2-10
「じゃあ、こんなものでいいか」
誰に伝えるでもなくスピカが呟き、あるものを幸太郎の右手のひらの上に置いた。それは、ちょこんと大人しく丸まっている。
「これ、消しゴム?」
疑問を呈した奈々子に、幸太郎も同じ心持ちでスピカの目を見た。俊和も、同じような目をしている。皆一様にスピカを除いて、きょとんとした目だ。
「消しゴム以外の何だと言うんだ」
「いやまあ確かに消しゴムなんだけどさ」
スピカの正論に幸太郎はたじろぐ。スピカの言うとおり、幸太郎が右手に乗せているものは消しゴム以外の何物でもない。強いて何か情報を付け足すのであれば、ある程度使い込まれて、計八つの角が丸くなってしまっているくらいだろうか。
「これで何をするんだ。何をするつもりだ?」
「まあそう急かすな」
焦れったい思いを言葉に込める俊和をスピカは難なくいなす。
「一瞬だから、消しゴムから目を離すなよ」
スピカの忠告で、三人の意識が消しゴムへ集約される。
パチンと指を鳴らす音が聞こえる。
それは一瞬の出来事だった。
右手の消しゴムが青白く発光する。爆ぜるような音がした。静電気の音みたいだ、と、幸太郎は場違いながら思う。
直後、右手に乗せていたはずの消しゴムが消失した。
俊和の喉から、何かを無理矢理引き絞ったような音がした。奈々子は純粋に驚嘆の声を上げ、幸太郎はまともなリアクションが取れないまま目を丸くさせる。なんだ、何が起きた。
「左手に、消しゴム!」
奈々子の声に幸太郎の意識が叩き起される。はっとして自身の左手に目を向ければ、奈々子の言ったとおり消しゴムが右手の時と変わることなく収まっていた。
「これってまさか」幸太郎の言葉を、俊和が引き継ぐ。「瞬間移動」
うわー!と奈々子が驚嘆の声を上げた。あまりにびっくりしたせいか、彼女の鼻息は少し荒い。
ずれた眼鏡を直しながら、俊和が震える声で尋ねた。
「スピカ。これは一体全体どういうマジックだ」
「マジックなんかじゃないさ。ほれ、なんならもう一回やってやる」
平然と言い返し、美女はもう一度指を鳴らす。直後に左手の消しゴムが幻だったかのように消え失せ、右手の平上に出現する。
「これでもまだマジックというのか?」
淡々と告げるスピカに、俊和は答える気力もないまま背中を後ろへ投げ出した。真後ろのベッドに体が当たり、俊和の体が止まる。
「すまん、今日は帰るわ。頭から煙が出そうだ」
おぼつかない動きで俊和が立ち上がる。ふらふらと部屋を後にする俊和を見送りながら、幸太郎は壁にかかった時計を見やる。時刻は思いのほか経っており、そろそろバイトに向けて出発するべき頃合いだった。
「じゃあ、僕もバイトだから行ってくる」
いまだ興奮冷めやらぬ奈々子の頭をくしゃりと撫でて、幸太郎は財布と携帯電話だけ手に取る。制服は全部バイト先のロッカーだ。荷物なんてこのくらいでいい。
スニーカーの爪先を「床に三度打ち付け、幸太郎は家を出た。しかし慌てて足を止め、覗き込むような形で部屋に顔を突っ込む。
「一応言っておくけど、外には出ないようにね」
「はーい!」
子供みたいに従順な返事を聞いて、幸太郎は今度こそ家を後にする。
みなさんから見て僕がどんな人間なのかよくわかんないんですが、実は僕、すんごくおしゃべりです。オチも何もないことを延々とべらべら話したがるせいで、食卓で僕が口を開くと家族が身構えるような顔をします。どのくらいやかましいかっていうと、そのくらいやかましいです