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「困るよ、そういうことは言っておいてもらわないと!」
幹島の怒りの原因は、桜井が休職中に「赤根事件」に関わっていたことを、知らされていなかったことだった。
「すみません。プライベートな事項だと認識していました」
「そうっちゃそうなのかもしれないけど、内容が内容でしょう!」
幹島は頭を掻きむしった。
***
「こっぴどく怒られちゃいましたよ」
「あははは、まあ助かったんだし、おあいこじゃん」
課長との話が終わり、仕事に戻った桜井の肩は丸かった。
その姿に黒江は大笑いして言った。
「でもな、あいつが怒るのは、自分が舐められたときだけ」
煙を吐いて、灰を落とす。
「部下を庇おうなんて気はさらさら無いんだなあ、これが」
二人は大笑いした。
「何笑ってんだい」
トラックが近づいてきて、運転席からしわがれた声に尋ねられた。
「おー、銀ちゃん。元気?」
黒江が返事をする。
桜井が振り返ると、それはいつかの業者だった。
笑うと前歯が輝いている。
「もう若い兄ちゃんに手つけたんか」
「ばーか」
「兄ちゃんも、気をつけねえとハマるで」
「何の話ですか」
桜井はビジネススマイルで乗り切った。
運転席から腕だけ振られ、トラックは走り去った。
「銀歯だから銀さんですか?」
「ぶっ。違うよ、名前が銀なの」
黒江は鼻水を啜っている。
「まあ、どっちでもいっか」
「前に言われたんですけど、兄ちゃんは首が綺麗だなって。どういう意味ですかね?」
「ぼけ始まってるから、話半分」
黒江は煙草を缶にねじ込んだ。
「さ、仕事仕事。明日は君、早上がりなんだから、今日はしごくよ」
「人聞き悪いですよ、定時に帰るだけです」
仕事が多いことが、不思議と嫌ではなかった。
***
「それ終わったら、いいよ。お疲れ」
「大丈夫ですか?」
20時を過ぎた頃、黒江が言った。
「上出来。早く赤ん坊の顔みてやんな」
黒江は笑顔で手の甲を振って、人払いのジェスチャーをした。
「そうですか……では、お言葉に甘えて」
桜井は頭を下げる。
最後の仕事を片付け、挨拶をして、立ち去った。
***
出退勤のゲートを抜けると、一人の同僚と帰るタイミングが重なった。
「お疲れ様です」
桜井が声をかけると、軽く会釈だけを返された。
彼はメガネをかけていて、桜井よりも若く見えた。
地味というか、品行方正な感じで、賢そうである。
彼も同じ部署、資材部資材課の人間だった。
今の部署に、そういう人もいるということが、桜井には少なからず意外だった。
粗野な男ばかりが集められている印象だったからだ。
左遷で飛ばされてきた人間の勝手な偏見かもしれない。
現に、黒江のような女性もいるのだ。
「残業?」
話題として、わかりきったことを尋ねた。
「はい」
「大変だね」
「大変です」
男は、ほとんどオウム返しに会話をした。
「多いの?」
「何がです?」
「残業は」
「多いですよ」
「早く帰りたいものだね」
「早く帰りたいものです」
男はふざけている様子もなく、至って真面目な顔だった。
ふいに男の首元を見た。
「首、どうしたの?」
「首? どうもしていません」
男はきょとんとしている。
どうもしていないわけはなかった。
男の首周りは、煤のような黒いもので、酷く汚れていた。