく言った。それに答えたのは、ユーリーではなかった。
「許さないわ!」
彼ら二人と一匹しかいないはずの空間に、突然まったく別の声が響いた。臆病な骸骨は文字通り飛び上がり、ロッテも驚いて周囲を見回した。
「今すぐここから立ち去りなさい! 今度はおどしじゃないわ、本当に痛い目を見ることになるわよ!」
女の声だった。若い――多分、とても若い女の声。アガーテが癇癪を起こした時のように、きんきんと耳障りに響く。それがどこから聞こえるのかはまったくわからない。声の主の姿はどこにも見当たらなかった。
いや、それよりも、今聞き捨てならないことを言ったような。
「……ということは、さっきのは事故じゃないってわけ? あんたのしわざ? ……何がおどしよ、一歩間違えば大惨事よ。どういうつもりなの!?」
「お、お嬢さん」
止めようとするユーリーを無視して、ロッテは声を張り上げた。
「こそこそ隠れて陰険な真似してるんじゃないわよ! 出てきなさい! どこのどいつか、正体現しなさいよ!」
ほほほほほ……わざとらしい高笑いが響いた。歌うように声は言った。
「あたくしは魔女ベルベル。愚かな娘よ、呪いを恐れるならば今すぐ立ち去りなさい。その者のようになりたくなければね!」