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交響楽(シンフォニー)-遠い旋律2-  作者: 神山 備
再び桜花笑う季(とき)
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世界の崩壊

 私は焼けつくような痛みの中で目覚めた。

(ここはどこだろう)

そう思って辺りを見回そうとするが、私は頭をピクリとも動かすことができなかった。ぼんやりとした視界の中に、何本かのプラ製の管が映り、バイタルチェックの規則正しい音が耳に付く。


(ここは病院なのだな。じゃぁ、アレは……)


 そして次々と蘇ってくる私が意識を失う直前の温かな記憶と、そのあとの忌まわしい記憶。

その記憶に私が体を小刻みに震わせると、すぐそばにいたらしい私の母が私に慌てて駆け寄った。

「芳治? 芳治! ああ、良かった……あんたまでいっちゃったらどうしようかと……」

と母は泣きながら私の名を呼んだ。

「おふくろ? 何泣いてるんだよ。 それより翔子は? 穂波は?」

それに対して、そう聞いた私の声はかなり力をつかって振り絞り出したにもかかわらず、小さくかすれていた。

「ああ…翔子ちゃん、翔子ちゃんと穂波ちゃんね。あのね、今はここにはいないの」

母ははっとして私を見た後、歯切れ悪くそう答えた。


 妻の翔子と娘の穂波-2人はこの場に居ないだけではなく、もうこの世のどこにもいはしなかった。たった一瞬の出来事が、私から愛する家族、いや私の全てを奪い去ってしまっていた。


 それは、霧雨が降る寒い日だった。


 私たち夫婦は結婚記念日を祝うため、1歳10か月になる穂波を連れて予約してあったレストランへと出かけた。長年ホテルの厨房を任されていたオーナーシェフが、奥さんと二人で始めた小さな店。

穂波は車の形をしたお皿に並べられた彼女のための料理を、

「ブーブ、ブーブ」

とにこにこ笑って、ペタペタ叩いた。ワインを飲みながら、

「ああ、誰にもやりたくないよ」

とつぶやいた私に、

「あら、今からもうそんなこと言ってんの?」

翔子はそう言って笑い転げた。


 楽しいひと時を過ごして、帰途についた私たち。アルコールの入ってしまった私に代わって、ハンドルを握っていたのは翔子だった。

 そして、あと10分もかからすに家に到着する場所だった。

 パトカーのサイレンが遠くの方に聞こえた。やがてそれは徐々に大きくなり、あまり良い音ではないスピーカーでの警告が聞こえた。

(なんだ、違反逃れか)

そう思った途端、いきなり強い衝撃が私たちを襲った。

 それは、私たちの車が交差点に入る直前、右側からその違反を逃れようとする一台の車が速度を落とさずに左折し、曲がり切れずに私たちの車に激突したのだった。


 追突された側の、翔子と穂波、そして追突した相手側の男はほぼ即死だった。そして、助手席にいた私だけが、辛うじて命の灯をつないでいるという状態だった。

 しかし、それも風前の灯。全身を強く打ち、私の骨は、手、足、肩、ろっ骨と両手に余る数が折れていた。特に右足は粉砕骨折。搬送中に死亡してもおかしくない状態だったが、それをなんとか持ちこたえ、私は2度の大手術を経て奇跡的に命を取り留めたのだ。


 ようやく、その事実を知ることになり、私が一人取り残されたという現実に打ちひしがれて涙を流しても、その時は自分で涙を拭うこともできない……そんなただの肉塊に私はなり果てていた。


 何故だ、何故私だけが死ねなかった!相手の男の違反逃れの暴走より、そんな男が愛する妻と娘と共に遠い地へと連れ去ってしまったことが腹立たしく、やるせなかった。

 

 祝いだとワインを飲んだことが悔やまれた。もし、あのとき酒さえ飲んでいなければ、帰りの運転はもちろん私がしただろうから、死んでいたのはたぶん、私のはずなのだ。私が翔子を殺した。そう思って、翔子のご両親に一言詫びを入れたいと思っても、自分から出向くこともできない。

 ただただ、上を向いて横たわるだけの日々。

 

 そして、

「会社に、そろそろ辞表出さないといけないんだろうけど…こういう場合、口頭で良いんだろうか」

私は見舞いに来た同僚にそう言った。

私の仕事は営業職、足で稼いでなんぼの世界だ。医師には右足の粉砕骨折の完治は難しい、杖に頼らなければ長時間の歩行は無理だと診断された。もう復帰しても、以前の部署には就けない。件の事故は私から仕事も奪ってしまったのだ。

 私はもはや、ゼロ以下……それどころかマイナスからの新たな人生に期待など持てるわけもなかったが、そんな私の気持ちを置き去りにしたまま周囲の努力のおかげで身体は順調に回復していった。


そして、その日退院を迎えた。


 私が退院後の計画として思い描いていたのはただ一つだけ……私の障害のために改造された車の乗り方をマスターしたら、それに乗って誰も知らないところに行って自分の人生を終わらせる。それだけだった。


 そんな私の目にいきなり飛び込んできたもの……それが私の病棟の看護師、三輪さくらの涙、

「気、気にしないでくださいね。松野さん……」

と何度も言いながら泣きじゃくる姿だった。


 私は何故この三輪さくらという女性が泣いているのか、見当もつかなかった。私は何か彼女に失礼なことをしたんだろうか……つらつらとそんなことを考えてみるも、思い当たる節は全くと言ってなかった。


皮肉にも、その狐につままれたようなエピソードのおかげで、かろうじて私は絶望に突き進むような気持ちで父の運転する車に乗り込まずに済んだ。


「本当にお前、あの家に戻るのか…」

「ああ、俺の家はあそこだよ。それにさ、いつまでも親父たちに頼ってばっかもいらんないだろ」

どうせ、この障害は全部消えてはなくならないのだから。今はともかく、父や母の方が先に年を取る。自活していないとずっと脛をかじることになるんだと、親たちには言い含めたが、私の本心はそこにはなかった。私が、自らたった一つ心に決めたことを実行するには、親と同居していては動きづらい。ただ、それだけだったのだ。


 私の自宅マンションは既に車いすでも動けるように段差を全て取っ払い、フローリングを貼ってあった。それはそれまでの私の世界の全てを失った代償でされたものであることに、私はやるせなさを隠せなかった。こうやって自活のための方策を練っているパフォーマンスをするためだけに、翔子や穂波を失った代償を遣ってしまった自分が自分で腹立たしい。

 しかし、それもあと少しだ。来週には改造車の教習を受けられる。一刻も早く他の人を巻き込まないだけの技術を身につけたい。自分が舐めた辛酸を、他人に遭わせたりなんぞしたら、それこそ家族の許には向かえないと…


 私は呆れるくらい直向きに、本末転倒なゼロに向かっての闘志を燃やしていたのだった。



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