★第13話★ 音楽の喜び
1週間後——
《結界》の保持作業を行ったあと、音合わせをする前に、クラヴィ様の伴奏を聞かせてもらう。
中々の出来上がりで、いくつか修正点を指摘し練習をしている間に、私も発声の基礎練習をする。
これでも白い光があふれてしまう。今更なのだが気恥ずかしい。
「合わせてみましょうか」
「わかった」
クラヴィ様が選んだ『尊き至福の瞳よ』という曲は、リュートの前奏から始まる。
愛する人の美しさを讃えた歌で、外面だけではなく内面にも触れ巡り逢えた喜びを謳っていた。
『その瞳に自分が映るのは誇らしく至福の心地だ』と歌い上げ、リュートの後奏で終わる。
余韻が消えたあと何点か修正した上で数回繰り返し、充分な仕上がりと判断する。
「こちらで大丈夫でございましょう。お疲れ様でした」
「弟のためにすまない。これが終われば言い聞かせる」
私はグラツィオ様の兄クラヴィ様への優しい気持ちと言葉を思い出していた。
「グラツィオ様はクラヴィ様のことも考えてのお願いなのです。
『父上も「張りつめた弦はいつかは切れる」と仰っていた』と仰せでした。
私もそう思います」
「………………」
クラヴィ様の緑と赤の瞳に見つめられるが、怯まずに微笑みじっと見返す。
「クラヴィ様、リュートを一心に弾いていて、楽しいというか、嫌なことを忘れられた、といったことはございませんか?」
はっとした表情が微かに浮かぶ。
私の前では無表情が、かなり無表情くらいになってきていた。
「それは……。あった」
「でしたら、お心のままに奏でられるのはいかがでしょう。
人払いをした上で《結界》を張れば音は洩れません。自由に弾いて、歌ってみてはいかがでしょう。
恋愛以外の曲もございます。私が書写してまいりましょう」
「いいのか?聖女殿」
「はい、問題ありません。むしろ楽しいくらいです。
覚えている曲を楽譜に書き写していると、演奏していたころを思い出し、音楽が記憶の中で響いてくるのです。
認定式までは知識の学びと音楽が私の友であり、神殿での修行を支えてくれていました」
懐かしくも辛い日々を思い出し、わずかに苦笑する。
「湿っぽい話を申し訳ありません。参りましょうか」
「ああ、協力に感謝する」
私はクラヴィ様にエスコートされ、副団長閣下と共に塔を降りる。
今日はそのまま、グラツィオ様のお部屋を訪れた。
そこで、明日のピアノレッスンの前にリュートの演奏を聞かせると話すと、グラツィオ様は大喜びだ。
「ありがとう、兄様!ありがとう、ステラ様!」
満面の笑みに私もつい嬉しくなり、抱きついてきたグラツィオ様の頭を撫でる。弟のモルデンを思い出していた。
その時、クラヴィ様がぐいっとグラツィオ様の肩を引く。
「グラツィオ。若い未婚の女性にむやみに抱きつくのは無礼だ。少し落ち着くように」
「あ、はい。ごめんなさい」
「どうかお気になさらず。私にも弟がいるのです。
10歳違いですので、もう8歳になったでしょうか。小さいころ会ったきりで文通だけですが、優しい子だと思います。
グラツィオ様を見ていると弟を思い出すのです」
「そうなの?弟さんの名前はなんて言うの?」
「モルデン。モルデン・コルピアと申します。
今は王都ではなく領地で育っています。馬に乗るのが大好きだ、と書いていました」
「そっか。いつかお友達になれたらいいな。2つしか違わないんだもん。ね、兄様」
「ああ、そうだな」
表情はあまり変わらないが、グラツィオ様の頭をなでる手つきは優しい。
そういったわかりにくいところに優しさがある方だと思う。
領都と領民のために、秘密裡に《結界》を保持し続けているように——
〜〜*〜〜
翌日クラヴィ様と私が奏でて歌った『尊き至福の瞳よ』に、グラツィオ様は拍手喝采してくださりクラヴィ様に抱きつく。
「ね、兄様。僕にもリュートを教えて。お父様と兄様が弾いてるんだもん」
「そうだな。注文しておこう。今は珍しい楽器だからかなり時間がかかるだろう。それでもいいか?」
「はい、待ってます。待ってる間も楽しみだもん」
本当に明るく賢く優しいお子だ。
「ステラ様もありがとうございました。
今度歌詞を教えてね。響きがすっごくすてきだったから、僕も歌えるようになりたいんだ」
ここでクラヴィ様が『ゔっ』と何か詰まったようなお顔をなさる。
私は『なんだろう』と小首を傾げたあと、グラツィオ様に答える。
「かしこまりました。今度歌詞を書いた楽譜を持ってきてお教えしましょう」
「ありがとう、ステラ様。
