第219羽♡ 元カノと義妹と夏祭り (#3 夏夜の偽り)
――7月28日土曜日、今は恐らく午前2時とかそれくらいの時間だと思う。
スマホが手元にないから、正確な時間は確認することができない。
今夜の宿泊先を聞かれた際、知り合いのところに泊まらせてもらうとか、ビジネスホテルを取っているとか、適当な事を言えば良かった。そうすれば容易にセナを振り切ることができただろう。
一晩眠れないのは辛い。
それでも一枚の布団でセナと背中合わせで寝ている現状よりはマシだ。
こんな激ヤバイベントは俺の様な腐れ陰キャモブ男子高生がやって良いことではない。
本来なら一生に一度あるかないかのイベントだと思う。だけど最近では設定がバグったゲーム並みに多い気がする。直近でも朝起きたら、前園とリナが同じベッドに寝ていたり、さくらが忍び込んできたりで……。
(ってあれ? ひょっとして俺は割とリア充なのでは?)
――そんなはずはない。
入学式からほとんど友達ができないまま一学期が終わってしまったし。
「カスミ」
「はぃい?!」
急に声をかけられたものだから、変な声が出た。家主のセナは落ち着いている。
動揺しているのはどうやら俺だけ。
「そんなに離れないでよ」
「でも夏場だし、暑苦しいだろ」
「そうかな?」
窓から流れてくるひんやりとした空気とカラカラと回る扇風機のおかげでそれほど暑くはない。緑色のブタの蚊取り線香の先は赤く光り、ツーンとした匂いの煙が揺れながら部屋を包んでいる。
衣類などが入ったカラーボックス、木製の折りたたみ机、少し年季の入った姿鏡、窓側に置かれた小さなサボテンなど、どこかノスタルジーを感じる6畳の和室には生活感があり、向井瀬夏という少女の伊吹が溢れている。
リナやさくらの部屋と比べると物が少ない。明日引っ越しをするとしても、一時間くらいで全て片せそうだ。
「そうだよ……俺も一応男だし」
「知ってるよ」
「じゃあ少しは警戒しろよ」
「ちょっと無理かな、女の子よりかわいい顔してるし」
「竜二みたいな男らしい感じになりたいんだよね」
「無理だと思う、全然似合わないよ」
あっさりダメだしされた。
現役男の娘アイドルとしては、上手くいっているのかもしれない。
とは言え、一男子高校生としてはこのままだとまずい。
「カスミの回りはかわいい子ばかりってリナから聞いている」
「皆、高校に入る前からの知り合いで、お情けでかまってもらっているだけだから」
「リナとは……まだ付き合ってないんだよね?」
「当たり前だろ、妹だし」
「あの子はそうは思ってない、わかっているよね?」
「はい」と「いいえ」のどちらも言えない。「はい」だとこれまでの建前が成り立たなくなるし、「いいえ」と言うには色々あり過ぎたから。
「初めて会った時から、カスミがいつか東京に戻るのは何となくわかっていた、この人の居場所は村じゃないなって」
「6年も村に住んだし、ちゃんと馴染んでいただろ?」
「そうだね、でもやっぱり遠くに行っちゃった」
「親父がアメリカから帰国したし、東京に戻るしかなかったからな」
「仕方ないよね……カスミがいなくなってリナは変わったの、中学三年間はガムシャラに頑張っていた。わたしも変わらないといけないと思った、だから竜二と付き合い始めた」
「セナは無理に代わる必要なかったんじゃないか?」
「必要はあったよ。会えないのは辛い、何か代わりのもので埋めないと耐えられない……竜二とふたりでなら変われると思った。でも、上手くいかなかった……さっきワイルドバーガーで一緒にいた人、バイト先で色々教えてくれるし、悪い人じゃないの、でも三時間もつかまるとは思わなかった、一人暮らしで彼氏がいないって言ったのは余計だったかも……帰らせてくれないし、どうしたらいいかわからなくて、誰か助けて……って思ってたらカスミが現れて、連れ出してくれた」
「たまたまだよ、電車が無くなって適当に入った店にセナがいるなんて思わないだろ」
「そうだね。ただの偶然かもしれない。でも、届かないはずのわたしの願いは届いてしまった」
「え!?」
背中に微熱と柔らかなぬくもりを感じる。
セナが突然抱きついてきたのだ。
「最初から諦めていたの、でも……意地悪な神様は最後のチャンスをくれたみたい。酷いよね、もう、どうにもならないのに……わたしはカスミのことが好き、初めて会った日からずっと」
言葉はまっすぐに伝わり心に響く。
だけど、俺は何も返すことができない。
「今は誰も見ていないし、どこにも聞こえない」
耳元で甘く囁くセナの言葉が俺をざわつかせる。
今だけは、絶対に振り向いてはいけない。
もし振り向いたら、きっと後戻りできなくなる。
「朝になったら忘れていい、わたしを見て」
7月31日より先に5人の天使を連れて行くため、そして堕天使遊戯を終わらせるため、リナを東京に連れ戻さないといけない。他のことを考えている余裕はない。
それなのに、俺はまた失敗しようとしている。
リナの気持ちを汲み取れなかった池袋デートの時と同じように。
セナを振り払うことができない。
ほんの少しだけのつもりで振り向くと、熱を帯びた栗色の潤んだ瞳と唇が目前に迫っている。
向井瀬夏が魅力的な女の子なのは、初めて会った時から知っている。
今までは意識的に見ない様にしていた。竜二の気持ちはふたりが付き合う前から何となくわかっていたし、俺はリナを守らなければいけなかったから。
それなのに……。
激しい鼓動とカタカタと響く扇風機の音が部屋に残り、俺とセナの息遣いが重なり、そして消える。
誰も見ていないし、きっと神様すら知らない。
部屋の隅にある古い姿鏡だけは、夏夜でわずかに動く偽りを映し続ける。
だから、世界を欺くことはできない……。
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緒方君へ……信じてるから。




