光の頭、光の道
「おはよう御座います」
「「「「 おはよう 」」」」
「おはよう」
「「「「 おはよう御座います 」」」」」
「おはよう」
「おはよう」
出勤して、部屋に入るなり、交わす挨拶。
コウタは、自分の椅子に、リュックを、降ろす。
リュックから、使うものだけ、取り出す。
取り出すと、リュックを閉めて、机の下・足元に、突っ込む。
机の上の、ノートパソコンを、開ける。
電源ボタンを押して、ノートパソコンを、起動させる。
起動したら、パスワードを入力して、しばし待つ。
自分の画面が、立ち上がって来る。
画面いっぱいに広がるは、日本を中心とした雲の動きの図。
所謂、気象衛星から送られてくる、気象現状図。
リアルタイムに反映させた気象現状図を、壁紙にしている。
昨日の予測通りに、日本近辺の気象は、推移しているようだ。
コウタは、ちょっと、ホッとする。
今日は今日で、明日の気象と、一週間先までの気象を、予測しなければならない。
予測をする為、周りを、見渡す。
みんなの頭は、テカテカと、光っている。
どうやら、明日は、快晴のようだ。
ノートパソコンで予測した、明日の気象とも、一致する。
それを元に、一週間分の気象予測図を出し、一週間分の気象を、予測する。
コウタが、明日の気象と、一週間先までの気象を予測し終わった頃、声が掛かる。
「コウタ。
明日と一週間分のやつ、出来たか?」
「はい」
コウタは、頭の寂しい永田課長に、返事をする。
課長は、中世のキリスト教僧侶の様に、てっぺんから、頭が寂しくなっている。
巷ではそれを、[トンスラ]、と言うらしい。
頭の寂しいコウタが、プリントアウトした用紙を、課長に、見せる。
コウタも、てっぺんから、頭が寂しくなっているが、課長程ではない。
言うならば、[河童]ぐらい。
「明日は晴れで、その先一週間の気象も、まあまあか」
「はい。
皆さんの頭、通りです」
コウタは、部署全体を、見廻す。
課長も、部署全体を、見廻す。
男女関係無く、みな一様に、頭が寂しい。
寂しいが、生き生きと、頭は、光っている。
「予測の精度、高そうやな」
「はい」
コウタは、部署内の様子から、自信を持って、答える。
コウタが席に着くと、左から、雰囲気が、押し寄せる。
すがりつく雰囲気が、どよ~んと、押し寄せる。
コウタが、眼を上げると、後輩社員の二人と、眼が合う。
二人して、コウタを、見つめている。
『助けて下さい』の眼々で、見つめている。
二人は、コウタの机の左側に、お互いの机を並べている。
そして、左斜め前からも、どよ~んとした雰囲気が、押し寄せる。
コウタは、左斜め前に、眼を向ける。
女性社員二人と、眼が合う。
二人して、コウタを、見つめている。
『助けて下さい』の眼々で、見つめている。
二人は、コウタの机の左斜め前側に、お互いの机を並べている。
やれやれ、やな。
この時期は、マンスリー。
毎月この時期になると、この雰囲気が、押し寄せる。
四人共(後輩社員二人、女性社員二人)、出版社担当。
主に男性誌を発行している出版社は、後輩社員担当。
主に女性誌を発行している出版社は、女性社員担当。
区分けは、キッチリ、出来ている。
では、何故、同じ時期に、四人揃って、どよ~んとした雰囲気を、醸し出すのか?
四人は、それぞれ、男性誌・女性誌に、[天気de占い]という、一コーナーを持っている。
ひと月分の気象を予測して、占いをして、コメントを付けるものだ。
なかなか、人気らしい。
それが、月刊誌の掲載、となっている。
男性誌・女性誌共、毎月、ほぼ同じ発行日。
ゆえに、〆切も、ほぼ同じ。
四人共、[天気de占い]の仕事の進め方も、似て来る。
四人共、煮詰まる時期も、むっちゃ似て来る。
どよ~んとした雰囲気を醸し出す時期も、ほぼ同時期となる。
「今月は、何や?」
コウタが、四人に、聞くとはなしに、聞く。
すぐさま、後輩社員の一人、原島が、喰い付いて来る。
「これなんですけど」
コウタに、プリントアウトした、一ヶ月の全体予報を、見せる。
「うん」
「で、これが」
「うん」
「一ヶ月の全体予報を元にした、占いです」
原島が、もう一枚の用紙を、射し出す。
そこには、四雑誌分(四人分)の、占いが、載っている。
原島の占いを、読む。
後輩社員のもう一人、竹下の占いを、読む。
女性社員の歳上の方、出井野の占いを、読む。
女性社員の歳下の方、赤井の占いを、読む。
書き方に違いはあれど、ほぼ同じようなことを、述べている。
元は、同じ気象予測に基づいているので、さもありなん。
コウタは、一読して、用紙から、眼上げる。
「ええんちゃうん?」
「う~ん。
なんや、「コメントが弱い」って言うか、
各自一つくらい、気の利いたコメントが、欲しいんですよね~」
なんやそれ。
コウタは呆れるが、もう一度、用紙に、眼を落す。
文章の調子が、普通の口語体。
初対面の人と話すような、ですます調。
ちょっと、カタく感じる。
「こうしたら、ええんちゃうか?」
「はい?」
「男性誌の方は、なんちゃって侍言葉、にして」
「はい」
「女性誌の方は、なんちゃって公家言葉、にする」
キラッ
キラッ
キラッ
キラッ
原島、竹下、出井野、赤井の眼が、輝く。
『『『『 それ、いい! 』』』』
と、輝く。
コーナーの個性出せるし、他のコーナーと差別化できるし、何より面白い。
「それ、もらいです!」
「ああ、ええよ」
「具体的には、どうしたらええですか?」
コウタは、困ったように、ニコッと笑って、言う。
「それは、自分らで、考え」
原島は、一瞬、キョトンとする。
が、すぐさま、立ち直る。
「ですよね」
とは云うものの、四人は毎回毎月悩んでいるものの、[天気de占い]コーナーは、好評を博している。
気象予測だけの占いでは、その月、誰もが、同じ運勢になる。
人によって、気象は変わったりしない。
地域によっては変わるが、元から全国誌なので、地域差は考慮していない。
好評を博している理由は、占いが各自に当てはまるよう、差異を付けたこと。
具体的には、六つのタイプに分けている。
細い体型タイプ、太い体型タイプ、中肉中背の体型タイプ。
それに、男女別があり、3*2の、計6タイプ。
人は、自分を美化・適正化し、聞きたくないは聞かない・聞きたいものだけ聞く、ところがある。
よって、タイプも、自分より、一段進めて捉える。
曰く、太い体型の人は中肉中背型タイプに、中肉中背の体型の人は細い体型タイプに。
