第4章:距離の意識
ちょっとずつ、ゆっくり関係性は進みます。
数日後の昼下がり。
ヴァルディア北区の大通りには、柔らかな日差しが差し込んでいた。
石畳を踏む人々の足音が重なり、露店からは焼き菓子の甘い香りが漂う。
昼の市場は朝よりいくらかゆっくりとした空気が流れている。
アレンは薬屋のカウンターで、薬草を手際よく仕分けていた。
「これは乾燥棚に……。あ、猫。それは寝る場所じゃないよ」
棚の上では、黒猫が当然のように丸まっている。
背中の白い月模様が、日に照らされてくっきりと浮かび上がっていた。
「看板猫なのに、いっさい働く気がないんだから」
そうぼやいた瞬間、入口のベルがチリン、と澄んだ音を立てる。
アレンは顔を上げた。
そして――少しだけ目を見張る。
「……騎士様?」
扉口に立っていたのは、長い銀髪を後ろに束ねた男。
長身をすっと伸ばし、整いすぎた顔立ちは店内でもひときわ目立つ。
レオンだった。
「少し寄った」
相変わらずの簡潔な挨拶だ。
「薬が必要なんですか?」
「いや」
レオンは視線を店内へ巡らせる。棚に並ぶ薬瓶、乾燥された薬草の束。
吊るされた香草が揺れ、ほのかに香る静謐な空気が流れていた。
「街の巡回だ」
「なるほど。巡回ついでに寄ったんですね」
アレンが笑うと、レオンは否定も肯定もせず、ただ彼をじっと見つめ――
「……?」
アレンは小さく首を傾げた。
「どうかしました?」
「一つ、聞きたい」
レオンの低い声は落ち着いていた。
「君の魔力」
アレンの手がわずかに止まる。
「……魔力?」
「隠しているな」
あまりに直球で、アレンは苦笑した。
「騎士様って本当に回りくどいの苦手なんですね」
「事実を遠回しに言うのは好きじゃない」
淡々とした声に沈黙が落ちる。
奥の棚で黒猫がゆっくりしっぽを揺らしていた。
「……少し、確認していいか」
「確認?」
「魔力だ。――手を貸してくれ」
思いがけない言葉だった。
「えっ、手……?」
「触れれば魔力の流れがより見える」
魔導士のいる騎士団では一般的な確認方法だ。
だがアレンの胸に一瞬、焦りが走る。
(まずい……触れられたら、隠してる魔力が全部読まれる)
とはいえ――断る理由もない。
「……どうぞ」
アレンがそっと手を差し出すと、
レオンの大きな手が包み込んだ。温かかった。
硬い手のはずなのに、不思議と優しい触れ方だった。
アレンの胸が一瞬だけ跳ねる。
(ち、近い……)
レオンの真剣な視線が手元へ落ちる。
「……力を抜け」
「はい」
指先から流れ込む魔力。
静かな波が手のひらに触れ、広がっていく。
そして――レオンの眉がかすかに動く。
(……これは)
魔力量、質、密度。
どれも規格外。
上級の魔導士をも凌ぐ可能性がある。
そんな魔力を、この青年は何事もなく隠していた。
レオンが顔を上げる。
視線が、正面からアレンとぶつかった。
アレンは気まずそうに笑う。
「……ばれちゃいました?」
「隠したな。途中で魔力を閉じた」
「さすがですね。隠すのだけは得意なんです」
アレンは肩をすくめた。
魔法の腕は未熟でも、幼い頃から“隠す”練習だけは重ねてきた。
意識してないとできない為、常に隠せる訳ではないが。
そして表情が少しだけ引き締まる。
「事情があるんです」
レオンは黙って聞いていた。
「話せないのか」
「……はい」
小さく頷き、静かな声で続ける。
「でも、悪いことに使うつもりはありません」
嘘の響きではない。
レオンは短く考え――そっと手を離した。
「わかった」
それだけ。
追及もしない。
アレンはかえって驚いた。
「……いいんですか?」
「事情があると言った。なら、聞かない」
ただ一つだけ、とレオンは続ける。
「狙われやすい。……警戒しろ」
「です、よね……。気をつけます」
やり取りは短い。
だが店の空気はさっきより柔らかくなっていた。
レオンが出て行こうとしたとき――黒猫が足元へ近づく。
「……猫か」
レオンが見下ろすと、黒猫はまっすぐに見上げた。
「この子、店の看板猫なんです」
「看板猫?」
「全然働かないですけどね」
猫はタイミングよくあくびをする。
レオンの目がわずかに細くなり、それは笑みのようにも見えた。
「……また来る。巡回のついでに」
アレンは思わず吹き出す。
「それ、絶対ついでじゃないですよね」
返事はなく、レオンは静かに店を後にした。
銀髪が石畳の通りに溶けるように遠ざかる。
アレンはしばらくその背中を見送り、ぽつりと呟いた。
「……不思議な騎士様だな」
黒猫は棚の上で再び丸くなる。
薬屋には、穏やかな時間が戻った。
だが――
レオンの胸には確かな思考が芽生えていた。
あの魔力は、常軌を逸している。
そして……
「……私よりも高い魔力」
小さく呟きながら、レオンは歩き続けた。
アレン→森からついてきた猫、結局うちで飼ってるけど……看板猫してくれないんだよなぁ。やる気ゼロの姿も、それはそれで可愛いんだけど。
レオン→あの猫、名前を聞き忘れた。あんなふうに近寄ってくれるなんて珍しい……。気になるな。




