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★第9話★ 丘の上で


 今は初夏——


 牧人(ぼくじん)は山羊や羊のために新鮮な草を求め、夏に向け標高を上がり、秋の訪れと共に(ふもと)へ降りてくる。

 近場にいてくれる時期で幸運だった。


 開けた丘の上に出れば、見晴らしもよく、下にはラルゴ城を頂点とした領都が見える。


 5名の護衛騎士や角笛奏者のネルジ様もいらっしゃる。

 魔物避けの匂い袋や鈴も持ってきており、備えは万全だ。


「あと少しお時間があります。こちらに座ってお待ちください」


 護衛騎士の方々が陽射しよけのテントを張り、折りたたみの椅子まで準備してくれていた。

 ここまでは馬車が入るギリギリまで登り、そこからは馬だった。私は神官アニマ様に相乗りさせてもらう。

 手配してくださった副団長閣下には感謝しかない。

 神殿に帰ったら、感謝とご多幸の祈りを捧げようと心に定める。


「もう少しこのままでよろしいですか。眺めがすばらしいですね。ラルゴはとても美しい土地ですわ」


「私もここに来たのは初めてです。本当にいい天気でよい景色です」


 護衛騎士様がたくさんいらっしゃるためか、アニマ様の言葉も礼儀正しい。ちょっと微笑ましく感じてしまう。

 爽やかな初夏の風が私の頬をなでていく。何か誘っているようだ。


「……神官アニマ様、歌っても構いませんか」


「今、ここで?」


「はい、ここで」


 私は涼やかに微笑む。本当に心地よい場所だ。


「まあ、いいでしょう。誰の迷惑になるわけでもないし、おりゃあ、ステラ様の歌、気に入ってるけん、聞きたいっちゃ」


「ふふっ、ありがとうございます」


 私は姿勢を正し、地面を足でしっかりと踏み、清らかな空気の中、深呼吸を繰り返しながら空を見上げる。


 鳥も歌を奏でながら飛んでいく。


 そう、鳥のように、風のように、木々の葉の香りのように、自由に——


 旋律と言葉が浮かび、身体から湧き出てくる。

 私は全身で歌い始める。

 この美しく豊かな土地への感謝を、白い光の(きら)めきにのせ、歌と共に届けと祈りながら歌う。



『白く気高き氷河をいただく

ペザンテの(ふもと)、美しきラルゴ。

大地よ、空よ、雲よ、川よ。

陽の光に輝き、月影に眠る。

はるか昔から、歌は共にある。

さあ、聞こえるでしょう。

皆の心を満たす、この緑の丘の歌を。


命ある限り、歌は共にある。

朝に、昼に、夕に、夜に、

光に、雨に、風に、雪に、

緑が、花が、鳥が、人が、

リズムを刻み、そして歌い始める。

ああ、美しき、恵みの土地、ラルゴよ。

我らと共にあれ、歌と共にあれ』


 最後の一音が風に乗って消えていく。

 とても満たされた心でゆっくりと振り向く。


「え?」


 そこには鳥やうさぎ、りすや鹿やいたちといった森の動物達が、争いもせず座っていた。


 アニマ様は苦笑し、ネルジ様や騎士様方は驚いていた。

 私が一歩踏み出すと、動物達は三々五々、ばらばらに散っていく。


「アニマ様、これは、いったい?」


「おりゃあも、っと、私もびっくりですよ。

一匹また、一匹と集まってきて物音も立てずにおとなしく聞いてましたよ。猛禽類もいましたが襲わずに一緒にいました。まるで伝説の聖女様のようですね」


「そんな……」


 私は混乱していた。

 確かに“聖具”の楽器を演奏すると、動物達が集まって聴き入る、といった伝説のような言い伝えは残っている。


 ただ私は“聖具”の角笛ではなく、歌だ。


 どうしてなんだろう、と思っていると、カランカランというベルの音と、めぇえといった動物の鳴き声がかすかに聞こえてきた。


「あ、お待たせしました。

約束の者が来たようです。お〜い、こっちだ〜」


 角笛奏者ネルジ様が手を振る方向の斜面には、丸まった白い点があり、だんだん近づいてくる。


 しばらくすると、山羊の群れと日によく焼けた青年が杖を手にやってきた。


 〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜


「ステラ様。こいつは俺の幼なじみでアシルって言います。

アシル、この方は聖女ステラ様だ。よろしく頼む。

くれぐれも失礼のないようにな」


「アシル様、どうかよろしくお願いします」


「え〜っと。ネルジ。なんて呼べばいいんだ?」


「おい、失礼のないようにって言ってる側から。

ステラ様で」