だから、占いがハズレても(まあ、多分に、気持ちの問題ではあるが)、クレームや抗議は、来ない。
占いがハズレたと云うことは、『自分は、その体型ではない』と云うことになる、からだ。
大多数の認めたくない人々は、占いがハズレても、ダンマリを決め込む。
よって、占いが当たった(と思い込む)人々の、好評価のみが、寄せられる。
ますます、[天気de占い]コーナーは、好評を博す。
なんと、巧妙な、良循環。
原島と竹下、出井野と赤井は、机の上のノートパソコンに眼を戻し、何事か考えている。
原島と竹下、出井野と赤井は、みんなの様に、頭は寂しくなっていない。
若い男性、健康な女性なので、当分、頭は寂しくならないだろう。
が、髪の毛があると、気象予測の精度が、著しく落ちる。
その為、四人は、髪の毛を剃っている。
坊主頭、どころではない。
髪の毛を、毎日、剃刀で、剃っている。
青々とした、頭。
たまに、剃刀負けしたのか、手元が狂ったのか、血が滲んでいることがある。
若い男性、健康な女性ならば、抵抗がありそうなもんだが、四人は、嬉々として、業務に励んでいる。
それもそのはず、四人とも、[気象予測師]になりたかったらしい。
『頭の毛があっても許される[気象予報士]でも、いいんちゃうの?』とは、思う。
が、四人共、『自分に気象予測師の資質があると分かった時点で、気象予測師希望一辺倒になった』、らしい。
ナチュラルな『頭が寂しい』ではなくて、言わば、人工的な『頭が寂しい』なので、中堅社員等と比べて、予測精度は劣る。
ナチュラルな『頭が寂しい』中堅社員等とは、劣る。
それでも、日々、予測精度は、向上している。
今や、立派な、戦力だ。
コウタの向かいの席には、同期が座っている。
同期のシンスケが、座っている。
シンスケも、コウタと同じく、ナチュラルに、頭が寂しい。
シンスケは、[河童]様のコウタと、異なる。
頭の寂しさが、異なる。
前から、来ている。
額から、来ている。
所謂、[戦線後退]の、頭の寂しさだ。
コウタとシンスケは、同期と云うこともあって、仲が良い。
コウタは、後輩社員や女性社員とも、仲が良い。
シンスケは、中堅社員や上司とも、仲が良い。
コウタとシンスケは、図らずも、下と上を繋ぐ、リンク役をしている。
コウタは、上と、仲が悪いわけではない。
シンスケも、下と、仲が悪いわけではない。
一般的な付き合いよりも突っ込めるのが、性格上、コウタは自分の年齢より下で、シンスケは上らしい。
コウタの右側、シンスケの左側に、中堅社員の席がある。
コウタの右に二つ、シンスケの左に二つ、机が並んでいる。
並んでいる中堅社員は、コウタの右奥に棚橋、右すぐ横に柴田。
棚橋と柴田の頭は、[トンスラ]様の頭だ。
シンスケの左奥に真壁、左すぐ横に本間。
真壁と本間は、[戦線後退]様の頭だ。
棚橋が、主任である。
棚橋と真壁の机と、通路を挟んで向かい合っているのが、課長の机。
課員に向かって、常時顔を向けているのが、永田課長である。
コウタは、下四人(後輩二人+女性二人)の、支援役と云うか遊撃隊役と云うか、何でも屋役。
シンスケは、上四人(中堅四人)の、支援役と云うか遊撃隊役と云うか、何でも屋役。
対する相手が違うので、コウタはアドバイスや助言、フォローやカバーの業務が、多い。
シンスケは、多岐に渡る雑用が、多い。
多いが、TV局、ラジオ局、新聞社、WEB会社に、顔が利くようになっている。
中堅四人(棚橋、柴田、真壁、本間)と課長(永田)は、ナチュラルに、頭が寂しい。
よって、その予測精度は、後輩・女性の追随を、許さない。
特に、課長は、ほぼ頭の毛が無く、光り輝いているので、その予測精度は、半端無い。
コウタとシンスケも、頭が寂しくなっているとは云え、上五人(中堅+課長)には、まだまだ敵わない。
部署全員が、自分のノートパソコンに向かって、コツコツ、業務を進める。
キュキュキュ ‥
キュキュキュ ‥
そこへ、スニーカーの歩む音が、響く。
キュキュキュッ ‥
スニーカーの音は、部屋の前で、この部署に入るドアの前で、止まる。
ガチャ ガッ ‥
ドアが、開かれる。
開け放ちたれたドアには、女性が立つ。
スニーカーにジーンズ、トップスは、カジュアルな襟付きのシャツ。
頭型は、シニヨン(お団子頭)にしている。
動き易さを最優先に考えた、最もなスタイルだ。
女性の登場に際して、出井野と赤井から、声が上がる。
「岩谷さん、こんにちは」
「こんにちわ、です」
その女性、岩谷は、部署のみんなに、ペコっと頭を下げる。
そして、そそくさと速やかに、出井野と赤井に、近寄る。
開口一番、言う。
「今月分、できた?」
出井野と赤井は、沈み込む。
顔を、曇らせる。
「それが、まだ ‥ 」
赤井が、答える。
二人で対応しているが、一応、岩谷の出版社の担当は、赤井となっている。
岩谷も、にこやかに、応答する。
「大丈夫、大丈夫。
今日中に、もらえたらええから」
訳すと、
『今日が〆切やから、今日中に上げろよ。
まかり間違っても、遅れんなよ』
と云うこと、だ。
岩谷は、出井野と赤井に、「よろしく」と言う。
言うと、永田課長のデスクに、向かう。
そこで、課長と、こそこそ話し出す。
その内容は、小声の為、聞こえない。
課長は立ち上がって、岩谷を促す。
小会議室へ、岩谷をいざない、二人は籠る。
なんや、なんかトラブルか。
コウタは、その行動に、ただならぬものを、感じる。
キイ ‥
十数分後、小会議室のドアが、開く。
開いたドアから、課長が、手招きする。
「コウタ、ちょっと」
コウタが、呼ばれる。
小会議室に、呼ばれる。
『え、俺ですか?』
の顔をして、小会議室に向かう、入る。
「まあ、そこに、座り」
小会議室に入ると、課長に席に着くよう、促される。
テーブルを挟んで向かいには、既に、岩谷が、座っている。
岩谷の顔は、にこやかなのか不安を抱えているのか判断しにくい、微妙な顔だ。
いい話なのか悪い話なのか、判断しにくい顔だ。
岩谷の横に、課長も、座る。
「さて ‥ 」
課長が、勿体ぶる。
「岩谷さんから、話していただきましょうか」
「はい」
課長に振られた岩谷は、クリアファイルを、取り出す。
三つ取り出し、コウタ、永田課長、自分の前に置く。
「御覧下さい」
コウタ、課長は、おもむろに、クリアファイルから書類を、取り出す。
岩谷は、サッと取り出し、自分の前に、配置する。
書類には、こうある。
[天気deロードムービー]計画(案)
へっ?
[天気de占い]やなくて?
