軽車輌に大口径を積む大馬鹿野郎
昭和五年、春。
東京陸軍兵器本部の設計局に、一風変わった男がいた。
名は宮嶋啓三、三十七歳。工兵出身の陸軍技術少佐で、あだ名は「大口径」。
背は低く、常に無精髭を生やしていたが、目だけは異様にギラついていた。
「啓三、また何か描いてるのか? 今度はどんなトチ狂った砲だ?」
同僚の技術中尉が声をかける。宮嶋は図面の上に顔を伏せたまま、鉛筆をくるりと回して答えた。
「三十口径七糎半、戦車砲だよ」
「は? 軽戦車に七五ミリ? お前、正気か?」
「軽車輌だ。“戦車”とは言っていない」
呆れるような笑いが部屋にこだました。日本陸軍の現用軽戦車――九〇式軽装甲車は、せいぜい機関銃しか積めない。七五ミリなど、暴挙でしかない。
だが、宮嶋はやる気だった。
「戦車は、機関銃で歩兵を蹴散らすだけの時代じゃない。これからは『火砲』を持ち、敵の砲兵、陣地、そして戦車を砲で殴る時代だ」
誰も真面目に取り合わなかった。上司も苦笑いで一言。
「だったら、馬鹿野郎として記録に残しておけ」
そうして宮嶋は、“軽車輌に大口径を積む”という狂気の計画に、本気で取り掛かる。
──昭和六年。
彼が目を付けたのは、新型の試作豆戦車。国産初の完全履帯式小型車輌だ。重量わずか四トン。
だが宮嶋はそれに、砲身長一・五メートル、七五ミリ短砲身砲を搭載しようとした。
技術会議では非難轟々だった。
「砲の反動で車体がひっくり返るぞ!」
「そんな砲弾、どうやって積むんだ!」
「一両で何するつもりだ、日露戦争か!?」
それでも宮嶋は資料を出し、図面を重ね、模型を作り、部下に鉄板を切らせた。
ある日、彼を訪ねてきた若い士官が問いかける。
「宮嶋少佐、どうしてそこまでこだわるのですか? 砲兵が扱えばいい火砲を、なぜ戦車に?」
しばらく沈黙の後、宮嶋はぽつりと語った。
「兄が、日露戦争で死んだ。歩兵だった。ロシアの陣地に突撃して、無数の弾に倒れた。彼の死は“勇敢”と言われたが……俺には、無駄死ににしか思えなかった」
机の上の木製模型を撫でながら、続ける。
「俺の作るこれが、塹壕を吹き飛ばし、敵の砲座を黙らせ、歩兵を一人でも多く生かすなら……馬鹿と言われても、本望だ」
若い士官は敬礼した。
「その馬鹿野郎、応援します」
──昭和七年、秋。
試作一号車、完成。仮称「一式砲搭装甲車」。
砲は旧型の七五ミリ山砲を短砲身化し、車体前部に半固定方式で搭載。
反動は油気圧緩衝器とサスペンションで吸収、防盾付きで小型化を図った。
試射の日。場所は陸軍技術本部の演習場。多くの将校が見守る中、車輌がゆっくりと進み、敵陣に見立てた土嚢に砲口を向ける。
「発射!」
──ドンッ!
凄まじい音と衝撃。土嚢陣地が吹き飛び、場に一瞬の静寂が走った。
「……見事だ」
誰もが唸った。試験官も、将校も、言葉を失った。
一人だけ、宮嶋は静かに笑っていた。
だが、試験成功=量産ではなかった。陸軍省は「戦術的意義が不明」との判断を下し、制式採用を見送った。
理由は山ほどあった。装甲が薄く、弾薬が少なく、車速が遅く、射界が狭い――
宮嶋は後に降格を言い渡された。それでも、悔いはなかった。
「俺の任務は終わった。馬鹿でも、最初の一歩を踏み出した。それでいい」
設計図は封印された。だが後年――昭和十四年、支那戦線で突撃砲が求められた際、その図面が再び開かれる。
新たな設計士が、その名前を見てつぶやいた。
「軽車輌に大口径を積んだ、あの大馬鹿野郎か……」
そして、笑った。