★第5話★ “氷河”の辺境伯
ラルゴ神殿での生活は、想定していたよりも順調で快適だった。
ここには出迎えてくれたアニマ・ジュスト神官様と、“仕え女”のマーチャさんが所属している。
神官アニマ様は快活でさっぱりとした大らかな性格だ。
“仕え女”のマーチャさんは穏やかな人柄の働き者だった。
まだ油断はできないが、嫌がらせなどは一切ない。
定められた時間に祈りを捧げ、神殿を清掃し、庭園という名の菜園と薬草園を手入れし、食事を用意し共に食べる。
久しぶりに緑と触れ合い、調理も大神殿で嫌がらせでこき使われていたときより、ずっと楽しい。
安らかすぎて、天国に感じるほどだ。
〜〜*〜〜
到着したその日、警護の近衛騎士達は神殿には宿泊せず、ラルゴ辺境伯騎士団の本部に向かった。
一夜の宿を借りただけとは思えない。
ピナ様からの書状を預かっているはずだ。
ここでも“あの話”を広められ、“悪辣令嬢”“底辺聖女”という目で見られるのかと思うとゾッとする。
防衛手段を取るべきだ。
「遠いところをようこそ。夕食には早いので、お茶でもしましょうか」
「ありがとうございます。ジュスト神官様」
「アニマと呼んでください。こちらの“仕え女”はマーチャさん。働き者で助かっているんですよ」
「マーチャです。聖女ステラ様。よろしくお願いします」
「かしこまりました。アニマ様、マーチャさん。
私もステラと呼んでください。
不束者ですがよろしくお願いします」
お茶の用意も手伝い、三人で一つのテーブルを囲み薬草茶と手作りクッキーを味わう。
大神殿では見ない光景だ。
神官と聖女はありえても、“仕え女”と一緒の飲食は、私も初めてだ。
郷に入れば郷に従えとも言うし、マーチャさんの人柄のためか、自然に振る舞えた。
落ち着いたところで、「実は……」と私の事情をかいつまんで伝える。
「ほう、ステラさんの“聖具”は角笛だっちゃ?
あ、失礼。角笛ですか」
アニマ神官様の言葉は、南部の方言だった。
神官になりここに来た経緯は自然とわかっていくだろうと思い、私からは聞かない。
「どうぞ、お言葉はそのままで通じます。大神殿には各地から巡礼者がおいでで、そのために勉強しました」
「では、ありがたく。角笛っちゃあ珍しいもんで。
見せてもらってもよかと?」
「はい、どうぞ」
私は収納ケースから角笛を取り出し、アニマ神官様に手渡す。
「えらい立派なもんや。山羊とかと全然違う。
なあ、マーチャさん?」
「本当ですね、アニマ様」
「吹いてみてもいいっちゃ?」
「……“聖具”は与えられた聖女しか演奏できないんです。ただお試しならどうぞ。大神殿でもありましたので」
「じゃ、お言葉に甘えて」
アニマ様が吹いても、やはり音は出なかった。
「不思議なもんちゃね〜。まあ、神様が下さったもんやし、大事にするっちゃ。はい、ステラさん」
「ありがとうございます」
私は角笛を《浄化》し収納ケースに納める。
「まあ、さっきの話は安心するっちゃ。
おりゃあも訳ありやし、マーチャさんもそうっちゃ。
ステラさんはそんな悪辣令嬢とかにみえんけん、ここではのんびりするといいっちゃ。
転地療養のつもりでいんしゃい。
思いつめんと、そのうち吹けるようになるやろう」
角笛が吹きこなせないことについて、初めて温かい言葉に接した。
頑なになっていた心が緩みそうになるが、やはり自責してしまう。
「ありがとうございます。
ただ角笛が吹けないと、私は“底辺聖女”のままです。病気や怪我で苦しむ方々を癒せません」
「今までは薬草を使った薬で治療してたっちゃ。
信者さん達には、女性の神官さんが来たっち言うとく。
聖女のかっこうなんち、ここでは誰も知りゃあせん」
「……アニマ様。よろしくお願いします」
「ただ領主様には着いたっち、知らせないけんけん、その辺も説明しとく。
ごあいさつにも行かないけんし、日を聞いとくわ。おりゃあも行くし任せとくっちゃ」
「はい、よろしくお願いします」
ラルゴ城に面会の日取りを問い合わせた結果は、1週間後だった。