コウタは、戸惑うも、書類を、捲る。
課長も、書類を、捲る。
シャ ‥
シャ ‥
‥‥‥‥
‥‥‥‥
‥‥‥‥
シャ ‥
シャ ‥
‥‥‥‥
‥‥‥‥
シャ ‥
シャ ‥
‥‥‥‥
シャ ‥
シャ ‥
コウタと課長の、捲るスピードが、速くなる。
書類の内容に、引き込まれているらしい。
岩谷は、『掴みは、OK』の顔をしている。
コウタと課長が、ザっと読み終える。
それを確認し、岩谷は、口を開く。
「書類にありますように、今度、映画を作ります」
「「 はい 」」
コウタと課長が、ほぼ同時に、頷く。
「ウチと、映画会社の竹梅さんがタッグを組んで、映画を作ります」
「はい」
今度は、コウタのみ、声を出す。
課長は、頷くのみ。
完全聞き役、に徹するようだ。
「竹梅さんが、実際に映画を作ります」
「はい」
「ウチは、雑誌のコーナーで、逐次、
映画の製作状況・アピールポイント等を、伝えます」
「はい」
「WebとTVには、一切、情報を流しません」
「流さないんですか?」
コウタは、意外そうな顔をする。
このご時世、広告を打つのに、WebとTVは、欠かせへんやん。
何か言いたそうなコウタを引き取って、岩谷が、答える。
「流しません」
「なんで、また」
「飢餓感を、煽ります」
「飢餓感?」
「情報の飢餓感、を」
「ああ」
コウタは、納得する。
最近は、ただでさえ、情報が、氾濫している。
Webに、TVに、雑誌に、新聞、その他諸々。
情報が豊富に有り過ぎ、逆に、情報への集中度が、散漫になっている。
だから、『出す情報を絞り、情報への集中度を高めよう』、ってことか。
「内容ですが」
岩谷が、話を、進める。
「はい」
「セミ・ドキュメンタリー、と云うか」
「はい」
「目的地は設定するけど、移動経路・方法・時間等は、自由にしてもらって、
『その経緯を、映画にしよう』、と思っています」
「はい」
「その、移動経路・方法・時間等を決める基準は、気象予測でいきます」
「はい?」
「はい、気象予測で」
「気象予測で?」
「はい、お天気で」
ああ、だから、[天気deロードムービー]。
コウタは、意図が腹に落ちるも、新たな疑問を持つ。
と、云うことは ‥
「と、云うことは ‥ 」
「はい。
『イブシさんに、その映画の主役をお願いしたい』、と思っています」
まさかの、コウタに、主役指名。
コウタは、一瞬、ブラックアウト。
呆ける、呆気に取られる。
すぐに自分を取り戻すと、怒涛の様に、驚く。
俺が、主役?!!!
いやいや、いやいや!
「いやいや、全然演技したこと無いし、映画出たこと無いし」
「そうだと、思います」
「TVさえ、映ったことも無いし、見切れたことさえ無いし」
「はい」
「いや、もう、全然全く無理」
コウタは、力いっぱい、拒否する。
岩谷は、コウタの反応を、予想していたかの様に、思い通りだったかの様に、受け流す。
受け流して、口を開く。
「イブシさん」
「はい」
「なんか、勘違いしてはりません?」
「勘違い?」
「はい」
「それはどう云う ‥ ?」
コウタは、岩谷の質問の意図が、分からない。
「これは、セミ・ドキュメンタリーです」
「はい」
「イブシさんに、演技は求めていません」
「はあ」
「それに映画と云っても」
「はい」
「そう云うわけで、特に、脚本も手順計画もありません」
「はあ」
「イブシさんは、淡々と、気象予測に沿って、
道を進んでくれはったらええんです」
「はあ」
「それを、こっちで映像に撮らせてもらって、ちゃんと映画にしますから」
「ああ、なるほど」
コウタは、安心する。
めっちゃ、安心する。
「でも ‥ 」
岩谷が、言い淀む。
ん、なんか、他にあるのか?
コウタは、聞き耳を、立てる。
「予算が限られてますんで ‥ 」
「はい」
「ぶっちゃけ、超低予算なので ‥ 」
「はい」
「イブシさんに同行するスタッフは、一人なんです」
「はい?」
え?
こういう場合、最低でも、カメラマンと音響さんとディレクターの、三人ぐらい、付かはるんちゃうの?
コウタは、キョトンとする。
コウタの、キョトン顔を見て、恐る恐る、岩谷は続ける。
「その一人が、カメラマンも音響も進行も、兼任します」
「はあ」
「で ‥ あの ‥ その ‥ 」
岩谷が、再び、言い淀む。
悪い予感しか、しない。
「スケジュール的に空いていているスタッフがいなくて ‥ 」
みんな忙しくて、時間ある社員がいなくて。
ぶっちゃけ、暇のある社員がいなくて。
「ウチの正社員では無いんですが ‥ 」
正社員廻す程、予算が無いので。
「いつも、業務を手伝ってくれてる子がいて ‥ 」
バイトかパートか分からないけど、仕事には精通してる子がいて。
「その子に、『同行してもらおう』、と思っています」
つまり、正社員の代わりに、バイトかパートに、カメラマン兼音響さん兼ディレクターをやらせます。
その子を、この映画の責任者にして、舵取りを任せます。
コウタは、眼の前が、真っ白になる。
眼の前が、ホワイトアウト。
何も、見えない。
何も、見えて来ない。
何も、見通せない。
まして、この映画の先行きも。
何対何の、掛け率やねん。
むっちゃ、オッズ、高いぞ。
成功する気が、まるでしない。
コウタが固まっていると、永田課長が、コウタの肩を、ポンと叩く。
「ええ話やないか、コウタ」
は?
あなた、今の話、聞いてました?
コウタは、我に返り、驚きを隠さず、課長を見つめる。
「こんな経験、めったにできひんぞ。
多分、一生に一回レベルや。
OKしろ、OK」
軽く、言う。
課長は、軽く言う。
「ホントですか。
では、その線で、進めさせていただきます」
その線て、どの線やねん?!
