★第2話★ 治癒魔法
「お父様。私の言葉を信じてくださらなくてもいいんです。
ただこの箱を預かってくださるだけで充分です。
できれば王城のお父様の執務室に置いてください。
私は嘘つきと思われても構いません。
でもお母様、グレースお母様との大切な思い出だけは失いたくないんです。
私の部屋では、もう、守れません……」
「そうか……」
お父様は困った顔をされる。
私といるとき、もう心からの笑顔を見せていただけなくなった。
弟モルデンをあやし、義母マルカや義姉ラレーヌとの団欒のときの笑顔を、遠くから見つめるだけだ。
食事のときでさえ、私だけ離された席だった。
義母マルカが、『心配だから』と弟を載せたゆりかごを、朝食室や晩餐室に持ち込んだためだ。
『弟モルデンには近づかない』という約束は厳格に守らされ、私は部屋で一人で食べることもできず、親子四人の楽しそうな団欒を見せつけられていた。
「……わかった。預かっておこう。
ちょうどいい、ステラ。私からも話があるんだよ。
お前に“癒しの力”が発現しただろう。
ぜひ神殿に入り、修行をするといい。
聖女に認定されれば、良い縁談もあるだろう」
「?!」
“癒しの力”、治癒魔法のことは、まだ誰にも話していなかったのに——
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この王国での魔法の発現は、10代の貴族階級に多い。
15歳未満で発現した者は、魔導具のピアスで魔力を封印される。そして王立学園の魔法科に15歳で入学し、その制御や技術を学ぶのだ。
ただし希少な治癒魔法は別格で、発現後は年齢に関係なく神殿で“修行”し、治癒魔法を学ぶよう国法で定められていた。
治癒魔法の発現者は、ほとんどが女性だ。
神殿での修行後、14歳で受ける認定式で聖女と認められれば、“聖具”が与えられ魔力が増大し、治癒魔法で他者の怪我や病気を癒し、魔物の穢れも浄化できる。
この聖女認定は非常に名誉なことだ。
聖女と認められたあとは神殿だけでなく、15歳以降は王立学園魔法科でも学ぶ。
そしてこの王国では、聖女に純潔は求められない。治癒魔法の衰えとは関係ないと実証されていた。
そのため、お父様の仰るとおり、希少な治癒魔法の名誉と血筋を求め、良縁に恵まれることが多い。
過去には王族と結婚した方々もいる。
治癒魔法だけでなく、他の属性の魔法を扱えるだけでも良縁はある。魔法の発現者が徐々に少なくなっているためだ。
お父様は水魔法、グレースお母様は風魔法の属性だった。お母様が生前、お父様とは王立学園で恋仲となり結婚したと嬉しそうに話してくださたこともあった。
義母マルカや義姉ラレーヌには、魔法は発現していない。していたら私にとっては最悪だっただろう。
どの魔法でも私へのイジメに用いたに違いない。
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私の治癒魔法の発現は、いつだかはっきりはしていない。
義母マルカや義姉ラレーヌにイジメられ、つねられたり叩かれたり蹴られたりした時に、身体をさすっていると、いつのまにか痛みがなくなり、あざも消えたりしていた。
はっきり自覚したのは、本を読んでいて紙で指を切ったときだった。
うっすらと血がにじんだ指を、片方の手で触れたとき、ふわっと白い光が現れると、傷が消えていた。
何これ?!すごい!
