第262羽♡ 天使のゆびきり
――8月1日、午後2時8分。
教室の空気は、少しだけ柔らかくなっていた。
5人の少女たちは、緒方霞の机を囲んで座っている。
彼のいない空間で、彼の話ばかりをしている。
それは、まるで天使だけの秘密の時間だった。
「さてと……、皆に相談なんだけど、もうオガターランドでいいんじゃん? とオレは思ってる」
凜が、あえて軽い調子で切り出した。
空気が緩んだ今だからこそ、言える話題だった。
だが、その言葉の裏にある本気を、誰も見逃していなかった。
「ちょっとお凛ちゃん、何を言ってるの? それって5股ってことだよ?」
すずが即座にツッコミを入れる。
だが、その声には複雑な感情が混じっていた。
「そこだよな。でもオレら、一学期の間ですら『緒方にお手付きされた』って噂されてたくらいだし……」
凜は肩をすくめる。
冗談のように聞こえるが、実際、そういう噂は確かにあった。
「まぁ……そうだけど」
すずが小さく呟く。
否定できない現実に、誰もが苦笑するしかなかった。
「だったら、みんなで均等に緒方をシェアすればいいだろ?」
凜の提案に、教室の空気が一瞬止まる。
だが、誰も完全には否定しなかった。
「でも凜、それって自分の目が届かないところで、合法的にカスミ君が他の子とイチャイチャしてOKってことよ? それでいいの?」
さくらが冷静に指摘する。
その視線は、凜の軽口の奥を見透かしていた。
「さくらの言う通りだ。だから、オガターランドのルールを決める必要はあると思う」
凜は真顔で頷いた。
その様子に、さくらが思わずため息をつく。
「お凛ちゃん、まずそのオガターランドって名前やめて」
「……わかった。じゃあ、オガタパイオツランドで」
「うわっ、凛ちゃん、ネーミングセンスゼロなのだ」
莉菜が思わず、呆れたようにツッコミを入れる。
教室に、久々に笑い声が広がった。
「うそ?! どこが変なの、妹ちゃん?」
「リナ、ダメよ。自分のアイドルユニット名をダイナマイツ・おっぱいシスターズとか付けるような人に言っても……」
「えー、いいじゃん、ダイナマイツ・おっぱいシスターズ。Ka-Rinより目立つし」
「悪目立ちしかしないわ!」
さくらがぴしゃりと即座に切り返す。
そのやり取りに、楓が小さく笑った。
「楓、あなたが付けて」
「……いいけど。でも、いいの? 皆、カスミの彼女になるってことでしょ」
楓が戸惑いながらも、問い返す。
その声には、まだ少しだけ迷いが残っていた。
「……わたしは構わないわ。ダメならすぐやめればいいし」
「わたしもOKなのだ。義妹兼彼女兼ムフフな関係で……ぐふふふっ」
「リナちゃん、変なこと言わないで。わたしも……仕方ないから、いいよ。幼馴染だし」
すずは、視線を逸らしながら呟いた。
その頬は、ほんのりと赤く染まっていた。
「楓ちゃんは?」
「……皆がいいなら。ううん、カスミの……彼女さんになれるように、頑張る」
楓の言葉に、教室の空気がふわりと和らいだ。
その決意は、静かだけれど確かなものだった。
「オレは……提案者だからもちろん賛成。……で、楓、名前どうする?」
「じゃあ、モップ会でいいんじゃない? 皆使い慣れてるし……周りもそう思ってるし」
楓が、少し照れたように提案する。
その言葉に、全員がうなずいた。
「そうだな……じゃあ、モップ会に決定で。……あとは、緒方との関係だけど、手を繋ぐくらいなら、皆OKだよな? 楓、なんて登下校でいつも繋いでるし」
「……ごめん」
楓が小さく謝る。
だが、誰も責める者はいなかった。
「キスは?」
「「「「?!」」」」
凜以外の全員が、顔を赤らめて下を向いた。
その反応に、凜がニヤリと笑う。
「隠すことじゃないから正直に言うけど、オレは中尾山に行った時と、この前、緒方の家に泊まりに行った時に、……した。もちろんそれ以上のことはしてない」
