初めての人助け
ジリリリリリリリッ!!
いつものように爆音で俺の鼓膜を刺激する機械を見もせずに乱暴にぶっ叩く。音が鳴りやむと、意識が朦朧とした状態で俺に被さっている毛布をどかした。
どうか……どうか夢であってほしい。
窓から侵入しているうざったい太陽の光を全身に浴びながら、頭の中で切々と願い、自室を出て一階にあるリビングへと向かう。
リビングのドアを徐に開けて中に入ると、白装束を着た銀髪の女が目に入った。
そいつはのうのうと朝のニュース番組を見ていて、俺が入ってきた事にまだ気がついていないようだ。
はぁ、やっぱり現実だよなあ……。
そして、いつもならリズム良く聞こえてくる包丁がまな板を叩く音が今日はしない。
その理由は、昨日の夜まで遡る。
♂♀
「てかそろそろ俺の親帰ってくる時間だから、俺の部屋で黙って静かにしてろよ」
小腹を満たすために先ほど作ったカップラーメンを口に運びながら向かいに座る"神様"に言葉を放つ。
「何故じゃ?」
意味が分かりませんとでも言いたいかのように首を傾けてアホ面を晒してきた。
「普通に考えてもみろよ、帰ってきたら知らぬ間に見覚えのない白装束銀髪の女が家にいたら完全に混乱するだろうが」
「なら、おぬしの彼女ということにすれば自然ではないか? こんな美人を彼女に出来るなどおぬしは幸せ者じゃのう」
ふふん、と笑いながら"神様"が胸を張って言ってくる。
まあ、確かに美人だ。そこは否定しないでおこう。だがな、銀髪で白装束着ている女なんて殆どいないだろうが。真っ先に疑われる事は目に見えてるんだよこの馬"神様"。
「せいっ!」
「熱つつつつつつつつつ!」
"神様"が俺の事を指差すと、箸を持っている俺の右手が勝手に動き出して湯気が立っている麺を俺の鼻の穴に突っ込もうとしてきた。
「おいっ! ふざけんなよお前! 俺まだ何もしてねえだろ!」
空いている左手で、未だ突っ込もうとしてくる右手を押さえつけて動きを止める。
「おぬし、今儂の事馬鹿にしただろう?」
「してねえーっつうの!」
「嘘をつくと、おぬしの大事な男の勲章を引っこ抜くぞ」
「すいません! 嘘です!」
素直に白状すると、満足気な顔して人差し指を降ろす。そしたら俺の右手は普段通り俺の言う通りに動いてくれるようになった。
もう嫌だ。嫌だ嫌だ。何で俺があんな奴に謝らなきゃいかんのだ。てか俺こんなんじゃねえだろ。惑わされんな俺!
顔を両手でバチンと強く叩いて、気合を入れなおした。のと同時にインターホンの独特の音がリビングに響く。
「おっ、帰ってきたようだぞ!」
ソファから飛び立ち、玄関へ向かおうとする"神様"。
「ちょっ! お前は行くなぶっ!」
俺も立ち上がって"神様"を止めようと腕を伸ばしたら、振り向きざまの遠心力を利用した平手打ちが俺の顔面にヒットした。
俺が床で平手打ちを食らった頬を抑えてもがいている間に、"神様"は玄関の方へ小走りで向かっていく。それを見た俺は、痛みを無視して立ち上がり、追いかけようとしたのだがもう遅かった。
ガチャ
「ただい・・・・・・へっ・・・・・・?」
ドアを開くのとほぼ同じに聞こえてくる母親の間の抜けた声。
そして次に聞こえたのが、全ての元凶"神様"の声。
「京介の母親じゃな? さっそくで悪いが少し眠ってもらおう」
頬を押さえながら、速攻玄関まで走って視界に入ってきたのは、母親の顔面を鷲掴みにしている"神様"の姿があった。
もう俺の母親は鷲掴みにされている手を離したら倒れてしまうと分かる程、全身の力は抜けきってぐったりとしていた。
「てめえ何やってんだよ!!」
本日最大の怒気を込めて放った言葉に、"神様"は身体をびくつかせて弁解をするためか慌てて口を開いた。
「ち、違うぞ! 別におぬしの母親に危害を加えている訳ではない! 少し変えているだけじゃ!」
「何を変えてるってんだよ!!」
俺の問いに答える前に、母親の身体がビクッと動いた。
突然の動きに俺と"神様"の会話が一旦ストップし、俺たちは母親を凝視する。母親は目を開き、数秒間虚ろな目をしていると思ったら、ハッと我に返り、目に生気が宿った。
……正直、生気が戻った母親の最初に発した言葉は信じられないものだった。
「あら、久しぶりじゃないの神ちゃん!」
か、かかかかかかかかかかか神ちゃんんんんんんんんんん!?
