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ゼップルじいさんは町へ来た時からじいさんだったから、思えば結構な長生きだったのだろう。
年はいくつなのかと聞いたこともあったけれど、教えてはもらえなかった。わしにもわからんよと、彼は笑ってごまかした。もしかすると本当に忘れてしまっていたのかもしれない。魔法使いは普通の人よりずっと長生きするそうだから、実は何百年も生きていたのかもしれなかった。
優しくて子供好きな師匠が、ロッテは大好きだった。八つの時に無理やり弟子にしてもらってから六年間、毎日のように彼の庵を訪れては、たくさんのことを教えてもらった。薬草の話、星の話、動物たちの話、見たこともない遠い街や国の話、そして、魔法の話。彼の話はとても面白くて、いつもロッテをわくわくとさせた。どれだけ聞いても、聞き飽きるということがなかった。
ロッテの夢は、いつか師匠のように立派な魔法使いになって、いろんな土地を旅して回ることだった。
「聞いておるのか、ロッテ」
そのために、頑張って修行していたつもりだったのだけれど。
「ロッテ!」
「聞いてるわよ」
父親から顔をそむけたまま、ロッテはそっけなく返事した。開け放たれた窓から、林檎の花の香りがただよってくる。のどかな田園風景が、眼下に広がっていた。
「まじめに聞かんか」
父親はあきらめない。ロッテは小さく息をついて、窓から室内へと向き直った。
椅子に座ったロッテの前に、父のカスパル卿は立っていた。仕立てのよい服に身を包み、足元にもぴかぴか光るエナメルの靴をはいている。濃い褐色の髪をきっちりとなでつけ、口ひげも形よく整えてあった。
田舎町の地主は、娘の反抗的な態度にやれやれと、ずいぶん寂しくなってきた頭を振った。
「よいかねロッテ、お前ももう十四だ。これまでは子供だからと見過ごしてきたが、いつまでもそう言ってはいられないぞ。そろそろ嫁入り先を見つけにゃならんのだからな」
「冗談でしょ、まだ結婚なんかする気ないわよ」
ロッテは口をとがらせて、つま先でテーブルの脚をけった。
「何を言う、女がむだに年をくったとてろくなことにはならん。若いうちに嫁ぐ方がいいんだ。アガーテみたいになりたくはなかろう?」
「あれは特別でしょ」
「ともかく。何も今すぐ嫁げと言っとるんじゃない。いつそういう話がきてもいいように、ちゃんと花嫁修行をしておけと言っとるんだ。あんな、わけのわからない、怪しげなことからは足を洗って」
「魔法の修行です。怪しいことなんか、何もしていないわ」
語気を強めてロッテは言い返した。これまで何度この問答をくり返してきただろう。いくら言ってもむだだと悟っていても、黙って聞き流すことができない。
そしてやはり卿も、これまでと同じ言葉で応戦するのだった。
「ああ、わかっとる、わしの可愛いロッテがけしからんことをするわけはない。信じておるよ。だがな、世間はそうは思ってくれん。魔法使いなんぞというものは、どうしたってうさんくさい目で見られるんだ。知っとるだろう? いや、何も言わんでよろしい。お前の先生が悪人だったとは思っとらんよ。あのじいさんは、変わり者ではあったが、病人を助けたり、作物の病気を防いでくれたり、よいこともたくさんしてくれた。わしは感謝しておるよ」
そうとも、師匠は立派な人だった。
「しかし彼は常に世間に認められていたかね? 功績を正当に評価してもらえただろうか。冷たい仕打ちを受けたり、陰口を叩かれたりしてはおらんかっただろうか」
「…………」
「リーゼロッテや。わしの可愛い末っ子。お前につらい思いはさせたくない。お前にはうんと幸せな結婚をしてもらいたいんだ。頑張ってよい相手を見つけてやるとも。だからな、聞き分けておくれ。父さんはお前が心配なんだよ。わかっておくれ」
ロッテはため息をついた。父の言うことは、たしかに事実だ。魔法使いは偏見にさらされている。気に入らない相手に呪いをかけるだの、悪魔と契約を交わして魂を売り渡しただの、時には人をも喰らうだのと、耳に入ってくるのはばかげた噂ばかりだ。
「魔女だなんて世間から後ろ指をさされるようになってみろ、一生嫁入り先など見つからんぞ。それどころか、嫌われ者のはぐれ者になってしまう」
「そんなの、ここが田舎だからだわ。都会の方じゃそんなことないらしいじゃない。魔法使いも普通の人と同じに暮らしてるって聞いたわよ。王様のお城にだって魔法使いがいるんだから」
「それそれ、それじゃ」
「……何よ」
ここぞと父親が意気込むので、ロッテは眉を寄せた。いつもとは違う展開だ。何か、新しいネタを仕込んできたらしい。
「お前は知らんのか。お城の王子様が、魔女に呪いをかけられたという話を」
大げさな身振りを交えての言葉に、ロッテはどっとため息をついた。