「すずすけもしてるよな。たまに挙動不審だし」
「そ、そんなこと!? な……くない。……はい、……ごく、たまにです」
すずは顔を真っ赤にしてうつむいた。
これまで繰り返してきたノルマのことは、誰にも打ち明けられなかった。
「わたしも何度かしたわ。……何度かね」
さくらは、余裕の笑みを浮かべながら、さらりと認めた。
具体的な状況には触れず、あくまで事実だけを提示する。
「わたしは、この前、凛ちゃんが泊まりに来た時に罰ゲームで一回しただけなのだ」
「……それは、オレも見てたからいいよ」
「なんか皆、こっそり沢山してるみたいでズルいのだ……」
莉菜が頬を膨らませる。
その様子に、場の空気がさらに和らいだ。
「楓は?」
「……言わないとダメ?」
「まぁ、皆言ったから、フェアプレーってことで」
「……わかった。この前、テスト前の勉強会と、中学の時に一度だけ」
「つまり二度?」
楓が、真っ赤な顔でうなずく。
「……でも、どっちもカスミが寝てた時だから、大丈夫」
その言葉に、全員が一瞬固まった。
声には出さなかったが、楓以外の全員が同じことを思った。
──全然大丈夫じゃない。
むしろ、寝込みを襲うなんて、もっとタチが悪い。
「なぁ楓、中学の時、そこまで進んでたのに、どうして付き合わなかったんだ?」
「だって、わたしたちは親友だから! そういうのは無し」
また親友。
凜は、心の中でため息をついた。
そして、この無限ループが、霞との関係を止めてきた安全装置なのだと、再認識した。
「緒方がこの案を受け入れるかどうかは別として、モップ会設立ってことで……」
「わかったわ」
「了解なのだ」
「皆がいいなら、それで……」
「うん、頑張る」
5人の想いが、静かに重なった。
こうして、天使五翼の打算の産物として、モップ会はただの昼食会から、事実上の緒方霞ハーレムとして再設計された。
「てかさ、オレらが目を光らせておかないと、緒方はすぐに目移りするから危ないと思う」
凜が言いながら、机に肘をついてため息をつく。
その言葉に、他の4人も思い当たる節があるのか、微妙な表情を浮かべた。
「そうね。わかっている限りでも、ディ・ドリームの子や、リナの地元の子とか……」
さくらが指を折りながら数え始める。
その目は真剣そのものだった。
「セナは大丈夫だと思う……多分」
莉菜が小さく呟く。
だが、その多分に、誰もが不安を覚えた。
「鈴木さんは? あのギャル、侮れないわ」
さくらが口を挟む。
のらりくらりと交わしながら、懐に入ってくるギャル巫女の抜け目なさを思い出し、思わず背筋が伸びる。
「……わからん。てか、気を付けないといけないの女子だけ? カスミンの時は男にもモテるでしょ? 前から水野君や広田君と兄ちゃんがぐへへな関係との噂が……ぐへへっ」
莉菜がニヤニヤしながら言うと、さくらが眉をひそめた。
「……それはないと思うけど、正直どうすればいいか、わからない。緒方の守備範囲、広すぎないか?」
凜が苦笑しながら言うと、すずが小さくうなずいた。
「サイアク、緒方君やっぱり爆発四散して欲しい」
すずのぼそっとした一言に、全員が一瞬沈黙した後、吹き出した。
「まぁいいや。残る課題はおいおい対策は考えよう……話を戻すけど、キスはありにする? それとも、なし? オレとしては……」
凜が話を戻すと、再び教室に緊張が走った。
モップ会という奇妙な共同体が生まれた今、ルールをどうするかは、避けて通れない問題だった。
悩める天使たちの会議は、まだまだ終わりそうになかった。
緒方霞が普段使っている教室の机を囲みながら、それぞれの想いと少しの打算と、希望を胸に、新しい関係の形を模索し続けていた。
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