★第23話★ “白い結婚”生活 下
クラヴィ様は立ち上がると、私の前に跪き、左手を取ると、『ドアーフの宝』の上に接吻をされた。
指輪越しでも伝わった温かさは、私にとって結婚式の額への接吻だけしか知らない。
あれは儀式の内だったから心構えも少しはあったが、これはまったくの不意打ちでうろたえそうになる。
だが不意に思い出したこちがあった。
お母様が亡くなるまでは、私の頬や額によく接吻をしてくれていた。お父様もそうだ。
あのころはまだ抱きしめたり、抱え上げてくださり、頬や頭に唇を落とされ、「おひげが痛い」などとはしゃいでいたのだ。
そうだ。あれと一緒だ。家族愛の現れなのだ。
「ステラ。あなたに私の心からの忠誠を捧げよう。あなたは私の貴婦人だ……」
「クラヴィ様……」
「ずっと側にいてほしい。私の側で助けて、支えてほしいんだ……」
ああ、力強い同志を得られたと思っていらっしゃるのだろう。
ランザ様やジョッコ様のように信頼してくださるなら本望だ。
「はい、私もお側におりますわ。たとえ“白い結婚”でも夫婦なんですもの」
クラヴィ様は私の手を取ったまま、すぐに立ち上がる。
「ステラ。それは、あの、その、俺達は……」
「えぇ、ランザ様やジョッコ様のように思ってくださって、とても光栄です。本当に嬉しゅうございます」
苦難を乗り越えた親友達と同様に考えてくださるなら、これほど誇らしいことはない。
柔和に微笑みながら、心からの言葉を伝えていると、グラツィオ様の声が扉の外からかかる。
「兄上!お義姉様!夕食だって!一緒に食べよう!」
「ふふっ、まずはグラツィオ様に微笑みかけるよう、試してみるのはいかがでしょう。
兄上は優しいんだ、と仰っておいででした。
私も着替えてまいりますね」
「ステラ……。その……」
「大丈夫でございます。どうか気を強くお持ちになってくださいませね。橋渡しなら喜んでいたします。
では着替えてまいりますわね」
「…………」
私が執務室を出ると、クラヴィ様は入れ違いに入ってきたグラツィオ様を抱きしめる。
「うわっ、どうしたの、兄上」
「グラツィオ、俺は、お前を、大切に、思ってる」
「うん、わかってるよ。僕もだよ、兄上」
「……あ、愛してる、と言ってもいい。笑わないか?」
「もちろん!すっごく嬉しいよ。少し、照れちゃうけど。僕も兄上のこと、大好きだし、愛してるよ」
「……そうか。ありがとう……」
夕食ではグラツィオ様はとてもご機嫌で、今日あったことをたくさん話され、クラヴィ様にもいつもより多く話しかける。
私は兄弟の仲睦まじい姿を、少しうらやましく思いながら見守っていた。
〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜
「はあ……。やっと自覚して、勇気を振り絞ったのに、それだと、ぜ〜んぜんっ、伝わってないね〜」
夕食後はまた互いに執務に別れ、クラヴィはランザとジョッコを呼び寄せ人払いした上で事情を話す。
ランザの言葉にジョッコが大きく頷く。
「自覚ってお前ら……」
「丸わかりすぎるほど、丸わかりだったよ?
ヘタレだったけど、その歳で実質初恋なら仕方ないよね〜」
「初恋、言うなッ!」
「だってそうじゃな〜い。違うなら言ってみろよ!」
「………………」
「ほら、やっぱり。
まあ、ステラ様も恋愛経験皆無みたいだし、あんなに綺麗なのに自分に自信がなくて、まさかクラヴィが自分を好きだって、ま〜〜ったく思ってないだろうから、がんばって!
もっとはっきり伝えるしかないよね〜。
幸運にも結婚してるんだ。がんばれ、旦那様!」
「健闘を祈ります。クラヴィ様……」
「…………相談はさせてくれ。はあ、ペザンテ山脈を登るより難度が高い。高すぎる」
「泣き言、言わないの。今までのツケを払う良い機会って捉えるんだね〜。
さあ、仕事仕事。ほら、寝る前の夫婦の時間が大切なんだから、がんばれ!