コウタの意志とは関係無く、話は、進み始める。
コウタは、憮然とした表情を、浮かべる。
「なんや、コウタ、不満か?」
「イブシさん、無理ですか?」
課長が、ヒョイと、訊く。
岩谷が、不安そうに、訊く。
コウタは、口を開く。
「不満も無理も何も、俺自体は、まだ、OKしてません」
「なら、辞退か?」
「辞退ですか?」
課長と岩谷が、畳みかける。
客観的に見ると、まるで勝ち目が無い。
と云うか、全然、メリットが無い。
道中、失敗する確率も、かなり高い。
が、それにも増して、
‥ 面白い、ワクワクする。
コウタの心の中は、笑みを、浮かべている。
その笑みが、コウタの表情にも、反映される。
思わず、『面白いやんけ』の笑みを、こぼす。
その笑みを見て、岩谷は、心の中で、ガッツポーズをする。
課長は、『やっぱりな』と、思う。
「しませんよ」
コウタは、微笑を隠せず、多少拗ね口調で、言う。
課長と岩谷は、眼を合わせ、『してやったり』の視線を、交換する。
コウタも、『してやられた』とは思ったが、心地の良い『してやられ』感に、浸る。
[天気deロードムービー]の詳細は、以下のもの。
多分、映画の題名は、[天気deロードムービー]、そのままになる可能性が高い。
目的地は、佐部街道の終点、古浜市にある名刹、古浜寺(の半跏思惟弥勒菩薩像)。
目的地の古浜寺(古浜市)まで、どんなルートを選択してもOK。
柘榴湖で、船を使っても、OK。
でも、ルート設定やスケジュール等の行程は、気象予測に基づき、決定すること。
一応、旅の期間は、四日間を見ている。
よって、岩谷の在籍する出版社の週刊誌で、四回に渡って、連載する。
そこで、逐一、一日の旅の状況を、紹介する。
旅の終了後、撮った動画をまとめて、一時間半くらいの映画にする。
映画は、シネコンで、ひっそりと、一日に二回くらいで、一ヶ月間上映予定。
「クランク・インですが ‥ 」
岩谷が、続ける。
「一週間後で、お願いします」
「えっ?!」
すかさず、コウタが、答える。
一週間後って、一週間後?
「永田課長に確認したところ、
「今の時期が、気象は安定している」とのことですので。
イブシさんにも、差し当って、「急ぐ業務は、無い」とのことですので」
課長~。
コウタは、課長を、ジト目で、見つめる。
課長は、にっこり、笑顔を返す。
もう、どうやら、話は、決まっているらしい。
「 ‥ 分かりました ‥ 」
コウタは、頷く。
頭の中が、ぐるぐる廻る。
一週間の間に、片付けておかなければならない業務に、家事に、雑用に、考えを巡らす。
一週間後。
クランク・イン、の日。
コウタは、この一週間は、準備やら引き継ぎやらで、東奔西走みたいな感じになっている。
その為、実際に同行するスタッフ(一名だけだが)と、顔合わせをしている時間が、無かった。
当日が、初顔合わせに、なってしまう。
そこに、いる。
眼鏡を掛けた、『いかにも学究徒』と云う学生っぽい男が、そこにいる。
待ち合わせ場所で、ハンディカメラを抱えて、待っている。
まあ、十中八九、間違い無く、アレやろな。
コウタは、男に、近付く。
そして、声を、掛ける。
「イブシです」
男は、まじまじと、コウタを見つめる。
そして、慌てて、返す。
「この度、同行させていただく、タカギです」
タカギは、コウタの容貌を見て、ちょっと、ホッとする。
挨拶が終わると、その場に座り込んで、ミーティングが始まる。
喫茶店に行く余裕(余分な金も)は、無い。
まずは、互いに、自己紹介。
自己紹介によると、タカギは、まだ大学三回生で、大学では、日本史学科に在籍してるとのこと。
民俗学を専攻しており、天気(気象)の俗信には、詳しいらしい。
身分は、バイト。
が、一回生の頃からバイトとのことで、そこらの若手社員よりは、頼りになりそうだ。
自己紹介が終わると、早速、ルート選定に入る。
コウタは、ここ最近の気象予測と重ね合わせて、ルートの案を、絞っていく。
「俺に、案があるんやけど」
「はい」
「柘榴湖畔までは、東海道と云うか、このまま一号線を進んで」
「はい」
「柘榴湖に出たら、王津から、船に乗らへんか?」
「船ですか?」
「うん。
船使うのは禁止されてへんし、天気も良さそうやし」
「はい」
「時間短縮にもなるし、映像的にもイベント感あるし」
「そうですね」
「予算的には、どやろ?」
ここで、タカギは、空中を見る。
考えを、巡らす。
「う~ん。
道中、贅沢をしいひんかったら、大丈夫でしょう」
お許しが、出る。
「王津から船で行けるのは、今頭港、長波間港、比古寝港か ‥ 」
コウタは、沈思黙考に、入る。
考えを、巡らす。
‥‥‥‥
‥‥‥‥
「 ‥ うん。
これで、どやろ」
「なんかええルート、浮かびましたか?」
「うん」
タカギに答え、コウタは、地図上に、指をやる。
「基本的には、『湖西ルートを行こう』、と思う」
コウタは、言い切る。
「はい」
「元々、佐部街道は湖西の道やから、それに乗っ取ってるし。
ほんで、王津から今頭まで、船で行けるし」
「はい」
「で、今頭から古浜までは、佐部街道本来の道を行こう」
「はい。
賛成です」
「ほな
王津までは、東海道添いに。
交通量多いから、気を付けて行こう」
「了解です」
コウタとタカギは、東海道を、東に進む。
車がビュンビュン通る車道の横に、申し訳程度に設けられた、歩道をテクテクと、進む。
一時よりマシになったとはいえ、排気ガスが、まだ色濃い。
色も黒いし、臭いもキツし、二人揃って、むせ返る。
句城山を越え、応坂山を越え、王津市街へ入る。
王津市街へ入ると、道が広がり、景色が広がる。
まだ、柘榴湖は、見えない。
市街地の中程まで、来る。
景色が、更に、広がる。
柘榴湖が、見える。
柘榴湖が、広がる。
このまま、柘榴湖を目指して、進む。
柘榴湖畔の、王津港まで、進む。
王津港は、観光港。
柘榴湖の見どころを巡る船の、出入港である。
が、柘榴湖南部だけでなく、北部にまで、航路を伸ばしている。
だから、今頭港までは、行くことができる。
今頭港まで行く船の出航時間は、約二時間後。
王津から今頭まで、ザっと、五時間弱。
今日は、今頭泊まりに決定。
二時間の空き時間を使って、今日の宿を予約する。
念の為、天気予報も、チェックする。
柘榴湖は湖と云えど、日本一大きな湖。
天候が荒れれば、湖面も荒れる。
チェックしておくに、越したことはない。
この地域の天気予報は、晴れではないものの、曇り。
降水確率、20%。
雨の心配は、無さそうだ。
コウタの頭の予測でも、雨の可能性は、無さそうだ。
雨の降る前ほど、頭に、湿気が、感じ取れない。
寂しいとは云え、コウタの頭には、頭の毛が生えて来ているが、予測精度に影響は無いだろう。
日の光が湖面に投げかける中、船は、出航する。
日の光が、湖面を照り返して、眩しいくらいだ。
船の規模は、二十人乗りくらいのもの。
そう、大きくない。
が、湖面を滑る様に、走る。
外輪船は、『湖面を刻む様に』、走る。
対して、こちらは、『湖面を滑る様に』、走る。
外輪船の方が見栄えがいいが、速度は、こちらの方が、速い。
そのお蔭で、今頭に着いた時点で、この旅の行程の、半分以上を消化することになる。
柘榴湖様々、船様々。
船上にいる時間が、「少し長い」とは言え、歩くのとは、雲泥の差。
速度も、所要時間も、全く違う。
多分、徒歩なら、今頭まで、『二日は、かかる』と、思われる。
四日行程だから、今頭まで二日かけたら、古浜まではギリギリだろう。
下手したら、目的地に着くまでに、時間切れになりかねない。
それが、柘榴湖を、船を利用することで、余裕ができる。
有難いな~。
コウタは、物思いに耽り、湖面を眺める。
海上によくある、クラゲの海は、ここにはない。
水は青く、たまに、魚が跳ねる。
空には、鳥が、飛び交う。
たまに、船縁まで来て、止まる。
鳥と、眼が合う。
コウタは、鳥と、眼が合う。
コウタは、にっこり笑い、鳥は、キョトン眼で、首をかしげる。
‥‥‥‥
‥‥‥‥
船縁に止まる鳥が、少なくなって来る。
空に飛び交う鳥が、少なくなって来る。
湖面の水の色が、薄黒くなって来る。
空が、薄暗く、曇って来る。
風も、吹き始める。
あれ?