母親は"神様"と知り合いですよと言わんばかりの気さくさで気軽に挨拶をしている。
「どうもー! ご無沙汰してますぅー」
母親に神ちゃんと呼ばれたこいつは、いつもと違う古臭い喋り方ではなく、あたかも現代人のような喋り方になった。俺は何が起きているのか、現状整理が全く追いつかずただ口をぱくぱくさせているだけ。
そんな状態の中、俺と母親の目が合ったと思う暇もなく、またしてもとんでもない事を俺に言い放った。
「それと京介、お母さんはお父さんの所にいってくるから、それまで当分お留守番よろしくね!」
「はっ!? 真面目にいってんの!?」
もう何回驚ろけばいいのか分からないが、いきなりそう伝えてきた母親に俺は更に驚愕する。
いや……だってよ、今父親は出張でアメリカに行ってるんだぞ? んで言葉も分からない知らない国になんか行きたくないって断固拒否った母親がアメリカに行くなんて信じられん。てか行く意味が分からない。そんな遠くに勝手に行って俺を自由にしてくれるなら喜んでいかせるが、こんな意味の分からん"神様"を残して一つ屋根の下生活とかやっていける気がしない。空を跨ぐ前に、超絶最凶"疫病神"をこの家から追い出してから行ってくれよ……。
「それじゃ、準備してくるねー」
母親は乱暴に靴を脱ぎ捨て、階段を駆け上っていった。
色々と"神様"を罵ってやりたい所だが、その前に俺の疑問を聞くとしよう。
「おい、お前、何やった?」
落ち着きを取り戻した俺は、"神様"を見据えて言葉を投げかけた。
「ちょいちょいっと記憶を改竄しただけじゃよぉー」
頭に両手を回して、いつも通りの古臭い口調でそう答えてきた。
記憶を改竄? 要するに自分の都合のいいように記憶を勝手に書き換えたって事か?
「これでもう儂がおぬしの母親に疑われる事は一切ない! よって儂はここの家に心おきなく居れるって事じゃ!」
ハッハッハッ! と高らかに笑いながら俺の横を悠々と通り過ぎていく。そんな平然としている"神様"を見て、くるりと"神様"のいる後方に身体を向けた。
「一言だけ言いたい事がある」
「何じゃ?」
惚けた表情で俺の言おうとしてる言葉に耳を傾ける。そこで、今俺が思っている事にいちばんしっくりくる二文字の言葉を吐き出した。
「死ね」
こいつに対して辛辣な言葉を放ったのが何回あるのか覚えてないが、多分、今まで生きてきた中で一番思いが籠った言葉だったと思う。
だけど、こいつは微塵も堪えた様子はなく、今度は"神様"から言葉を投げつけてきた。
「なら儂も一つ言いたいことがある」
「っんだよ」
凄んでいる"神様"の雰囲気に少し圧倒されそうになりながら、俺はこいつの言葉を聞こうとした。そしたらいきなり、にんまりと笑って口を開いた。
「おぬしの母親の記憶を改竄した時、儂はおぬしの彼女って事に記憶を設定しちゃいました! えへっ」
自分の頭に拳をコツンと当てて、とんでもないことを言い放ちやがった。俗に言うてへぺろをしながら。
まあ待て、落ち着こう。いつもここでむきになって切れるからいけないんだ。的確に言葉を並べていこう。
「いい歳してその仕草はきもい。流石にないわ。吐瀉物以下だわ」
「うっ!」
歳の事を言われ、少しダメージを受けたのか項垂れて恥ずかしそうに下を向いた。
よし、初めて"神様"を負かした。てか"神様"に勝つって俺すごくね?