「ステラでいいですよ。私の先生なんですから」


 私は手を差し伸べ握手しようとすると、アシル様は少し戸惑う。

 ネルジ様を見て、「握手だよ。握手」と言われたあと、服でゴシゴシ手をこすり、私と握手してくれた。


「じゃあ、ステラ。よろしくお願いします」


「お仕事中、ありがとうございます。早速ですが始めていただけますか」


「はい、あ、ちょっと待ってください」


 アシル様は肩から背中に掛け回していた紐を通した角笛を高らかに吹くと、まだ数頭遠くにいた山羊がこちらへ近づいてくる。


 その“合図”は短い調べを何度か繰り返しており、音は澄み切って美しかった。

 遠くまではっきり届くようで、草を食べていた山羊が顔を上げて移動していた。


「すごいですね。いつもああやって山羊に指示されてるんですか?」


「だいたいです。言うことを聞かないヤツもたまにいるので、その時はこれが出番です」


 杖を持ち上げてにこっと笑う。まるで純真な子供のようだ。


「じゃ始めましょうか。時間がもったいないんで」


「アシル。だから、失礼のないようにって」


「大丈夫ですよ、ネルジ様。始めましょう。

音を出せない角笛はこれなんです」


 収納ケースから角笛を取り出すと、アシル様に見せる。

 アシル様は目を輝かせる。


「すっげ〜!きれいな角笛ですね。これが吹けないんだ。

ちょっと持ってもですか」


「おい!アシル!」と言いかけるネルジ様を私は手で制する。


「ええ、どうぞ」


 私の手から角笛を受け取ると、角度を変えてまじまじと確認している。


「吹いてみてもいいですか?」


「もちろんです。お願いします」


 アシル様は口に当てて吹いても、やはり吹き込むタンギングの息の音だけで、鳴らせない。


「ほんとだ。不思議だなあ。ステラ、様?吹いてみてもらえますか」


「様もつけなくていいです。アシル様は先生で、私は弟子なんですから。吹いてみますね」


 雰囲気が変わったネジル様を始めとした騎士様達に目を配る。アニマ様はにこにこと見守っていた。


 私は手に戻ってきた角笛を《浄化》で清めると口に合わせ、『どうか、音が出ますように』と願いながら、角笛に吹いてみる。やはりタンギングの呼吸音だけで、音は鳴らなかった。


「……こんな感じなんで、もう、4年くらい練習していますが、全く音が出ないんです」


「ふ〜ん。なあ、ステラ。今、何を考えて吹いてた?」


「え?」


「いや、こう、眉を寄せて恐いってか」


「恐い……。ですか」


 私は思わず、自分の眉間(みけん)に指を当ててさする。アニマ様の笑いを抑える気配は気にしないことにする。


「う〜ん、なんて言えばいいんだろ。不安?わかんないけど……。

あ、そうだ!『困ってるから、なんとかしてくれ』って感じだ!俺も最初そうだった!」


「?!」


 アシル様に指摘され、私の肩が小さく跳ねる。

 図星だった。その通りだったためだ。


 そうした私の様子に気にも留めず、アシル様は話を続ける。


「もう死んじゃったんだけど、おじじに角笛を教わった時、あんまり音が出なくて、困ってたんだ。


そしたら、おじじが『アシル、何のために吹いてんだ。なんかよけいなこと考えてるだろ。角笛は山羊を山の危険から守るために吹くんだ。見栄とかそんなのはお前の都合だぞ。そんなんじゃ、山羊は言うことを聞いてくれないんだ』って教えてくれたんだよ」


「………………」


 アシル様の言葉には重みがあった。


 私はいったい何のために、この角笛を鳴らそうとしていたんだろう。


 角笛を下賜された時から、『これは何?』『どうして音が出ないの?』『このままじゃダメだ。どうなるんだろう』といった気持ちだった。


 目的は自分のため、自分の都合だけだった。


 “聖具”は、人々のため、この国を守るため、神にその想いを届け恩寵を願うため、聖女と神を結ぶ大切なものだ、と教わってきたのに——


 自分の立場を守ろうと、必死になっていただけだった。


「…………アシル様の先生の仰るとおりですね。

“なんかよけいなこと”を考えて吹いてました。

少し待ってもらえますか。気持ちを、心を整えてみます」


 アシル様はにこっとする。それは無垢な、純粋な笑いだった。


「うん、いいよ。俺もそうだったんだ」


※タンギングとは、『管楽器の演奏で、舌による音の出し方』という意味です。

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