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交響楽(シンフォニー)-遠い旋律2-  作者: 神山 備
再び桜花笑う季(とき)
5/36

口論

 今思えば、後のことを考えずにとりあえず車に乗り込み、どこかの崖まで突っ走ればそれで目的は達成されたはずだ。

 だが、意気地のない私は、思ったように自分の体が動かないのを理由に、決行をその日延ばしにしてきた。延ばせば延ばす程、私の決心は更に揺らいでゆく。

 

 それから何度めの通院時だったかは覚えていないが、三輪さくらはその日、リハビリ室にはいなかった。また、体調が思わしくなくなったんだろうかと心配になる。


 そしてリハビリを終えて私は、いつものように夕食の弁当を調達しようと地下の売店に下りると、そこに彼女はいた、なにやら雑誌の購入しているようである。

「こんにちは三輪さん、今日は非番?」

「松野さん、こんにちは今日は通院です」

彼女はそう言ってペコリと頭を下げると、私に弁当を次々指さしてどれが良いかと目で聞いて、私が頷いたものを持ってレジカウンターに置いた。

「ありがとう」

私は礼を言って、会計を済ませると、彼女は私の膝の上にその弁当を乗せた。すると、彼女は当然のように私の車椅子を押して歩き始めた。

「あ、三輪さん、良いですよ。非番の日まで患者の面倒なんか見なくても……それに、体調悪いんでしょ?」

なので、慌てて私はそう言った。いくら看護師とは言え、調子の悪い人間に介助をして貰うわけにはいかない。

「体調の方はもうすっかり。今日行ってきたのは、婦人科なんです」

すると彼女はそう言った。私は婦人科と聞いてごくりと唾を飲み込んだ。

「おめでたですか」

そして私がそう聞くと、彼女は一瞬口ごもった後、

「いいえ……」

と言った。見上げると何とも複雑な表情をしていた。

「すいません、失礼なことを言ってしまったみたいですね」

「そんなことないです。私、以前にあんなこと言ったし、そう思うのは当然ですよね」

私が謝ると、彼女はそう返した。

「私、この半年ですごく痩せたでしょ?」

続いて、彼女は私の顔を覗き込んでそう言った。

「ええ、曽我部さんにダイエットされたって聞きました」

「私ね、32kg痩せたんです。」

「そりゃ、すごい!頑張られたんですね」

私は32kgと言う数字を聞いて驚いた。以前は確かに明らかに太りすぎていたと思うが、そんなに減量していたのか。32kgと言えば、小学生一人分にも相当する重さだ。

「ええ、頑張りすぎたんです。だから、生理がなくなっちゃった」

彼女はそう言って自嘲気味にため息をついた。

「…」

「ごめんなさい!男の方に言う事じゃなかったですね」

思わず言葉を失った私に、彼女は慌てて謝る。

「いえ、大丈夫ですよ。これでもかつては妻子持ちですからね。こんな話題でどぎまぎするような若造じゃないですよ」

確かに率先して話したりはしないが、照れて聞けないほどの話題ではない。だが、

「あ…そう、そうですか、なら良かった。このまま放っておくと一生子供は産めないって言われて、通ってるんです」

彼女にそう返されて、私はその台詞に激しく反発を覚えた。(これから、誰の子供を産むつもりなんだ?) この前もそうだったが、生死の境を彷徨うようなくらいに思っていた男が死んでまだどれほども経っていないと言うのに、あの笑顔やこの言い草は何なんだと思った。

「三輪さんは、彼のことをさっさといい思い出にして、新しい男を見つける訳ですか! 看護師の三輪さんのダメージを少しでも減らそうと、別れまで切り出したそうなのに。同じ男として同情を禁じ得ない」

そこで、私は皮肉たっぷりにそう言った。すると、私を押している車椅子がピタッと止まり、

「あなたに何が解かるんですか!!」

一瞬の間の後、彼女は私の車椅子をどんと前に突いてそう叫んだ。


「あなたに何が解かるんです!!」

 もう一度そう叫んだ三輪さくらの目は涙に濡れていた。

「私だって一緒に逝きたかった。そんなの当たり前じゃないですか。

高広が死んだ後、私自身も危なかったんだよって、助かって良かったねって、いろんな人に言われる度、助けてなんか要らなかったのにって思いましたよ」

「は? ホントなのか? 俺なんか気がついたとき、やれるなら何で助けたって医者を殴ってやりたいくらいだったがな。

じゃぁ、なら、君はどうしてそんなにチャラチャラした態度なんだ。

俺は一年余り経った今でも、翔子や穂波の所に行きたくてうずうずしてるんだぞ。なのに、君は平気で次の相手との子供の話だ。しかも、倒れたあの日に彼が死んだんなら、まだ半年も経っていないじゃないか!」

それを聞いて私は、思わず彼女に言い放っていた。実は、彼女の涙を見たとき、拙いと心の片隅では思ったのだが、私は激昂していてもう、止められなくなっていたのだ。

「平気だなんて…平気な訳ないじゃない!」

私の言葉を受けて、彼女はそう叫んだ。

「だって、高広は『人の傷は癒えるから、心の傷だって絶対に癒えるから』って……『オレの分まで生きろ、それがオレの一番の望みだ』って……その言葉がなかったら……」

そう言うと彼女は車椅子に背を向けて泣いた。そして再び真っ赤な目で私を覗き込むと、

「松野さんは奥さんやお子さんのところに行きたいんですよね。じゃぁ、高広と代わってください!