何とも言えない優越感に浸っていると、階段をドタドタと騒がしく母親が重そうな荷物を両手に持って駆け降りてきた。
「あー重い重い。それじゃ、いってくるからね! 京介の事よろしくね」
「はい! きっちり面倒みますんで安心してください!」
"神様"は今まで受けていたショックを感じられない程の元気な返事をして、満面の笑みを浮かべる。
「京介、子供はまだ作らないでね」
「黙れ」
母親の軽口を一蹴したら、"神様"はその言葉に便乗しやがった。
「はい! ちゃんと付けさせるんで!」
「だから黙れ」
"神様"の軽口も一蹴すると、いきなりヘッドロックを掛けてきた。
「このっ! その悪口を作り出すのはこの頭か!」
「痛ででででででででっ! 割れる! 割れるから!」
こんな細腕のどこにこんな怪力があんだよ! てか胸当たってる当たってる!
そんな苦痛と柔らかさが同時に俺を苦しめ、俺は完全に身動きが出来ない。
「仲が良いのねえ。これなら心配いらないわー」
おい生みの親。これが仲良く見えるんだったら眼科か脳外科に行くことをオススメするぞ。しかし、この思いは言葉にならない。てか痛くて言葉なんぞに出来ません。知らないうちに頭をロックされていたはずが俺の首の位置までずれていて、今となっては頸動脈を綺麗に締めあげられている。
あ、やば……。
そして、俺は意識が遠いところへぶっ飛んだ。
♂♀
とまあ、やっと昨日の散々な一日はこうして終わった。その後はおそらく"神様"がベットまで運んでくれたんだろうけど、『寝た』のではなく、『気絶』したまま朝を迎えたからなのか、身体がもんの凄く気だるい。
そんな俺の気持ちを知らずにソファにふんぞり返ってテレビを見ている"神様"に無性に腹が立つ。そこで、ニュースキャスターの人が今日のニュースを読み上げ始めていた。
「えー、一週間前、銀行強盗をした狭山健太郎容疑者が未だに見つかってはおりません。特徴は三〇代前半の男性で、身長は一七〇前後。青のジーパンに黒いパーカーを着ていたようです。警察は捜査の範囲を広げて捜査をしていますが、未だ行方を掴めてはいません」
画面にその強盗野郎の顔写真が映し出されたが、何ともまあ気持ち悪い顔をしている。こりゃ犯罪犯しそうな顔しとるわ。まあ俺には関係ないけど。
俺は棚からカップ麺を取り出すと、今まで反応のなかった"神様"が立ち上がって俺に凄い勢いで寄ってきた。
「おはようなのじゃ! ところで儂もそのカップラーメン食べたいぞ!」
「なら自分で作れ」
「えー! 作ってくれたっていいじゃろー」
猫撫で声で更に言い寄ってくる"神様"をシカトし、俺は自分の分のカップ麺にポットからお湯を注ぐ。こいつも観念したのか、しぶしぶ自分のカップ麺を取り出しお湯を注いでいる。
俺はカップ麺の待ち時間の間、先ほど消されたテレビを再びリモコンで電源を入れ直す。一瞬で画面が映し出されて、丁度良いタイミングで今日の天気予報が放送されていた。
「今日はお天気は晴れ後曇りです。午前の間は太陽が出ていますが、午後からは本降りの雨が予想されそうです。気温は三十二度で、ムシムシした一日になりそうです」
雨が降るのか、傘を持っていかないとな。しかし、三十二度ときた。まぁ、もう六月下旬だから仕方ないか。
その後の内容は全く耳に入れず、目の前のカップ麺のフタを開けた。
「よっこいせっと」
俺がフタを開けるのと同時に、"神様"は俺の隣に腰掛けた。
てか狭い。何で一々こっちにくるんだよ。
「おい」
「何じゃ?」
「みなまで言わせるな。あっちに座れ」
俺は右手に持っている割り箸で向かい合わせにあるソファを指差した。だけど、"神様"は構わず更に俺に近寄ってくる。
だから何で寄ってくるんだよ!
「あっち行けって言ってんだろ!」
「何でじゃ? 儂らは彼氏彼女の関係だろう?」
「それはお前が勝手に決めたことだろうが!」
静止しても悪びれた様子もなく、逆にからかってきてるのか、更に寄ってくる。もはや、俺のスペースは無くなり、このまま来られるとマジで密着して色々とまずい。
ああーくそっ。本当面倒くさいな!
