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短編

記憶

作者: RK

 僕の名前は…、なんだっけ…?

 まあ名前なんてものはどうでもいい。僕は僕だ。それ以上の情報はいらない。僕が僕であると言うことを認識さえしていればどうということはない。

 生きて行く上で大事なことはその場の雰囲気に適した行動、言葉を選ぶことだ。僕は普通の人よりもそれを考えて生きている。

 例えばだ、僕の目の前に一人の女の子がいる。

 僕は彼女の事を知らないが彼女は僕の事を知っている。

 話を聞く限り、僕と彼女は既知の仲のようだが僕は覚えていない。

 この時に誰だっけ?と聞くのは相手を傷つけてしまう行為だ。ならば相手の言葉に合わせて喋る言葉を選択し話す。

 わからないことがあったら曖昧に言葉を濁す。それが相手を傷つけない為の優しい嘘だろう。

 ここまで話していて僕の評価はどうなっているのだろうか?

 僕の事を最低と思うだろうか?

 僕は僕の事を最低だと思う。

 だが、そんな感情も明日には忘れているだろう。

 僕には記憶が無い。

 いや、正確には記憶をとどめることが出来ないようだ。

 僕が僕宛てに書いた手紙にそう書いてあった。

 最初はそんな馬鹿なと思ったがなるほど、思い出してみようとすれば何も思い出せない。

 日常生活に必要な知識や言葉は覚えているのでそちらは記憶される場所が違うのだろう。

 ただ一つ言えることは僕は時が止まった人間だ。

 僕の一日は日記を読むところから始まる。

 なぜ何も覚えていないのに日記を読もうとするのか、それは天井に日記を読めと書いてあるからだ。

 昨日の僕が何を行動したのか、誰と話したのか、どんな内容かを逐一遡っていく。

 僕と言う人間が行動したはずの事なのに何も覚えていない。それはまるで他人の行動記録を見ているようで気持ちが悪かった。

 そんな僕の症状は家族しか知らないようだ。なんでも過去の僕が口止めしたようだ。

 確かに、僕と言う人間ならそうするだろうと思う。今の僕でもそうするだろう。

 何故か、隣にいる女の子に悲しんで欲しくないからだ。

 記憶はなくても体が覚えている、という経験はないだろうか?

 長年積み重ねてきた行動、頭で忘れていても体が勝手に動くような経験だ。

 それと似たようなことで多分、心が覚えているのだろう。

 彼女と居ると僕は安心する。僕の心は安らかになる。きっと僕は彼女の事が好きなんだろう。

 でも、それは本当に?

 過去の僕と今の僕は繋がっていない。

 断絶された存在が僕だ。

 本来、記憶で自己を認識する存在の人間だが、僕はその記憶がない。主観的に自己を観測し続けることが出来ないのだ。

 つまり、昨日の僕と今日の僕は別人なのではないか?ということだ。

 僕の隣にいる少女は過去の僕との付き合いで一緒にいるだけで、今の僕とはなんの関わりもないのではないか?

 それを知った時、この少女は僕から離れていてしまうのではないか?それが怖いのだ。

 そして、その怖いという感情さえも僕のものなのか?

 僕という人間は過去の僕を模倣する人形ではないのか?

 そんな感情に押しつぶされそうになる。

 過去の日記を遡ってみると僕と似たような考えをする僕が居る。

 だが、僕の不安さえも一日で忘れ去ってしまう。

 僕はなんてからっぽな人間なんだ。

 僕と言う人間が生きているだけ無駄なのだろう。

 だが、僕が死んでしまったら隣の少女は悲しむだろうか?おそらく悲しむだろう。

 心に刻まれた記憶がそう教えてくれる。仮初のものだとしても、彼女に悲しんで欲しくないと思うのは今の僕の気持ちなのだから。

 彼女を心配させないように、僕は彼女の前では不安そうな顔はしないようにしよう。


 ――


 私の名前は…、どうでもいいよね。

 私は私。それ以外でもない。名前が重要だとはもう思わないから。

 貴方はそれをどう思うかは別だけどね。

 私には幼馴染がいる。

 性別は男の子で小さい頃から私と彼は一緒に過ごした。

 私は彼の事が大好きだったし、彼もきっと私の事を好きだったんじゃないかな?

 なんで過去形なのか。と疑問に思った方がいるかもしれないね。

 でも大丈夫。既に過去の人、という訳ではないから。

 まあ、死んでないだけで過去の人なのかもしれないけど…。

 というのも、彼は記憶が一日以上保持できない病にかかっている。

 彼自体はそれをどう受け止めているのかはわからない。

 彼がそれを見せないように取り繕っているから。きっと日記か何かで自分に伝えているのだろう。周りを傷つけないように。悲しませないように。

 だからか、彼がそういう病気だと気付いている人は学校でいないんじゃないかな?

