第261羽♡ 天使だけの8月1日
――8月1日、午後1時30分。
白花学園高等部第二校舎1年B組の教室に、望月楓、前園凜、高山莉菜、宮姫すず。そして、赤城さくらの5人が集まっていた。
夏休み中なので、わざわざ学校に来る必要はない。
楓、凜、さくらの三人は赤城家で合宿中だから、わざわざ移動する必要もなかった。莉菜とすずが赤城家に来れば済む話だったが、なぜか全員がこの教室に集まっていた。
理由は、言うまでもない。
緒方霞について、今後どうするか。
5人で共通の話題が他にないわけでもない。
だが、今この瞬間、最もホットな話題は──昨日、緒方霞がこの5人に同時に告白し、見事に玉砕したという事実だった。
「妹ちゃん、今日、緒方は?」
「朝からリハに行ったよ。なんか緊張してたみたい」
「今日からだな、アイドル対決……でも、それより気になることがあるんだ、一晩考えたけど、やっぱり五股はきつい……きついけど、緒方には色々世話になってるし、そばにいてくれないとオレは困る。皆はどう?」
凜が、あえて軽口を交えながら話を切り出す。
誰もが気にしているのに、誰も最初に触れたくなかった話題。
その沈黙を破るのは、いつだって彼女の役目だった。
「……確かにそうね」
さくらがすぐに頷く。
その声色は冷静だったが、どこか張り詰めていた。
「でも、付き合う相手は一人が普通でしょ」
すずが、まっすぐな瞳で言う。
その言葉に、誰も反論できなかった。
正論すぎて、逆に何も言えない。
「……そうだよね。カスミが誰かと付き合うなら応援したいけど、ちょっとできない」
楓も、すずの意見に静かに同意する。
声は小さかったが、その分だけ本音がにじんでいた。
「兄ちゃんに、わたし以外の彼女ができないなら、それはそれでいいけどね、ふふん♪」
莉菜が、わざとらしく余裕の笑みを浮かべて言った。
その無邪気な口調が、逆に他の4人の神経を逆撫でした。
すず、さくら、凜の3人が、同時に眉をひそめる。
楓だけは、無言のまま視線を落とした。
夏休みの間、莉菜以外の4人は、何か理由をつけなければ霞に会うことすらできない。
だが、莉菜は違う。
同じ家に住んでいる以上、何もしなくても毎日一緒にいられる。
しかも、莉菜も昨日、霞に告白されている。
ライバルたちが一斉に身を引いた今、彼女だけが最短距離にいる。
このまま一気に、霞の彼女に上り詰める可能性だってある。
……振ったのは自分たちだ。
だが、霞が自分以外の誰かと付き合うのは、やはり看過できない。
少女たちの胸の内には、複雑な感情が渦巻いていた。
「あなた、もう体調はよくて?」
さくらが、ふと莉菜に視線を向けて尋ねる。
その声には、わずかな棘と、同時に心配の色も混じっていた。
「うむ……お医者さんが言うには、疲れが溜まってただけだから大丈夫だって」
莉菜は胸を張って答える。
その態度はいつも通りの妹キャラだったが、さくらはその裏にあるものを知っていた。
だが、あえて何も言わなかった。
「ぶっちゃけ、妹ちゃんは、緒方のことをどう思ってるの?」
凜が、火中の栗を拾うように、誰もが聞きたくて聞けなかったことを口にする。
教室の空気が、わずかに張り詰めた。
「もちろん、好きだよ。わたしには兄ちゃんしかいないし、皆が兄ちゃん要らないなら、わたしが引き取るしかないよね?」
莉菜は、さらりと言ってのけた。
その言葉に、他の3人が一斉に反応する。
「――ちょっと待った、さっき言ったけどオレは要らないとは言ってないから」
「わ、わたしも幼馴染として、緒方君の素行を正す義務があるから……う、うん、これは宿命みたいなもの」
凜とすずが、慌てて言葉を重ねる。
すずは焦ったのか、好きという言葉を避けて宿命などという重い単語を選んでしまったことに、まだ気づいていない。
「白花に来たのはリナとサッカーを続けるためというのもあるけど、わたしはカスミ君をよろしくと、お父様に頼まれているわ」
さくらが静かに言う。
その口調はあくまで理性的だったが、言葉の端々に、霞への特別な感情がにじんでいた。
「前から気になってたけど、さくらと緒方って、どういう関係なの?」
凜が、探るように問いかける。
その視線は、冗談めいているようでいて、どこか真剣だった。