コウタは、心の中で、首をかしげる。
予測とは異なり、風雨になりそうな雲行きだ。
まだ、船の行程は、半分以上、残っている。
山の天気は、変わり易いが、湖上の天気も、変わり易いのか?
‥ それとも ‥
コウタは、頭に、手をやる。
頭に、ザラつきが、かなり、感じ取れる。
寂しいとは云え、頭の毛は、かなり伸びている。
多分、気象予測の精度を左右する分くらいは。
‥‥‥‥
ポツッポツッ
ポツッポツッ
‥‥‥‥
ボツボツッ
ボツボツッ
‥‥‥‥
ボーボー
ボーボー
ヒューヒュー
ヒューヒュー
‥‥‥‥
ザーザー
ザーザー
ビュービュー
ビュービュー
‥‥‥‥
雨が、本格的に、振り出して来る。
風も、本格的に、吹き始める。
湖上が、風の影響を受けて、さざめく。
湖水が、雨の影響を受けて、泡立つ。
風と雨、両方の影響を受けて、湖に波が、発生する。
波は、次から次と発生する。
波は、ぶつかり、相殺して、消える。
かと思えば、ぶつかり、合体して、更に大きな波となる。
湖上が、本格的に、うねり出す。
船は、その波に乗り、揺れる。
上下左右に、揺れる。
木の葉の様に、揺れる。
船の中の人間は、既に、立っていられない、動いていられない。
いや、じっと座ってもいられない。
何かに掴まって、シートに自分の身を、押さえつけている。
タカギが、心配そうに、湖面を見つめる。
周りの風景を、見つめる。
船は、進もうとしているものの、波の為、思うように進んでいない。
変わらない風景が、その証拠。
しまった ‥
コウタは、後悔している。
出発前に、ちゃんと頭を整えて、旅に臨むべきだった。
予測に臨むべき、だった。
コウタは、船を翻弄する波を睨んで、思う。
「 ‥ 天気予報も、コウタさんの予測も、OKやったのに ‥ 」
タカギが、呟く。
誰にとはなしに、呟く。
その言葉は、コウタの胸に突き刺さり、心に届く。
コウタは、腹を括る。
が、その行動は、今は、起こせない。
今は、天候が治まり、波が治まり、船が順調に進むのを、祈るのみ。
自然さん、地球さん、柘榴湖さん、治まって下さい。
コウタは、波に、船に、翻弄される身体を支えて、祈る。
小一時間程、経った頃。
風が治まって来る、止んで来る。
それに伴い、雨が小降りになって来る、止んで来る。
それに伴い、波が治まって来る、湖面が滑らかになって来る。
天候に左右されはしたが、到着予定時刻に少し遅れるくらいで、今頭港に着けそうだ。
雲間が晴れ、切れ目から、青空が覗く。
青空から、日の光が、射し込む。
日の光は、湖面を照らす。
湖面は、金色の細長い光を、たゆとう。
その中を、船はゆく。
泡の線を引いて、船は、ゆく。
今頭港、着。
やはり、ちょっとの遅れぐらいで、到着することができる。
コウタとタカギは、早速、宿に入る。
宿は、旅館と民宿の合いの子、みたいな感じ。
部屋にトイレはあるが、風呂は共同浴場。
食事も、部屋食は出来ず、食堂で皆、取る。
部屋数も、少ない。
が、眺めは、最高。
部屋の窓、いや、障子を開け放つと、柘榴湖の景色が、一面に広がる。
障子の外側には、広縁が有り、欄干を携えている。
広縁のスペースは、横に並んで、人二人が充分座れるくらい、ある。
コウタとタカギは、障子を開け放ち、部屋の空気を、入れ換える。
部屋の光も、入れ換える。
停滞していた空気と光が、活発に動き出す。
障子を開け放ったまま、コウタとタカギは、一服する。
お茶を、啜る。
お茶請けを、食べる。
どちらともなく、二人共が、「「ふ~」」と、声にならない声を出す。
明日は、朝が、早い。
五時出発、だ。
コウタとタカギは、即、風呂に入って、飯食って、寝る。
次の日の早朝。
障子越しに、白い光が、入る。
入りまくる。
障子から、光線が、四方八方に発射されているかの様に、光が入る。
コウタとタカギは、既にいない。
既に、出発している。
布団は畳まれ、隅に寄せれている。
食卓は、部屋の中央に、キチッと位置されている。
座布団も、部屋の隅に、寄せて置かれている。
部屋には、誰もいない。
何も、忘れられていない。
いや、食卓の上に、一筆箋が一枚、置かれている。
[ありがとう御座いました。]が、二行、異なる筆跡で、書かれている。
日が、上り始めた頃。
人々や家々に、光が届き出した頃。
コウタとタカギは、山道に、入ろうとしている。
歩みを進めるに連れ、風景が、如実に変化する。
民家や小屋のの所在が、
ポツポツ ポツポツ
から、
ポツッポツッ ‥ ポツッポツッ ‥
となり、
ポツッ ‥ ポツッ ‥
になり、
ポツッ ‥‥ ポツッ ‥‥
となる。
虫の声が、
ジー ‥‥ ジー ‥‥
から、
ジー ‥ ジー ‥
となり、
ジージー ‥ ジージー ‥
になり、
ジージー ジージー
となる。
山道に、入る。
入った途端、鬱蒼とした陰に、覆われる。
木々に遮られ、光が、少ししか、届かない。
道には、足元には、光が、少ししか届かない。
道筋は、暗い。
が、地図とコンパスは、この道であることを、しっかと、示している。
昔々から、幾人もの人々が、辿った道、通った道。
少なからぬ荷を背負い、多くの人が、行き来した道。
申し訳程度に、道は整えられているが、まごうこと無き、山道。
日中であろうと、いつ獣が出て来ても、おかしくない。
まあ、予想はしてたけど。
コウタは、道の様子に戸惑わず、じっくりと、歩を進める。
佐部街道をゆく映像を、何度も、見たことがある。
佐部街道が、街道とは名ばかりの、ほとんど山道なのも知っていた。
予想通りの道の様子、ではある。
が、『ここで天候がグズれば、ヤバいな』、とも思う。
足場が不安定になるし、物理的に先が見通せなくなる。
体温取られるし、必要以上に体力を消耗するだろう。
歩むスピードが落ちるのは、必然。
行程に遅れがでるのも、必然。
計画通りに、スケジュールが消化できなくなるのも、必然。
それはつまり、『柘榴湖での船行きで得た猶予が、チャラになる』、と云うこと。
『目的地まで、行けなくて終わってしまう』恐れがある、と云うこと。
『半跏思惟弥勒菩薩に、会えなくなる』、と云うこと。
ここに来て、コウタの予測は、不安定になっている。
大々的に発表される広域的な気象予測と、コウタのピンポイント気象予測に、ズレが出ている。
広域がOKでも、コウタのピンポイントが×だったりする。
その不安を表わすかのように、空は、暗くなって来る。
大気が湿って来るのを、皮膚が、感じる。
大気に、雨の味が混ざって来るのを、舌が、感じる。
またか ‥
柘榴湖に引き続き、コウタの予測が、外れたらしい。
コウタの予測では、日中、晴れはしないが、曇りのまま推移する。
『道行きには、影響が無い』、はずだった。
現在の雲行きでは、ほぼ一〇〇%、雨になる。