でもすごいね。古典語もあんなに綺麗に歌えてピアノの教え方だってわかりやすいもん。
途中で話してくれることもすっごく面白いし」
「昔、私を教えてくださった家庭教師の先生が、『知識は裏切らない』と仰ったのです。
それと……。母は私が7歳の時に亡くなりましたが、この名の由来をよく話してくれました。
私の実家コルピア侯爵家の領地はラルゴには敵いませんが、王都よりは空気が澄んでいて、明けの明星も宵の明星も、夜には星の河も美しく見えるところです。
母の名はグレースと申しましたが、私の頭を優しくなでながら申しておりました。
『あなたの名前はこの星々からもらったのよ。
星は夜はもちろん、昼間でも人の目には見えなくても、輝き続けているの。
どんな時でも努力を続け、輝くような人になれますように。そんな願いを込めたのよ』と。
この二つの言葉を胸に学んでまいりました」
グレースお母さまの優しい紫の眼差しと、なでてくださった手の温かさを思い出し懐かしむ。
「そっか。お星様は太陽の光で見えなくなってるけど、夜はすっごくピカピカして綺麗だもん。
ステラ様みたいだよ」
「まあ、ありがとうございます。グラツィオ様。
嬉しゅうございます」
「ん、んんっ。聖女殿。時間は大丈夫か?私はそろそろ執務室に戻らなければならないのだ」
「そうですわね。ピアノのレッスンの時間が短くなってしまいます。
教えてくださりありがとうございます。クラヴィ様」
「当たり前のことを言っただけだ。では失礼する」
音楽室を出て行かれたあと、まだ興奮気味のグラツィオ様を宥めながら、楽しくレッスンを終えた。
〜〜*〜〜
翌日——
いつもの《結界》保持作業を終えた私は、リュートの楽譜を数曲分、クラヴィ様に渡す。
「これは自然の美しさや、友情、騎士の十戒などについて歌った曲です。いかがでしょうか」
「ああ、助かる。手間を取らせたな」
「とんでもないことでございます。さあ、まいりましょうか」
いつもの「ああ」という声が聞こえない。
「その……。この曲もレッスンしてもらえると助かる、のだ。
歌は久しぶりだし、弾き語りも今の自分には難しいだろう。だから……」
「かしこまりました。では明日からでよろしゅうございますか?」
「ああ。あなたの母上の言葉で思い出したのだ。
父がリュートを教えてくれていたとき、下手な自分が嫌で、なんとか上手くなりたいと思って弾いていたら、こう言われた。
『好きなように、風のように、弾けばいい。歌えばいい。音楽を美しいと思うなら、その響きの喜びを守りたいと思うなら、その祈りは音となる』と。
昨日、久しぶりに思い出した……」
「さようでございますか。すてきなお言葉でございますね」
「聖女殿。アニマに聞いたんだが、初めて角笛を吹けたときに、その前にラルゴのことを歌ったとか。その曲を聞かせてもらえないか?」
「今、でございますか?」
「ああ、もしよければ」
「かしこまりました。少々お待ちください」
私は呼吸を整えながら、城の一番高い場所から、領都をゆっくり眺める。
人々の小さな姿が今日も行き交い、生活を営んでいる。
この平和がいつまでも続きますように——
その願いを込めてあの歌を歌う。
私の眼差しは領都から、北に聳え氷河をいただく、荘厳なペザンテ山脈へと移り見つめていた。
『白く気高い氷河をいただく
ペザンテの麓、美しきラルゴ。
大地よ、空よ、雲よ、川よ。
陽の光に輝き、月影に眠る。
はるか昔から、歌は共にある。
さあ、聞こえるでしょう。
皆の心を満たす、この緑の丘の歌を。
命ある限り、歌は共にある。
朝に、昼に、夕に、夜に、
光に、雨に、風に、雪に、
緑が、花が、鳥が、人が、
リズムを刻み、そして歌い始める。
ああ、美しき、恵みの土地、ラルゴよ。
我らと共にあれ、歌と共にあれ』
白い光が辺りに漂い、庭園から運んできたのか、芳しい花や緑の香りがする。
最後の一音を響かせて振り返ると、塔の縁に鳥達が来てたくさん止まっていた。
猛禽類も小鳥達も静かに羽を休めている。
クラヴィ様がわずかに口角を上げ、微笑んでいらっしゃる。初めてかもしれない。
「とてもいい、すばらしい曲だった。
あなたは伝説通りの聖女だ。その角笛もあなたにふさわしいから与えられた。
ここ、ラルゴの地に来てくれて感謝する」
私の肩に小鳥が止まり、軽やかにさえずる。
「私こそありがとうございます。
私はここで、ラルゴで、生きていきたいです」
クラヴィ様は陽の光がまぶしいのか、目を細めて私と小鳥を眺めていた。