高広はもっともっと生きたかったんです。

もう一度生きられるなら、彼はきっと一生歩けなくなったって、ううん、寝たきりだって喜んで生きるでしょうね。あなたなんかが生きるよりずっと良い人生を過ごせます。

だから、今すぐ高広と代わってください!!」

そう言い放って、正面玄関まで一気に走って行った。

「三輪さん、待ってくれ!!」

しまった、彼女を本当に傷つけてしまった。彼女は私のようにある日突然翔子や穂波を失ったのとは違うのだ。

 どれほどの期間かは知らないが、告知されてからはそれこそ、カウントダウンをするがごとくに刻一刻と迫る愛する者の最期と闘ってきたはずだ。私は何でこんな不用意な事を言ってしまったんだろう。私は彼女を追って力いっぱい車椅子を動かした。


 だが、私は彼女を追いかけるのに夢中になって、正面玄関の自動ドアを越えると、少しの踊り場の後に階段になっていることをすっかり失念していた。そしてそのことを思い出した時には既に私の体は自動ドアを越えていて、勢いをつけて漕いでいた車椅子は当然急には止まれず、私の体は階段から宙へと放り出された。

「松野さん!」

ガシャンという音に振り向いた彼女は、慌てて私の許に駆け寄ってきた。

「済まない……どうかしてた。よくよく考えれば本当に酷いことをいってしまった」

謝る私に、彼女は黙って頭を振ると、車椅子を立て直し、そこに私を乗せた。


「ホントに済まない」

車椅子に座ったまま私はもう一度三輪さくらに頭を下げた。

「いいえ、私も言いすぎました」

しかし、彼女は首を振り、そう言って私に頭を下げる。

「それじゃ、帰るよ。あ、弁当!」

その時私は、膝の上に置いていた弁当がなくなっていることに気付いた。辺りを見回すと、件の弁当は道の端に無残にもさかさまになって転がっていた。私はその弁当を取ろうと車椅子を漕ごうとしたのだが……

「痛っ!」

夢中で気付かなかったが、私は車椅子から落下したとき、手をどこかについていたのだろう。左手に力を入れると、少しだが痛みが走った。

「大丈夫ですか?何なら戻って検査を……」

彼女が看護師の顔になりそう言う。

「大丈夫、少し痛むだけだから」

それに対して私は、右手を振ってそう答えた。

「本当に?」

「ええ、こんなのあの事故に比べたら、大したことないから。気にしないで。」

確かに、力を入れるまで気づかないくらいの痛みだったから、大したことはないだろうし。帰ってしまえば2~3日痛んでも、家とその周辺なら何とかなる。

「松野さん、今日は運転されてるんですか」

すると彼女はこう尋ねた。

「いや、ここには乗ってこないよ。ものすごい早い予約でないと、障害者スペースは空いてないからね。ここに来るのはいつもタクシーで」

「じゃぁ、ここで待っててください。私の車を回します」

「そんな、いいですよ」

私の家は病院からそれほど遠くないが、彼女の家と同じ方向かどうかも分からない。それに、不快にさせた上送らせるのは何とも気が引ける。

「だって、タクシーで帰るにしても、降りた後があるでしょ?私のせいでけがさせちゃったし、送らせてください。」

しかし彼女はそう言うと、私の返事も聞かずにパタパタと自分の車を取りに走って行った。私は彼女を無視してタクシーの方に行くこともできたがそのままそこで彼女を待つことにした。

 戻ってきた彼女の車の後部座席は、既に倒されてフラットになっていた。彼女は手早く私を助手席に乗せると、車椅子を積み込んで走り出した。


「ホントにすみません」

私は車に乗り込んでから、三輪さくらに都合何度目かの詫びの言葉を言った。

「本当に、もういいですよ。私こそ、失礼なこと言っちゃいました。

松野さんはいきなりご家族を亡くされたんですもんね。それに比べたら、覚悟をする時間があった私は幸せだと思わなきゃ」

すると、彼女はこう答えた。

「あなたは前向きなんですね。私とは大違いだ」

「いいえ、私は今も高広と一緒に居たい、ただそれだけですよ」

そして、彼女はそう言った後、小さくため息をついてこう切り出した。

「ねぇ、松野さん…変なお願いをしていいですか?」

「何です?」

「あなたに高広の話をさせてくれませんか」

彼女は彼のことを全く知らない私に、何故彼の話をしたいと思うのだろう。不思議なことを言うなと私は思った。

「彼の話ですか。それはどうして?」

「他の人には聞かせられないから……

私が高広の話をすると、母も友人もすごく心配するんです。特に母は私がいつか彼を追いかけるのではないかって今でも思ってます、だからです。」

私はその言葉を聞いて内心ギクッとした。私の場合は、本当に妻や子供の許に行こうとしているのを悟られまいとして、逆に平静を装ってしまうのだが。彼女は彼から『生きろ』と遺言されたことを守ろうとしている-そう私に言ったばかりだった。

「みんな判で押したように忘れなさいとか、違うことを考えたらとか言うんですよね。でも、私は忘れたくないし、新しいことをしようとも思わない。あなたなら、その気持を解かってくれるような気がして……

ねぇ、そうだ、松野さんも奥さんやお嬢さんのお話を私に聞かせてもらえません? 私に思い出のおすそ分けしてもらえませんか」

そう言われれば、確かにそうだ。私が未だに妻や子供の話をすることに、周りは過剰反応する。先に逝った者は、遺された者の思い出の中でしか生きられないと言うのに。私は彼女の言葉にこくりと頷いて言った。

「じゃぁ、そうですね。三輪さんと……その……」

「高広、坪内高広です」

「その坪内高広さんとの出会いから聞かせてもらえますか」

「はい!」

私の実質承諾の言葉に、彼女は本当に嬉しそうに笑顔で大きく頷いた。そして、私に彼女が愛した男-坪内高広-の話を始めた。


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