ここに来て、コウタの予測精度の低下が、著しい。
伸びて来た髪の毛のせいか、はたまた、コウタの気の入り方のせいか。
どちらにせよ、このままでは、行程が、天候に左右されることは、必定。
行程に、遅れが出ることは、必定。
ポツッポツッ
ポツッポツッ
‥‥‥‥
ボツボツッ
ボツボツッ
‥‥‥‥
ボーボー
ボーボー
ヒューヒュー
ヒューヒュー
‥‥‥‥
ザーザー
ザーザー
ビュービュー
ビュービュー
‥‥‥‥
雨が降り始め、すぐ、本降りになる。
風が吹き始め、すぐ、急風になる。
雨煙りで、視界が、利かなくなる。
雨で、足元の道が、緩む、滑る。
風に、身体が、持って行かれそうになる。
判断に、迫られる。
決断を、迫られる。
今はちょうど、半分のところ。
今頭と、次の宿泊予定地の隈河までの、半分のところ。
行くか戻るか、判断が難しいところ。
行けば、荒れた天候の中、危険性は高いが、行程は、順調に消化できる。
戻れば、危険性は低いが、行程に、大幅な遅れが出る。
ガシッ
コウタは、先ゆくタカギの肩に、手を掛ける。
タカギは、振り向く。
コウタは、タカギを見つめる。
『予測が外れて、すまない』の意を、瞳に込める。
『この先、どうする?』の意も、瞳に込める。
タカギは、コウタの瞳から発する問いを、受け止める。
その答えを発するかの様に、自分の瞳を、緩める。
雨の中、右拳を、胸元まで、上げる。
雨の中、親指を、射し上げる。
サムズアップ。
「行きましょう」
タカギが、言う。
「心得た」
コウタも、瞳を緩めて、答える。
隈河の宿に着き、コウタとタカギは、やっと一息つく。
着くや、濡れた雨具を脱ぎ、アウターを脱ぐ。
雨が浸み込んだ、トップスを脱ぎ、ボトムスを脱ぐ。
雨は、その下の、Tシャツや下着にも浸み込んでいたので、それら脱ぎがてら、風呂に入る。
サッサと風呂に入り、冷えた身体を、温める。
じんじん、じんじん、身体中が、少し痛痒くなる。
痛痒さが薄まるに連れ、身体が、温まって来る。
身体が充分に温まり、風呂から、上がる。
浴衣に着替え、部屋に戻る。
部屋で寝転び、ほっこりする。
で、今に、至る。
コウタとタカギは、寝転がったまま、地図を広げる。
明日のルートを確認する。
二日にして、ここまで来た。
全行程四日を予定している内、二日消化時点で、隈河まで、来ている。
順調に行けば、古浜市までは、あと一日で、着ける。
残り一日は、半跏思惟弥勒菩薩像に、費やせる。
弥勒菩薩像の神々しさと美しさを、映像に撮る時間が、充分確保できる。
‥‥‥‥
むくっ
就寝して暫くして、コウタは、起き上がる。
タカギは、寝息を立てて、すやすや眠っている。
コウタは、布団を静かに跳ね除け、ゆっくり立ち上がる。
ガサゴソ
自分のリュックの中を探り、それを取り出す。
それを片手に、洗面所へ、向かう。
パチ ‥ ガー
洗面所の灯りが点き、それの動く音が、響く。
ガリガリガリ ガー
ガリガリガリ ガー
よる夜中に、音が、響く。
人を起こす程ではないが、しっかとした音が、響く。
「どうしたんですか?!」
三日目の朝。
タカギは、「おはよう御座います」の挨拶がてら、驚く。
無理も無い。
コウタは、『てへへ』と、頭を撫でる。
青々と剃り上げた頭を、撫でる。
『頭が、寂しい』どころでは、ない。
一本も、伸びていない。
日の光が、頭に、映える。
大気が、頭に、滲み込む。
コウタは、精度具合を確かめる様に、もう一度、頭を撫でる。
ああ、ビシバシ、来てるな。
一安心して、腕を下ろす。
「今日の天気は、どうでしょうね?」
いつもの調子に戻り、タカギが、訊く。
今日の天候は、広域の気象予測によれば、一日中曇り。
だが、コウタの予測では、 ‥
コウタは、自分の頭を、ポンと、叩く。
「快晴」
自信を持って、断言する。
その言葉通り、空は青く、所々に、真っ白な雲が浮かんでいる。
タカギは、コウタの眼を見つめ、空を見つめ、頷く。
『ですね』と言う様に、頷く。
今日の行程は、山を下り、古浜市の町中に入る。
町中に入り、市街地を目指す。
市街地に、今日の宿が、ある。
宿から古浜寺までは、すぐ。
歩いて、十数分の距離に、ある。
今日中に宿に入れば、最終日は、丸々一日、収録に費やせる。
半跏思惟弥勒菩薩像の映像を、余すところ無く、撮ることができる。
空は、『星まで見えるんとちゃうか?』と思うぐらい、青い。
雲は、『白いにも、程があるやろう?』と思うぐらい、白い。
この辺りは、木々も、鬱蒼としていない。
コウタとタカギの背よりも、倍くらいの高さの、木々ばかりだ。
それも、まばらに、生えている。
地表にまで射し込む光は、明るく、深い。
山に入った道が嘘の様に、日の光に、満ちている。
木々の背が、低くなって来る。
木々が、高い草と、なって来る。
高い草が、低い草と、なって来る
低い草が、芝生と、なって来る。
芝生が、岩石混じりの土道と、なって来る。
岩石混じりの土道が、小石混じりの土道と、なって来る。
小石混じりの土道が、ただの土道と、なって来る。
山道を、抜ける。
町中に、入る。
町中に入り、土道が、砂利道に、なる。
砂利道が、アスファルトに、なる。
車や自転車が、行き交い始める。
道路の端に寄って、歩く。
白線は、車道と歩行者道を、申し訳程度に、分ける。
心もとない狭いラインで、分ける。
そのラインは、白く、伸びる。
道なりに、伸びて、続く。
心もとないが、しっかと目的地を指し示す様に、続く。
日の光にくるまれ、爽やかな大気にくるまれ、排気ガスにくるまれ、コウタとタカギは、ゆく。
黙々と、歩きゆく。
会話は、無い。
断続的とは云え、車は、行き交っている。
その行き交う車の騒音で、会話が断絶される。
そんなことが数度繰り返され、会話は、無くなっていく。
市街地に、入る。
市街地に入り、ちゃんと、区分けされる。
歩道と車道が、キチンと、区分けされる。
歩道と車道の境には、段差も付けてある。
市街地に入り、会話は、弾む。
と云っても、道ゆきと、地図上の現在地の確認が、ほとんどだが。
山下りの一本道と違い、市街地の道は、縦横に入り組んでいる。
碁盤の目とは言い難く、[行き止まり]有り、[折れ曲がり]有りと、入り組んでいる。
それに伴い、宿への道も、複雑になっている。
地元の人なら、『なんてことは無い』のだろう。
が、一見の、すぐに過ぎ去る旅人には、ハードルが高い。
あっち行き、こっち行き。
行き過ぎて戻り、戻り過ぎて、また行き。
ぐるっと廻り、ぐるっと巡り。
『『もう、こうなりゃ、ローラー作戦や。怪しいとこ、全部ツブしていこう 』』と思った時に、今日の宿が、見つかる。
コウタとタカギ、顔に出し、雰囲気に出し、ホッとする。
宿に、這う這うの体で、入る。
うおっ!