「何を言うかと思えば……よくある噂話じゃない」
「たしかな筋からの情報だぞ」
「どの筋よ。町一番のおしゃべりカラス、カーテおばさんの情報? それとも旅芸人の面白い歌かしら」
「行商人から聞いたのだ。都から来たと言うんだから信用できる」
「ああそう。で、盛り上がったついでにあれこれ買わされたわけね。そういえばそのタイピン、初めて見るわね」
「や、その、ちょうど、この服に合うタイピンがほしかったところでな」
「そうね、悪くないわよ。でもその金時計はやめた方がいいんじゃないかしら。なんだか成金ぽくて品がないわ」
「そ、そうか……?」
自慢げにぶら下げていた金時計をこきおろされて、卿はしゅんと肩を落とした。
しかしはっと気を取り直して、再び胸を張った。
「いや、そんなことはどうでもよろしい。それより、問題は――そう、魔女の話だ。王子様はおそろしい呪いによって、なんと二度と目を覚まさなくなってしまわれたというのだぞ!」
「まあ大変。それはおそろしいわね」
しらじらとロッテはあいづちを打った。
「じゃあ王様もお困りね。王子様が再起不能じゃ、お世継ぎはどうなるのかしら」
「え? あ、ええと……」
「未来の王様が再起不能じゃ困るわよねえ。この国はどうなっちゃうのかしらね」
「む、むむむ」
「それにしてもお城の魔法使いは何をしているのかしら。そういう時こそ出番じゃないねえ。そもそも、魔法使いがいるのに、どうして呪いなんかかけられちゃったのかしら」
「う……そ、それだけ、おそろしい魔女なんだろう」
「まあ、じゃあもっと大変なことが起きるんじゃない? この町にも呪いがやってくるかもね」
「ええい、黙りなさい!」
劣勢はいかんともしがたく、とうとう卿は怒鳴ることで娘の口を閉じさせた。
ロッテは横を向いて、こっそりと舌を出した。
「話が真実か否かは問題ではない。そういう噂が流れるということが、問題なのだ」
「さっきと言ってることが違うじゃない」
娘のつぶやきを、卿は無視した。靴音も高く、ロッテの前を行ったり来たりした。
「そんな噂にされるくらい、世間は魔女というものを嫌っておるのだ。おそろしい、悪い存在だと思っている。偏見だと訴えたところで意味はない。誰にも相手にされんだろう」
「迷信深い田舎じゃ、そうかもね」
「まさか、都へ行きたいなんぞと言いだす気じゃなかろうな? いや、行儀見習いだとか、まともな目的なら考えてやるぞ。ツテくらいあるしな。うむ、お前がその気なら、お城にだって上がらせてやろう」
「結構です」
きっぱりとロッテは断った。
「別に華やかな都会に憧れてるわけじゃないわ。あたしはこの町が好きだからいいの」
おいしい話で釣ろうとしてもむだよ。ロッテはつんとあごをそびやかした。カスパル卿は足を止め、深々とため息をついた。
まったく、この末っ子は、どうしてこうも頑固なのだろうか。一体誰に似たのやら。まだ十四だというのに、まるで古女房のように口が立つ。あのゼップルじいさんのところへ通うのを、放っておいたのがいけなかったのだろうか。
たしかにじいさんは悪い人間ではなかった。子供好きでロッテの面倒をよく見てくれたし、結構な教養の持ち主で、文字や歴史を教えてやってくれた。おかげでうるさく叱らなくても、ロッテはよく勉強して賢い娘になった。その点について、あのじいさんには本当に感謝しているとも。
しかし、少々余計に賢くなりすぎてしまったようだ。あまり弁の立つ女は好かれない。男というものは、自分におとなしく従ってくれる可愛い女が好きなのだ。男よりも口が達者な気の強い女など敬遠される。このままでは、本当にロッテは嫁入り先が見つからない。アガーテの二の舞だ。
それはいかん。断じていかんとも。
卿は、なんとしても末っ子を幸福な結婚に導こうと、あらためて固く決意した。
「わしは決めたぞ。お前は行儀見習いに出す。どこか、立派な家でしつけてもらおう」
「そんな、勝手に決めないでよ」
突然の宣言にロッテは抗議したが、卿は耳を貸さなかった。
「口ごたえは許さん。父さんだってな、可愛いお前を遠くへやるのは寂しいんだからな。だが、お前のためだと思って決めたんだ。リーネの結婚式が済んだら、すぐにでも奉公先を見つける。そのつもりでいなさい」
「父さん!」
「だいたい、魔法の修行と言ったって――」
言いかけて、あやういところで卿は口を閉じた。勢いにまかせて言っていいことではなかった。大事な娘だからこそ幸福にしてやりたいと思っているのに、傷つけるようなことをしてはいけない。
一旦息をついてから、卿はできるだけそっと言い足した。
「……ゼップルじいさんは、もういないんだからな」
ゼップルじいさんは死んだ。先月のはじめのことだった。
たった一人の弟子と、一匹の飼い犬とに看取られて、放浪の魔法使いは最後の旅に出て行ったのだった。