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作者: 雉白書屋

「お、お、おぉああぁ……」


 おれはそのくぐもった声を聞き、一瞬、不思議な感覚に襲われた。母のおなかの中にいて、外の会話を聞いているような。だがそれは今、おれは暗闇の中にいて、身動きが取れないからだろう。ああ、それを言ったら冗談として笑ってもらえるだろうか。無理だろうな。泣き崩れる母と妻を宥める医者と看護師の声が聞こえる。


「あ、あなたぁぁ、こんな、こんなぁ……」


 ひどい姿になっちゃって、か? でも見えないんだ。おれには何も。真っ暗なんだ。意識を取り戻してから二日、いや三日が経っただろうか。……わからないが、が、が、少しは冷静に、な、なってない、なれるはずがない、ああぁぁぁ、まただ。正気の糸が切れそうだ。叫び出したくなる。でも、それすらできな、い、い、い。……ああ、もう何度も頭の中で叫んだ。酸欠になりそうなくらい。脳の血管が切れるんじゃないかと思った。


 ――お気づきになりましたか。

 ――あなたは、は、は、事故で

 ――残念ながら

 ――でも、きっと

 ――足、足、足、はははっ! はははははははっ! 

 ――腕も! はははははははははははっ!


 頭の中で甦る、医者の声。目覚めた直後、医者はおれの状況を説明したんだ。……いや、こんなんじゃなかったはずだ。笑っていたはずがない。当たり前だろうが。でも、思い出そうとするとなぜかこうなる。その後に見た悪夢と混ざっているのかもしれない。それに、あれはおれの笑い声だった気がする。ああ、笑うしかないじゃないか。馬鹿な。笑えるはずがないだろう。まさか手足が、それに全身火傷だそうだ。まるで、はははははははっ! 七面鳥! ははははは! ……やっぱりあの笑い声は、おれのものか。ああああ頭がおかしくなる。うるさいうるさい。母と妻をどっかやってくれ。頼む。その声がおれを狂わせるんだ。ううううぅぅぅぅいたい、いたい。かゆいかゆい。麻酔が効いているはずなのに全身がむず痒い、い、い、い。


 ――どうにかなりませんか!?

 ――落ち着いてください


 ――でも、これじゃ、この先どうしたら

 ――ゆっくりと


 ――無理です。一生このまま

 ――実は他の方法も


 話しているのは医者と母、それとも妻だろうか。会話が途切れ途切れに聞こえる。

 いや、静かだ。実際には今、おれのそばには誰もいないようだ。ああ、心拍数が上がったからか、また麻酔を打たれたのだろう。おれは眠っていたのか……。

 ここにきて何日目だろう。わからない。でも、それはどうでもいいか。あの会話自体、夢だったのだろうか。母と妻は見舞いに来たのだろうか。来たとしてもあの会話は夢じゃないのか。妻があんなヒステリックな声を出すなんて……。いや、でも取り乱して当然だ。新婚生活が始まったかと思いきや、介護生活の始まりだなんて、ははは、叫びたくもなるだろう。ああ、離婚されるかな。ははははははははは!


 ――培養皮膚で全身を覆いました。

 ――包帯が癒着してしまい、大変でした。

 ――看護師が吐いちゃいましたよ。はははははははははは!


 医者の声だ。今は何時なのだろう。ずっと闇の中だ。おれはいつここから出られるんだ?

 

 ――うまくいけば、そう長くはかからないかもしれませんよ。


 あれ、会話ができている? ……いや、そんなわけない。じゃあこの声は夢なのか。今は眠っているのかな。


 ――新技術がありましてね。

 ――お願いします。


 お願いします……これは誰の願いか。おれのか、妻のか、母のか。


 ――順調ではありますよ。

 ――本当ですか?


 本当ですか? あれ、また声が重なったな。今のは妻の声だと思うが、やっぱりこれは夢で、もしかすると現実の会話を反芻しているのかもしれない。


 ――そうは見えませんけど……

 ――うまくいけばいずれ、意識が戻るはずです。

 

 ――だとしても、もう……

 ――では前に話した方法を


 ――それでお願いします。

 ――ええ、うまく抽出できると思いますよ。チューッとね。花の蜜、みつみつみつみつ。


 意識ならもう戻っている。気づいてないのか? ああ、無理もないか。伝える方法がないんだ。瞼も癒着している。いや、もしかしたら眼球が溶けているのかもしれない。でも耳は残っているはずだ。聴こえているんだから。……どうだろうか。耳も溶けて、耳穴は塞がっているんじゃないか。

 それとも、やはりこれは夢なのか。おれは事故からまだ一度も意識を取り戻していないのか。それとも耳が皮膚と癒着したことで、肌で感じ取れるようになったのか。でも全身は包帯に覆われているはずだ。ああ、どうでもいいか。考えすぎて疲れた。本当に疲れた。疲れた。


 ――い、い、い、こ、れ、これれれれれれれれ

 ――大丈夫。落ち着いてください。いいいいいいいい傾向です。

 ――そ、そうは見えません! まるで、いや、まるでもなにも、肉の塊じゃないですか! あはははははははははははは!

 ――治すためです。信じてください。さあ、病室から出ましょう。ふはははははははははは!


 肉。肉。肉の塊。なんだ。良くなってるみたいなこと言って、変わっていないじゃないか。七面鳥とは我ながら良い例えだった。あれはいつのことだろう。ずっと昔のような。最近のような。


 ――ほら、ここ。手足ができてきてますよ。

 ――まあ。

 ――いいですねぇ。 

 ――夫に伝えられますか? ほら、体を叩いて、あれモールス信号みたいに。

 ――ご主人が会得してるならまあ……。や、難しいでしょうねぇ。


 また夢か。いや、現実か。ああ、そうだ、夢を見たんだ。野原を自由に飛び回る夢。あの暖かな日差し。風が全身を撫で、草木の匂いがして。ああ、懐かしい。そう思うということは、おれがこうなってからもうかなりの時間が経ったのかな。ああ、いつまで……いつまでこのままなんだろう……。



 ――もういいですよ。


 本当ですか。


 ――ええ、この蛹の中で身体は再生しています。もちろん、失った手足もね。


 蛹? それが、新技術ってやつですか?


 ――そうです。成功しました。ですが


 なんですか?


 ――あまりグズグズしていると、蛹のまま……


 でも、どうやって出たらいいんでしょう。


 ――手足を動かしてみてください。


 こうですか?


 ――それと頭をそう、押し付けるように


 こうでしょうか。


 ――ええ、いいですよ。


 ……これはやっぱり夢。全部夢でしょうか。新技術とやらも。


 ――なぜそう思いますか?


 だって、こうして声に出してないのに、あなたと意思疎通ができているじゃないですか。


 ――じゃあ、やめますか?


 ……いや、やります。


 ――ええ、じゃあ頑張って。


 はい。


 おれは精一杯、手足を動かし、この暗闇から出ようともがいた。尤も、ちゃんと動かせているか分からない。でも……ああぁ、光。光だ! それに、手足の感覚もある! ああ、空気! 肌で、この肌で感じる! おれは、生きている! いきている!、ああ、つまのこえもきこえる! 




「元気な男の子ですね」


「あぁ、ありがとう……彼も、きっと天国で喜んでるわ……」

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