 多少の事ならもの忘れが多いくらいで済まされるから。

 でも私にはわかるのだ。それこそずっと一緒に生きて生きた。ずっと彼を隣で見てきた。

 昔は私の名前で呼んでくれた。昔はからっぽな笑い方をしなかった。昔は周りを常に窺うようなことはしてなかった。

 勿論最初は悲しかった。

 昨日の事は覚えていないということは私と彼が過ごした時間も彼の中では無かったことになってしまう。

 彼との時間は私の中にしか残っていない。それを言っても彼は困った顔をする。

 そんな顔を見たくないから、私は昔の話をするのを止めた。

 彼が忘れてしまうなら、私が覚えておこう。

 彼の隣で、彼の為に。

 彼が心配しないように、私は気付いてないふりを続けよう。彼が困った顔をするのを見たくないから。


 ――


 いつからだろうか、僕の隣で歩いている女性が僕と一緒にいるのは。

 僕の主観では朝から、という答えが正しい。

 僕には記憶がない。正確には覚えていられないというのが正しい。

 何か違う媒体に出力しなければ僕はその日一日の記憶を失ってしまう。

 僕の家には日記がたくさんある。隣の女性が書いてくれたものらしい。

 実感がわかないのだが僕と彼女は結婚しているようだ。

 僕のような男と何故と添い遂げたのか、僕にはわからない。

 だけど、彼女の顔を見ているとそんなことは些細なことだと思う。

 きっと、心が覚えているのだろう。

 過去の僕と今の僕は僕の中では繋がっていない。

 でも、彼女のなかで僕と言う存在がずっと繋がっている。

 僕の代わりに彼女が僕と言う存在を繋ぎとめてくれている。

 僕は彼女に感謝している。


 心から。

 

 ――


 記憶というのは曖昧だ。

 昨日言ったことを忘れていることもあれば何年も前の事を覚えていたりする。

 記憶と言うものは円滑に人間関係を進めるものであって生きて行く上で必要なことはほんの一部だ。

 記憶喪失というものがあるが、あれはその円滑に進める部分を失ってしまうものなのではないか、そう考えるようになった。

 必要な知識は忘れ去られていない。それこそ言葉などを覚えているのがいい証拠だ。

 言葉と言うのは体が覚えているものなのだろう。頭の記憶と体の記憶は別物なのだ。

 そして、私は思う。

 心の記憶と言う物ものが存在するのだと。

 私の旦那は記憶をとどめておくことが出来ない病気だ。

 一日経ってしまえば私との関係すらもリセットされてしまう。

 だが、彼に私は貴方の妻です、と伝えると怪訝な顔もしないのだ。

 普通であれば確認するだろう。

 本当にあなたは私の妻ですか?と。

 自分の記憶に自身が無い人はそう聞くはずなのだ。

 なのに彼は私の事を妻だと認識する。それも空いた穴になにかすっぽり収まったように安堵した顔を浮かべるのだ。

 心の記憶というのは昨日の出来事とかそんなことを覚えているのではなくてそれこそ原始的な感情だけを覚えているような気がするのだ。

 恐怖、快楽、愛。

 彼と過ごしていて、上辺だけの記憶に対して重要視することはなくなった。

 大事なのは心の記憶。

 感情を隠している貴方。

 自分の心と向き合ってみてください。

 心に、自分に素直に生きてみてください。

 私から貴方達に伝えられるアドバイスですよ。

 

 ――


 僕の名前はなんだったか…、最早どうでもいい。

 僕には僕が僕だと言うことさえわかればいい。

 僕には記憶がないが生きる上で苦労はあるが辛いことではない。

 心に刻まれた記憶と言うものの存在を僕は認識している。

 それは普通の記憶とは違い、とても曖昧だ。

 だが、それはとても強く根付いている。僕みたいな記憶が無い者はそれが感じ取れる。

 この人が好きだ。嫌いだ。そういった感情に素直になれる。

 嫌いな人にそれを伝える必要はないが、愛する者には伝えなくてはないない。

 僕は今しか生きられない。

 感情を誤魔化していては一夜のうちに泡となって消えてしまい、相手に一生伝わらないのだ。

 だから、僕は心の記憶に従って伝える。

 精一杯の言葉で。

 記憶のない僕からのアドバイスだ。

 伝えるべき言葉があるのなら今のうちに伝えた方がいい。

 その気持ちが明日まで続くかなんて、分からないだろう?

 好きなら好きと伝えるべきだ。

 その気持ちは今の物で、明日の気持ちとはまた別のものなのだから。

 明日には明日の気持ちを、明後日には明後日の気持ちを伝える。


 

――それが記憶よりも、大事なことだと僕は思うからね。

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