結婚してるからって油断するな!あきらめるなよ!」
「あきらめたりするものか!夫婦の時間か……。
そうだな。積み重ねでいくか……」
「ふう……。ステラ様は鈍いみたいだから、もっとはっきり言わないとダメだと思うよ。
グラツィオ様には言えたんだから、そこはがんばれよ!」
「…………わかった」
「あ、でも気持ちを伝える前に、実力行使とかは絶対にダメだからね。それはルール違反だよ」
「んな事するか?!仕事だ仕事!遅れる訳にはいかないんだ!」
クラヴィは書類を手に取ると、気分を切り替え、仕事に集中した。
〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜
そんなやりとりも露知らず、私は夕食後、職務に励んでいたが、そこには美容が加わった。
書類を見ながらでもいいか、とカレン様に相談したら呆れられ、書類を取り上げられてしまう。
「美しさも辺境伯夫人の果たすべき立派なお仕事でございます。リラックス効果が半減しますので」
カレン様の仰るとおり、それに値する時間なので受け入れようと思う。
こんな罪深い時間があってもいいのか、という気持ちよさだ。
それを伝えると、担当の侍女の方が喜んでくれる。何よりのことだ。
夫婦の寝室でのひと時は、気持ちをはっきり伝えたためか、心の距離も前よりずっと近く感じる。
ワインを味わいながら、互いの楽しかった幼いころの思い出を語り合う。
昨日よりもクラヴィ様も楽しそうで、よく相槌を打ち、時には優しい眼差しで見つめてくださったり、照れたりしてらっしゃる。
私の前では、『“氷河”っぽいかな?』と思うくらいだ。
周りの方々にも少しずつ打ち解けていければいいと思う。
私の思い出はグレースお母様との時間が圧倒的に多い。
お父様は今でも好きだが、苦い思いも湧き起こるようになってしまった。
「そろそろ休もうか」
「はい、クラヴィ様」
ベッドにエスコートされた時、手を預けるだけでもなぜか恥ずかしくて俯きそうになる。
昨日もしてくださったことだし、塔の階段や馬車の乗り降りなどで、慣れているはずなのに、これでは信頼を疑われてしまう、と静かに深呼吸して心を落ち着かせる。
昨夜は“工作”に集中していたので、今と比べれば緊張してなかったのだと、改めて悟る。
ベッドに体重を乗せ軋む音だけでも緊張してしまう。横たわってもいつものように脱力しマットレスに身体を預けきれない。
まぶたを閉じようとしたとき、不意にクラヴィ様が姿勢を変えられた。横向きになりこちらを見ている。
それだけで胸の高鳴りを覚えてしまう。
ステラ、何を考えているの?家族なのよ、家族。
不謹慎な考えはやめよう、とぎこちなくも微笑んでみる。
全く眠気が来ていないので、頬杖を突き私を眺めるクラヴィ様に、グレースお母様と楽しんだコルピアの領地について話す。
するとクラヴィ様が緑と赤の金銀妖瞳の瞳を細め、提案してくださる。
「落ち着いたら一度、コルピア侯爵領を俺と一緒に訪問するのはどうだろうか。
秘密裡にコルピア侯爵とも落ち合い、弟のモルデン君とも会えば、久しぶりの親子三人だろう?」
義母マルカや義姉ラレーヌは全く口になさらない優しさに瞳が潤んできてしまう。
嬉し泣きしそうで口許に両手を当てると、私を『んっ?』と覗き込むクラヴィ様を見上げる。
「ありがとう、ございます、クラヴィ様……」
「連れて行けたら、グラツィオも一緒に、でもいいか?」
「はい、もちろんですわ」
夢のような話に先ほどまでの緊張も取れ、一日中張りつめていた気持ちも一度緩むと眠気が襲い、ふわふわとした心地のまま眠りにつく。
まどろみの中でクラヴィ様がそっと頭をなでてくださったような気がした。
次の朝は早起きし私が朝食を作ったら、とても喜んでくださった。
《結界》の保持作業のあとも、リュートのレッスンの時間を持てたり、と忙しくも穏やかで、楽しみさえある新婚生活が3週間ほど経ったある日——
大神殿からラルゴ新殿へ、私宛ての召喚状が届いた。