うおっ!
間髪入れず、ほぼ同時に、驚き喜ぶ。
宿の入り口に、足湯が、備え付けてある。
靴を脱ぐのももどかしく、靴を脱ぐやいなや靴下も脱ぐやいなや、足を軽く拭い、足湯に浸かる。
「「 ほ~ ‥ 」」
同時に、声を、漏らす。
なんとも気持ちいい心地の、声を、漏らす。
同時に、思う。
『『 この宿にして、良かった。 』』
足湯で、ほっこりポカポカして、はんなりと、部屋へ向かう。
ドサッ
ドサッ
二人揃って、畳の上へ、倒れ込む。
疲れとポカポカした身体の相乗効果で、動きたくなくなる。
明日の予定のこととか、取り敢えず、後回し。
コウタとタカギは、そのまま、寝入る。
‥‥‥‥
食卓の上に、地図、デジカメ、デジビデ、その他諸々、が、店を広げる様に、並んでいる。
ひとっ風呂浴びて、一息も二息もついた、コウタとタカギが、向かい合う。
今までの、行程、写真、映像等をチェックして、整理している。
そして、明日の行程、撮るべき写真、撮るべき映像を、確認している。
撮り忘れや、『これも撮ったいたら、よかった』の後悔はあるが、総じて、資料等は、OKなようだ。
タカギは、映画用のコンテと突き合わせながら、映像等を、チェックしている。
それに合わせて、週刊誌連載の項目も、埋めているようだ。
タカギが、こっちを、向く。
コウタに、向き直る。
ICレコーダーのマイクを、こちらに向ける。
「コウタさん、明日で、ゴールです」
「うん」
「明日で、遂に、半跏思惟弥勒菩薩像に、会えます」
「うん」
「明日を迎えるに当たり、何らかのコメントを、ください」
「えっ?」
急に振られて、コウタは、戸惑う。
想定していなかった。
何もコメントを、用意していない。
コウタは、おもむろに、眼を閉じる。
そして、口を開く。
「明日は ‥ 」
「明日は?」
「心の赴くままに ‥ 」
コウタは、コメントを出した後も、余韻を響かせるかの様に、眼を閉じたまま、右手を左胸に、当てる。
右掌を、左胸に、添える。
「なるほど」
タカギは、半ば感銘を受け、半ば呆れ、頷く。
が、『この画を逃すのは、勿体無い』と思ったのか、ICレコーダーをデジビデに、持ち替える。
持ち替えて、デジビデのレンズを、眼を瞑ったままのコウタに、向ける。
コウタは、動かない。
数十秒の長い刻が流れ、余韻が終わったかの様に、コウタは、眼を開く。
微動だにせず、体勢もそのままに、眼だけを開く。
開いた眼は、光が発射されているかの様に、場の空気を変える。
爽やかな、ちょっとガキっぽい、清浄な、ちょっとワクワクする空気に、その場が、満たされる。
あ~、コウタさん、
弥勒菩薩像に会えるん、むっちゃ楽しみにしてるんやな~。
タカギは、コウタの思いに、思いを馳せ、共感する。
最終日。
遂に、古浜寺の半跏思惟弥勒菩薩像に、会いに行く日。
コウタとタカギは、なんかワクワクして、前夜、あまり眠れなかった。
遠足とかの前日状態、だった。
朝早く宿を立ち、古浜寺に、向かう。
コウタとタカギは、無言で、黙々と、歩を進める。
雄弁に、物語るかの様に、歩を進める。
朝の青暗い空に、でも、そこはかとなく明るい光が、射す。
清浄な、それでいて冷たい空気が、身体を包む。
コウタとタカギは、無言で、黙々と、歩を進める。
雄弁に、物語るかの様に、歩を進める。
日が完全に、山裾から顔を出し、町中が、光に包まれる。
小鳥が、そこら中で、囀る、飛ぶ。
町は、完全に、朝を、迎える。
コウタとタカギは、無言で、黙々と、歩を進める。
雄弁に、物語るかの様に、歩を進める。
日が完全に、市街地を照らし出す。
その頃、コウタとタカギは、古浜寺に、着く。
山門に繋がる、石段を、上る。
一段一段、確実に、上る。
ガシガシガシ ‥
ワシワシワシ ‥
石段は、数十段有り、なかなか、山門が見えない。
ガシガシガシ ‥
ワシワシワシ ‥
日の光は、石段の向かい側から、射している。
石段が、日の光を、照り返す。
コウタとタカギの背に、日が当たり、暖かい。
ガシガシガシ ‥
ワシワシワシ ‥
石段の途切れが、見えて来る。
日の光を照り返す山門が、見えて来る。
ガシガシガシ ‥
ワシワシワシ ‥
石段のてっぺん、到着。
山門、到着。
コウタとタカギは、息を整える。
ハアハア ハアハア ‥
ハアハア ハアハア ‥
周囲に、二人の荒い息継ぎの音が、響く。
周りを見る余裕は、無い。
ハアハア ‥ ハア ‥ ハア ‥
ハアハア ‥ ハア ‥ ハア ‥
ハア ‥ ハア ‥ フー フー ‥
ハア ‥ ハア ‥ フー フー ‥
ようやく、息が、整う。
一息、つく。
コウタとタカギは、顔を、上げる。
そこは、山門の前。
山門は、日の光を、照り返している。
山門をくぐり抜けて、境内の中にも、日の光は、射し込んでいる。
石段を経て、山門を経て、境内に射しこむ一条の光は、境内を、真っ直ぐ突き進んでいる。
荒い石畳の道に沿って伸び、本堂まで、届いている。
本堂は、開け放たれている。
本堂の全ての戸は、全て、開けられている。
顔を、覗かせている。
全身を、晒している。
御本尊が、山門から、丸見えで、拝める。
御本尊に、日の光が、当たっている。
御本尊の半跏思惟弥勒菩薩像に、日の光が、射し込んでいる。
半跏の構えで、右手の指を軽く頬に当てた弥勒菩薩像が、光を、照り返している。
弥勒菩薩像は、そんなに大きくない。
大人の背丈と、そう大差無い。
作製当時はカラフルだった痕跡を、そこかしこに留める。
が、今の色合いは、経年変化で、くすんだ色合いになっている。