仕方なく自分から席を立ってカップ麺を手に向かいのソファへと腰掛けた。すると、おもむろに"神様"も立ち上がってまた俺の隣に座ろうとしてくる。
「おいっ」
「冗談じゃ」
少しキレ口調で声を発したら、薄ら笑いを浮かべてソファに座り直した。
本当疲れる。
しかも、気付いたらカップ麺の待ち時間はとうに過ぎていて、中身はただの汁を吸ってでろんでろんになった麺が敷き詰められていた。
もう欝になる。いやこれはもう欝になってる可能性もあるくらい気分が沈むというかなんというかもう何なのだろうか……。
でろんでろんになった麺を一気に啜る。多少熱いが関係ない。一刻も早く家を出て目の前にいるこいつから離れたい。こんだけ学校に行きたくなった気持ちは久しぶりだな。
自分の思考に自嘲して、スープを全部飲み干しカップ麺をゴミ箱に投げ込む。
まだ′神様’は食べ終えてない。一生懸命ふーふーしている。よし、この隙にさっさと準備してさっさと家を出よう。
ここからの行動は早かった。五分で髪を整え、五分で制服に着替え、玄関で靴を履く。
よし、これならまだカップ麺に夢中になってるあいつは気づかない。
玄関のドアを開けたらまだ朝とはいえ、明るい日差しと夏らしい熱気が舞い込んでくる。……と同時に目の前にはプカプカ浮きながらカップ麺を食う’神様’が一匹。
「お、まだこんな時間なのにもう学校へ行くのか! 京介、おぬし案外真面目じゃのう」
口角を釣り上げてにやりと笑い、麺を啜る姿を見たら一気に肩の力が抜けた。
ああどうせ付いてくるんだろ? そうなんだろ? 聞かなくても分かるはそんなん。
無言で歩を前に進めると案の定プカプカ浮遊しながら後を付いてくる。
「てかお前のその姿って他のやつらに見られるんじゃないのか」
「それに関しては周りに見えなくしているから大丈夫じゃ。そこは抜かりなくやらせてもらってるぞ。では、今日は儂と京介の初登校日じゃ! 張り切っていこー!」
後ろでエイエオーやってるこの馬鹿を誰か滅してください。本当にお願いします。しかもちゃっかりもう名前で呼んでるし、しかも姿消せるならわざわざ記憶改ざんしなくても良くね? こいつまじで半端ない。
世の中の’神’ってのはみんなこうなのか? とか考えると頭痛が……俺は黙って通学路を歩いていった。
♂♀
「いやー、それにしても京介、おぬしだいぶ嫌われておるのう」
俺の頭上を浮いている’神’はひそひそ話をしてる同じ学校の奴らを見渡しながら渋い顔を浮かべていた。いつものことだ。俺は慣れた。毎度毎度こいつらもよく飽きねえなあ。
「逆にここまで嫌われるのも一種の才能じゃぞ。あとそのメンタル。普通なら不登校もんじゃろうに」
「こんな奴らにとやかく言われたところで別に気にせん。要は自分がどうしたいかだろ。俺の人生にほぼ関わらん奴らに何言われようが関係ない」
極力周りに聞こえないように小さく言葉を吐き出す。本当に思ってることだが、このままだと俺死ぬらしいしな。人生関係ないとか言ってる場合ではないと思うんだが、死ぬなら死ぬでいいしなあ。
とかそんなことを思っていると、後ろから駆け足の音が。ああ、これまためんどくさいやつだ。
「優山ぁー!」
背中を思いっきり叩かれる。ほら、また来たよお節介野郎が。
「おはよう! こんな早い時間に登校してるとか珍しいな! やっと私の熱い気持ちが届いたか優山ぁー!」
バシバシと手加減なしでぶっ叩いてくる馬渕。
「暑苦しいわ! ただでさえ熱い気温で参ってるってのに声はでけえし痛えし本当やめろ! 痛っ! てかまじで痛いから叩くのやめろっておい!」
「おお、すまんすまん! 嬉しくなってつい、な!」
なんか今日は馬淵が上機嫌だ。いつにも増してうざい。そして周りは馬渕を見るやいなやさっきの嫌な雰囲気が嘘かのように皆笑顔でこいつに挨拶している。なかなかうざいこいつなのだが、変に周りからは慕われていて、こいつも笑顔で挨拶を返している。
’神様’も馬渕をまじまじと見つめ、ふんふんと頷いている。
