翔真
中学の時、翔真は文化祭の恒例行事、「クラス対抗合唱コンクール」の伴奏に自ら志願した。年若い女性の音楽教師はよく自分の授業をサボる彼のその申し出に少なからず戸惑ったが、実際フタを開けてみると、彼女は別の意味で戸惑った。
(こ、コレって中学生のレベルなの?)
翔真は、当時巷で大人気のアイドル歌手を目指すゲームの曲を自ら合唱曲用にアレンジし、
「良いか、俺に外れた音なんか聞かせやがってみろ、ただじゃおかねぇ」
とそのデカい図体で凄みを聞かせて無気力な中学生たちに猛特訓をさせ、さらにはコンクール前日、調律道具をどこからか持ち込んで、合唱コンクールで使用するグランドピアノを完全にチューニングしてしまったのだ。
「勝手なことをする」
と言った彼女に翔真は、
「センセはよくこんな気持ちの悪い音で、弾いてらんな」
と、こめかみを押さえながら答えたという。自分には気持ちの悪い音など聞こえないのだがと彼女は思ったが、翔真は3音ほどどうしても我慢ならない音があるという。それでも練習だからと我慢したが、
「さすがに本番にこの音はないだろう。俺たちの歌が拙く聞こえる」
と尚も彼は力説するのだった。(この子ホントにプロなんだわ)
さらに、師事する先生を聞くと、そんなものいないという。しかし、
「かぁちゃんに指の動かし方と、さくらちゃん……あ、伯母さんに楽譜の『アドレス』教えてもらっただけだぜ」
と続けた翔真に彼女は首を傾げた。楽譜に似つかわしくない『アドレス』とは何ぞやと思ったのだ。そして、よくよく聞いてみると、彼の伯母は調によって表現を変えるイタリア語の階名を避け、ドイツ語の音名で指導したらしい。それを伯母はその音のあるべき位置と言うことで『アドレス』だと彼に教えた。さらには、中心のオクターブを無印、それより高音を+1、低音を-1と各鍵盤にすべて違う名前を冠したのだ。彼女は、確かに家でこんな専門的な学び方をしていれば、さぞかし中学校の授業などかったるいだろうなと、妙に納得してしまった。
だが、それだからこそ、これからは高名な先生に師事するべきだと音大に進むことを彼女は強く勧めたが、翔真はそれを、
「たりぃ」
の一言で片付け、6年間コンクールの伴奏はやったものの、彼はごく普通の大学に進み、そこで彼のお眼鏡にかなった仲間と「REAL BAMP」を結成し、インディーズデビュー。さらに、二年後には全国デビューを果たしたのだった。
ちなみに、バンド名の「REAL BAMP」は、凄みを聞かせて、バンバンだめ出しをするリーダー翔真のことを、メンバーが番長と呼んでいたから。バンド名を考えるとき、
「翔真のバンドなんだから、リアルな番長でいいんじゃね」
とメンバーの一人が言った一言にほかのメンバーが悪ノリして、しばらくは本当に「リアルな番長」で活動していたが、さすがにその名で売り込むのもコミックバンドみたいだと、番長をBAMPにして、デモテープを持ち込んだのだという。
そしてこの、翔真の芸能界デビューが笹本家全体を大きく変えていくことになろうとは、翔真本人さえまったく予想していなかったのだった。
実はこの「アドレス」方式は、私が実際に習ったやり方です。
私の師事した先生は、『楽譜は地図、よく見てきまったお家にちゃんとお届け物をすると、きれいな音楽になるのよ』と教えてくれました。