しかし、それを差し引いても、なんと清々しい。
辺りは、清浄な雰囲気・空気に、包まれている。
コウタは、しっかと立っている。
『山門をくぐり抜けて、立ち竦んだ』と思いきや、しっかと立っている。
輝かしく鈍く光る、弥勒菩薩像と、対峙する。
眼に映る弥勒菩薩像を、心に、記憶に、焼き付ける。
『これでもか』と、焼き付ける。
それは、まるで、真剣勝負の様。
例えて言うなら、互いに認め合った好敵手同士の、なんの遠慮もいらない勝負の様。
最小限の防具を付けて、竹刀で斬り結ぶ、人の眼なんか眼中に無い、勝負の様。
タカギは、デジビデを、構え直す。
コウタ越しに、コウタの青々と剃られた頭越しに、カメラの目線を滑らせて、本堂に迫る。
日の光は、コウタの頭で、スキップするように滑り、加速を付けている。
それは、当に、光の道。
光は、そのまま、本堂の弥勒菩薩像を、捉える。
光の軌跡を追う様に、カメラの目線は、弥勒菩薩像を、捉える。
弥勒菩薩像は、横顔に日の光を受けて、輝いている。
くすんだ色合い。
木造。
外側の、塗りも装飾も、ほとんど、剥げている。
であるにも関わらす、「輝いている」としか言い様の無い佇まい。
光を浴びている横顔は、語り掛ける。
決して、上向くことは無い。
決して、眼を開けることも無い。
こちらを、向くことも無い。
が、確実に、語り掛けて、語り続ける。
会いに来た人々に、参拝に来た人々に。
興味本位で覗く人々に、ただ同行しただけに人々に。
コウタに、タカギに、その他の人々に。
コウタが、頷いている。
いつの間にか、うんうん、頷いている。
話し掛けられたかの様に、うんうん、頷いている。
タカギは、デジビデを注意して覗くが、コウタの他に、誰もいない。
コウタが対しているのは、弥勒菩薩像のみ。
レンズ越しに、弥勒菩薩像を見ていたタカギは、デジビデを下ろす。
レンズ越しでなしに、直で、自分の眼で、弥勒菩薩像を見る。
‥‥‥‥
うんうん。
頷く。
心と頭に、暖かい気体が、流れ込む。
それを動力源に、走馬燈が、廻り出す。
今までの記憶が、廻り出す。
その走馬燈は、『死』とは真逆の、『生』に拠ったもの。
廻っているだけでも、なにか、『うわあ!』とか『パアア!』とかの、好ましい感じがする。
幼き頃の、メリーゴーランドを、思い出す。
山門から、弥勒菩薩像へ、光の道は、伸びる。
伸びて、在り続ける。
その途中に、コウタとタカギは、佇む。
光の線は、みんな諸々一切合財包んで、輝く。
映画は、大ヒットとは云えないまでも、スマッシュ・ヒットは、記録する。
じわじわ、ジワジワ、と、口コミで広がり、公開期間が伸びる。
結局、半年程、ロングランで、公開される。
最終的には、全国的に、公開される。
映画[天気deロードムービー]に派生した、週刊誌のコーナーも順調に掲載される。
コーナーが載っている一ヶ月間(四回)は、週刊誌の売り上げは、いつもの1.5倍となる。
岩谷の勤める出版社と、製作・配給元の竹梅は、ウハウハだ。
元手が、ほとんど、掛かっていない。
超低予算。
で、これだけの興行収入。
グッズやDVDの二次収入を含めれば、どれだけいくか、分からない。
コウタとタカギには、特別報酬やヒット御礼とかは、無し。
タカギには、「バイト代の時給の、微々たる増額があった」、らしい。
ま、えっか。
コウタは、今日も今日とて、気象予測図を、チェックする。
後輩社員二人、原島と竹下のフォローを、する。
女性社員二人、出井野と赤井のフォローを、する。
課員全員の仕事が、一段落したところを見計らって、永田課長が、声を掛ける。
課員全員に、声を掛ける。
「棚橋」
「はい」
「柴田」
「はい」
「真壁」
「はい」
「本間」
「はい」
「シンスケ」
「はい」
「コウタ」
「はい」
「原島」
「はい」
「竹下」
「はい」
「出井野」
「はい」
「赤井」
「はい」
「みんな、俺の机の前に、一列に並んでくれ」
課員みんな、おもむろに、席を立つ。
課長の机の前に、三々五々、並び出す。
全員が並んだところで、課長が、口を開く。
「お蔭様で、[天気deロードムービー]がヒットした」
「「「「「「「「「 おー 」」」」」」」」」
コウタを除く課員が、感嘆の声を、上げる。
「大ヒットとはいかんまでも、スマッシュ・ヒットくらいは、記録した」
「「「「「「「「「 おー 」」」」」」」」」
「で、岩谷さんの出版社と、映画会社から、ヒット祝いの ‥ 」
「「「「「「「「「 祝いの ‥ 」」」」」」」」」
「金一封が、出ている」
「「「「「「「「「 おー 」」」」」」」」」
「しかも ‥ 」
「「「「「「「「「 しかも ‥ 」」」」」」」」」
「課員全員に、出ている」
「「「「「「「「「 やったーーー! 」」」」」」」」」
課長と課員、阿吽の呼吸の、喜び共有である。
仲が良くて、ノリがいい。
「はい、キチンと並んで、並んで」
課長の声に合わせて、課員が、動く。
ガヤガヤ喜びながらも、整然と、動く。
一列に、改めて、並ぶ。
列が、整う。
その時、窓から。
窓から、光が、射し込む。
日の光が、鋭く優しく、射し込む。
射し込んだ光は、列の上を、滑る。
課員の頭の上を、滑る。
一人一人の頭で、スキップし、加速を付けて、滑る。
加速を付ける毎に、滑らかさを増し、滑りゆく。
それは、当に、光の道。
永田→棚橋→柴田→真壁→本間→シンスケ→コウタ→原島→竹下→出井野→赤井と続く、光の道。
赤井が、右手の指を、軽く、頬に当てる。
弥勒菩薩の様に、頬に当てる。
場は、光に、包まれる。
{了}