驚きのあと、喜びに浸ったのも束の間、容赦ない現実が襲いかかる。
義母マルカと義姉ラレーヌに知られれば、『傷はなくなるんだものね』と、イジメが悪化するのは目に見えていた。
だから悟られないようにしていたのに、と思う自分にある記憶がよみがえる。
義姉ラレーヌは、私だけではなく、ペットもイジメることがあり、入れ替わりが激しかった。
その日も、猫にひっかかれ逆上した義姉ラレーヌは、猫を蹴り続け、使用人に『もう死んでいます』と言われ、片付けさせた。
使用人がゴミ捨て箱に投げ入れた猫は、まだ半死半生だったが、微かに鳴いていた。
その声が私のいた図書室までか細く響き、耳から離れず、つい“癒しの力”を用い逃してしまった。
——きっと、あれを、誰かに見られたんだ。
さあっと顔が青ざめる。
義母マルカと義姉ラレーヌに知られれば、私はあの猫と同じようにされるだろう。
それを理解した時には、もう答えは決まっていた。
「お父様。“癒しの力”のことは、どなたから伺ったのでしょうか」
「執事長だ」
私はほっとする。彼なら義母マルカや義姉ラレーヌに言ってはいないだろう。
だが時間の問題だ。
執事長が直接見ていたのではなく、報告を受けただけなら、その目撃者があの二人に言う可能性もある。
「わかりました、お父様。
仰せに従い、明日にでも神殿に参ります」
「明日だと?」
「はい。1日も早いほうが良いと思います。
ただ一つだけ、約束していただきたいことがあります」
「ふむ、言ってみなさい」
「お義母様とお義姉様には、神殿に参ることを、絶対に秘密にしていただきたいのです。
話すのは執事長だけにしていただけませんか。
無事に神殿に入りたいのです」
一度神殿に入れば、面会も簡単にはできない。
本人が望めば、拒否することができる。
このため、暴力を振るう夫から逃れるため、既婚女性が神殿に駆け込み、“仕え女”として奉仕することも多かった。
これもこの国の宗教についての授業で知ったことだ。
家庭教師の先生は意図的に教えてくれたのかもしれない。
「…………わかった。では明日の早朝にしよう。
もう遅いが、今から支度できるのか?」
「はい。神殿にはドレスや宝飾などは持ってはいけないと聞いています。
身の回りのことは“仕え女”がしてくれますが、自分でもしなければならないとも。
不要なものは置いていきます。
すぐに……。無くなってしまうでしょうが……」
「ステラ……」
お父様は自分そっくりの跡取り息子を産んだ義母マルカに、強くは言えないのだろう、と途中から察しがついていた。
またグレースお母様と義母マルカの実家は、マエスト公爵家だ。
何人も王妃を出したり、王族が降下している名門だ。
義母マルカの離婚は、そんなマエスト公爵家にとっては醜聞で、公爵家と侯爵家という力関係上、二度目の離婚は、よほどのことがない限り許さないだろう。
この屋敷の外で、公の場で、罪に問われるようなことをしない限りは——
「お父様。モルデンのことをどうかよろしくお願いします。
あの子はまだ真っ白で、歪んではいません。
マルカお義母様やラレーヌお義姉様のようになってほしくはないのです」
「それは約束しよう。あの子は物心つく前から領地で育てたいと考えていた。
私もそうやって育った、と言えば、強くは逆らえまい。
マルカは王都からは離れないだろう」
社交家で派手好きな義母マルカの性格を、お父様も見切っているようだった。
そして、領地は両親と共に何度も過ごした思い出の場所だ。
王都よりも空気が澄んでいて、明けの明星も、宵の明星も、夜には星の河も美しく見えた。
グレースお母様が私の頭を優しくなでながら、仰っていた。
『ステラ。あなたの名前はこの星々からもらったのよ。
星は夜はもちろん、昼間でも人の目には見えなくても、輝き続けているの。
どんな時でも努力を続け、輝くような人になれますように。そんな願いを込めたのよ』
この言葉と、なでてくださった手の優しさを何度思い出したことだろう。
あの領地なら、弟モルデンも健やかに育ってくれるだろう。
「……ありがとうございます。お父様」
「ステラ。手紙は王城宛てに書きなさい。
これが私の執務室宛てのものだ。
それと執事長に命じ、お前の口座をこの信託銀行に作り、一生困らない財産は預けておく。
そこは安心しなさい。
せめてもの、詫びだ……。
本当にすまない……。
グレースは決して、許しては、くれないだろう……」
王城の執務室への宛先と銀行名を記したメモをくださる。
何かの本で読んだ“手切れ金”のようだ、と子どもながらに苦く思う。
ただ手紙のやり取りはまだしてくれるのだ。
完全に縁を断ち切る訳ではない。
私の家庭教師について、お父様は義母マルカに口は挟ませず、義姉ラレーヌとは別の人間を通わせ、学ばせてくれていた。
住み込みにすると、二人の嫌がらせですぐ辞めていったためだ。
事情を察した先生方からは、『身につけた知識は裏切らない』と教えを受け、勉強に打ち込み、それがイジメの救いでもあった。
私は家庭教師の先生から教わったとおり、お辞儀する。
「お父様……。ありがとうございます。
では、失礼いたします」