「なかなか上質な魂を持っていると思っていたが、ここまで素直に魂に従える人間も珍しいのぉ」
浮遊しながら馬渕の周りをくるくる回り、そう呟く’神’。
「まあ、最初から上質だったわけでもないがな」
意味深なことを言って、ひょいと俺の頭上に戻ってきた。てかもう暑い。早く学校にいってクーラーの効いてる教室で寝たい。そのまま足早に学校へ向かうが、隣にぴったりと馬渕も付いてくる。
「おい、もうちょっと離れろよ」
「なんでだ! クラスも一緒だしこのまま一緒に登校するに決まってるだろう!」
間抜けな顔をして何言ってんのこいつみたいな表情しやがって。お前がいると良くも悪くも目立つから嫌なんだよ。と言ったところで更に面倒くさい問答を繰り返す事になるのでこのままスルーして全力ダッシュ。慌てて馬渕も追いかけてくるが、どうやら足は俺のほうが速かったようだ。
「は、速! 優山! お前そんな足速いなら体育祭でリレーのアンカー決定だな! だから少し速度を落としてくれー!」
だから、の意味が分からん。’神様’も頭上に飛びながらほくそ笑んでるし、何なんだほんとにこいつらは。そしてそのまま馬渕を振り切り、無駄な汗をかきながら学校到着した。
「朝から健康的な汗をかいてて誠に良い事じゃな」
「うるせー……はぁ……っ、つ、疲れた」
我ながら体力ないな。くそ暑いし。さっさと教室にいこう。重い足取りで階段を上り、教室を開けると涼しい空気が俺を包む。と同時に訪れるクラスメートからの嫌な雰囲気。俺はシカトして自分の席について五分後。馬渕が息を切らしながら教室のドアを開けた。おお、案外早かったな。
「ゆ、ゆうやまぁ……待ってくれと言っただろ――」
「馬渕さんおはよう! どうしたのそんな息切らして」
「おはよ! 愛すごい汗かいてるけど大丈夫?」
俺に対しての言葉は周りのお陰で掻き消え、疲れながらもあいつは笑顔で挨拶して寄ってきた奴らに言葉を交わしている。教室でもあいつなんか分からんけど人気もんだからな。人の家に土足で不法侵入する奴のどこがいいのか全く分からんけどもな。
「んー、あの女子がお主に何故あそこまで関心を持つ理由、知りたいか?」
’神様’が空中で寝転がり肩肘付きながら俺を見てくる。少し俺が興味ある素振りを見せると、’神様’はまたほくそ笑んで何も答えず教室を出て行ってしまった。
なんだあいつ。いいや、どこいこうが周りに姿見えねえならなんでもいいしな。
しかもあいつは律儀だから話が続くと自分から会話を絶とうとはしない。あの調子だと馬渕が俺のところに来るのはなさそうだし、これで一安心ってもんだ。
そのまま少し時間が経ち、朝のHRが始まるチャイムがなった。
それと同時に開かれる教室のドア。いつもなら何気ない光景だが俺は目を疑った……。
「さあさあ! 朝のHRの時間だぞ! みんな元気か!」
一言一言が変に魅力があって、妙な説得力があり、メガネを掛けワイシャツにタイトスカート履き、銀髪ロングの’神様’が教壇に立っていた。
「おおおおおおままおま! 何やっとんじゃ!!」
思わずでかい声を上げてしまった。教室の奴らが一斉に俺の方へ向くのが分かったが、’神様’の妖艶で人を引き付ける声がまた全員の視線を釘付けにする。
「お前とは先生に向かってひどいやつだな! 私は先生なんだぞ先生! そこら辺よろしくっ!」
口調も変え、メガネをクイッと上げながらドヤ顔で俺を注意してくる先生兼’神様’。いやほんとあいつ何やってんの。姿見せないとか言っといてこれかよ。しかも先生だぞ何考えてんだよ本当に。
ぶつぶつ俺が言っていると馬渕が手を挙げて’神様’……いや、今は先生なのか?とりあえずその先生モドキに質問を投げかけた。
「あ、あの! 私たちの担任の重盛先生はどうしたんでしょうか!」
「重盛? ああ、あの先生は半年間諸事情でこれない! だから私が半年間、お前たちの先生だ!」
両腕を腰につけ胸を張りそう宣言すると、チョークを持って黒板にどでかく文字を書きなぐる。