その間、私の荷物の少なさを見た神官アニマ様は、早速厚手の冬用の聖女の着衣を調製するよう手配してくださった。
さらに出来上がるまでのコートを買いに行く店も教えてもらい、一緒に選ぶ。
神官も聖女も“仕え女”も、基本は白い服装だが、神官アニマ様は茶色や黒も着ていた。
「白は汚れやすいけん、この色なんよ。礼拝の時だけ着るっちゃ」
「私が着て《浄化》すれば、綺麗になりますよ」
「おお、それはすごいっちゃ!」
早速お二人の白い着衣を数枚ずつ《浄化》し、とても喜んでもらえる。こんな経験も初めてだった。
「本当に助かるっちゃ。ありがとなあ」
アニマ様のお日様のような笑顔に、お父様の笑顔が重なる。
グレースお母様と私と三人で寛いでいたり、遊んでくださったとき、よく笑いかけてくれていた。
この小さな神殿は、傷だらけの私の心を少しずつ癒してくれていた。
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領主様との面会日——
私はアニマ様と馬車に乗り、ラルゴ城を訪問した。
アニマ様と城内の方々は顔見知りで、親しげにあいさつを交わし、中には気安く話しかける方もいた。
やはり人望があるのだな、と納得する。
アニマ様は9年前の魔物の大襲来時、前任者が死亡したため赴任した。
土魔法の名手で、破壊された神殿も修復し、城や“防壁”の修理にも助力した。
今は主に菜園や薬草園で使っている。
案内もつけずに、堂々と城内を我が家のように歩き、執務室に礼儀正しく入室する。
私も続き、アニマ様の斜め後ろでお辞儀する。
「領主様、アニマです。お疲れ様です。
赴任した聖女ステラ殿があいさつに参りました。よろしくお願いします」
執務室には領主クラヴィ様が机に向かい、何かの書類を処理していた。脇には男性が一人、書類挟みを持って立っている。
領主クラヴィ様は美しく長い銀髪を一つにまとめ、緑と赤の金銀妖瞳でちらっとこちらを見て、また書類に向かう。
凛々しく整った顔立ちだが、人を寄せ付けない雰囲気を強く感じる。
こんな態度も慣れている。私は隙を見せずに礼儀正しく振る舞えばいい。
お辞儀から背筋を伸ばし姿勢を正して立つ。
「ステラ・コルピアと申します。拝顔の栄に浴し、恐悦至極でございます。
微力ながら、ラルゴ神殿で心を込めて奉仕させていただきます。
不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」
「本当に微力で、不束者だな」
書類を見たまま、言葉で切りつけてきた。
こういう態度と物言いをされれば、『人間嫌いで冷酷な、笑ったこともない』とも言われるだろう。
地表を削る“氷河”のように、相手の神経も削ってくる。
こちらの出方を試し、心の制御ができる人物か観察しているのだろう。
「誠に恐れ入ります。領主様の仰るとおりでございますので、大神殿で得た知識と経験を活かし、ラルゴ神殿で精進させていただきます」
「あまり面倒は引き起こしてくれるなよ。俺の仕事が増える」
「お心遣い、ありがとうございます。ご迷惑をおかけしないよう、誠心誠意、努めさせていただきます」
「あいさつならこれで充分だろう。下がってよし」
「かしこまりました。御前を下がらせていただきます。
本日はお忙しい中、お時間を取っていただきありがとうございました。
領主様に神のご加護があるよう、お祈り申し上げます。失礼いたします」
もう一度深々とお辞儀し、アニマ様と一緒に執務室から下がった。
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この様子を見ていたもう一人の男性、行政補佐官ランザ・クイーロが口を開く。
「聖女ちゃん、綺麗だったね〜。“悪辣”にも、“底辺”にも見えなかったけど?
あの、王子妃気取りの手紙のほうがガセなんじゃない?」
アニマ神官の方言は独自設定で、色んな地方が混ざっています
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