「わたしとカスミ君は……」
さくらが言いかけた瞬間、すずが小さく息を呑み、目をギュッと閉じた。
胸の奥で、何かが軋むような音がした。
──言わないで。
すずだけが知っている。
赤城さくらは、緒方霞のフィアンセだ。
今ここでその事実を明かされれば、他の4人は身を引くしかなくなる。
せっかく再会できたかーくんに、もう二度と想いが届かなくなるかもしれない。
「……ただの同級生よ。ただし、他の男子とは違うわ」
さくらは、言葉を選んだ。
すずの願いを汲み取ったのか、それとも自分の中でまだ答えが出ていないのか。
その真意は、誰にもわからなかった。
すずは、思わず胸をなでおろす。
だが、安堵と同時に、どこか胸が痛んだ。
「……そう。ならオレと同じだな。すずすけは?」
「わたしは違う……じゃなくて、義務だから。でも、他の男子とは違う……と思う」
すずの言葉は、どこかちぐはぐだった。
自分の気持ちを隠そうとするあまり、かえって本音がにじみ出てしまう。
「ふーん、そっか」
「な、なによ? お凛ちゃん」
「別に。ただ、今日もかわいいなと思って」
「ちょ、ちょっとからかわないでよ!」
ニヤニヤする凜の軽口に、すずが顔を赤らめて抗議する。
そのやり取りに、場の空気が少しだけ和らいだ。
「凜、すず、イチャイチャは二人の時にやって。楓、ずっと黙っているけど、あなたはどうなの?」
さくらが、静かに楓に視線を向ける。
その声には、どこか探るような響きがあった。
教室の空気が、再び張り詰める。
誰もが知っていた。
現状、楓が一番手であることを。
「わたしはカスミの親友だよ。これからも……」
楓は、俯いたまま、ぽつりと呟いた。
その言葉は、いつも通りだった。
だが、どこか、力がなかった。
親友──
それは、楓が霞に対していつも使う言葉。
親しくはあるが、異性としては意識していないという、ある種の防壁。
だが、それが本心かどうかは、誰の目にも明らかだった。
「わたしたちに気を使う必要はないのよ」
「そうだよ。楓ちゃんの想いは、わたしたちもわかってるつもりだから……」
さくらとすずが、優しく声をかける。
自分のことだけを考えるなら、楓にはこのまま親友でいてもらった方が都合がいい。
だが、それを口にすることは、誰にもできなかった。
「4月は、楓ちゃん、もっと積極的だった。楓ちゃんの誕生日に兄ちゃんとふたりで新宿に遊びに行った時、部活だったわたしをRIMEで煽ったこと、あったよね? 『来れるならおいで』って。楓ちゃんとケンカしたいわけじゃない。でも、どうして変わっちゃったの?」
莉菜の声には、ほんの少しだけ、寂しさが混じっていた。
新宿事件──
楓と霞がふたりでいた場所に、莉菜とさくらが駆けつけ、言い争いになったあの日。それを仲裁したのが、偶然その場にいた凜だった。
あの一件がきっかけで、天使同盟五翼はケンカしないためにできるだけ一緒にいるようになった。それは、互いをけん制するための、静かな協定でもあった。
「わたしが、カスミのことを縛っているように感じたから。カスミは優しいから、そばにいてくれる。……でも、そばにいるのは、わたしじゃなくてもいい」
楓の声は、どこか遠くを見ていた。
その言葉に、誰もすぐには返せなかった。
「楓ちゃん、本当にそれでいいの?」
「……うん」
「ダメよ、楓」
楓の小さな肯定を、さくらが即座に否定する。
その声には、迷いがなかった。
「さくら?」
「カスミ君が、嫌々あなたのそばにいるわけじゃない。そばにいたいから、いるの」
「それに、あのいい加減なカスミ君が、マメになったのは、あなたのおかげよ」
さくらの言葉は、静かだった。
だが、その静けさの奥にある熱は、誰の胸にも届いた。
「……でも、わたしは」
「いいんだ楓。少しくらいワガママ言っても。その方が、オレたちも助かる……」
凜が、そっと楓の肩を抱いた。
その瞬間、教室の外から聞こえていた蝉の声が、ふっと途切れた気がした。
「……わかった。皆、ごめんね」
楓が、ぽつりと呟く。
その声に、教室の空気が、少しだけ柔らかくなった。
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