「自己紹介しよう! 私の名前は『神宮寺 神』(ジングウジ ジン)だ! 神宮寺先生とでも呼んでくれ! あだ名は神様! ロシアと日本人のハーフ! だから銀髪! 教科担当は全部! 現代文から数学、英語、歴史日本史、理科からなんでもどんと来い! 超絶分かりやすいように説明してやろう! このクラスに限っては私が全部仕切る! 異論はないか!」
シーン……と静まり返る教室。
「ふむ、元気が足りないようだな。 もう一度聞くぞ……異論はないか!!」
その透き通るような、なんというんだろうか、一気に持ってかれるという表現がいいんだろうか。二度目の問に対して先ほどとは一転、全員が元気良く返事をした。あ、ちなみに俺以外の全員、な。
「うんうん。先生は素直な生徒を持てて嬉しいぞ! さて、早速だが、生徒会の書類が溜まっているらしくてな! それを手伝ってくれる生徒を募集している! そうだよな、馬渕!」
「は、はい!」
名前を呼ばれて慌てて立ち上がる。この学校、一学年人数が多いので生徒会に入れるのは二学年からなんだが、馬渕はどうしても生徒会長になりたいらしく、頭を下げまくって生徒会(仮)として雑用をやらせてもらってるらしい。
「じ、実は神宮寺先生が言ってくれたように今人手が足りなくて、今日の放課後残って一緒に簡単な書類をまとめてくれる人を探しているんだが……誰かいないか?」
馬渕のお願いに、スッと小さく手を挙げる女子が一人。
「わ、私で、良ければお手伝い、し、します」
ごにごにょと小さく消え入りそうな声でそう言った……ええと、誰だっけな?
「おお! そうか! 加賀里美香! よろしく頼むぞ!」
俺の思考を遮って発言したのは先生こと’神様’。ああ、そうだ加賀里だ。身長が小さく小柄で、まさに小動物って感じの女。黒髪セミロング、控えめで口数も少なく、暗い雰囲気を纏っている。てかあいつ俺でも知らないのに良く知ってるな。さすがはポンコツでも’神’ってところか。
素直に褒めると負けた気がするので中傷しながら思っていると、馬渕がもう一人、出来れば男手が欲しいんだが……と唸っていると、目を丸くして俺の方を見ている。
なんだよ。俺を見たってやらねえよ。何鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔してんだよ。
「ゆ、優山ほんとか!? 手伝ってくれるのか!?」
「いやいやだからやらねえって――」
否定の言葉を紡ぎだそうとした時、思わず自分で言葉を失う。
そりゃそうだよ。だって俺、手あげてんだもん。しかも超まっすぐ。今にも天井突き刺さるんじゃねえかって勢いでもうまっすぐ。ほんとまっすぐ。
……いやいやいやいやちょっとまて! おかしい! 腕降りねえし!
「ちょ、まてこれ。おい! 神このやろう! 腕下げろ!」
傍からしたら訳わかんない発言をしているのは分かっている。ただ俺はこの現象、犯人は誰だか確信を持って言っているのだ。こんなこと出来るのは教壇の前でにやにやしているあいつ以外見当たらねえ!
「そうかそうか優山。率先して手を挙げるなんてなんて偉い奴だ。内申点上げとくからな!」
そんな俺の言葉を無視し、腕を組んでうんうんと頷いている。クラスの奴らはまじか……みたいな顔してるし、馬渕に限っては目に涙溜めて今にも泣きそう。
「ゆ、ゆゆうやまぁ……抱きついていいか……」
「やめろまじで本当にやめろ。逆に手伝うから抱きつくのだけはやめてくれ頼む」
「そうか、たしかにそういうのは付き合ってからだな」
まじで抱きついて来そうだったので手伝うのを条件に止める。てかその発言も周りに誤解生むからまじでやめてくれ。お前と付き合うとかないからまじでないから。
「よし、じゃあ朝のHRは終わり! このまま1時限目始めるぞー」
’神様’はニヤニヤしながら俺にウィンクをしてきて、そのまま教科書を開く。
家帰ったら不意打ちで頭殴ってやる。そう心に決めて憂鬱な授業が始まった。